大白法

平成10年1月1日号


主な記事

<1面>
<2・3面>
<5〜7面>
<8面>

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新年の辞

総本山六十七世法主 日顕

日顕上人猊下(8Kb)  立宗七百四十六年の新春おめでとうございます。

 全国の法華講員御一同様には勇猛精進の唱題をもって、身も心も清浄にして確固たる自行化他の信念の下、この輝かしい革新の新年をお迎えされた事と存じ上げます。

 思えば平成三年及びそれ以降に於いて宗門は、極めて重大な破邪顕正の上に、大きな節目と変革を実践して来ました。それより数えて本年は八年目に当たります。八とは開くの意味があります。

 いわゆる仏法の正しい筋道の上から、更に旧来の謗法を破折し、改革し、前進する道に於いて、いよいよ新たな実相が開かれてくる年こそ正に本年というべきであります。

 そして法界の運行にも、更にはまた真剣な唱題によって無意識の中で清澄な深層の九識に照らされる、個人の運命にも、妙法受持の功徳に於いて実に見事な経過と実証が顕れていることを皆様の一人一人が確信すべきであります。

 宗祖日蓮大聖人は弘安二年の『上野抄』に

 「三世の諸仏の成道は、ねうし(子丑)のをは(終)りとら(寅)のきざみ(刻)の成道なり」(御書 一三六一n)

と、うし(丑)とら(寅)の意義を御指南であります。また『開目抄』には凡夫の迹を払って、久遠元初の本仏と発迹顕本された実証を

 「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸はねらねぬ。此は魂魄佐土の国にいたる」(御書 五六三n)

と仰せであります。蓋し、ねうし(子丑)の時とは一日の中で陰の気が最極に進みそれが終わる時であり、とらは、陰より陽に一転して、陽の気が最初に発する時であります。従ってこの時こそ、法界の不思議の実相により、下種本仏大聖人のお振舞いを根本として、三世のあらゆる仏が迷いの凡身を転じて悟りを開く神聖な意義が存するのであります。これに準例して考えると、この機微は各年々のめぐりに於いてもやはり大きな流れの中で存在すると思われます。

 従って昨年平成九年の丑年は最極の陰であり、それより本年寅年の陽に転ずる処に、転迷開悟と破邪顕正の上に大きな転換と前進が存し、そのような革新の年に当たっているといえましょう。

 思えば、かの阪神大震災は災厄を受けた方々にとって本当に不幸な、またお気の毒な事であり、謹んで災没者の御冥福と、生存の方々の生活の厚生と安穏をお祈りするものであります。

 しかし、仏法の道理に照らせば創価学会の大謗法がこれらを含めた種々の災厄をもたらす結果に至ったと信ずべきであり、その因縁の上に安全性考慮の理由を以て従来の池田大作の発起による前客殿が、自ずから除却去れる命運に立ち至ったのであります。そして堅牢と安全性を保証された新客殿が、堂々と完成に近づき、本年三月にその落慶法要を大々的に行う時に至っております。

 これまさに七百年来の広布祈願の大道場たる客殿の新装による出発であり、またこの意義に基づく宗門の広布と破邪顕正への新たな前進を開始する年であります。故に本年度に於ける僧俗の真の和合と団結こそ尤も重要であります。

 全国の法華講の皆様、この客殿の三月二十五日の落慶慶讃大法要、並びに以降十日間に渉って行われる慶祝記念大法要には僧俗心を一つにして参詣され、正法護持の功徳の充実と宗旨建立七百五十年に向う未来への一層の発展を計ろうではありませんか。

 そしてこの行事を一つの基軸として、大いなる破邪顕正の前進が、この本年という特別な意義に於いて更に堂々と開かれてくるものと信ずるのであります。その中にこそ純真な信心を貫き、三宝供養の誠をもって唱題根本に精進される法華講の信徒皆様の、現当二世の大願成就の大道が存するのであります。皆様のいよいよの御健康と御多幸を祈り新年の辞とします。



御書解説 春初御消息
別名・上野書、初春書 平成新編御書1588べージ


一、御述作の背景

本抄は、南条時光殿が新春のお祝いを申し上げるために身延にお住まいになられる大聖人様のもとへ、御供養の品をお届けしたことに対する御返事です。弘安5年(1282)正月20日に認(したた)められたとされており、御真筆は現存しません。

<対告衆>

富士大石寺の開基大檀那である南条時光殿は、駿河国富士郡上野の地頭であり、南条兵衛七郎の次男として、正元元年(1259)に生まれました。本抄に認められた「故殿」とは父の兵衛七郎、「故五郎殿」とは弟の七郎五郎のことです。

時光殿は幼少のときより、文永2年(1265)3月に亡くなった父の信仰と地頭職を継ぎ、母である上野尼の訓育によって成長を遂げるとともに、日興上人の駿河弘教に際しては、富士一帯の中心者として活躍し、熱原法難にも同信の僧俗を、身を挺して外護しました。そのために鎌倉幕府の圧迫を受け、過分の租税や、人足(にんそく)を割り当てられ、自ら乗る馬さえなく、妻子は着る物にも事欠くという苦労が続いたのです。そうした苦難の最中にも、大聖人様への御供養を続け、その純真なる信仰を愛でられ、特に熱原法難の功によって大聖人様から「上野賢人殿」と称賛されています。

大聖人様御入滅の後は日興上人に仕え、身延離山の際には、進んで自領の上野にお迎えし、本門戒壇建立の最勝の地たる大石が原を寄進し、総本山大石寺の基礎を築いたのです。後に時光殿は入道して沙弥大行(だいぎょう)と称し、元弘2年(1332)5月1日、74歳の生涯を閉じました。


<背景>

大聖人様は、弘安4年(1281)5月の『八幡宮造営事』に、「今年は正月より其の気分(きぶん)出来して、既に一期をわりになりぬべし。其の上齢(よわい)既に六十にみちぬ。たとひ十に一つ今年はすぎ候とも、一二をばいかでかすぎ候べき」(御書1556ページ)と仰せられ、出世の本懐である本門戒壇の大御本尊を御建立あそばされ、また後継者に日興上人を得られて、御自身の入滅の近づいていることを予期され、寿命もあと1、2年であると仰せになられています。

また、同年12月8日の『上野殿母尼御前御返事』には、「さては去ぬる文永十一年六月十七日この山に入り候ひて今年十二月八日にいたるまで、此の山出づる事一歩も候はず。たゞし八年が間やせやまいと申し、とし(齢)と申し、とし(歳)どし(歳)に身ゆわく、心をぼ(耄)れ候(中略)この十余日はすでに食もほとを(殆)どとゞ(止)まりて候上、ゆき(雪)はかさなり、かん(寒)はせめ候。身のひ(冷)ゆる事石のごとし、胸のつめたき事氷のごとし」(御書1579ページ)と仰せられて、身延に入って8年間は身の変調に責められ、またその間一歩も身延を出ることもなかったと述懐され、今、厳寒の冬を迎え、長年の心身の疲れによって弱まりゆく老いの身には、ひとしお寒さが身にこたえると記されています。

このような状況のなかで、正月を迎えられた大聖人様のもとに時光殿から届けられた御供養への御返事が本抄なのです。


二、本抄の大意

本抄のはじめに、「ははき(伯耆)殿かきて候事よろこびいりて候」とあり、また追伸にも、「返す返すははき(伯耆)殿一々によみきかせまいらせ候へ」とあるのは、御供養などにおいても日興上人が大聖人様に御報告のお手紙を書かれたことを喜ばれ、また大聖人様からの返書も日興上人を通じて聴聞することを教誡なされたものと拝せられます。

本抄は、まず新年の悦びを表され、米・塩・十字・芋などといった御供養の品々を受け取られた旨を述べられます。この弘安5年の正月は、身延は特に大雪に見舞われた模様で、1丈(約3メートル)に及ぶ積雪に閉じこめられた山中の様子と御生活の一端に触れられています。というのも、鳥や鹿は庵室に来るが、樵牧(しょうぼく=きこりや牧畜を営む人)は山に入らないことや、衣類や食糧も乏しく、厳冬の身延山の夜ともなれば、その寒さは寒苦鳥にでもなったように言語を絶するものがあり、昼になれば、あまりの厳しさに里へ逃(のが)れたいという気持ちに駆(か)られると仰せです。

そして、このように大雪のために人の往き来も絶え、食も心細くなっていたゆえに読経の声も絶え、観念の心も薄くなってしまい、今生は退転して、未来に三千塵点劫、五百塵点劫ほどの間、苦しまなければならないと嘆いていたところであったが、そこへ時光殿から種々の御供養がもたらされ、これによって命を長らえ、時光殿にも再び会える希望が湧(わ)いてきたと仰せです。

さらに、過去の仏は凡夫であらせられたとき、五濁乱漫の世に、このように飢えていた法華経の行者を供養して仏になられたと仰せられ、今、時光殿が大聖人様に御供養申し上げたことは、法華経が真実ならば、この功徳によって、過去の慈父・兵衛七郎殿が成仏することは疑いないと断言されています。

最後に、故五郎殿も今は霊山浄土に参り合わせて、父君とお会いして父君に頭をなでられていることであろうと思いやると、涙をおさえることができないと哀悼(あいとう)の心情を吐露(とろ)され、本抄を結ばれています。


三、拝読のポイント

本抄は、酷寒の身延山中で厳しい御生活をされる大聖人様に、変わらぬ御供養の誠を示す時光殿の信心を称賛され、その功徳によって亡き父、亡き弟の成仏は疑いないことを述べられています。すなわち純真な御供養の功徳を示され、その功徳において亡き家族の霊に回向(えこう)されていくことを述べられていることが第一のポイントです。

第二のポイントとしては、退転への誡めということです。第65世日淳上人の本抄の御講義(日淳上人全集上巻613ページ)には、「今生退転して未来三五を経ん事をなげき候ひつるところに」の御文を拝されて、妙法の信仰を退転すれば、三千塵点、五百塵点の長い間、苦しまなければならいことを教えられています。つまり、私どもの弱き心を見抜かれて誡められているのです。

また、苦難に遭遇して一度退転してしまうと、再び大聖人様の仏法に巡り値(あ)うことはなかなかできません。しかも、退転することによって苦難が除かれるかと言えば、かえって重くなるのです。凡夫が退転してしまうのは、大聖人様の仏法が最勝、最正であるということが判らないからです。

この最勝の仏法に値いながら、なお苦しみが除けないのであれば、その原因となる我が身の過去の業障を思うべきです。その過去世の謗法罪障には軽重があります。何れにせよ、最勝にして最正の仏法によってのみ破り除くことができるのです。

私たちは、新年の初頭に心を新たに御書を拝して、今年こそはと勇猛心を奮い起こすことが肝要です。また、今生に苦難がある人は、大聖人様の困苦を偲(しの)び奉って身を持することが大切なのです。


四、結び

本年「革進の年」は、御法主上人猊下の御命題である立宗750年の30万総登山を見事に達成するために信行学をさらに深め、改革・前進する年であり、3月末には待望の新客殿の落慶を寿(ことほ)ぐ、10万名記念法要登山が挙行される年でもあります。

昨年末、謗法厳誡の精神のもと、宗規改正によって、日蓮正宗以外の他の宗教団体に籍を置く者は本宗信徒としての資格を喪失するとの処置がとられました。しかしながら、これは未だに池田創価学会の陰謀に踊らされ、地獄への道を突き進んでいる学会員等を根本的に救うためであることを忘れてはなりません。私たち法華講の使命の大なることを自覚して、さらに折伏を敢然と行ってまいりましょう。

輝かしき年頭にあたり、本年の決意も新たに、唱題・折伏・教学研鑚の目標を掲げ、さらにその達成に向けて日々努力を重ね、御命題の実現に向けて、それぞれの信心の改革・前進を図ってまいろうではありませんか。


※この原稿は修徳院支部の川人さんのご協力で掲載いたしました。


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