大白法

平成10年3月16日号


主な記事

<1面>

<2面>泉要坊新築落慶法要より
<3面>法華寺落慶法要より
<4・5面>
<6面以下>
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ガーナアクラ市 闡明山法華寺落慶法要
アフリカ大陸初の寺院建立 ガーナ・トーゴ・べナンから千名余が参列

広大な自然と人々の生きる力が漲る大地アフリカ、ガーナ国の首都アクラ市に広布の本拠ともいうべき、同大陸初めての寺院、闡明山法華寺の落慶入仏法要が2月21日、御法主上人猊下の御裁可により、同寺初代住職に任命された吉田道常御尊師の導師のもと、盛大かつ厳粛に奉修された。これには、海外部主任・中本代道御尊師、宗務院書記・岩城信統御尊師、スペイン妙昌寺住職・山田容済御尊師、ロサンゼルス妙法寺住職・高野泰信御尊師、常行寺住職・渡辺道宏御尊師が出席された。また、地元ガーナの信徒に加え、隣国のトーゴ・べナンの信徒、さらにアメリカからも有縁の信徒が参列し、1000余名の信徒が集った。

今回の法要は、御法主上人猊下をはじめ一部関係者のビザ取り消しという、異例の事態のなかで奉修されたものであったが、緊張感漂う中にも、同寺周辺一体は歓喜が満ち溢れていた。当日ははじめにテープカット、正面玄関に掲げられた寺名の除幕式、玄関右側の記念碑の除幕式が行われた(これには「1998年2月21日・第67世御法主日顕上人猊下より法華寺を賜る」と記されている)。法要開始30分前には、1000席ある本堂の信徒席が全て埋め尽くされ、入りきれない人が堂外にまで溢れた。法要に先立ち注意事項が、英語(公用語)・チュイ語(現地語)・仏語(べナン信徒のため)で読み上げられた。

法要は午後2時より、吉田住職の導師により開始され、渡辺御尊師による御開扉、中本御尊師による献膳の儀に続いて読経に入った。而説偈言で磬が入り、猊下の慶讃文が代読され、さらに自我偈・唱題と如法に奉修された。その後、御法主上人猊下から賜った御言葉を吉田住職が読み上げた。そのなかで御法主上人猊下は、

現在世界各国に日蓮正宗寺院が建立されているが、ガーナにおいてはメンバーが中心者のアソマニ氏と一体となって正法広布に尽力し、清浄な信仰眼をもって正邪を見極め、創価学会より離れて日蓮正宗の正しい信仰に帰依されたことが、寺院建立という輝かしい成果となって現れた。今後は法華寺を修行の増進と折伏の道場として、常に参詣して下さい。(趣意)

と述べられた。引き続き式の部に移り、中本海外部主任の経過報告を山田御尊師が代読した後、欠席された藤本総監の御祝辞を中本海外部主任が代読し、続いて信徒代表アソマニ理事長が祝辞を述べた。また尾林海外部長のメッセージをはじめ、アメリカ・イギリスの関係僧俗からの多数のメッセージが披露された。最後に吉田住職より、参列者に対して丁重な謝辞があった。

終了後、寺院前広場で「ミムソプス・エレンジ」の記念植樹がなされたあと、6回に別れて全員の記念撮影が行われた。小憩の後、地元ガーナのクマシ信徒と、トーゴ国信徒による民族舞踊と合唱が披露され、一切は滞りなく終了した。


<御親修予定変更の経緯>

ガーナ法華寺の建立が決定して以来、御法主上人猊下より深い御慈悲による様々な御指南を賜りながら、落慶入仏法要に向っての計画が進められました。

私たち先発隊は2月9日に予定通りガーナに向って出発をしました。しかし、ガーナに入って二日目に不可解な情報が入ってきました。2月12日にガーナ大使館より猊下御一行全員のビザが無効になったという連絡が入ったというのです。

色々調べているうちに、どうやらガーナ大使館に『外部』より虚偽の告発が入った事が判りました。他国に比べてガーナ共和国には日本の情報が少ない事を利用した、悪質な嫌がらせであります。御法主上人がガーナに入国されることにより、ガーナ信徒に及ぼす計り知れない影響力を魔が畏れたものであることは明らかです。

しかし魔の企みに反して、ガーナ信徒は御法主上人猊下をお迎えするという新たな目標を得て、さらに今までは実感していなかった御金言の「魔競ばずは正法と知るべからず」との御文を見を持って学び、逆に強い確信の元に、初めて目にする板御本尊様にさらなる強盛な信心のお誓いを立てました。


<経過報告 海外部主任 中本代道御尊師>

本日は、ここガーナ共和国アクラ市にアフリカ最初の寺院となる闡明山法華寺が建立され、盛大に落慶入仏法要が奉修されましたことを、心よりお祝い申し上げます。

1992年に、池田大作の慢心による謗法と教義逸脱のために創価学会が破門されてより、アソマニ氏を中心としたガーナ・トーゴ・べナンの2000人以上の信徒は、どの国よりも早く宗門と連絡を取り、法華講組織の計画を進めて参りました。日蓮正宗としては、多くの純粋な求道心に応えるために、1993年6月に山田師・渡辺師の二人を派遣して指導会を持ち、正式に日蓮正宗の信徒としての再出発をしたのでありました。また翌年の1994年7月には、山田師・中本師・渡辺師の三人が宗門海外部より派遣され、第一回御授戒ならびに指導会を行い、307名が御授戒を受け、179体の御本尊御下付がなされました。これ以降毎年100名以上の人々が御授戒を受けるという、素晴らしい発展を見たのであります。

1995年6月、アソマニ氏より来た手紙の中で「さらに僧俗の和合を深めるため、支部長会において購入した土地に寺院建立をお願いする決議をした」と連絡してきたのです。突然のことに驚いた海外部では、11月に山田師・中本師を派遣して土地を視察すると共に、寺院建立にあたっての心構えを指導し、全てのリーダーの賛同を得ました。それからアソマニ氏をはじめとする各リーダーによる啓蒙がはじまり、寺院建立の気運はますます高まったのであります。ガーナメンバーの希望は速やかに御法主上人猊下に伝えられ、甚深の御理解を賜りました。宗門においてガーナ寺院を建立していただけることとなりました。

寺院建立の準備は、御法主上人猊下の御慈悲のもとに着々と進められ、1997年2月16日、宗祖日蓮大聖人御誕生の佳日を選んで、起工祭が山田師・吉田師の二人によって奉修され、8月17日には尾林海外部長の導師により上棟式が奉修されました。アソマニ氏の報告によりますと、寺院建設工事は単に建設業者に任せているのではなく、工事現場に毎日のようにメンバーが訪れ、経済力のある人は建設資材を御供養し、また他の人は土地ならしからブロックの積み上げを手伝い、資金の足しにしてきたとのことであります。また週末になると工事現場に仮設された集会場において、唱題会をひらき御法主日顕上人猊下への御報恩の気持ちを込めて、工事の無事完成の御記念をつづけてきたそうであります。

そして、遂に全メンバーの大願が叶い、闡明山法華寺の落慶入仏法要を奉修することが出来たのです。

入仏式の様子 (35Kb)

この建物は、鉄筋コンクリート造り(333坪)、本堂は椅子席で1000人が参加できるようになっています。また庫裏も僧俗和合して広宣流布に邁進する根本道場にふさわしいものであります。ガーナ・トーゴ・べナンの皆様には、本日のこの感激と御法主上人猊下への御報感謝の気持ちを忘れずに、御住職・吉田道常御尊師を中心としてさらなる発展を遂げられることをお祈りし、経過報告とさせていただきます。


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