<2〜4面>
◇アメリカクロウ裁判 宗門の全面勝利が確定
創価学会側、連邦最高裁への最終上告を断念
先にもお知らせしたとおり(大白法496)、本年2月13日、カリフォルニア州の最高裁判所は、クロウ側の上告申立を却下しましたので、クロウ側としては、理論的にはそれから90日以内に、ワシントンD・Cの連邦最高裁判所に最終上告することはできたわけです。しかし、カリフォルニア州の第一審カウフマン判事とゼブロフスキー判事、控訴審ヴォーゲル裁判長以下の三判事、そして、最高裁のブラウン長官と、結局、計6人のカリフォルニア州裁判官が全員一致で下した宗門側勝訴の判決に対してクロウ側が不服を申立てても、連邦の最高裁判所がこれを取上げてくれないであろうことは誰の目にも明らかでした。クロウ側としても、これ以上の恥の上塗りはしたくなかったということでありましょう。◇中華民国台北市で法華講本興院支部結成式クロウ訴訟は、破門された学会が、御法主日顕上人を退座に追いやろうとして、長時間をかけて仕組んだ計画的国際訴訟であり、第一審のカウフマン判事と控訴審のヴオーゲル裁判長も、クロウは「名目的な原告」として使われたに過きないと認定しました。その認定がここに動かせない事実として確立されたのです。
「目撃証人」と称する元シアトル警官を「発見」して以来、その者に毎月4000ドルもの大金を、2年以上も払い続けてきたのは創価学会です。30年前、全国警察連絡コンピューター網などまだなかった時に起きた、いわゆる「シアトル事件」に関して、その「決定的証拠」となる記録が、連邦政府のファイルに見付かったなどという大悪宣伝をし、そういう合法的には存在しない筈の連邦警察(FBI)の「記録」を入手するため、上院議員や司法長官を巻込む、大政治運動をしたのも創価学会です。こうした一連の動きを見てもわかるように、米国クロウ訴訟の真の原告は創価学会であり、クロウは文字通り「名目的な原告」に過ぎなかったのです。従って、宗門側全面勝利の判決確定は、クロウというよりは、創価学会に対するアメリカ裁判所の鉄槌であり、その悪業に対する裁断であります。
日本のクロウ裁判も、御法主上人御自ら法廷で「シアトル売春物語」の虚構を余すことなく崩されました。また、「シアトル事件の決定的証拠」なるものの実体も、FBI元高官5人の宣誓供述書で徹底的に暴露されています。宗門は、アメリカでの全面勝利に続き、日本でも、真実必顕、池田創価学会の悪辣な策謀を許すことなく、悉く粉砕するため、更に一層の努力を続ける所存です。
ここにアメリカ訴訟の宗門弁護団に甚深の謝意を表するとともに、全面勝利を宗内僧俗一同に御報告し、これまでの御支援を感謝するとともに、今後一層の正法弘通・寺檀和合・広宣流布に邁進されることを念願します。
本年1月29日付をもって宗務院より法華講支部の設立が許可された、中華民国台北市・本興院の支部結成式並びに第一回中華民国信徒総会が、去る6月14日、台北市隣接の板橋市にある台北県立体育館において、新来者400名を含む同院所属の信徒約4200名の結集を得て盛大に開催された。◇体験発表 『皆が善い因を積めるように』 妙清寺支部 秦敏夫これには、宗務院より海外部長・尾林広徳御尊師、正光寺住職・辻秀道御尊師、海外部主任・石橋頂道御尊師、宗務院書記・佐藤信俊御尊師が御出席。また来賓として法華講連合会から島崎総務部長、神谷北海道地方部長、関野神奈川地方部長が出席した。
法要の部は、定刻の午後1時半に開始され、同院主管・黒沢糾道御尊師の導師により御本尊奉掲・献膳・読経・唱題と進められた。引き続き式の部に移り、はじめに尾林海外部長より黒沢主管に法華講支部設立許可証が、また初代講頭・林徳晃氏に支部役員認証状がそれぞれ授与された。続いて副講頭・許童榮氏より経過報告があった後、御法主日顕上人猊下より賜ったメッセージが披露された。その中で御法主上人猊下は、「中華民国の法華講員各位が、この支部結成を契機に、第一に御本尊への絶対の金剛心を持って勤行題する常精進の人であること。第二に、さらなる折伏弘教によって中華民国の広布の基盤を確立すること。第三に僧俗一体、異体同心の絆を深めて広布の人材を育成し、将来の大発展に寄与すること(趣意)」と御指南され、今後の発展に大きな期待を寄せられた。
続いて尾林海外部長より祝辞が述べられ、その中で尾林広徳海外部長は、「本興院誕生以来、僧俗一体となっての弛(たゆ)みない広布への歩みが、本年3月の高雄市・南台分院の開設となり、この度の法華講支部結成となった。熱原法華講法の原点を忘れずに、西暦2002年に向けて一層の精進をするよう祈ります。中華民国法華講に幸あれ」(趣意)と祝福された。
次いで運合会を代表して島崎総務部長より祝辞が述べられ、さらに林講頭より力強い決意が表明された。
その後、各地区の代表信徒が色とりどりの衣装を纏い、伝統的な歌や踊りの演舞をステージいっぱいに繰り広げ、会場は祝賀がムードに一色に包まれて互いに法華講支部誕生の喜びを分かち合った。最後に指導教師の黒沢主管より、参加者に対する謝意と、御法主上人猊下の大慈悲にお応えするための今後の誓いが述べられ、全員で『地涌讃徳』を大合唱し、午後五時前、記念すべき結成式は大成功裡に一切を終了した。中華民国初の法華講支の誕生が、今後中華民国の広布の大動脈として大きな力を発揮し、同国広布が一層進展するものと期待される。
※写真は妙教75号のものです
第六回地方部総会おめでとうございます。私の入信は子供の頃で、「お前が小さい頃は病気ばっかりしていたので、いろんな宗教にすがってみたが、最後に巡り合えたのが御本尊様だよ」と、母がいつも言っていました。自分で手を合わせ始めたのは中学生の頃ですが、あるとき創価学会の文化会館の集まりで、池田大作(当時会長)の「毎日七時半の朝日を浴びて勤行する」という言葉を聞いて、そんな時間はもうみんな働いているのにと思い、一遍に信心する気をなくしてしまいました。◇夏期講習会登山に参加して 仏土寺支部 戸松みち子それ以来、結婚してからも、御本尊様を仏壇にしまったままの状態で、勤行もする気になれませんでした。隣に住んでいる私の兄は地区部長で、毎日のように会合、会合と忙しくしていました。宗門への誹謗、学会問題が起きてから、私は絶対に創価学会がおかしいと思っていました。また兄もそう言っていましたが、なかなか兄夫婦は脱会の決心がつきませんでした。「お寺に早く行こう」と何度も急かして、平成5年3月にやっと、私たち夫婦・兄夫婦・近所の大槻さん一家と共に、三軒で合わせて12人で脱会し、法華講員となることができました。
それからは、御報恩御講に、その他の寺院行事に、座談会にと、誘われるままに参加しました。そしてしばらくして班長の任命をお受けしてからは、勤行もまともにできなくては御本尊様に申し訳ないと反省し、欠かさず勤行するようになりました。しかし私には持病がありますので、なかなか思うように活動できませんでした。29歳のときに慢性腎炎という診断を受けたのです。腎臓の細胞が三割も壊れているとのことで、一年間の入院による療養生活を送りました。その後、20年余り、ほとんど毎月熱を出し、その度に人工透析の恐怖がちらついていました。平成6年7月の地涌六万大総会のときには、利尿剤を飲まないと排尿できない状態で、薬を飲むと五分おきにトイレに通うようになります。夜出発のバスでは薬を飲むわけにもいきませんでした。手足がむくみ、体はだるく、無事着山したものの、最悪の状態で何とか御開扉を受け、総会にもやっとの思いで参加しました。でも自分の心の中では、お山へ行ったんだから何とかなるという安易な気持ちがどこかにありました。そのためか帰ってからは医者通いの毎日で、とうとう仕事も休むようになりました。「ああ、いよいよ人工透析か」と、心の中は不安で一杯でした。
病院に通い、薬を飲み、唱題と、一ヶ月が過ぎた頃、利尿剤を飲むのをうっかり忘れたのに気がつきましたが、体にむくみがでません。それから薬を飲むことがだんだんと減り、とうとう今では薬を飲まなくてもよくなりました。風邪をひいても熱は出なくて、しんどいなあと思ってるうちに治っているという、今までではあり得ない状態になりました。鼻水が出て、咳が出るという普通の風邪、それが今までの私にはなかったことなのです。皆さんには判らないと思いますが、普通の人と同じように風邪をひくとこが、自分にとっては本当に嬉しくて、凄いことでした。
「此の曼陀羅能く能く信じさせ給うべし。南無妙法蓮華経は師子吼の如し。いかなる病さはりをなすべきや。鬼子母神、十羅刹女、法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり」(御書685ページ) との、宗祖日蓮大聖人様の御金言は真実でございました。私は、「自分にはまだまだするべき役目がある、そのための御本尊様のお導きである」と、心の底から感謝申し上げ、元気にしていただいた体で、できることから一つひとつ御奉公していこうと誓った次第であります。
平成8年の8月に、家内の親友を折伏しました。折伏を務めながら、御本尊様の御仏智だなあ、と思うことがいくつもありました。昨年3月には、会社の同僚である星野君の家族を入信させることができました。以前に彼の引っ越しを手伝ったとき、私が彼の家のお厨子を運んだのですが、折伏先を考えたときそのことを思い出しました。今日言おうか、明日言おうかと悩みました。本当に三障四魔の妨害だったと思います。気を取り直し、唱題を重ねて勇気をいただいてから、昼休みにパチンコに行った彼を追いかけて、遣わなくてもいいお金を遣ってパチンコに付き合い、思い切って話しをすることができました。彼の言うには、結婚前に奥さんが入信していた由です。それからは星野君に毎日、日蓮正宗のこと、御本尊様のこと、創価学会との違い、御本尊様の功力で自分がこんなに元気になれたことなど話しました。水口町にある星野君の家に行って奥さんとも話しをしました。奥さんは初めのうち、「私は学会でもお寺でもどっちでもいい、勝手に喧嘩しているんやし」と言っていたのが、星野君自身が信心に興味を持ちだし「秦君の話しはよく判る。道理が通っている」と言って、三人で時間の経つのも忘れて話し込みました。平成9年3月2日、星野君夫妻はお寺へ来て、御住職のお話を聞き、夫妻、子供さんの一家三人で入講されました。
それからは、御講には必ず一家で水口町から参詣されています。登山についても初めのうちは「仕事を休んでまでも行けんわ」と言っていましたが、「自分自身で行くと決めないと、絶対に行けないよ」と話してからは、積極的に夏期講習会登山に、支部総登山にも参加されるようになりました。彼の素晴らしさは、教学試験でも親子三人で受け、絶対に満点を取ると言って勉強会にもパーフェクトに参加し、仕事の合間にもテキストを離さず集中して勉強し、見事に合格したことであります。また、総本山への登山のときは、出発時間に間に合わせるため、早朝3時から勤行をして出かけられます。また、毎日の勤行は、会社の始業時間の7時に間に合わせるために4時起きを実行しておられます。
彼ががんばれるのは三つの功徳があるからとのことで、まず一つは、今まで会話がなかった家族に共通の話題が生まれて一家団欒が戻ったこと。二つ目には他人への妬みがなくなったこと。そして三つ目には、家族揃って登山できる喜びだと言います。そして現在、何とか折伏をしてこの気持ちを現したいという彼の提案で、お寺での地区唱題会を行うこととなり、地区の折伏の気運を高めるのに一役買っています。正直で素直な信心とは、彼のような姿だと思う次第です。
また創価学会の人で、寺院に塔婆供養に来られる方を、お寺の奥様のお勧めで折伏に行った例など様々ありますが、時間の都合で割愛させていただきます。
平成8年10月から区割りが行われ、私は今、大宮地区という所の地区長としてがんばっています。以前から、常にみなさんに言っていることですが、家庭訪問をしても、初めはドアの隙間から顔を覗かす程度からスタートし、だんだんにドアを開けて普通に話してもらえるようになります。やっと御講に参詣されるようになるまで、三年半かかった例もあります。ですから、「あの人はだめだ、この人は何べん言っても来てくれへん」という話しをよく聞きますが、「今度会ったら行こう」と思っているかも知れない。百回行ってあきらめずに、百一回顔を合わせてお話をする重要性を常に話しています。今年一月の初登山会での連合会総会の砌に、御法主上人猊下は、「一番大事なことは、家庭訪問ですよ」(趣意)と仰せられました。その御言葉をうかがって、私は涙がこぼれそうになりました。今まで自分が言ってきたことが間違いなかったのです。感動の極みでした。これからも「不断」の決意をもって家庭訪問を続けてまいります。
創価学会は「ニセ本尊」でも拝めば功徳があると、相伝仏法を否定し、仏法を惑乱しています。しかし、御住職は常々、「三大秘宝の大御本尊様のもとで勤行・唱題できるということが、既に功徳を積ませていただいている」と言われます。また、「善の因を積まないで善の果報があるはずはない」とも教わっております。このことを創価学会の人たちに地道に伝えていきたいと思います。以上をもちまして、私の体験発表を終わります。ご静聴ありがとうございました。
※この原稿は法雲寺支部折元さんのご協力で転載しました。(Web Master 1998/08/03)
今年も夏期講習会登山に参加することができました。四年前はこれほど講習会を待ち遠しいなんて思いもしなかったのに、今は有り難いのです。お山に身を置いていることと、一時間半の間、この目、この耳この身、この命が、御法主上人猊下の縁にふれているだけで成仏させていただいていることを知ったからです。今は判らなくても、聞いてさえいれば必ず判る時が来るから、「初心不可忘」。◇夏期講習会登山に参加して 大願寺支部 野呂みゆき
思い起こせば、小学校四年生のときに、学会を縁にして御本尊様に巡り合いました。ごく普通の家庭が、祖父の死により、家を追い出されて住む所もなく、借金までついてくる生活へと一転しました。両親は、借金の重圧からお金にとらわれて、ただ生きているだけのようになり、私は「なぜこんな惨めな生活をしなければならないんだろう」と子供心に悩みました。そんなときに巡り合ってお迎えした御本尊様を、ダンボール箱に御安置したことを記憶しています。それからは一家でひたすら信じ、当時の客殿の御供養も精一杯させていただきました。この生活も五年程で、家も新築し、借金も終え、普通の生活に戻ることができました。しかし、御本尊様によって得た幸せも、月日が過ぎると当たり前に思え、悩みが解決したら信心はできなくなりました。そして、結婚に当たって、主人は御授戒だけは受けてくれましたが、式は神前でしてしまい、まさに夫婦で謗法に屈した人生のスタートを切ったのです。不思議に、この日を境に勤行もできなくなりました。
創価学会不審も手伝って、昭和55年に家族全員で法華講に移らせていただいたのですが、題目三唱のみの生活が続き、気付いた時には苦しみのどん底でした。58年3月、『帰るところ』がお山しか頭に浮かばなかった私は、主人に土下座して登山を許してもらい、法華講員として初めて一泊登山に参加して、一人の婦人と知り合いました。その方は、御法主上人猊下の御説法の素晴らしさと折伏の功徳を、一晩中話してくださいました。このとき『初心』に戻ることができた私 は、下山したその日から『大日蓮』を拝するようになり、御指南の有り難さを感ずることができるようになりました。
間もなくある方に折伏を頼まれました。母親が肝臓ガンで二ヶ月もたないとのこと。この時、御尊師より「絶対に地獄には行かせないと言い切りなさい」と言われ、必死で言い切り、その一家親子三人は御本尊様をいただくことができました。入信の20日ほど後にお母さんは亡くなりましたが、親子二人は二日間唱題し続けられました。素晴らしい成仏の相を目の当たりにした私は、初めて大聖人様の生死共の成仏を感じる事ができたのです。二人目の折伏は心臓病の女性でした。手術をしなければ死というギリギリの時に知り合い、「そんなに死にたかったら、キリスト教を真剣にやりなさい」と破折。その方は「お題目って南無妙法蓮華経だよね。判った、唱える」と言って手術室に入りました。術後は死と隣り合わせの状態が12日間続き、私は話しては祈る毎日でした。祈りながら、なぜ他人のことでこんな苦しい思いをするのかと不満が出るのですが、翌日行くと、前日の症状が改善して医者が頭をひねる、と。いうことが毎日続きました。口のパイプが取れた時「お題目を唱えていると痛みが消えてゆくの。お題目はスゴイね」と言って、退院後に御主人と共に御本尊様をお迎えすることができました。
三人目は、教会で結婚式を挙げることになっているが、両親や姉が二度も結婚に失敗してしているので不安だという若い女性で、御指南を引いて、偶然は一切ないことと、私の体験をとおして「人生のスタートを狂わせてはいけない」ことを話したところ、入信を決意して日蓮正宗の寺院で結婚式を挙げ、正しいスタートを切ることができたのです。
こうして折伏させていただく度に、私自身が御法主上人猊下の御指南にふれ、仏様の素晴らしさ、偉大さを気付かせていただけます。同時に、この仏様は本当に生きている、苦しい命が救われていく、痛みが取れていく、命の主のなんだと心の底から感じられるようになり、今までに11世帯32名を仏様に縁させしあげることができたのです。
学会員の時は、家が建つ、金が儲かる等、形あることが功徳と思っていましたが、今は本当の功徳とは苦しい命が救われてくること、狂った命が救われていくこと、狂った命が救われていくこと、小さな心が豊かにならせていと感じます。また、折伏して御指南を伝えながら、ふと、「そうなんだ、よしこのことをを信じよう。この人の姿は私の姿なんだ。私も直していこう。また一つ気づかせていただいた。有難いなあ、私はこうして仏様に正していただける」と、折伏も家庭訪問も、すべて他人のためではなく自分のために、仏様が正してくださっていたんだと思います。猊下様が「一年に一人が一人の折伏を」と御指南くださったことが有り難く思えるようになりました。
気が付いてみると、あれほど苦しかった子供の事・主人の事・生活の事・病気の事・対人関係等、全て解決しているのです。現在、主人はお寺の総代と支部の登山部長を拝命し、子供は整理班、私も支部の副登山部長として、家族全員がお手伝いできるようにならせていただきました。
とにかく今は、御指南通り講習会に参加し、御説法に触れ、信心を深めていくことが成仏の一番の近道なんだと感じます。夏期講習会で猊下様に御説法に触れる度、命が開かれていくのを感じます。一回でも多く御説法に触れて、三十万総登山に向けて頑張りたいと思います。
私は、6月13、14日の第三期の夏期講習会に参加させていただきました。平成7年の第一回の講習会からすべて参加させていただいているのですが、毎回感じることは、大御本尊様在(ま)します総本山において、もったいなくも、御法主上人猊下より直々に御講義を賜ることのできる身の福運です。特に、今年は新築なった客殿において御法主上人猊下の御講義を拝聴させていただくことができ、この時に生まれ合わせた私たち法華講員の身の福徳というものを感ぜずにはいられませんでした。私は一般コースでしたので、第一日目の御講義は、「日蓮正宗史・上古篇」「五重相対−大小相対・権実相対」「創価学会破折」でした。これらの御講義において学んだことは、過去・御歴代の御法主上人猊下をはじめとする御僧侶方、そして私たちの大先輩である法華講衆の方々の僧俗一体の不自惜身命の信心により、今の時代に私たちが、間違いのない正しい仏法に巡り合うことができたということです。そして、これからは私たちが、後世にこの正しい信心を伝えていかなければならないのです。そのためには、創価学会をはじめとする邪宗邪義を、きっちりと破折しなければならないのです。このような御講義をいただいて、私は、私たち青年部の役目がいかに重要であるかを感じました。青年部という立場は、壮年・婦人部と少年部の中間にあります。私たち青年の信心がいいかげんなものであったならば、いかに壮年・婦人部の方々が正法を護り抜かれても、後の少年部、そして未来に続いていかないのです。私たちが、きっちり正しくバトンを渡していかなければならないと、痛切に感じましれた。
第二日目の御法主上人猊下の御講義は、『薬草喩品第五』でした。私にとっては、とても難しい内容でしたが、猊下様は時折ユーモアも交えられて、和やかな雰囲気の御講義でした。そのお話の中で、一番心に残ったのは、「法華講員は、題目をあげきり、いかなる時も正直であれ!(趣意)」という御言葉です。今の世の中、政界・財界・金融界は乱れきっています。そして過去に例を見ないような少年犯罪等、全てがウソ、偽りの世界なのです。この世の中で、私たち法華講員は、正しい信心に巡り会えたのです。私たちが今、乱れきったこの娑婆世界を救っていく他に方法はないのです。これは正に、大聖人様の『立正安国論』の御精神です。未だ、この信心を知らず、乱れたこの世の中で悩み苦しんでいる人々に対して、今こそ慈悲の心、そして正直な心で折伏していかなければならないと思いました。
今年の夏期講習会登山は、新築なった奉安殿において戒壇の大御本尊様に御内拝をさせていただき、丑寅勤行にも参加させていただき、御法主上人猊下の御講義も賜りました。法華講にとっての新しい“時”というものを強く感じました。
夏期講習会も、平成13年まで残すところ、あと3回になりました。私自身、これまで3回の講習会に全て参加させていただきました。この講習会にすべて参加させていただきました。この講習会の意義と素晴らしさを、まだ一度も受講されていない方達に、一人でも多く声をかけていきたいと思います。そして今日よりは一層、信・行・学に磨きをかけ、平成14年立宗750年の法華講三十万総登山を、広宣流布のお役に立てる法華講員となって迎えたいと思います。
※この原稿は深遠寺支部一ノ瀬さんのご協力で転載いたしました。(管理者 1998/07/26)