大白法

平成13年2月16日号


主な記事

<1〜3面>

<2〜5面>

<6〜8面>


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奉安堂建設工事順調に

「誓願貫徹の年」を迎えて、奉安堂の工事も少しずつ形を現してきた。昨年暮れには、建物を支える基礎部分のコンクリート躯体工事を完了し、2月現在、地下部分の築造作業に入っている。建物の骨組みとなる鉄骨柱も、根元の地下に埋まる部分から建て始めている。鉄骨柱は全部で106本になるが、それぞれが直径70〜80センチメートルに及ぶ太い鋼管柱であり、鋼材の厚みは、柱によっては36ミリメートルになるものもある。

北側から順次、柱を立てながら躯体の築造作業を進めており、柱の建て込み、鉄筋・型枠の組み立て、コンクリートの打ち込みといった作業が今後順番に進んでいく。4月中には地下部分がほぼ完了し、引き続いて地上部分の柱の建て込みが行われる。現場では大型のクレーンが4台、フル稼働で動いており、現作業員も常時150人を越える体制で作業をしており、今後も工事の進捗に伴い、順次増員されていく予定である。年明けから天候にも恵まれ、工事は来年秋の落成に向け順調に、かつ急ピッチで進んでいる。





御法主上人猊下御言葉
(唱題行の『色香美味』の功徳について)

おはようございます。本年度年頭の唱題行も本日をもって終了いたします。顧みれば1月1日より31日間、私も一日も欠かすことなく唱題行を勤めさせていただきました。そして最後の日に、皆様と共に大御本尊様に対し奉り、この志と功徳をもって本年一年間の、広布前進のための諸々の事業ならびに行学等に増進できることを心からお祈り申し上げた次第であります。

人にはそれぞれ、その一生涯において色々な時期があります。皆様方一人ひとりにも本年におけるそれぞれの段階、意義があると思うのであります。実は私も、今は申し上げませんが、昨年の暮れから本年にかけて私自身の上から非常に大事なことがありました。そしてそれを本年度の唱題行を中心として成就させていただきました。私はこの唱題行を本当に有り難いと思っておるのであります。

皆様方も本年におけるところの志、あるいは希望、抱負等がそれぞれ、おありになると思います。また人生における悩みや苦しみ、そしてそれに対するところの心構え等もおありになると思います。ともかく「祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来たらざるなく、理として顕れざるなきなり」(日寛上人文段集443ページ)と仰せの、この唱題行を根本として本年も御精進されることを心からお祈りする次第であります。

唱題行

寿量品に、「此大良薬。色香美味。皆悉具足(此の大良薬は、色香美味、皆悉く具足せり)」(新編法華経436ページ)と説かれております。「色香美味」の「色」は「いろ」であり、「香」は「かおり」、「味」は「あじ」という字であります。

色はすなわち色法ということで戒という意味に当たります。善いことをすれば善い結果が来るし、その善い結果において勝妙な命を授かってまいります。例えば、一人の人が病苦で苦しみ、その他様々な過去からの悪業の因縁で苦しんでおっても、その戒の功徳つまり、善を行うところの功徳が色法に、すなわち身体の上に、また顔の上に顕れてくるのであります。したがって、顔色の悪い人がすぱらしい立派な顔色を得るようになり、また健全な心身を得ていくという功徳が、この「色香美味」の色において存するのであります。

「香」は香りということでこれはいわゆる功徳の香りが顕れてくるということであります。この功徳の香りということは、すなわち心が安定するとこじようろの定という意味に当たっております。ここに戒定慧のうちの虚空不動定という、根本の御本尊様の深い徳が篭(こ)もっておるのであります。それが香りの上からの、唱題行によって得るところの安定の境界であります。御本尊様に合一するところに、ほかのものからは得られないところの安定・安詳の心が顕れてその徳を得ることができるのであります。

そして最後の「味」というのは味わいでありまして、これはどういう意味かというと、色々な物事の味わいを正しく得るということであります。我々は生活していく上において様々な道理と非理ということに常に直面しておりますが、正しい考えや誤った考え、その色々な意味から世の中のことは実に複雑であり、到底、口で一々の問題について論議することはできません。そのために今日様々な問題が論議されておりますが、その一番の根本には、仏様の悟りであるところの真如ということが存するのであります。つまり空仮中三諦の深い意義からの理ということが存するのでありまして、それが唱題の功徳によってその人その人の命の上に、また生活の上に顕れてそして正しい真理を得、道において迷わない理を得ることができるのであります。

色々申し上げましたが、この「色香美味」の当体はすなわち、宗祖大聖人様の三大秘法であります。この御本尊様を信じ奉り、南無妙法蓮華経と常に唱えるところに「色香美味」の功徳を享受して、心身ともに未来永劫にわたっての成仏の道を開いていくことができるのであります。

本年も唱題行の最後の日に当たって、皆様と共に御本尊様に向かっての功徳を成就させていただきました。また本年は、明年の宗旨建立750年に向かっての最後の年であり、その意味において、宗門が行うべきことをそれぞれがしっかり行っていき、明年の宗旨建立750年を立派に飾っていくことが肝要と思います。

それがまた皆様方一人ひとりの生活に、あるいは命のなかの仏道増進に必ずつながっていくのであります。その意味において今後とも唱題根本に御精進されますことを心からお祈りする次第であります。御苦労さまでした。




教学用語解説 有徳王・覚徳比丘

「有徳王(うとくおう)と覚徳比丘(かくとくびく)」の故事は、涅槃経『金剛身品第二』の釈尊と迦葉の問答中、釈尊の言葉として説かれています、如来の身は金剛身(常住の身)であるという釈尊の説法に対し、迦葉は、涅槃に入らんとする釈尊の身は限りある肉身であって、到底金剛身であるとは信じられないと疑います。そして、これについて釈尊が本生譚(ほんじょうだん:釈尊が過去世に菩薩道を行じていた時の物語)をもって説示したものが、有徳王と覚徳比丘の故事です。

<故事の内容>

この故事は『立正安国論』等の御書に多く引用されています。これを意訳すると、次のようになります。無量無辺阿僧祗劫の昔、拘尸那城に歓喜増益如来が出世しましたその如来が説かれた法は、如来の減後も無量億歳にわたって衆生を利益していましたが、その正法がとうとう滅ぴようとする末世に、覚徳比丘という名の正法を護持し弘宣する持戒の僧侶がいました。

ところがあるとき、彼の正しい説法を憎む大勢の謗法の徒が刀杖を手にして、この覚徳比丘を殺そうとしていたのです。これを聞きつけた当時の国王である有徳王は、護法のため、眷属を率いて直ちに覚徳比丘の元へ行き、覚徳比丘をかぱって大勢の謗法の徒と闘いました。その結果、覚徳比丘は危害を免れましたが、有徳王は戦闘によって体中に瘡(きず)を受け、まさに虫の息という状態となってしまいました。

覚徳比丘は、有徳王に「あなたは本当に正法を護る者です。未来の世には無量の功徳を具えた身を得ることができるでしょう」と誉め讃えました。これを聞いた有徳王は大いに喜んで亡くなったのでした。そしてその後、有徳王は阿仏(あしゅっくぶつ)という仏の在す国に生まれ、阿仏の一番弟子となり、また覚徳比丘も命が尽きた後、遅れて同じく阿仏の元に生まれ、第二の弟子となりました。さらには有徳王と共に戦闘に参加した者たちも、同じく阿仏の国に生まれたのです。

釈尊は、このような話をすると、迦葉菩薩に「もし正法が滅ぼされようとしているならば、まさにこのように受持擁護すべきである。実は、そのときの有徳王はすなわち我が身(釈尊)であり、覚徳比丘とは、あなた(迦葉)の前世の姿なのである」と述べ、「迦葉よ、正法を護持する者は無量の果報を得るのである。この功徳において、私は今世、法身不可壊身・金剛の身を得ているのである」と金剛不壌身の大功徳を説いています。


<折伏義の論拠>

天台大師は『摩訶止観第十』に、「夫れ仏法に両説あり、一には摂、二には折。安楽行の長短を称(とな)えざこるが如きは是れ摂の義なり。大経の刀杖を執持し、乃至、首を斬るは是れ折の義なり。与・奪、途(みち)を殊にすと雖も倶に利益せしむ」と述べています。

「大経」とは涅槃経のことで、「刀杖を執持し」とは有徳王と覚徳比丘の故事をさします。そしてこの故事を「是れ折の義なり」と、弘教の方軌である摂受・折伏二門の内、それが折伏の行相であることを釈しています。

宗祖日蓮大聖人は、種々の御書の中で、この涅槃経や『摩詞止観』等の文を引かれ、謗法充満の末法は、折伏をもって一切衆生を利益せしめることを説かれています。すなわち「首を斬る」折伏義とは、有徳王・覚徳比丘の世の断命の意味に準じ、今末法においては邪法・邪師の邪義の謗法を責め、また布施を止める「破邪」と、正法正師の正義への帰依という「立正」によって、それは成就するのです。

<僧俗の関係>

命も顧みず邪師のはびこる悪国に正法を宣示した覚徳比丘。そしてその覚徳比丘を護らんとして命を投げ棄って衛護した有徳王、そこには正法護持のため、僧俗それぞれが不自借身命の姿を顕しています。

大聖人が竜の口で頸を斬られんとした時、四条金吾殿は馬の口に取り付き、斬首されるならば自分も共に割腹して果てん、との勇壮な覚悟を見せ、大聖人から激賞とも言えるお誉めの言葉を賜っています。

大聖人が『法華初心成仏抄』に、「よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し、国土の大難をも払ふべき者なり」(御書1314)と説かれ、『曾谷入道殿許御書』には涅槃経の意を取って、「内には弟子有って甚深の義を解り、外に清浄の檀越有って仏法久住せん」(同790)と仰せのように、正法弘宣と護持のためには、僧俗異体同心して不自借身命の用きを顕すことが大切です。

<僧俗一致こそ仏法不変の大原動力>

されば『三大秘法抄』に、「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔減罪(さんげめつざい)の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり」(同1595)と、将来の一天四海皆帰妙法、本門戒壇の建立の世も、覚徳比丘と有徳王のように、正法を正しく護り伝える僧侶と、それを外護する信徒との確固たる関係によって実現されることを説かれています。すなわち、この僧俗の関係こそが、正法護持弘通のための不変の大原動力なのです。

今、私たちの足下に目を転ずるならは、明年に迫った宗旨建立750年の大佳節は、広宣流布への大きな基盤となるべき重要な節目です。故に今こそ僧俗一致し、折伏に次ぐ大折伏をもって御本仏大聖人に御報恩申し上げ、盛大にお祝い申し上げ奉ることが、有徳王・覚徳比丘の故事を現代に具現するものと言えましょう。僧俗一致の折伏戦によって、見事誓願を頁徹してまいりましょう。




海外リポート ガーナ共和国
(ガーナ法華寺住職・吉田道常御尊師)

早いものでガーナの首郡・アクラ市に法華寺が建立されてから3年が経過しようとしています。法華寺支部も「宗旨建立750」に向けて、より一層の努力をしていくことを、元旦勤行の時に僧俗一同お誓い申し上げました。当寺は建立以来、日本の寺院と同じように活動ができるよう心がけてまいりました。日曜日には御経日、御報恩御講、折伏座談会、御書の勉強会。また土曜日には青年・婦人・壮年部が交替で唱題会、寺院の清掃、指導会等、毎週活動しています。また火・木・金曜日には住職が各地区の宅御講兼折伏座談会へ行きます。御会式などの諸行事も日本と同じように奉修しています。

特に日曜日には、200名を超える子供たちが親と一緒に参詣します。子供たちには、今のうちに大聖人様の教えを徹底的に躾けなけれはなりません。そのため、幼児クラス、7歳から12歳の子供クラス、中高等部の3クラスに分け、青年部が担当して、お経の練習、やさしい教学、キリスト教の研究や簡単な日本語などを教えています。こうしたことを通して法華講の精神を学び、法統僧俗が叶うことを切望しています。

昨年の3月には、初めての試みとして初級の教学試験を行いました9歳の子供から65歳の老人まで420名が受験し、合格率は半分でしたが、教学力の向上に大きく寄与することができたと思います。

また、8月の夏休みは、10歳から16歳の子供たちを対象に合宿会を開催しました。隣国のトーゴとベニンからも参加があり、合計230名が法華寺で4日間の宿泊研修をしました。ふだん参詣が難しい遠方の子供たちが、アクラの子供たちと共に大聖人様の仏法を学び、勤行の姿勢や発音、太鼓の練習などをしました。今では大人よりも子供のほうがきちんと勤行ができるほどです。青年部や婦人部に協力してもらいましたが、なにしろ初めてのことでもあり、いろいろな問題もありました。しかし御本尊様のもとで住職と寝食を共にし、将来の広布を担う人材育成のためにも、この4日間は意義あるものであったと思います。


この国は、400年も前から奴隷貿易が盛んに行われ、それにともなってヨーロッパからキリスト教が入ってきました。その結果、土着信仰の偶像神とキリスト教の神が融合し、独自の文化・習慣が社会に根付いております。国民の大半がキリスト教徒であり、幼稚園から高校までほとんどが教会の寄付によって建てられています。授業の前には毎朝祈りを捧げ、カリキュラムには必ずキリスト教学が組み込まれています。神は絶対であり、人類の創造主であることを小さいころから植え付けられるのです。信教の自由は保障されているものの、仏教に対する偏見は相当強いものがあり、仏教徒というだけで、進学や就職においても、差別があります。

このような国で、仏法を弘めていくことは困難であることはもちろん、邪教に染まらない純粋な本宗信徒を育成していくことはそれ以上に難しいことです。こうした現状を打開するために、「大聖人様の教えを基調とした仏教の学校を建てたい」という声が大勢の信徒の中から出てきました。近い将来、法華講員の人材を社会へ送り出していくためには、仏教の学校が必要であると衆目一致し、昨年1月1日から「学校設立基金」の積み立てを始めました。2003(平成15)年にガーナで行われる「宗旨建立750年慶祝記念総会」までに実現できるよう唱題・折伏・御供養に励んでいます。

昨年8月16日には待望の法華講法華寺支部結成式が盛大に執り行われ、以前はすべて住職の指示がなければ動かなかった組織も、これを機に、講頭を中心としたリーダーたちが積極的に企画を練りながら活動するようになってきました。

法華寺では宗旨建立750年の慶祝記念登山に向かって、50名の登山を目標にしています。2003年の「慶祝記念総会」には3,000名の大結集をもって慶祝できるよう、本年から心を新たに準備に取りかかっています。新世紀を迎え、アフリカ広布の一層の進展をめざし、着実な前進を遂げることによって、御法主日顕上人猊下の御慈悲にお応え申し上げてまいります。


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