大白法

平成15年7月1日号


主な記事

<1〜4面>

<5〜8面>


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御法主上人猊下御講義 立正安国論(1−上)
於夏季講習会第1・2期


客殿での御講義

<立正安国論講義の開講に当たって>

皆さん、おはようございます。今回、平成21年の『立正安国論』正義顕揚750年に向かいまして、宗門僧俗一致しての正法護持興隆・行学増進に励む次第であります。そういうことから、本年度よりまた、この夏期講習会を始めることになり、今回は第2期に当たります。昨日から、それぞれ担当講師によりまして、折伏その他のいろいろな重要な行学に関する話があったことと思うのであります。

本年度は『立正安国論』正義顕揚750年を6年後に控えた、その最初の年といたしまして、『立正安国論』を拝読して、皆様と共に大聖人様の深い御仏智を拝したいと思うのであります。それで、講義の内容を考えましたが、『安国論』の始めから終いまでの御指南の量は、たとえば『開目抄』とか『報恩抄』『撰時抄』というような御書はとても長い御書でありますが、それに対してもっと短い御書も御消息等においてはあるわけで、この『安国論』は、ちょうどその中間くらいの長さになります。

そこで、全10期にわたっての講義の内容をどのようにしたらいいかということを考えた挙げ句が、『安国論』全体を5つに分けさせていただき、第1期と第2期を最初の部分、次のところを第3期と第4期というような形で行うことにいたしました。したがって本日は、先般の第1期のときに拝読いたしました『安国論』の最初の部分を、もう1回拝読する次第であります。


<安国論建白の背景と意義>

最初に、この『安国論』は、どのような縁由によって示されたかと申しますと、その当時、数年にわたって大風・大雨・洪水・飢饉・疫病・大地震等の災害がずっと重なったのであります。これは日本国中が正に背き、邪を行っておるところの謗法に因るということを大聖人様が御覧になりまして、しかも王臣共にこれを覚らず、したがって仏の弟子としてその謗法を戒め、不義・邪悪を諌めるということが、この『立正安国論』を作り、最明寺入道時頼に献じられたその意義であります。

しかし、これは一往、文に付しての形の上からの縁由でありますが、再往の深い元意におきましては、久遠元初自受用報身という根本の仏様が末法において再誕をせられ、そして法華本門の下種の大法を、その大行者たる日蓮大聖人によって末法万年の正法広宣流布のため、一切の民衆、一国乃至全世界への折伏諌暁の書であると拝して、しかるべきと思うのであります。

その時は、人皇(にんのう)90代・亀山天皇の御宇(ぎょう)でありました。いわゆる文応元(1260)年7月16日に奏呈をされました。そのときの将軍は、鎌倉9代の中の第6代・宗尊(むねたか)親王であり、執権は北条長時という人でありましたが、政治の実権はその前に執権を務めた最明寺入道時頼の手にあったのであります。時頼は4年前の康元元(1256)年に落髪をして入道となりましたが、なお政務に携わっており、したがってその政治の権力を持つ実力者として存在しておりましたから、宿屋入道光則(みつのり)に託して、この『立正安国論』を時頼に献ぜられた次第であります。

その主意は、第一に未来の大災難、これは経文等に明らかに示されるところの自界叛逆(じかいほんぎゃく)の難と他国侵逼(たこくしんぴつ)の難、この2つは、それ以外のたくさんの災難が現れておるこの時点においても、まだ現れていなかったのであり、かかる大災難の起こるべき所以を、予言書として示されたのであります。第二に、その災難の原因としての謗法の誤りを指摘して、これを強く諌められておる。すなわち仏法上の謗法に対する諌めであります。それから第三には、衆生の現当二世にわたる救済のために、その謗法の罪を糾されるという意義があります。

しかるに、文永9(1272)年の2月にこの予言の一つである自界叛逆の難が起こりました。さらに文永11(1274)年10月と弘安4(1281)年5月の2回にわたって蒙古の国が攻め寄せてきて、他国侵逼の災難の大予言が、まさに寸分も違わず的中したわけであります。これまさに、このことを通じてさらに下種の御本仏が未来末法万年にわたるところの日本乃至世界における真の正法護持、立正安国により真の平和に至る道を示された大予言であり、その大指針であります。


<安国論の題号について>

次に、「立正安国」の題号ということについて申し上げます。

「立正安国」というのは「正を立てて国を安んずる」ということです。この依拠は経文にたくさんありますけれども、法華経の『方便品』に、「正直捨方便・但説無上道(正直に方便を捨てて、但無上道を説く)」(法華経124ページ)という文があります。すなわち、従来の爾前経、大乗・小乗等の四十余年の経々はすべて方便教であるということを、釈尊自らがはっきりと決定した上で「正直に方便を捨てて但無上道を説く」ということを説かれたのであります。この正直に方便を捨てるということは、方便にいつまでもとらわれて真実を見ないところが邪道であり、その邪を破すという意義であります。また無上道を説くのが正法を立てること、顕正であります。いわゆる「破邪顕正」が、この「立正」であります。

次に、「正」の内容は非常に深く、また広いのであり、すなわち五重相対が考えられます。これは第一に内外相対、次が大小相対、第三番目が権実相対、第四番目が本迹相対、第五番目が種脱相対で、この5つの相対の上からはっきりと浅深勝劣をつける。そこに本当の「正」の意義と衆生を開導する徳が現れるのであります。

 ・内外相対

第一の「内外相対」ということは、内道すなわち仏教は法界の一切と過去・現在・未来の三世にわたるところの正しい原因・結果、さらに因縁・果報ということをはっきり正しく述べておるのであります。しかるに、外道たる他の哲学・宗教等においては、このところがまことにはっきりしておりません。イスラム教やキリスト教など、その他世界中にはたくさんの宗教がありますけれども、それぞれの神様が出来た原因は、全く説いておりません。神は元々存在するというのです。しかし、これは一切万物の、原因があって結果があるという理法に反するのです。仏教においては、仏も仏としての原に成る原因がある。また、それによって一切衆生がその筋道の上から本当の仏の修行と悟りに基づいて、真の幸せを得ることができるという次第であります。

また、因縁因果は、そのまま善因善果、悪因悪果という大原則に通じています。この善因は必ず善果を生じ、悪因は悪果を生じるという因果の理法が徹底していないために、今、世の中において「目前の結果さえ良ければ、悪いことをしても平気である」というような誤った思想が現れておるのであります。その悪見が、今日の世界の様々な不幸と大動乱を起こしておるということが言えるのです。

したがって、内外相対した場合に、「内道」の仏教と、仏教以外の教えの「外道」との相対において、仏教が因縁因果の道理を説く故に本当に正しい教えであるということ。その筋目から見ないと、この『立正安国論』のこれから拝読していくところの本当の意義が判りません。やはり仏の教えをきちんと正しい意義と筋道において見ることにより、はじめて「正」が立つわけであります。それが第一の内外相対であります。

 ・大小相対

次は「大小相対」です。この「小」というのは小乗のことで、同じ仏教の中でも小乗と大乗の区別があり、仏教は外道に対すれば正しいけれども、大乗と小乗を内容の上から相対すれば、小乗は非常に視野が狭いのであります。教えの内容が、単に六道の迷いから抜け出して、より安穏な灰身滅智(けしんめっち)のところに行こうということにすぎません。ですから法界全体の存在とその因果の姿、またその大きな法界観、世界観によるところの修行の道が欠けているのであります。したがって、小乗は自分だけが迷いを去って悟りを開けばいいということだけで、他の苦悩の相を見ることができないのです。

しかし実際には、世の中は決して自分一人だけの存在ではありません。必ず他との関連において善悪、正邪、幸不幸等、あらゆることが存在するのです。したがって、自分が善い行いによって幸せになっていくと共に、他をも導いていくということがなければならない。故に、小乗は「空」の真理を示すのみであるのに対し、大乗は「空」と「仮」と「中」の真理観が説かれます。それらをはっきりと示して、全体観の上から教えを説くのが大乗の教えであります。

したがって、小乗と大乗を相対するならば、小乗に対して大乗こそ真実の正法であるにもかかわらず、小乗が大乗に背くならば邪の意義が生じます。故に「正を立てる」とは、小乗を廃して大乗を立てることが大小相対の意味であります。

 ・権実相対

次が「権実相対」。「権(ごん)」とは「かりのもの」方便の意で、「実」とは真実の意です。仏教五千七千の経巻を大きく分ければ、方便と真実に分かれます。この方便教として華厳・阿含(あごん)・方等・般若等の四十余年の諸経が説かれておりますが、それに対して「正直に方便を捨てて、但無上の道を説く」と、釈尊が法華経においてはっきりと宣言され、法華経こそ一切の衆生を真に導き幸せにするところの教えであると示されました。

そうすると、この権教によって宗旨を立てておるところの、いわゆる念仏・禅・真言・律等、様々な仏教における権大乗の宗旨は、すべて正法を無視し、正法の意義と価値に背いておるところに邪の意味があるのです。その邪を打ち破って、真実を立てるところに権実相対における「立正」の意義があります。特にこの『立正安国論』においては、大聖人様の御一期(いちご)のうち最初の御化導の形として、まず第一に法然(ほうねん)の念仏宗の邪義を中心として破折されており、これがこの権実相対の内容からの破折に当たるのであります。

 ・本迹相対

その次が「本迹相対」です。これは法門の上から言うならば、本門の大法をもって根本とし「正」といたしますから、爾前迹門にとらわれた考え方は邪法となります。その法華迹門を中心とする宗旨として天台宗があります。これは一往、法華経の教えをもって正しく仏法を立てたものであるけれども、まだ権実相対までがその教義の主意になっておりまして、きちんとした形で本門と迹門とのけじめがついていないのであります。これは迹門付嘱の天台や伝教の法義としては当然のことなのです。

しかし、すでに時の過ぎた、像法の時代の衆生を導く法華迹門にいつまでもとらわれることは邪法となり、末法においては法華本門の教えをもって爾前迹門との区別を立てていくところに「立正」の「正」という意義が存するのであります。

 ・種脱相対

[本尊] 最後は「種脱相対」です。これは下種の法華本門の教えこそが本門の宗旨の実体であり、大聖人の御出現の目的でありますから、その種脱に迷乱するところの日蓮他門家はことごとく、「立正」と口では言っても真実の「立正」ではありません。それは何かと言えば、下種の本尊とその三大秘法こそが真の「立正」の「正」という意味であり、末法万年の下種仏法の弘通、化導の上にはっきりと示された大法であります。そこに種脱相対しての「立正」とは、三大秘法の妙法大漫茶羅、本門戒壇の本尊であります。その意義はすでに大聖人の『立正安国論』の中に深く篭(こ)められておるわけですけれども、ただ化導の具体的な形としては、文永、建治、弘安等、御一生の御化導の上から、それが次第に現れてくるのであります。

さて、「立正」とは「三大秘法」であるということよりして、この「正」とは何かと言うと、第一には「妙」ということなのです。「妙」が「正」、「正」がまた「妙」です。ですから「妙」ということを離れて真実の「正」はないのです。

故に「妙」についてさらに本仏の悟りを拝するならば、それは「妙法蓮華経」の五字であります。この妙法蓮華経の法体のもとについて、大聖人様が『観心本尊抄』に仰せであります。すなわち、末法万年を救う法華経の根本的な付嘱の要旨として、「此の本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶(なお)文殊・薬王等にも之を付嘱したまはず、何に況んや其の已外をや。但地涌千界を召して八品を説いて之を付嘱したまふ。其の本尊の為体(ていたらく)、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏…」(御書654ページ)と示されております。右の文の「本尊の為体」というところに、特に注目すべきです。

すなわち妙法蓮華経とは、地涌の菩薩に付嘱された法華経本門の根本の法体としての本門の本尊なのです。ですから「立正」の「正を立てる」ということは、三大秘法を立てるということであり、その第一は「本門の本尊」を立てることであります。本門の本尊を正しく立てることが「立正」の「正」なのであります。

[題目]さらに、この御本尊を顕す目的は、一切衆生に正しい修行をさせるためである。ですから、この正境の本尊に縁するということは、正しい本尊に縁して初めて信心が正しくなるわけです。信心が正しくなるから、また「行」というものが正しくなるのです。もし間違った「行」をしていたら大変です。いつの間にか不幸になっていき、未来は地獄に堕ちるような結果となります。

すなわち正しい「行を立てる」とは、本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることであり、これがいわゆる「行」についての「立正」であります。ですからこれは「本門の題目」です。

[戒壇]また、次に「正」とは「一」に「止」まると書きまして、この「一」とは、三に非ず、五に非ず、七に非ず、九に非ず、三乗、五乗、七方便、九法界を超絶し、かつこの一切を含む久遠元初の実相たる人法体一の法体です。これについて、「一大事の秘法を霊鷲山にして相伝」(同1569ページ)という『南条殿御返事』の中の大事な御文があります。その御本尊を所持されて末法に出現し給う大聖人様のおわしますところ、またその御魂を墨に染め流して御顕示あそばされた本門の本尊のところに妙法の法体が止(とど)まるわけであります。

「止まる」とは、すなわち住する、そこに存在するということです。したがって、止まり住するということは、本尊の住するところの意義であり、すなわち「本門の戒壇」であります。ですから、先般、皆様方の尊い御供養によりまして立派な奉安堂が出来ました。この奉安堂に本門戒壇の大御本尊様を御安置申し上げておるところが、すなわち本門の戒壇であります。

さらに、戒壇に関する根本的な大聖人様の御指南の上から拝するならば、『一期弘法抄』『三大秘法抄』のごとく、「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(同1675ページ)と示された戒壇は、また広宣流布の時の戒壇です。そのような意味において、日本国乃至世界の衆生の妙法受持の功徳をもって立てる事の戒法の顕現たるところの戒壇。それがまた「立正」の「正を立てる」という意味に当たります。故に「立正」とは、末法万年に弘通するところの本尊と題目と戒壇、すなわち三大秘法であるということ、これをまず申し上げておく次第であります。


<安国論の構成について>

次に、『立正安国論』の構成を申し上げますと、まず客が来て、主人に対して世の中の災害と苦難の相を嘆いて談話をする。それに対して主人が御返事をされる。その客と主人との問答が、第一問答から第九問答まであります。そして第九問答の最後の主人の言葉において、客が本当に今までの迷妄を払って正しい教えに対しての見解を開く。そして最後の第十番目が客の領解(りょうげ)、すなわち理解を得ると共にまた正法に対しての自らの決意、誓願を述べる。これが第十番目に当たります。ですから、九問答と最後の客の領解、誓願の十番で、これが『立正安国論』全体の構成であります。

今日のところは、この9問答のうちの最初の2問答、すなわち第一番の客と主人との問答。さらにその次の客と主人との第二番の問答について粗々申し上げたいと思います。


<第一問答:災難の来由>

では、『立正安国論』の本文を拝読してまいりましょう。この第一問答の趣意は、どういうことかと言うと、まず「国難に関する由来を示す」のであります。

旅客来たりて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘遍く天下に満ち、広く地上に迸(はびこ)る。牛馬巷に斃(たお)れ、骸骨路に充てり。死を招くの輩既に大半に超え、之を悲しまざるの族敢へて一人も無し。

 ・近年より近日に至るまで

「近年より近日に至るまで」というのは、すなわち『立正安国論』奏呈の文応元年より4年前の康元元年という年の頃からであります。この年において大風・洪水・疫病が流行したということが実際、当時の記録にあります。

次の年の正嘉元年には、「正嘉元年丁巳(ひのとのみ)八月廿三日戌亥(いぬいの)刻の大地震」(同374ページ)と大聖人が常におっしゃる、あの大地震が起こったわけです。これは大変な大地震だったらしく、先般の阪神・淡路大震災よりも、もっと大きかったとも思われるのです。正嘉2年においては、大風・大雨があり、諸国の田園が亡失したということが記録にあります。

次の正元元年は、春に大飢饉が起こったとあります。それまでいろいろな災難が続きましたから穀物が実らない。食べ物が不足して民衆が非常に飢えに苦しんだということです。さらに、それにしたがって大疫病が起こったという記録が残っています。

その次の年が、この『安国論』著述の文応元年です。康元元年よりこの文応元年に至るまでの5カ年が大体「近年より近日に至るまで」と仰せられたことに当たると思われます。また同年6月12日には、幕府が日本全国のお寺と神社に向かって命令を下したのです。それは「疫病を退散させる祈祷をせよ」という命令で、そういう記録もしっかり残っております。このことから文応元年もまた引き続いて大疫病が非常に流行していたということが判るのであります。つまりこの5年の間には、あらゆる大災害が交々(こもごも)起こっていたということが、記録の上からも明らかです。そこで「近年より近日に至るまで」という仰せです。

 ・天変・地夭・飢饉・疫癘

「天変」は、いわゆる天の変化で、暴風、大旱魃(かんばつ)、雷電、寒暑の時節が変ずる等の姿を言います。「地夭」とは、さらに地震とか様々な意味での地上の災難を言うわけです。

「飢饉」というのは、「飢」も「饉」も食物が乏少して飢えるということですけれども、実際の「飢」という意味は、穀物が実らないこと。それから「饉」のほうは、野菜が不足するという意味があるのです。要するに食物がなくなることであります。

「疫癘」は、「疫」も「癘」も共に流行病であります。今日、現代においてもありとあらゆる流行病が起こっていますね。今もSARS(重症急性呼吸器症候群)というのが世界的に存在している。日本はたいしたことがないけれども、それでも今後、さらに別のどういう疫病がどこに起こるとも知れません。今日の医学の力でもなおかつ解決できないような疫病が、衆生の悪業の報いによって種々の形で起こる場合があるのです。

 ・遍く天下に満ち、広く地上に迸(はびこ)る

この御文の「天下」と「地上」ということは、要するに対句(ついく)になっております。こういう修飾文辞が、この『安国論』は最初から最後に至るまで、いたるところに示されておりまして、これは実に見事な文章、修飾の言葉で、大変すばらしいものであります。

こういう点だけは、世間の漢学者なんかが見て、「この日蓮という人の『安国論』はたいしたもんだ」と言って、そういう文章の文辞等のことだけを誉めておるのです。先ほど申し上げた三大秘法の内容などは判りませんからね。そういう『安国論』の深さまでは判らないけれども、ともかく世間の人々も、信仰のない人たちも誉めるような、『安国論』のすばらしい文章の内容ということであります。

 ・牛馬巷(ちまた)に斃(たお)れ、骸骨路に充てり

「牛馬」と「骸骨」、共に死んで道に満ちておるような不幸な姿で、これもやはり対句であります。

 ・死を招くの輩既に大半に超え、之を悲しまざるの族敢へて一人も無し

このような形での悩み苦しみが充満しておるということです。

然る間、或は利剣即是の文を専らにして西土教主の名を唱へ、或は衆病悉除の願を恃(たの)みて東方如来の経を誦し、或は病即消滅不老不死の詞を仰いで法華真実の妙文を崇め、或は七難即滅七福即生の句を信じて百座百講の儀を調へ、有るは秘密真言の教に因って五瓶の水を灑(そそ)ぎ、有るは坐禅入定の儀を全うして空観の月を澄まし、若しくは七鬼神の号(な)を書して千門に押し、若しくは五大力の形を図して万戸に懸け、若しくは天神地祇を拝して四角四堺の祭祀を企て、若しくは万民百姓を哀れみて国主国宰の徳政を行なふ。
ここからが、当時いろいろな宗教や信仰によって行われていた、災いを払うところの祈祷についての文であります。当時、祈念・祈祷がたくさん行われていたことをここに挙げるのですが、これは客の言葉として言っておるけれども、大聖人様が客の言葉もお書きになっておるわけですから、これら種々のことが実際に行われていたことが判るのであります。

 ・然る間、或は利剣即是の文を専らにして西土教主の名を唱へ

まず「利剣即是」ということは、中国における念仏唱導の第三祖と言われる善導という僧侶の『般舟讃』という文の中に、「無明と果と業因とを滅せんための利剣は即ち是れ弥陀の号なり」という言葉がありまして、すなわち南無阿弥陀仏と唱えることによって、いろいろな災難や煩悩とそれによる罪障がなくなるという文です。

次に、「西土教主の名」というのは、皆さんもご承知と思いますが、これは西方極楽十万億土における仏教の教主たる阿弥陀仏のことです。ですから、要するにこれは南無阿弥陀仏と唱える人がいるということです。

 ・或は衆病悉除の願を侍(たの)みて東方如来の経を誦し

これは、東方の浄瑠璃(じょうるり)世界というところで成道をしたと言われる薬師如来という仏様が、菩薩道を修行していたときに、一切衆生の病気を治そうとして12の大願を立てたのです。したがって、薬師如来という仏様を信じて、その言葉を唱えれば病気が治るというようなことが薬師経に説かれており、その経文を信じ唱える人がいるということを言っておるのです。

 ・或は病即消滅不老不死の詞を仰いで法華真実の妙文を崇め

この「病即消滅不老不死」という文は、法華経の『薬王菩薩本事品第二十三』に、「若し人病有らんに、是の経を聞くことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん」(法華経539ページ)とあります。それで法華経は一代経中の真実経ですから、「法華真実」と特に述べてあります。けれどもその真実の尊い法華経の文を唱えてもなおかつ、少しも効力がないということの例証として挙げられているのです。したがって、ただ単に法華経だけを唱えても災いのもとを断たなければ効力がないという意味が、ここに伏線として示されております。

 ・或は七難即滅七福即生の句を信じて百座百講の儀を調へ

これは仁王般若経という経文にありまして、広大な般若経の中の経典です。ご承知のように、華厳、阿含、方等、般若、法華・涅槃という五時の経名を聞いたことがあるでしょう。その般若経には、たくさんの般若経典があるけれども、そのうちの仁王般若経の『受持品』という品の文に、「般若波羅蜜を講讃せば、七難即滅、七福即生、万姓安楽にして、帝王歓喜せん」という文があり、それを信じて般若経を講讃すれば、七難が消滅し、それがそのまま七福を生ずるということを述べておるわけです。

それから「百座百講の儀」というのは、これにはある因縁がありまして、昔、頂生王という悪王がおり、この頂生王が帝釈天王を追い出して、自分が三十三天の王になろうとしたことがあったのです。その難を防ぐために帝釈天王が、仏の教えによって百人の法師を招じ、百の講座を設けて般若経を講説したところ、その功徳によって頂生王が退散し、帝釈天王がその地位を守ることができたという故事によります。

そういうことから、この「百座百講の儀」というのが、災害を払う儀式として昔からずっと行われていたのです。日本では斉明天皇のときに始まって、後に宮中の年中行事になっていた記事があり、それほど「百座百講の儀」という儀式が日本の宮中において盛んに行われていたのであります。そのことを挙げておるのです。

 ・有るは秘密真言の教に因って五瓶の水を灑(そそ)ぎ

これは真言宗で説くところの教えで、真言宗は大体が祈祷の宗教なんです。ですから金剛杵(こんごうしょ)というような、仏様の様々な悟りを表した、種々な形の道具がありまして、それを修法の道具とするのです。それから、特に「身口意の三密」ということを言いまして、意(こころ)では大日如来の漫茶羅を念じ、それから口では真言陀羅尼(だらに)を唱え、身においては大日如来の印相を結ぶことを修行の法規とします。

この印相には、覚えきれないくらいのたくさんの種類があります。けれどもこういうものは、仏道修行上、特に必要はないのです。法華経の印相は合掌印でありまして、この十指を胸の前で合わせるところに、十界互具・百界千如・一念三千の深い意義がそのまま形として現れるのです。ですから、それ以外の印相を結ぶような必要がないのです。概略のところ「秘密真言の教」というのは、そういうことであります。

それから「五瓶の水」というのは、真言の僧侶が祈祷をするときに壇を作って、その上に、真ん中に1つと四方に4つ、全部で5つの瓶を置きます。この瓶の中に五宝、五穀、五薬、五香というものを入れます。そして浄水をそこに注いで祈祷をする。そのような形の上から祈祷の効力を発揮させようというのが、この「五瓶の水」ということであります。

 ・有るは坐禅入定の儀を全うして空観の月を澄まし

これは禅宗で示す修法です。現在日本では、直ちに禅宗という名の宗教法人はなく、臨済宗、曹洞宗、それから黄檗(おうばく)宗などという名称になっております。これらの禅宗では、要するに座禅ということを行う。これは手段であります。目的は何かというと入定です。つまり精神統一をする。心を乱さず、無念無想に定めるということです。それで仏に成るという主張をしますが、これは大きな間違いなんです。

人間の心が、教えの本質である法華経を離れて、ただ精神統一をしたくらいで、煩悩充満のありとあらゆる罪障がなくなるわけもなく、またその心が仏の境界として幸せな道に導かれる道理もないのです。ですから、如来の正しい禅を忘れて、我見の人師による祖師禅にとらわれているのを、大聖人様は「禅天魔」とおっしゃったのであります。やはり正しい仏の教えたる妙法を信じて、そこに正しい行を立てることによって、自ずとその心が妙法の命になる、仏の命になるということが仏法の本筋なのです。しかしながら当時、仏法の法規を間違えて、このようなことも行っておるということをここに挙げてあります。

 ・若しくは七鬼神の号(な)を書して千門に押し

この「七鬼神」というのは、不空という密教の僧侶が、インドから中国へやって来て、そのときに訳した『却温神呪(きゃくうんじんしゅ)経』という中に出ております。その中に、神呪を誦して七鬼神を供養し、そしてその名前を書いて門の扉に貼っておくと、一切の悪魔・魔民が寄ってこないというのです。ですから鬼神自身も、かえって人々を守る用きをするというようなことです。その七鬼神の名前とは、夢多難鬼・阿伽尼鬼・尼伽尼鬼・阿伽那鬼・波羅尼鬼・阿毘羅鬼・婆提利鬼の7つです。そういう7つの鬼神の名前を書いて千門、つまり多くの家がその門に押し貼っておるというのです。

 ・若しくは五大力の形を図して万戸に懸け

ここでも、先ほどの「千門」と、この「万戸」が対句になっております。この「五大力」というのは、仁王般若経の『受持品』に説かれてあることでありまして、諸々の国王が三宝を護持すれば、仏様はその五大力の菩薩を遣わしてその国を守るということが説かれてあるのです。その意味から、金剛吼菩薩・竜王吼菩薩・無畏十力吼菩薩・雷電吼菩薩・無量力吼阻菩薩という五菩薩が五大力であります。そういう菩薩を遣わして守るということの上から、この五大力の形を図して、多くの家の戸に掛けてあるというような形がありました。

 ・若しくは天神地祇を拝して四角四堺(しかい)の祭祀を企(くわだ)て

この「天神地祇」というのは、天の神様と地の神様ということで、天と地の両方にそれぞれ住する神様のことです。

「四角四堺の祭祀」というのは、神道で神様に祈ることによって疫病を払うという行事です。その場合、結界ということを行います。つまり京都等、王宮のある場所で、御所を中心にして都の四隅のところに壇を作って鬼神を供養する。それが「四角」です。つまり4つの隅であります。それによって四隅の間に線が引かれることになりまして、その「四角」を線で結べば区域が4つに仕切られて「四堺」になります。その結界の線から中には疫病が入ってこないように祈祷すること、すなわち祭祀を企てるということであります。

 ・若しくは万民百姓を哀れみて国主国宰の徳政を行なふ

この「徳政」ということは歴史上、特別な形において行われたことがありますが、そういうことではなく、この場合は一般的な意味の徳政、いわゆる万民百姓の苦難を見て、国王やあるいは大臣・宰相というような人が、民衆が幸せになるように一生懸命に考えて、政治の方面から種々の努力をするということであります。

然りと雖も唯肝胆を摧くのみにして弥飢疫に逼(せま)り、乞客目に溢れ死人眼に満てり。臥せる屍を観(ものみ)と為し、並べる尸(かばね)を橋と作す。観(おもんみ)れば夫二離璧を合はせ、五緯珠を連ぬ。三宝世に在(いま)し、百王未だ窮まらざるに、此の世早く衰へ、其の法何ぞ廃れたるや。是何なる禍に依り、是何なる誤りに由るや。
 ・然りと雖も唯肝胆を摧くのみにして弥(いよいよ)飢疫に逼(せま)り、乞客目に溢(あふ)れ死人眼に満てり

この「肝胆」の「肝」は、肝臓のことであります。そして「胆」は胆のうのことで、これらは体の中の大事な器官で、こういう摧くべからざる臓器をあえて摧くという表現は、「本当に真剣に」ということであります。要するに、ひとかたならぬ努力をし、丹精をするということであり、そのように一生懸命に努力するけれども、いよいよ飢疫が迫っておる、つまり飢えや病が迫っておると述べてあります。

「乞客」とは、すなわち乞食ですが、つまり乞食や死人が多く満ちているということであります。

 ・臥(ふ)せる屍(しかばね)を観(ものみ)と為し、並べる尸(かばね)を橋と作(な)す

この「観」という字ですが、物見台のことを言うのです。少し高いところに大きな台を作って、その上から四方を見ると、あらゆるものがよく見えます。そういう見るための台を作るに当たり、屍があまりに多いものですから、その屍を積んで台にするという。これはそういう形容による譬えでありますけれども、それほど死人が多かったということを、ここで述べておるのです。

次の「並べる尸を橋と作す」ということも、尸をもって橋を造るということで、これも今と同じく死人があまりに多いことを形容する意味に当たります。

 ・観(おもんみ)れば夫(それ)二離璧(じりたま)を合はせ、五緯珠(ごいたま)を連ぬ

この「二離璧」という「離」の字には、「離れる」という意味と、もう一つ「明らか」という意味があるのです。ですからこの場合は、2つの非常に明らかな丸いものを言うのであり、つまり太陽と月であります。「壁を合はせ」とは、太陽と月がそれぞれ地上を円満に照らしておるということです。

次に「五緯珠を連ぬ」。この「五緯」の「緯」という字は、「いとへん」を書きます。これは横糸の意味です。皆さん方が着ている着物の布地は、縦糸と横糸で出来ているのです。縦糸だけでも横糸だけでも、まとまった布地になりません。縦糸と横糸がきちんと合わさってはじめて布が出来るのです。その縦糸に対する横糸が「緯(い)」という字です。また「経(けい)」という字がありますが、あれは縦糸を言います。さて、「五緯」とはどういうことかと言うと、横に回るという意味で、これは5つの太陽の惑星を言うのです。つまり火星・水星・木星・金星・土星であります。それがやはりきちんと運行しておるということを「五緯珠を連ぬ」と述べてあります。

 ・三宝世に在(いま)し、百王未だ窮まらざるに、此の世早く衰へ、其の法何ぞ廃(すた)れたるや

「三宝世に在し」とは、仏宝・法宝・僧宝のことで、仏教が崇(あが)められ、三宝が尊ばれていることです。

次の「百王未だ窮まらざるに」とは、51代の平城天皇の代に八幡大菩薩の神託があった故事を言うのです。八幡大菩薩がこの神託で自ら誓って百王を守るべしということを示したので、百王までは必ず国王の威光が衰えぬように守るという神意を述べているのです。この『立正安国論』奏呈のときは、先ほども言いましたように、亀山天皇、第90代ですから百王まで至っていないわけで、当然、神の守りがあると言えます。しかし、この神託の趣意は、百王のみならず、ずっと未来にわたって日本国の皇統を守るという八幡大菩薩の神託と考えていいでしょう。そのように立派な伝統と歴史、神社の加護があるにもかかわらず、どうしてこの世が衰えてしまったのだろうかという客の質問です。

また「其の法」というのは、必ずしも仏法のことのみではないかと思われます。世間の姿において、ありとあらゆる形が混乱しておるということを述べておると見るほうが正しいでしょう。

 ・是何なる禍(わざわい)に依り、是何なる誤りに由るや

それで、このようになってしまったのは、どういった禍によるのでしょうか。またどのような誤りによるのでしょうかという客の言であります。これが客の初めの質問です。次からが、主人の第一答であります。

主人の曰く、独り此の事を愁ひて胸臆(くおく)に憤ピ(ふんぴ)す。客来たりて共に嘆く、屡(しばしば)談話を致さん。夫出家して道に入る者は法に依って仏を期するなり。而るに今神術も協(かな)はず、仏威も験無し。具(つぶさ)に当世の体を覿(み)るに、愚かにして後生の疑ひを発こす。然れば則ち円覆を仰いで恨みを呑み、方載に俯して慮りを深くす。

 ・主人の曰く、独り此の事を愁(うれ)ひて胸臆(くおく)に憤ピ(ふんぴ)す

主人が答えて、実は私もこのことを憂いており、胸の奥においてこの状態を見て憤り、苦しんでおりましたというのが、この「憤ピ」ということであります。この「りっしんべん」に「非」という字は、心ここに非ずということで、言葉に出すこともできないというもどかしさを述べておるわけです。

 ・客来たりて共に嘆く、屡(しばしば)談話を致さん

あなたが来て、このことを共に嘆かれることは幸いです。ついてはゆっくり話をいたしましょうと答えられるのであります。

 ・夫出家して道に入る者は法に依って仏を期(ご)するなり。而るに今神術も協(かな)はず、仏威も験(しるし)無し。具に当世の体を観るに、愚かにして後生の疑ひを発こす

要するに、僧侶になるということは、仏法を学んで悟りを開き、自他共に導くことのできる最高の人格を得るためである。しかるに、このような世の中の状態で、神の力もなく、仏の威光もなくなってしまっておる姿を見ると、自分たちもせっかく仏道に入ったけれども、このままでは「後生」、すなわち死んだ後は一体どうなってしまうのだろうかという疑いを発さざるを得ないと言われるのです。

皆さん方の中には、死んだ後は何もないと思っている人がいるかもしれません。けれども、やはり仏法の筋道の上からいくと、衆生の命は、「色」すなわち肉体と、「心」すなわち精神に関する業によって存続するのです。ですから臨終の一念の善悪は、本当にその命の未来を決定していくのです。すなわち生きている間のあらゆる善悪の総和が臨終の一念になるのです。この臨終の一念によってまた未来が開かれていくわけでありますから、現世がこのように苦しいことによって、後生の疑いを発すのであるということです。

 ・然れば則ち円覆を仰いで恨みを呑み

「円覆」というのは天を意味します。天が丸いという意味と、またあらゆる万物を覆っておるという意味において円覆というのです。それで、天を仰いでこのような禍に対する恨みを心中に呑んでおるということであります。

 ・方載に俯して慮りを深くす

この「方載」の「方」という字は、東西南北の四方のことを言いますから、すなわちこれは地上の方角を言うわけです。また「載」も、大地があらゆるものを載せておる意味です。生物も家も木もあらゆるものがこの地面の上に載っております。その大地に術して、つまり顔を下へ向けて深く考えてみるということです。

そこでこの次に続く文こそ、客の第一問に対する主人の答えの結論として、この『安国論』の論旨を一貫する大事な内容が示されてあります。

倩(つらつら)微管を傾け聊(いささ)か経文を披きたるに、世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てヽ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。言わずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず。

 ・倩(つらつら)微管を傾け聊(いささ)か経文を披(ひら)きたるに

「倩」とは、すなわち「よくよく」という意味であります。

「微管」というのは「細い管」のことです。「蓋の臨から天井覗(のぞ)く」という諺があるけれども、細い管で天井を見てもよく見えないでしょう。すなわちそれは主人の謙遜の言葉でありまして、私の見解は非常に小さいのですがと言われつつ、しかしそれを傾けて種々の経文を開いて見るときに、「世皆正に背き人悉く悪に帰す」と述べて、ここに大災難の第一の原因を挙げられておるわけです。

つまり因果の法則が、仏法および世法の一切の原理であり、また世の中の一切の存在は、善因善果、悪因悪果という因果の法則によるのです。仏法に入って初めて真実の因果の道が開かれてくるのですから、この「世皆正に背き人悉く悪に帰す」ということが、仏法の鏡に照らして、災害と不幸の原因であるとして挙げられておるのです。

 ・故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず

これが前文の因に対する果の文であります。世の中が正に背き悪に帰す原因により、その結果として善神が国を捨てて去ってしまい、聖人が所を辞して還ってこないのである。いわゆる国を守るところの立派な神様や聖人は、ことごとくいなくなっておるということです。

 ・是を以て魔来たり鬼(き)来たり

善神が国を捨て、聖人が所を辞すという結果が、さらに次の原因となり、そしてその結果として魔が来たり鬼が来たるということです。

 ・災起こり難起こる

魔が来たり鬼が来たるのがまた因となって、今度はその魔鬼の仕業によって災いが来たり難が起こるという結果を招くのであると示されるのです。したがって、この短い文章の中には三重の因果が込められております。

 ・言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず

そこで最後に、この大事を深く、かつ真剣に考えねばならないと仰せになっております。


※御講義中の見出しは妙音で付けさせていただきました。



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