大白法

平成22年1月16日号


主な記事

<1〜3面>

<4〜8面>


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御法主日如上人猊下御言葉



元旦勤行の砌

平成22年1月1日 於 総本山客殿


 宗旨建立758年の新春、あけましておめでとうございます。御隠尊日顕上人猊下には、御機嫌麗(うるわ)しく新年をお迎えのことと慶賀に存じ上げます。また、山内をはじめ宗内僧俗の皆さまには、すがすがしく「広布前進の年」を迎え、決意も新たに、いよいよの精進・御奉公をお誓いのことと存じます。

 宗門は、昨年1月3日、総本山におきまして、「出陣式」を挙行し、次いで7月15日・16日の両日、「立正安国論正義顕揚750年記念大法要」を厳粛裡に奉修し、さらに次いで7月26日、「7万5千名大結集総会」を、予定を上回る78,423名の大結集をもって見事に達成し、続いて11月28日には、年末を待たずに「法華講50万総登山」を突破・達成することができました。また、その間、5回にわたり「海外信徒20,000名大結集総会」を大成功裡に行うことができました。

 このように、僧俗一致して、すべての記念行事を大勝利をもって御報恩申し上げることができたのも、ひとえに全国法華講各支部の指導教師ならびに御信徒各位の弛まぬ御尽力と絶大なる御協力の賜物と、心から厚く御礼申し上げるものであります。

   さて、本年「広布前進の年」は、平成27年ならびに平成33年の新たなる目標へ向けて、全支部が足並みをそろえて大前進すべき、まことに大事な年であります。 目標の平成27年も33年も、遠いようで近く、「光陰矢の如し」「歳月人を待たず」と言われていますように、時は瞬くに過ぎてしまいます。

 したがって、目標達成のためには、我々はまず本年を必ず勝利することが肝要であります。なすべき時になさず、時を過ごして、あとで悔やんでも「後悔先に立たず」で、自責の念に駆られるだけであります。「未だ早いが遅くなる」という教訓がありますが、寒苦鳥のようであっては目標を達成することはできません。

 目標達成のためには、一年一年をおろさかにせず、緩みなく、時を移さず進んでいくとが肝要であります。我々の広布の戦いは、けっして停滞があってはならないのであります。停滞は後退につながりかねないからであります。後退は敗北であります。

 大聖人様は『聖人等御返事』に、

月々日々につよ(強)り給へ。すこしもたゆ(弛)む心あらば魔たよりをうべし。(御書1397ページ)
と仰せであります。月々日々に信心を奮い立たせ、とどまることなく、力強く広布の願業へ向けて前進していくことが大事でありまして、もし油断して緊張が緩むと必ず魔が襲ってきます。

 『聖愚問答抄』には、

人の心は水の器にしたがふが如く、物の性は月の波に動くに似たり。故に汝当座は信ずといふとも後日は必ず翻(ひるが)へさん。魔来たり鬼来たるとも騒乱(そうらん)する事なかれ。(同409ページ)
と仰せであります。「魔来たり鬼来たるとも騒乱(そうらん)する事なかれ」と御金言を心肝に染め、いかなる障魔が競い起きようが、唱題をもって決然として障魔を退治し、もって堂々の折伏大前進を断行していただきたいと思います。障魔が起きたとき、その障魔を払う術は、大御本尊に対する絶対信であります。絶対信とは、無疑曰信(むぎわっしん)の信であります。

 そもそも、信は仏道修行の第一歩であり、『法華題目抄』には、

夫(それ)仏道に入(い)る根本は信をもて本とす。(同353ページ)
と仰せられ、『御義口伝』には、
此の本法を受持するは信の一字なり。元品の無明を対治する利剣は信の一字なり。無疑曰信(むぎわっしん)の釈之(これ)を思ふべし云云。(同1764ページ)
と仰せられています。さらに『開目抄』には、
我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ。現世の安穏ならざる事をなげかざれ。我が弟子に朝夕教へしかども、疑ひををこして皆すてけん。つたなき者のならひは、約束せし事を、まことの時はわするゝなるべし。(同574ページ)
と仰せであります。疑うことなく、大御本尊への絶対の信を持って、真剣に自行化他の信心を励むとき、いかなる大難も乗り越え、必ず即身成仏の本懐を成就することができるのであります。「諸難ありとも疑ふ心なくば、自然に仏界にいたるべし」との御金言をよくよく心肝に染めて拝すべきであります。

 『法華初心成仏抄』には、

凡そ妙法蓮華経とは、我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と舍利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と、三世諸仏の解りの妙法と、一体不二なる理を妙法蓮華経と名づけたるなり。故に一度妙法蓮華経と唱ふれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯(ただ)一音に喚び顕はし奉る功徳無量無辺なり。(同1330ページ)
と仰せであります。妙法受持の功徳は、「一度妙法蓮華経と唱ふれば」云々と仰せのように、ひとたび妙法蓮華経と唱える、そのただ一音によって、一切の仏・一切の法・一切の菩薩等、宇宙法界の十界の衆生がの仏性が喚び顕され、成仏に至ることができるのであります。

 つまり、信心、生活等、すべての問題解決の道は大御本尊への絶対の信を持って、妙法受持の偉大なる功徳を心から拝信し、確信を持って自行化他の信心に励むことであります。

 ここで大事なことは、「自行化他の信心に励む」ということであり、自らも広大無辺にて計り知れない大御本尊の功徳を享受するとともに、「我もいたし人をも教化候へ」(同 669ページ)と仰せの如く、一人でも多くの人に妙法を下種し、折伏を行ずることであります。すなわち、一人ひとりが「身軽法重・死身弘法」の御聖訓を奉戴(ほうたい)し、妙法広布に身を捧げ、折伏を行じていくところに、必ず自信の成仏がかない、自他共に幸せを築いていくことができるのであります。

   本年「広布前進の年」の「広布前進」とは、言葉を換え言えば、「折伏前進」ということであります。この「折伏前進」こそ、我々がなすべき本年度の最も大事な課題であります。されば『如説修行抄』には、

誰人にても坐(おわ)せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音(こえ)も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。(同673ページ)
と仰せであります。現代の如き、人心がが極度に荒廃し、世の中が乱れ、すべての社会現象が混迷を極めている原因は、ひとえに謗法の害毒あり、その謗法を退治していかななければ、自分自身の幸せも、他の人々の幸せも、混沌とした現状を打開することも、平和な仏国土を築いていくこともできないのであります。

 今こそ我々は、一切衆生救済の秘法たる大聖人の本因下種の仏法をもって、世のため、人のため、真の世界平和実現を目指して立ち上がり、憂国(ゆうこく)の士となって折伏を行じていくことが、本年の「広布前進の年」の最重要課題であることをよくよく認識し、異体同心・一致団結してすべての法華講員が折伏に励まれますよう心から願うものであります。

 どうぞ皆様には、本年「広布前進の年」の意義を心肝に染め、勇猛精進、折伏に励み、悔いなく戦いきっていただきたいことを心から念願し、元朝の挨拶といたします。




1月度広布唱題行の砌

平成22年1月1日 於 総本山客殿


 「広布前進の年」の新春、あけましておめでとうございます。御隠尊日顕上人猊下には、御機嫌麗しく新年をお迎えの御ことと慶賀に存じ上げます。また、宗内僧俗御一同様には、すがすがしく「広布前進の年」を迎え、決意も新たに、いよいよの御奉公・御精進をお誓いのことと存じます。

 総本山におきましては、本年も恒例により、1月中、本日は元旦につき午前9時から行いましたが、原則的には午前8時より1時間の唱題行を執り行いますので、各位にはこぞって御参加くださるよう願います。

 特に、本年は「広布前進の年」であります。「広布前進の年」とは、言葉を換えて言えば「折伏前進の年」であります。広宣流布の達成は、折伏をもって初めて達成することができるからであります。

 その折伏を実践するために大切なことは唱題であります。唱題は仏道修行の根本をなすもので、成仏のための大切な行であります。大聖人様は『妙法尼御前御返事』に、

白粉(おしろい)の力は漆(うるし)を変じて雪のごとく白くなす。須弥山(しゅみせん)に近づく衆色は皆金色なり。法華経の名号を持つ人は、一生乃至(ないし)過去遠々劫(かこおんのんごう)の黒業の漆変じて白業の大善となる。いわうや無始の善根皆変じて金色となり候なり。しかれば故聖霊、最後臨終に南無妙法蓮華経ととな(唱)へさせ給ひしかば、一生乃至無始の悪業変じて仏の種となり給ふ。(御書1483ページ)
と仰せられ、唱題によって過去遠々劫の悪業も転じて善業となると明かされ、さらに無始以来の宿業がそのまま成仏の因となることを説かれたのが、煩悩即菩提、生死即涅槃、即身成仏の法門であると明かされておられます。

 また、『法華題目抄』には、

而るに今の代の世間の学者の云はく、只信心計りにて解心(げしん)なく、南無妙法蓮華経と唱ふる計りにて、争(いか)でか悪趣をまぬかるべき等云云。此の人々は経文の如くならば、阿鼻大城をまぬか(免)れがたし。さればさせる解(げ)はなくとも、南無妙法蓮華経と唱ふるならば、悪道をまぬかるべし。(同354ページ)
と仰せられ、世間の学者らが解を重んじて信心を軽んずる非を厳しく責め、仏法においては信心が根本であり、信心の実践なくしては、いかなる功徳も享受することができないことを示されているのであります。換言すれば、宗教・仏教から信心・信仰という行為を取ってしまえば、それは単なる理論であって、仏法でもなく宗教でもないのであります。単なる理論では、いかに立派であっても、いかなる功徳も受けることはできず、それによって成仏はできないのであります。そこに、仏教のおいては「夫仏道に入る根本は信をもて本とす」(同353ページ)と仰せらた深い意義が存しているのであります。

 つまり、我ら末法の荒凡夫は自分の力だけでは正しく真理を証得し、絶対的な幸福境界を築くことは到底できませんが、『御義口伝』に、

三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり。智慧とは南無妙法蓮華経なり。信は智慧の因にして名字即なり。信の外に解無く、解の外に信無し。信の一字を以て妙覚の種子と定めたり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚(むじょうほうじゅ)不求自得(ふぐじとく)の大宝珠を得るなり。信は智慧の種なり。(同1737ページ)
と仰せのように、宇宙法界の根源の法を内薫自悟せられた御本仏大聖人の教えを信じて実践することによって、我らもまた、既に仏が証得せられた同じ智慧を持ち、「無上宝聚(むじょうほうじゅ)不求自得(ふぐじとく)の大宝珠」つまり、絶対的な幸福境界を得ることができるのであります。

 その信心の実践こそ唱題であり、唱題なくして仏法の広大無辺なる功徳を享受することはできないのであります。しかも、末法の題目は正像二時の自行の題目と異なり、自行化他にわたる題目であります。故に『三大秘法抄』には、

題目とは二意有り。所謂正像と末法となり。正法には天親菩薩・竜樹菩薩、題目を唱へさせ給ひしかども、自行計りにして唱へてさて止(や)みぬ。像法には南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱へ給ひて、自行の為にして広く化他の為に説かず。是理行の題目なり。末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり。(同1594ページ)
と仰せであります。すなわち、末法の題目は自行化他にわたるもので、自らも救い、他をも救わんとするものであります。

 つまり、自行の題目とは唱題行であり、化他の題目とは折伏であります。唱題と折伏は一体のものであり、信心を根本とした唱題こそが折伏の源泉となるのであります。この故に日寛上人は『観心本尊抄文段』に、「自行若し満つれば必ず化他有り。化他は即ち是れ慈悲なり」(御書文段219ページ)と、唱題行の功徳が満つるところに、必ず折伏の実践が伴うことを御指南あそばされています。

 されば、くれぐれも大事なことは、唱題も折伏も一体であり、唱題行が、ただ唱題行だけに終わるのではなくして、その功徳と歓喜をもって折伏を行ずることが最も大事なのであります。唱題だけで自行化他にわたる事の題目にならず、ややもすれば正法・像法の理の題目になずんでしまいかねないからであります。

 よって、本年「広布前進の年」は、一人ひとりがしっかりと唱題に励み、折伏を行じ、自行化他の信心に住し、もって本年の誓願を必ず達成するよう、仏祖三宝尊の御宝前に誓い、広布の大願を目指して勇猛精進していただきたいと思います。

 特に、現今の混沌とした国内外の世相を見るとき、我々大聖人様の弟子檀那は憂国の士となって、世のため、人のため、「身軽法重・死身弘法」の御聖訓を体し、我が身を呈して仏国土実現へ向けて尽力していくことが肝要であろうと存じます。「槿花(きんか)一日の栄」に因われて、今なすべきことをなさずにいることほど愚かなことはありません。

 どうか、各位には受け難き人界に生を受け、値い難き仏法に値い奉り、御本仏の弟子旦那となった深い因縁を心に刻み、この日本を救い、世界を救い、真の世界平和実現を目指して、いよいよ御精進くださることを心から念じ、本日の挨拶といたします。




各講中講頭御目通りの砌

平成22年1月3日 於 総本山大書院


 皆さん、あけましておめでとうございます。今、柳沢総講頭からの御挨拶のなかにもありましたが、昨年は皆様方の本当に強力な御尽力によりまして、すべての記念行事をつつがなく奉修することができました。

 まず1月3日には客殿において「出陣式」が執り行われ、そして7月15・16日には「記念大法要」が厳粛に奉修されました。その10日後の7月26日には「7万5千名大結集総会」が、78,423名という、目標を上回る数をもって大成功裡に終わりました。

 さらに年間を通じて行われました「50万総登山」も、11月28日の2回目の御開扉をもって50万人を突破し、そして12月末の統計では548,000余名という登山者数に至りました。また、海外からの御登山も、5回にわたって行われましたけれども、これも全部、大成功に終わりまして、結集については全く申し分なく、我々は責務を果たしたわけであります。

 しかし残念ながら、折伏のほうが思うようにいかなかった面が、一つ、心残りであります。

 さて、本年はいわゆる「広布前進の年」でありますが、この広布前進の年という意味は、言葉を換えて言えば「折伏前進」ということであります。つまり、広布の達成は折伏をもってする以外にないわけでありますから、この広布という言葉そのまま折伏というように取るべきだと思います。

 そこで、その初年度に当たる「広布前進の年」こそ、本当に各位が身魂を込めて、絶対に勝利するということが大切ではないかと思います。昨年も、色々なことがありましたけれども、各支部の方々が真剣に取り組みまして、折伏誓願を達成した支部が続々と出ております。よって、本年は去年の大結集の大成功、この歓喜と勢いをもって折伏に前進していきたい、このように考えている次第です。そこで、一つ大事なことがありまして、つまり折伏に対する基本的考え方と申しますか、具体的に言うと、例えば各講中が「次の日曜日にどう戦うか」ということを決めているか、どうかということなのです。ただ「やれ、やれ」と言っても、折伏はできません。

 今はだいたい1週間のサイクルで活動していると思います。昔は「来月の○○日に会おう」というように一月サイクルだったでしょう。しかし、今はだいたい週単位です。また、実際に講中の動きも週単位になっていると思うのです。そうしますと、この土・日の戦いをどうするか、これを講中で決めているかどうか。決めないで、ただ漠然と「やれ、やれ」と言っても、折伏は達成しません。

 ですから、そこに各位幹部の方々が指導教師とよく打ち合わせをして、いわゆる折伏作戦会議でもほかの名称の会議でもでも結構ですから、そういうものを開いて、次の土・日をどう戦うかということを決めていくべきなのです。これが組織戦なのです。2人以上集まれば組織ですから、講中の方々がそこのころしっかり認識して、指導教師と打ち合わせをして、「こういう戦い方をしよう」、あるいはそれから先の次の月、あるいは1年をとおして、基本的にどういう戦い方をしていくかということを具体的に決めて戦うべきだと思うのです。それが決まりませんと、何をやってもだめだと思います。

 前にも話したことがあると思いますけれども、お城が火事になった話があるのです。ある風に強い日に、お殿様が家老達を集めて「今日は風が強いから、充分に火の用心をしなさい」と命じたのです。家老は早速、奉行達を呼んで「今日は風が強いから火の用心。みんなで火の用心をしていこう」と伝えました。そして奉行達は、今度は各部署の人達を呼んで、足軽を含めてみんなに「今日は風が強いから火の用心。充分気をつけいこう」。このようにして、お殿様の下知は下の人まで届いていたのです。けれども、その晩、火事になってしまったのです。なぜ火事になったのか。それは具体的な指示がないからです。

 要するに、どういこうとかと言うと、お殿様から家老が言いつかったら、奉行に伝える時に、奉行がまた足軽達に伝える時に「おまえは今日は火の番をしなさい。おまえは台所をもう一度見てこい」「おまえは夜番に立ちなさい」というような具体的な指示を細かく出していれば、火事にならなかったのです。具体的指示がなく、ただ「〜ねばならない。〜ねばならない」ばかり言っているから火事なってしまった。こういうような話があるのです。

 これは前にも話したことがありますから御存じかと思いますけれども、まさにそうゆうことなのです。折伏しなければならないことは、今、宗門ではだれでも知っているはずなのです。でも動かない。なぜだ。今言ったとおり、次の日曜日をどう戦うかということを決めていないからなのです。私はこういったことが一番大事ではないかと思います。今日お集まりの幹部の方々はそこに思いを寄せて、自分の支部、あるいは地方部にお帰りなりましたら、なにしろ具体的な作戦を立てて戦っていくといことをしていただきたいと思います。

 去年、折伏誓願を達成したところは、早いところは4月28日以前に達成しました。さらに御会式までにもう100%やるということで、200%を悠々と達成しているところがあります。そういう人達の戦いを見ていると、指導教師と幹部の方々が、常に折伏をどうすべきかという作戦会議を開いている。名前は一々挙げませんけれども、そういったところを非常に綿密に打ち合わせて講中が動いているのです。私は今、こういう戦いが絶対に必要ではないかと、このように思うのであります。

 今回、宗門におきましても、宗務院に布教部という部署を設置いたしました。また、その布教部のなかには、過去の色々なデータから折伏推進委員という方を15人、選ばせてもらいました。この方々は戦っている人達で、成果を挙げている人達ですから、この方々に地方に行っていただいて、「こうやったらどうだ」というアドバイスをしていただきたいと思っております。そして、折伏に関する具体的な提言をしてくるよう、お願いをしているのであります。

 そういうことで、具体的に戦い方を決めていくということが、私は折伏達成の大事なポイントになるのではないかと思うのであります。この辺をしっかり御認識いただきまして、本年を必ず勝利していただきたい。本年を勝利すれば、これは勢いがありますから、27年、33年の目標を達成できると確信しています。

 今日お集まりの方々は、それぞれ各支部の指導的な立場にある方々ですから、この辺のところも含めてよく御存念あって戦っていただきたい、このように思う次第であります。皆様方の御健闘を心からお祈りいたします。




唱題行(1月3日)の砌

平成22年1月3日 於 総本山客殿


 立宗758年の新春、あけましておめでとうございます。皆様にはすがすがしく「広布前進の年」をお迎えのことと慶賀に存じます。

 新たなる目標である平成27年、同じく33年へ向かって第1年目に当たる本年「広布前進の年」は、目標達成にとって極めて大事な年になります。と申しますのも、平成27年までは長いようで短く、油断をするとたちまちに時間が過ぎていきます。まさしく「光陰矢の如し」であります。「時を失うは賢に非ざるなり」という言葉がありますが、なすべき時になさないということは、敗北を招く最大の原因になります。27年を勝利するためには、まず初年度を勝利することが肝要であり、本年を勝利すべく、各講中は異体同心・一致団結して、今日ただいまから大折伏戦に入っていただきたいと思います。

 大聖人様は『持妙法華問答抄』に、

受けがたき人身をうけ、値(あ)ひがたき仏法にあひて争(いか)でか虚しくて候べきぞ。同じく信を取るならば、又大小権実のある中に、諸仏出世の本意、衆生成仏の直道(じきどう)の一乗をこそ信ずべけれ。持つ処の御経の諸経に勝(すぐ)れてましませば、能(よ)く持つ人も亦(また)諸人にまされり。爰(ここ)を以て経に云はく『能く是の経を持つ者は一切衆生の中に於て亦為(こ)れ第一なり』と説き給へり。大聖の金言疑ひなし。(御書298ページ)
と仰せであります。まさに今、我々は受け難き人界に生を受け、値い難き仏法に値い奉り、この上なき恵まれた境界にあることを、まず心から感謝しなければなりません。  と同事に、このたぐいまれなる恵まれた境界にありながら、自信の成仏のためにも、世の人々のためにも、さらに広布のためにも、なすべきこともなさずに、いたずらにむなしく一生を過ごすことほど愚かなことはありません。それでは自分自身の人生に対する冒涜であります。「持つ処の御経の諸経に勝(すぐ)れてましませば、能(よ)く持つ人も亦(また)諸人にまされり」との御金言を固く信じ、確信と勇気を持って、末法流布の大願を目指して、強盛に自行化他の信心に励むことが最も肝要であります。

 されば、同じく『持妙法華問答抄』には、

願はくは「現世安穏後生善処(げんぜあんのんごしょうぜんしょ)」の妙法を持つのみこそ、只今生の名聞後生の弄引(ろういん)なるべけれ。須(すべから)く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧(すす)めんのみこそ、今生人界の思出なるべき。(同300ページ)
と仰せられています。

 妙法広布に生き、世のため、人のために尽くすということはまことに大事なことで、これこそ最も価値ある一生と言うべきであります。妙法広布に生きるとは、「身軽法重・死身弘法」の御金言のまま折伏を行じることであります。

 今日、混沌とした世の中を救うのは、大聖人様の仏法を正しく信奉している我ら本宗僧俗以外にはおりません。国を憂い、世の中の多くの人々の幸せを心から願い、折伏を行じていくところ、自身の過去遠々劫の罪障も消滅し、転迷開悟の大功徳を享受することができるのであります。世のため、人のため、広布のために尽くしていくところに、自らの幸せも築くことができるのであります。

   どうぞ皆様方には、御本仏大聖人の弟子檀那との栄えある自覚を持ち、勇気を持って折伏を行じ、本年「広布前進の年」を必ず勝利するよう心から念じ、本日の挨拶といたします。




唱題行(1月4日)の砌

平成22年1月4日 於 総本山客殿


 立宗758年の新春、あけましておめでとうございます。皆様にはすがすがしく「広布前進の年」をお迎えのことと慶賀に存じます。本年「広布前進の年」は、言葉を換えて言えば「折伏前進の年」ということであります。折伏なくして広布は達成できないからであります。

 大聖人は折伏について、まず『聖愚問答抄』には、

抑仏法を弘通し群生(ぐんじょう)を利益せんには、先づ教・機・時・国・教法流布の前後を弁ふべきものなり。所以(ゆえ)は時に正像末あり、法には大小乗あり、修行に摂折あり。摂受の時折伏を行ずるも非なり。折伏の時摂受を行ずるも失(とが)なり。然るに今の世は摂受の時か折伏の時か先づ是を知るべし。摂受の行は此の国に法華一純に弘まりて、邪法邪師一人もなしといはん、此の時は山林に交はりて観法を修し、五種六種乃至十種等を行ずべきなり。折伏の時はかくの如くならず、経教のおきて蘭菊に、諸宗のおぎろ(願口)誉れを擅(ほしいまま)にし、邪正肩を並べ大小先を争はん時は、万事を閣(さしお)いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり。此の旨を知らずして摂折途(みち)に違はゞ得道は思ひもよらず、悪道に堕つべしと云ふ事、法華・涅槃に定め置き、天台・妙楽の解釈にも分明なり。是仏法修行の大事なるべし。(御書402ページ)
と仰せであります。要約して申し上げますと、まさしく今、末法は「経教のおきて蘭菊に、諸宗のおぎろ(願口)誉れを擅(ほしいまま)にし、邪正肩を並べ大小先を争はん時」すなわち、邪教池田創価学会をはじめ邪義邪宗の者達が、お互いに自分の思想や教義がいかに深遠で優れているかと、手前勝手に主張をしているような時は、「万事を閣いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり」と仰せの如く、一途に折伏を行じなくてはならないのであります。

 したがって、折伏を行じなければならない時に摂受を行ずるようなことがあれば、悪道に堕つることは必定であると、法華經・涅槃経に定め置かれており、天台大師や妙楽大師の解釈も同様に説かれており、摂受、折伏の途を違えないようにすることが仏法修行の最も大事なところである、と仰せられいるのであります。

 もし「折伏などしなくとも、朝晩の勤行をして、お寺の御講や座談会にもそこそこ参詣していれば、それで充分」などと考えていたら、それはこの御金言に反することになります。御本仏の御金言に背いた信心をしていたのであれば、絶対に幸せにはなれません。

 されば、また『聖愚問答抄』には、

今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり。(同403ページ)
と仰せられております。すなわち、今、末法濁世んいおいては「読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり」と仰せられ、何を差し置いても折伏を第一に行ずるべきであると仰せられているのであります。

 さらに、『法華初心成仏抄』には、

「地獄には堕つるとも、仏になる法華経を耳にふれぬれば、是を種として必ず仏になるなり。されば天台・妙楽も此の心を以て、強ひて法華経を説くべしとは釈し給へり。譬へば人の地に依りて倒れたる者の、返って地をおさへて起(た)つが如し。地獄には堕つれども、疾(と)く浮かんで仏になるなり。当世の人何となくとも法華経に背く失(とが)に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説ききかすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓(どっく)の縁となって仏になるべきなり。(同1316ページ)
と仰せであります。この御文中、「法華経」と仰せられているのは、法華経本門寿量品文底秘沈の南無妙法蓮華経のことであります。したがって、この妙法蓮華経の広大無辺なる功徳によって、たとえ地獄に堕ちた者でも、妙法蓮華経を耳に触れれば、それを種として必ず仏に成るのでありますから、とにもかくにも、強いて下種折伏を行じていくことが肝要であります。なぜなら、折伏を受けた人は「信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓(どっく)の縁となって仏になるべきなり」と仰せ如く、順逆二縁共に必ず成仏をするからであります。

 今、宗門は総力を結集して折伏を行じ、平成27年、33年に向けて前進すべき、まことに大事な時を迎えております。目標達成のためには、我々一人ひとりが、理屈ではなく折伏を実践する人となることであります。信心とはすなわち実践であるからであります。されば、すべての信心活動の源となる唱題をしっかりと行い、その功徳と歓喜をもって折伏に打って出ることが大事なのであります。故に『三大秘法抄』には、「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経妙なり」(同1594ページ)と仰せであります。

 唱題は自行、折伏は化他行、この自行と化他は一体であります。されば唱題に励み、折伏を行ずることが、信心の原点とも言えるのであります。この信心の基本をしっかりと実践していくときに、「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(同 630ページ)との御金言が確実に実証されるのであります。

 どうぞ、皆様には大御本尊の広大なる功徳を信じ、なお一層唱題に励み、万難を排し、勇猛精進して折伏を行じ、すべての支部が必ず目標を達成されますよう心からお祈り申し上げ、本日の挨拶といたします。




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