Page - Mr Hajime Haruka does not have a family. Incident next day.
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Incident next day.


 翌朝、寮食堂。
 壁を背にした端の席で、味噌汁を啜りながら、朔は昨日の事を反芻し整理していた。
 あれから真っ直ぐ帰ってきたのだろうが、記憶に残ってはいなかった。多分ショックから抜けきっていなかったのだろうと、そう自己評価を下す。
 同時に記憶に自信が持てなくなっていた。
 はじめという姉の待つ九鬼神社が夢なのか、それともあの廃墟が幻なのか。
 仮に、あれが幻だと仮定する。だがその仮定もこの手足を通して伝わった、かき分けた葛の感触、踏みしめた倒木の感覚によって、脆くも崩れ去ろうとする。
(あり得ない…)
 そう明確に思った瞬間、頭の中をオカルトというワードがよぎった。
 これがオカルトとすれば、自分の手に余るのではないか、だとすれば専門家に頼るしかないのかと、一つの結論を付けた。
 だが、そう結論を付けたとしても、ぬぐい去れないショックによる不安は、朔を再びマイナス思考の淵へと誘うのだった。

 いつも食堂の真ん中辺りで食事を取っている希亜は、壁際に朔の姿を見つけると、いつもより眠たげな視線を朔へと向けた。
「あら」
 ふと朔の視線と希亜の視線が合った。
 昨日の事に思考を傾けていた朔は、希亜の視線と自分の視線が合っていることに気付くのに一瞬遅れた。とは言え朔はその後すぐに、何事もなかったかのよう に視線をはずす。
 希亜はそのタイミングがいつもより遅れていることに気付き、そのまま朔を視る。
 以前指摘した濁りは前よりも濃くなっているように感じた。また、こちらは注意していれば分かる事だが、思考の方に重点が置かれているのか、食事のペース は遅めに見えた。
 そこまで観察した希亜だが、これ以上は朝の時間を無駄にしそうなので視線を落とし食事を再開した。

 いつしか朔の思考は今後の方針に傾き、その今後の方針を考えながらの食事も終わり、トレイを返却棚に戻したところで時刻を確認する。
 時計は、そろそろ寮を出ないと急いでも一時限目に間に合わなくなる時刻を指している。
「急ぐか」
 それだけを呟き、彼も急いで食堂を後にした。




 お昼休み、校舎屋上。
 校内でのありふれた昼食の場所の一つであるここは、陽気に誘われてか、いつもよりも多くのグループで賑わっていた。
「いい陽気ですねぇ〜」
 幾つかのステンレス二重構造のコップが入ったバスケットと、今回は少々季節外れの麦茶を満たしたいつもの薬缶を用意した希亜。先ほどの時限が休講だった 事もあり、お昼休みになる少し前にいつもの場所に出ていた。
 同じく休講だった綾芽はお弁当を取りに行っているため、この場所にはまだ希亜ただ独りである。
 誰も来なかったらどうしようか等と少々杞憂な不安を抱きつつ、彼は使い魔の子猫が乗ったバスケットの横にちょこんと座りいつものメンバーが来るのを待っ ているのだった。


「なあ綾香、少し先輩に相談したいことがあるんだが。先輩が今日の昼食を何処でとるか知らないか?」
 授業も終わり、ママと慕ってくる綾芽が預かっているお弁当を楽しみに教室を出た綾香に、そう声を掛けたのは朔だった。
 引き留めるように掛けられた朔の声に、綾香は後ろ手を振りながら答える。
「さあ。何もなければいつもみたいに、綾芽の預かってるお弁当を一緒に食べることになると思うけど?」
 疑問系で返された返答に、目的の人物来栖川芹香の予定が確定情報として存在しないの事を読みとり、朔もいつもの昼食場所へと綾香の後を追いかける。


「今日は早いですね」
 珍しく希亜を除いて一番乗りでやってきた芹香に、希亜はそう言ってお茶を勧める。
 芹香はゆったりと腰を下ろし、希亜が差し出したお茶を受け取った。
「……朔さんに何か異変が起こりました?」
 そっと呟かれた言葉を反芻する様に聞き返した希亜に、芹香はコクコクと頷いて返す。
「そですか、今朝方食堂でいつもより食べる速度が極端に遅かったですから、何かクリティカルなことを考えていたのかなぁと思ったのですが」
「……何か気付いたことですか?」
「そですね、最近あの人の周囲が濁っている、またはくすんでいるように見えていたんですよ」
 コクコクと頷いた芹香に、希亜は言葉を続ける。
「あれは私が、いつもあの人の力に反応する呪詛の類によるものではありません。あの人はそっちの力を有しているにも関わらず、自分の力も含めて幽世も見え ないでいるから、自分の異変にも気付いていません。今回の… って、どうしました?」
 芹香は掌を希亜に向けて、希亜の言葉を遮っていた。
「……あの人は、見ることは出来ます? いつもはただ見ようとしていないだけです?」
 コクコク。
「いっつぁしりあぅす!?」
 完璧に日本語の発音で、思わず英語を口にした希亜。返事の芹香の口がYesと動いたのを見た希亜は、とても深くため息を付いた。
「私はあの人のために、ずっとそれらが見えるようになる方法を探していたのですが…」
 大きく肩を落とし、希亜は言葉を続ける。
「だから金剛のようにも見えるんですね。それなら私の呪詛未満の物も感じていたわけですか…」
「……ご苦労様です?」
「全くですね。結構敏感な人だから、悪寒を感じていたけど、性格故か話す事がなかった訳ですか。方向が陰陽師と言う事ですから、変だとは思ったんですよ ね…」
 実際、悠朔が陰陽師系のスキル修練をするようになってからは、まだ日が浅い。その能力は陰陽に疎い希亜の目にもまだ原石のままとも言えた。
 悠朔自身の力そのものは、希亜とは別の系統なので一概には比べられないが、芹香の目にもまだまだのびる事が容易に予想できていた。
「……朔さんに起こった異変を調べるのですか?」
「そのつもりです、極めて個人的な理由ですけどね。…それにしても、目を閉ざしているとは自殺でもする気ですかねぇ」
 とても深いため息のように希亜の愚痴はこぼれ、芹香はそれをじっと見ていた。
 ややあって、芹香はゆっくりとお茶をすする。
「……今日は麦茶なんですね?」
「ええ、ちょっと良い麦が手に入った物ですから」
 相手の言葉を反芻するように呟き、その問いに答えた希亜は、麦茶の注がれたコップを揺らしている目の前の芹香から視線を移した。
「そろそろ来る頃だと思うんですけどぉ」
 希亜の言葉に芹香は、希亜と同じように屋上の出口へと視線を移した。
 二人の視線の先では、今ようやく開かれた出口の扉から綾香が姿を見せていた。


 階段の手前で合流した朔、綾芽、綾香の三人はそれぞれに屋上に出た、いつもの場所に希亜と芹香がいるのを見つけ歩き出す。
「姉さん、先に来てたんだ」
「そのようだな」
「希亜君は多分、ずっと待っててそう」
 綾芽がそう言った矢先、視線の先の希亜がくしゃみをした。次いで芹香が何かを伝えているらしく反芻する希亜が見て取れる。
 そのまま合流した三人と二人、希亜はお茶を用意し、綾芽は持って来た重箱を広げる。
「そう言えばゆーさく、姉さんに相談があったんじゃないの?」
「ああ。芹香先輩、放課後に少し相談したいことがある、時間をとってもらえると助かるが」
 コクコクと頷き、芹香は朔に返事を返す。
「……放課後、オカ研で待ちます?」
「分かった助かる」
「何かあったのパパ?」
「ああ、昨日実家で少しな」
「そですか。芹香さんに相談なんて、理解できないことでも起こりましたぁ?」
「ノーコメントだ」
「ピリオド。ですか」
「ああ… いただきます」
 そう言って、朔は並べられた昼食に真っ先に手を伸ばす。
 朔が自分の事を話したがらないのはいつもの事であった。
 綾香はどことなく余裕のない悠朔を見て、姉に相談しなければならない何事があったのだろうと考えるが、下手に本人に聞くのはかえって逆効果になるだろう と思い、少なくとも今は本人から話し始めるのを待つとして、箸を手に取り昼食を取ることにした。
 希亜にしても悠朔に何かあったのだろうと思い、そのまま悠朔に注意を向ける。今朝と同じように制御されていない溢れ出た力は、ゆっくりと渦を巻くように 澱みを保っている。
 何か怪異に遭遇したとして、それは悠朔に害をなす物ではなかったのかもしれない。何故ならば現時点で悠朔は怪異に遭遇したとしても、以前とほぼ変わらな い状態で目の前に存在しているからだ。
 そのまま思考を進めようとして希亜だが、傍目からはぼんやりとしているようにみえるせいか、まだ何も食べ始めていない希亜に綾芽が気付いた。
 綾芽の視線の先の希亜は、ぼんやりと朔を見ている。たぶん何か考え事をしているのだろうと思いながら綾芽は声をかける。
「希亜、食べないの?」
「……あ〜。いえ、いただきます」
 また何か考え事でもしていたのだろうと、希亜が食べ始めるのを見ながらに思った綾芽だった。
 綾芽の声に思考の虚空から引き戻された希亜は、とりあえず手にしたおにぎりを頬張りながら、視線の先に芹香の姿を捉えていた。
(あ〜、私ですら気付くんですから、芹香さんが気付いていないはずは、無いですねぇ)
 ふと視線が合うと、彼女はただコクリと頷くのだった。




 お昼過ぎ、某講義室。
 五時限目のチャイムがそろそろ鳴ろうとする頃、ふと隣を見る。
 ひじを突いて口元に手をやり、視線が現世とどこかを行き来するような、そんなぼんやりとしたまま考え事をしている希亜が見える。
 以前「ずっと側にいて欲しい、死が二人を分かつまで」と希亜に告白された直後は、過剰に意識することもあったが、最近はそう言うこともなくなっていた。
 とは言え、思い出すと今でも顔が火照ってくるのが分かる。
 ただ、それが恥ずかしいからなのか嬉しいからなのかと言う事は、綾芽自身には分からなかった。
(希亜のことは嫌いじゃなし、好きなのは確かなんだけど、どういうふうに好きなんだろう…)
 思考を戻し、呼びかけようかと思った矢先、彼は呟く。
「最近、濁っているように見えたんですよね」
「えっと… 何が?」
「ゆーさくさんのだだ漏れな力のなれの果て、とでも言うんでしょうか… 彼はそのまま神社に行って何かに遭遇したのではないかと思うんですよね」
「力のなれの果てって? パパのあふれ出た魔力の事?」
「魔力に見えましたか。それはいつから気付いてました?」
「どよコンが終わって、春休み中にパパに会いに行った時かな。わざとそうしていると思ってたんだけど…」
「あの人は自分の力が制御できていないんですよ。制御しようともしていないし、それを見ようともしていない。漏れて澱んだ力が、自分ではない外部の影響を 受けたりして、怪異を引き起こすのはよくあることですからねぇ」
「芹香さんに相談って、その事なのかな」
 その言葉に、綾芽も朔に何かあったという事は気付いているんだ、と思いながらに希亜は返事を返す。
「どうでしょう。食事前に芹香さんも同じようなことを心配していまし…」
 キーンコーン…
 チャイムが鳴ったので希亜は言葉を止めた。
 間もなく入って来るだろう教師に綾芽は、
「後で聞かせて」
 そう言って鞄から教科書やノートを取り出す。
 希亜は「はい」と即答した。
 直後ガラガラと戸を開いて教師が入って来る、眠い眠い五時限目の始まりを告げるように出席が採られる中、希亜は朔が堕ちていくことで、綾芽の笑顔を曇ら せたくないと思うのだった。




 放課後、教室。
 鞄に教科書を詰め、自慢の箒Rising-Arrowをペンダントから、セラミックスで箒のオブジェを表したような極超音速の箒へと展開した希亜に綾芽 は声を掛ける。
「これから調べに行くの?」
「その予定です」
「何か手伝えないかな?」
「ん〜、まだ何が起こったか分かりませんから、朔さんの個人的な事かもしれませんし」
「あ……。そうだね」
「明日にでも何が起こったかは分かりますよ」
「じゃあ分かった事、教えてくれる?」
「いいですよ、ただあまりにもあの人の個人的な事なら黙秘しますね」
「うん、わたしの方は芹香さんに相談してみるね」
「分かりました。一度寮に戻って、それから九鬼神社に行って調べてみます」
「じゃあ、また明日」
「はい、また明日」
 そう言って二人は別れた。
 綾芽は校舎の中をオカ研へ、希亜は空路を寮へとそれぞれに。


 同放課後、オカ研部室。
 綾芽と芹香は隣り合って朔を待ちながら、希亜が言っていた事を芹香に伝えている所だった。
「…と言うわけで、希亜君が九鬼神社に調べに行ってるんだけど」
「……何があったか分からないのに、少し事を急ぎすぎです?」
「でも、わたしはパパの力になりたいし、その為にがんばってくれる希亜君を止める事なんて出来ないよ」
「……何があったかはっきりしてからの方が、力になれることがあると思います?」
「そっか、希亜君もそれを調べに行っているんだもんね。ありがとう芹香さん、明日希亜君に聞いてから考えてみるね」
 芹香はそっと綾芽の頭に手を乗せ、優しくなでる。
 少しの間なでられるに任せていた綾芽が、オカ研の磨りガラスのドアの前に立つ人影を見つけた。背格好からして朔だと分かると「パパー」と声を掛けてい た。

 オカ研の中から綾芽の声がする。来栖川姉妹と仲の良い間柄なのだから別段一緒にいてもおかしくはないのだが、と思いながら朔はオカ研のドアを開けた。
「お待たせした。それと、来ていたのか綾芽」
「うん」
「早速だが、昨日あったことについて聞きたいのだが…」
 言葉を濁した朔は、辺りを、綾芽を見て再び口を開く。
「出来れば二人だけで話したいのだが」
 コクコクと頷き立ち上がった芹香の隣で綾芽が訪ねる。
「パパ、一緒に聞いちゃダメかな?」
「これは私の問題だ」
 まるで反射反応でもするかのように、朔はそう簡潔に言い捨てた。直後、泣き出しそうな綾芽の表情を見るなり、慌てて言葉をつなげる。
「必要なら、お前にも頼む。それまでは俺の問題にさせてくれ」
「…うん」
 綾芽の視線の先、朔は芹香に案内されて部室の奥の方へと入っていった。
 辺りが静かになったとは言え、さっきの朔の言葉が頭から離れない。たった一瞬とはいえ、肉親として慕っている者から拒絶される恐怖は、綾芽に深く突き刺 さっていた。

「……ここなら他の目や耳はありません?」
「ありがたい」
 二人はオカ研の奥の小部屋で、小さなテーブルに向かい合うように席に着いた。
「まずは、昨日実家で起こったことを聞いて欲しい」
 そう言って朔は話し始めた。
 日曜日の朝に列車で実家に向かい、バスに揺られ最寄りの停留所で降り歩いて実家に向かった事。だが、そこにあったのは少なくとも十数年は放置された、朽 ち果てた実家の残骸だった事。
 そして、気が付いたら寮へと帰ってきていたこと…
「…そう言う事があったのだが、これは先輩の専門になるのか?」
「ん? …多分そうだと思いますが、詳しく調べなくては正確なところは分かりません?」
「そうか」
 朔は専門家がそう言うのならと、一心地着いたのだろうか背もたれに身を預ける。
「え? 気分は落ち着きましたか?」
「先輩に相談に乗ってもらえるなら、ひとまず安心できる」
 そう言った朔だが、言葉を受けた芹香は一度天井を見上げた。
 彼女の瞳が一度瞬かれ、視線が再び悠朔に戻る。
「…そう言えば忘れていました?」
 コクコク。
「何をだ? 先輩」
「…あの子には、何も伝えていなかったのですね?」
「あの子? あの子って誰のことだ?」
「…そうですか?」
「って、どういう事だ? もっと分かるように話してくれないか?」
 朔の言葉に、芹香はフルフルと首を横に振る。
「…それは、私からはお話しできません?」
 きっぱりと断られた言葉に戸惑った朔だが、ひとまずその事は置く事にした。他に質問することが思いつかないのでそのままゆっくりと席を立ち。
「参考になった、また聞きたいことがあれば頼らせてもらう」
 そう言って朔はこの子部屋を後にした。
 芹香は心の中でため息をつき、先程出て行った朔の様子について考え始める。
 朔は「先輩に相談に乗ってもらえるなら、ひとまず安心できる」と言っていた。少なくともそう言った以上は、この事について少々調べたとしても、彼の反感 を買うことはないだろうと芹香は考える。
 彼が言うには、九鬼神社でオカルトに分類できる現象に朔が遭遇した。と言うことだが、朔自身の精神的なダメージ以外は、何も影響を与えていない様に見て 取れた。
 相手が何者であれ、意図があるとして該当するケースは、警告、通達、そういった類の物。
 警告だとすれば、何に対しての警告なのか。通達だったとすれば、何を伝えたかったのか。
 最後に九鬼神社に帰ることができた時と、どう違うのか。
 とは言え、はっきりと事象の解決を依頼されたわけではないので、そこまで聞いて良い物なのかと芹香は困惑していた。
 これが希亜ならどうだろうかと、芹香は考える。
 彼の言葉は悠朔の耳に届いても、その心に届くことはない。最近のやりとりを見ていても、特に改善したようには見えない。
 手段を変えたところで、強行的なものでは朔の前にかき消されてしまうだろうか。
 あの子の魔女としての一つの力が、基本的にカウンセリングを含めた精神的なものがその主体である以上、言葉が届かない事は、大きな制約を受けるだろうと 考えられる。
 あの子の苦労が分かるような気がした芹香は、静かになった小部屋の中、行ってしまった朔に視線を向けるでもなく、タローカードを取り出すと左手でかき混 ぜ始める。
 魔力が静かに集い始め、やがてそれは渦を巻き、静かにカードの中へと溶け込んでいった。
 カードを集め、一番上から一枚、また一枚並べて行く。
 部屋にあるのは、ただカードがめくられ並べられる音。その音もやがて止まる。
「……難しいところですね」
 並べられたカードが暗示する物事に、芹香は誰に聞かれることなくそう呟いていた。




 夕刻、九鬼神社近辺。
 深く傾いた日差しに、散在する数件の民家や木立が紅く彩られ、広がる田畑に長く影を落とす。
 そんな風景の中、買い物袋を下げて帰途についていたはじめは、テレビでしか見たことの無いような黒塗りの重厚なリムジンが、自分のやや前方で止まるのに 気づいた。
 こんな田舎に珍しいと思っていると、白髪の運転手が降りてこちらへと歩いてくる。
 道でも聞かれるのだろうかと思いつつ、はじめは年の割にはがっしりした体つきの、どこかで聞いたような様相の人物に記憶をたどる。
 その運転手ははじめの前で立ち止まり丁寧に頭を下げた。
「えっと?」
「失礼ですが、九鬼神社のはじめ様でございますね?」
 戸惑ったそうはじめに呼びかけてきた。
 希亜君か綾芽ちゃんかな、朔ちゃんはそんなに喋らないから、と思案しながら。
 以前に聞いたような様相の人物に、名前を訪ねてみることにした。
「えっと…、もしかして来栖川のセバスチャンさん?」
「はい、来栖川家にお仕えしております、セバスチャンでございます。今日は芹香様がはじめ様にお会いしたいとの事で参りました、お宅まで送りいたしますの でどうぞ」
 極めて丁寧に、そして流れるようにはじめをリムジンへと誘うセバスチャン、はじめはそのままリムジンへと進む、途中荷物を受け取ろうとしたセバスチャン だったが、卵が入っているからと言われ断られた。
 そしそて開かれたドアから車内を覗くと、高校の制服を着たまま静かに座っている少女がいた。
 希亜と綾芽が言う来栖川芹香にそっくりだった為に、はじめは驚く事もなく普通に挨拶をする。
「初めまして、芹香さん」
 そう言ってはじめは車内へと入った。


 九鬼神社、境内。
 見上げれば夜の闇へとうつろう群青の部屋に、一つ開けられた天窓のような満月。それが他の星々の輝きを押しとどめるように光を放っていた。
「良い月です。 …にしてもはじめさん帰ってこないですね」
「なー」
 境内のベンチに座りなおし、つい先ほどまで気を失っていた希亜は、ぼんやりと空を見上げて呟き、使い魔の子猫がそれに答えた。
 一度六甲山上の自宅に戻り、日が暮れる前に境内に到着した希亜だが、丁度はじめが留守だったので先に境内の大木と意思を疎通させ、その時の状況を色々と 聞いていた。
 幾つもの大木にコミュニケーションを取ったが、最大の収穫は注連縄の飾られた老練なご神木から得ることが出来た。
 それは、朔が境内に入る前の山の麓で突然消えた事だった。さらにご神木はその前後の瞬間に御神体から力が発せられた事、その力が朔に異世界とまで言える 程の空間へと引きずり込んだ事、そして朔自身にはその大きな力を微塵も感じさせなかった事を記憶しており、それを希亜の記憶を見せるのと引き替えに伝えて きたのだった。
 事象としては、オカルト的な事象に朔が遭遇した事がはっきりと分かった事。
 別件として希亜にとって収穫だったのは、しばらくして神社の外に突然現れた朔が、珍しくそして酷く動揺している姿が見えた事が何よりの収穫だった。
「まぁ、珍しいこともある物です。逆に言えばそれだけショックが大きかったんですね。 …でも、これは問題ですねぇ」
「なー?」
「え〜とですねぇ。以前より澄んだ金剛石、征服されざる物と言う意味ですが。その金剛の輝きを持つ長い牙の獣には、私の差し伸べる手は届かないでしょう し、無理に届ければその長い牙の餌食になりますから」
「なーぉ」
「はい、やるだけはやりますよ。最近は空の記憶に少しずつ近づいてきましたから、自信も着きましたし」
「なー」
 彼の言う空の記憶というのは、彼の出生そのものに関係していた。それは今は亡き曾祖母が施した物で、昔から時々思い出す事のできた、記憶にないはずの記 憶だった。
 ただ、幼い頃からあまりにも違和感を感じさせずに浮かんで来るので、本人が気付いたのは曾祖母の遺品の中の日記を読んだ、ごく最近の事だった。
 過去の空に触れていた物事なら、記憶として呼び出せる。らしいのだが、思い通りにその空の記憶に触れるのには、まだまだ熟練が必要だった。
 今回も、一応は試してみたのだが、全く上手く行かなかったので判断材料からは除外してあった。
「上手く行くと良いんですけど、ね…」
 そう言った希亜の脳裏には、何を伝えようとしても、朔から冷たくあしらわれる姿がありありと浮かぶ。
「…結果は、後から着いてきます、よね」
 その沈んだ希亜の言葉に、元気を出せとばかりに子猫の鳴き声が広がった。


 九鬼神社、境内へと続く階段。
「朔ちゃんの事? 一昨日電話があったのだけど、帰って来なくって。心配になって電話してみたんだけど繋がらなくて、学校の方に電話したら授業には出てい るって聞いたから、安心はしたんだけど」
 ゆっくりと境内への階段を上りながら、はじめは芹香に昨日のことを話していた。
「えっと… ごめんもう一回お願い」
 足音にすらかき消される。そんな芹香の声を必死に拾うはじめは、階段を上りきったところで、境内に人影を見つけた。
「あれ? 希亜君?」
 鍔の広いとんがり帽子のシルエットが薄暮の境内のベンチの上にあり、その帽子の隣で希亜だろう男の子が座っている。膝の上辺りで小さく二つ光っているの は彼の飼い猫の目だろうか。
 はじめはそのベンチへと近づく。
 側まで来て初めて彼が眠っていることが分かった。飼い主の代わりに、子猫が「なー」とシッポをピンと立てて挨拶をする。
「こんばんわ」
 子猫にそう挨拶をして、はじめは希亜に声を掛ける。
「希亜君、こんなところで寝ていると風邪ひくよ」
「なー」
 任せてとばかりに胸を張るようにして鳴いた子猫が、とてとてと希亜の肩に掛け登り、その長いシッポを希亜の顔面に叩きつけた。
「わぁっ!」
 思わず驚くはじめ。目の前の希亜は叩かれた顔を押さえながら、涙目を開く。
「いたいよぉ〜、クラムぅ〜。 …ってはじめさん。 えーと、お帰りなさい」
「ただいま」
 苦笑しつつ答えるはじめの向こうに、良く見知った人物、来栖川芹香がいるのが見えた希亜は、ベンチから立ち上がり、唾広の帽子を手に取った。
「芹香さんも来ていたんですね」
「うん、下まで送ってくれたの。お話ししたい事があるんだって。希亜君はどうしたの?」
「私は調べ物です、もし良ければこの神社の文献を見せていただきたいのですが」
「いいけど。いっぱいあるし、古いよ。それに何を調べるの?」
「昨日、朔君に起こった。ある出来事ですよぉ」
 いつものようにのほほんと答えた希亜だったが、はじめは一瞬あっけにとれていた。
「朔ちゃんに何かあったの!?」
「知りたいですか?」
 もう一言だけ、はじめから言葉を引き出したかった希亜はそう質問で返していた。
「だって、心配だし… それに、たった一人の家族だから」
 そのはじめの言葉に、希亜は満足げに頷く。
「わかりました。今まで観測した情報では、昨日帰ってきた朔君は、御神体の力によってどこかに跳ばされたようです。幸い座標情報は同期しているようなの で、今日学校には出てきています」
 取りあえず希亜の言葉を聞いたはじめだが、今一つ何故そうなったのかの部分が飲み込めなかった。疑問に思いはじめが聞き返すと。
「それを調べるために、文献を閲覧したいのです」
 返ってきた答えは簡潔で、希亜もその部分が分かっていないことを物語っていた。

 結局、外で長話をするのも考え物なので、はじめは三人に家に上がってもらった。今は茶の間で芹香と希亜の話しに耳を傾けている。
 話自体は、朔に起こった異変から始まっていた。
 希亜の言う漏れた力の濁りを二人が感じていたことに始まり、希亜が調べた昨日の事についてと芹香の見解。
 しばらくそれらに終始していたのだが、次第に会話は朔の普段の出来事に移り変わっていた。
「そう言えば朔ちゃん、あなたが側に来ると悪寒を感じるって言っていたけど、それはどうして?」
「それはですね。あの人が力を感じることが出来ないと勘違いした私が、あの人の力、えーと陰陽師と言う事ですから、とても軽度の呪いと言うのもばからしい ほどの物を、あの人が感じるように自分に掛けていたんですよ。感知できるようになったら、すぐに何か訴えるだろうと思ってましたけど… あの人はそんな事 は言わない人だったようで」
「そうなんだ…、芹香さんにはそんな事言ってた?」
 はじめの問いかけに、ふるふると頭を横に振る芹香を見て、はじめは綾芽もそんな事は言ってなかったと思い返す。
 ふと、今まで朔本人を含めて聞いた話から学校生活を想像してみるが… はじめは一つの疑問に突き当たった。
「朔ちゃん、友達っているの?」
「え〜っと」
 思わず芹香と見合わせてしまう希亜。
 やっぱりと、どこか納得したようなはじめは呟く。
「…みんなに迷惑かけて無ければいいけど」
「それについては、安心して良いですよ」
「そうなの?」
「はい。あの人は喜怒哀楽を含めて、利害関係抜きでつき合えるはずの、友人という存在を許容できない。少なくとも私にはそう見えますね」
「希亜君にはそう見えるんだ」
「私もあの人の全てを知っているわけではありません、それでも私にはそう見えます」
「…え? それでも変化しようと努力はしている?」
 コクコク。
「そうでしょうか…」
「…ただ、経験がなさすぎてその努力が実らないだけです?」
 コクコク。
「がんばってはいるんだね」
 そう確認したはじめの言葉に、希亜は「どうだろう」と疑問を持つが、言葉にするのは押しとどめていた。
「お嬢様、そろそろ帰りませんと」
 セバスチャンの言葉に、はじめと希亜は居間に掛けられている時計を見る。
「もうこんな時間なんだ」
 話しに夢中になっていたのか、はじめがそう言った直後。
 ぐ〜〜〜〜〜〜〜〜〜、っとおなかの鳴る音が聞こえた。
「あうぅ」
 希亜が情けない声を上げる、それを聞いたはじめは苦笑しながら席を立ち。
「ご飯作るね」
 そう一同に告げる。
「さぁ、お嬢様」
 芹香に促しながら席を立つセバスチャンに、台所へ向かおうとしていたはじめが足を止めて振り返った。
「帰っちゃうの? せっかく今日はにぎやかに晩御飯出来ると思ったのに…」
「申し訳ありませんはじめ様、私どもはこれにて」
 はじめに丁寧に頭を下げるセバスチャンの隣で、芹香も立ち上がりペコリと頭を下げる。
「じゃあ下まで送るね」
「そですね」
 玄関から外に出た一同は、そのまま境内から階段を降り下の駐車場へと赴く。
 ぽつんとある街灯に照らされた夜の闇の中で、闇よりもさらに黒いリムジンが静かに主の到着を待っていた。
 セバスチャンは後部座席のドアを開け、
「さ、どうぞ芹香様」
 いつものように、そう促す。
 芹香ははじめへと振り返ると口を開いた。
「えっと、また来ます?」
 コクコク。
「うん、いらっしゃい」
「また明日です、芹香さん」
 希亜もはじめに続いてそう言ってペコリと頭を下げた。
 芹香が二人に答えるように頭を下げ、セバスチャンがドアを閉める。
「では失礼します」
 セバスチャンは丁寧にはじめに頭を下げ、リムジンの運転席に乗り込んだ。
 走り出し、山裾の角を曲がって見えなくなるまで、走り去るリムジンに手を振り続けていたはじめは、リムジンが見えなくなると手を振るのを止め希亜へと振 り返り。
「夕飯、食べて行くでしょ?」
 そう、微笑んで希亜に訪ねる。
「あ、は〜い」
 無論、希亜にこの申し出を断る理由はなかったわけで、その日の夕飯をはじめと一緒に取り、そのまま神社の文献を閲覧させてもらうのだった。


 同夜、寮、朔の部屋。
 学校から戻り、朔は手元にある書物や文献を読みあさった。
 何度か読み直しているだけに、対して有用な物がないとは分かっているが、それでも何か無いかとパラパラとページをめくる。
 それでも一通り読んでいる為、だいたいの内容は手に取った瞬間に分かるのだが。
 そうして全ての蔵書を手に取り終えた瞬間、途方に暮れそうになった。
 所有している書物の大半は自宅である九鬼神社にあるため、そちらに手がかりがあった場合最悪二度と閲覧できない可能性がある。
 神社に入れない以上は無駄だと思ったが、物は試しで何度か実家へと電話をしてみた、やはり直接掛けた電話は全て通じる事もなく、管理人である猪名川由宇 に頼み込んで電話をしてもらっても、それは同じだった。
 ひとまず電話という手段を諦め、神社に入れない事について考えてみる。
「現象としては、神社に結界があり俺はそこで神社だったような場所に飛ばされる。と考えるのが普通だろうな」
 幻影にしてはリアルすぎたし、実体もあった。まるで小説かマンガのような話に、この判断が正しいかどうか戸惑う朔だが、現時点では他に考えようは無かっ た。
 それとは別に、内心で少しずつ膨らんできた不安があった。
 幼い頃に分かれた事になっている姉、その姉の元に帰ってきたところを暖かく迎えられた。それ自体が夢なのではないかと……。
 今まで自分がしてきたことに比べれば、たとえたった一人の肉親と言えど、暖かい家庭などあまりにもかけ離れていた。それは叶うことのないはずの夢をあの 廃墟の中にずっと見ていたのではないかと。
 あまりにも都合のいい夢を、ずっとあの廃墟の中で見ていたのではないかと。
 だが言葉に出すのはためらわれた、前言の思考を否定したくないその為に、胸の中に膨らんできた悪夢に触れないようにと。
 たとえ他人がそれを杞憂だと言ったとしても、一度芽生えたその不安は、確実に朔の心に影を落としていた。




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Ende