「くすぐりの塔2」 -勇者降臨編-
     


 -第十三章 決戦 魔王-

 一時の騒動の後、種子化したドライアードを塔外の適度な大地に根付かせたキーンは、彼女の感謝の言葉もそこそこに、再び塔の門をくぐっていた。
 彼は、訪れる度に変化する塔の内装に惑わされまいと心構えをしていた・・・・・にも関わらず、その変貌に動揺してしまった。
 迷宮内の壁面配置の変化くらいは予想していたものの、その変化率は予想を大きく上回っていたのである。
 そこには一切、何の障害物も無かったのである。「変化」に惑わされまいと考えていただけに、「無」と言う状況を想定していなかったのである。
「これはまた・・・・・短期間に綺麗さっぱり片づけたな」
 巨大な広間と化した1階を見回し、思わず呟くキーン。
 ここまで周囲の障害物を除去した理由として、幾つかの想像が彼の脳裏を過ぎった。
 その1、かなりの数で責めるための準備。
 その2、腕に自信のある者が登場する・・・・この場合、過去のキーンの闘いを知った上での事なので、相当な手練れである事は疑いようも無い。
 その3、時間の節約。つまり、塔内を整理した張本人が、キーンを指定の場所まで来させる為に、余計な障害を除去した結果・・・・と言う訳である。
 そんな仮定の答えを知るべく、無造作に塔内に入ったキーンは、フロア中央に至って尚、敵が出てこない状況から、自分は相手に招待されているのだろうと判断した。
 案内と言う意味であれば、一本通路を形成するのが望ましいのだが、その方法は以前、ゼルが決闘を目的に使用しており、その結果は、露骨な招待をうさんくさく感じたキーンが通路を力ずくで反れてしまったという事実があった。
 今回の招待者はそれを考慮して、だだっ広い空間に、上へと繋がる階段だけを残すという、これ以上ない構成を行ったのである。
 他に行くべき所が無くなったキーンは、ただただ上階目指して進むのであった。

「進む度に妨害があったかと思えば、今度はフリーパスか・・・・・・ここまで極端だと不気味だな」
 今しがた到着したフロアが最上階だろう事を悟ってキーンは誰とはなしに呟いた。今まで空室同然のフロアであったのが、この階に来てようやく変化を見せたのである。
 今、キーンの前には大きな門が立ちはだかっていた。異質な芸術観念で刻まれた紋様が施されている門は、王宮内で言う謁見室の入口というイメージが感じられ、この先に自分を待つ者がいるという予感を必然的に感じさせていた。
「・・・・・・・」
 キーンは無言のまま左手を突き出し、気を集中させる。
 あからさまな招待が罠の可能性もあるため、常識的に門を開けるのではなく、破壊して、あわよくばその先にいるだろう敵にもダメージを与えられたら良いと考えての事だった。
『おいおいおい、そんな事をしなくても門は開けてやるよ』
 おそらくはキーンの乱暴さに呆れての事だろう。苦笑混じりの声が扉の奥から響き、門がゆっくりと開きだす。
「先手を取られたか・・・・・」
 少し残念そうに言って、キーンは腕に集中していた気を解くと、招待された室内へと入って行った。
 否、室内というのも正確ではなかった。扉の先は幅広の廊下となっており、少し歩いた先が、本来の謁見の間と思わしき空間になっており、一際明るい光がキーンを誘う様にもれていた。
 そこを数歩と歩まないうちに、彼は反射的に身構えた。
 門を過ぎてすぐ、暗がりとなっていた廊下の左右両側に、幾つかの気配を感じたのである。それを番人と解釈した彼は、即応できるように大型ナイフを両手に持って身構えた。
 が、そこで彼は硬直した。
 彼の感覚に間違いはなかった。確かに廊下の左右には人がいた。だがそれに敵意は存在しなかったのである。いや、それ以前に危害も干渉も行う事の出来ない状態だったのである。
 そこにいたのは若い半裸の少女であった。それも1人2人ではない。門から奥まで続く、廊下の壁面一列に、等間隔の間をおいて少女達が並ばされていたのである。
 少女達は全員、腕が肘辺り、足が膝辺りまで廊下の壁に埋め込まれた、いわば体を突き出した様な状態で壁に固定されていた。一見、豪華帆船の船首に飾られる女神像の様なイメージを抱かせるそれであったが、大きく異なるのが、それが造形物ではなく、生きていると言う事だった。
 生きたまま手足を埋め込まれ、廊下の装飾品とされる待遇はあまりにも惨いと言えたが、彼女達の悲惨な待遇はそれだけで終わらなかった。
 生きた装飾品となって身動きの出来ない彼女達の無防備な体を、壁の周囲から生えだした無数の『手』がくすぐりまわしていたのである。
 脇腹・腰・腹・脇の下・内股と、動けず抵抗も出来ないことを良いことに、『手』は容赦なくくすぐり続け、くすぐられる少女達は僅かに体を、そして激しく首を振り乱していたのである。
「やめ・・・やめてぇ~!!あはっあははっああっはははっはぁ~~~~!!」
「やだぁぁ!!!もうや・・・・やぁっああっはぁっはははっははっは~!!」
「いやははあはははははははっははははっはあははは~!!」
「くあははははははははっ!くすっ・・・くくっくっく・・・くすぐっ・・くすぐたいぃぃぃぃひゃっははははは~!!」
「ダメぇぇ~!!あっははははははっは!!ダメ、だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええ~!!」
「いやあああぁ~!!あっはははぁ~!きゃあはっははあああはははぁぁぁああ~!!」
 少女達の数に比して、その悲鳴は少なかった。大半の少女達が、ギャグボールや猿轡を噛ませられ、その発声を抑制されていたのである。
 今、声を出して笑い悶えているのは、そのあまりのくすぐったさに笑い悶えた結果、口の拘束が外れた者達だった。
 体をがくがくと震わせながら身悶える少女の一人は、目の前に自分達が知る者とは異なる『男』が立っているのに気づいて、涙目となっている瞳で必死に救済を訴えかけた。
 少女達は、この地獄のような状況から逃れたい一心だった。ほとんどの者が、全く声を発せられないため、こうして視線で訴えかけるしかなかったのである。
 無論キーンも、この状況を見れば、彼女達がなにを求めているのか一目瞭然であった。だが、彼はその望みを適え様とはしなかった。「腕」が生えていると言う表現が正しい壁に迂闊に近づいた場合、どうなるかが解らない上に、彼の進行方向には、隠そうともしない「存在感」が感じられ、気を逸らすことが出来なかったのである。
「悪いな・・・・俺の安全が確保されるまでは、助けられん」
 キーンはすまなそうな表情をすると、彼女達には一切触れずに廊下を進んだ。
 少女達は、自分達の、現在唯一の望みがかなえてもらえない事を悟って絶望感を感じた。本来なら悲鳴の一つも上げたいところではあったが、発声を妨げる器具によって、ほとんどの者達が身悶える声を喉の奥でもらすしかなかった。
 現状の悲壮感と、救済を施さないキーンに対する不満。思いは十二分にあっただろうが、全身を駆けめぐるくすぐったさは、そう言う思考さえも長時間維持させなかった。
 もちろん、キーンにも罪悪感がなかったわけではない。無論、この状況に興奮もしたが、助けるべき相手を助けずにいるのは、彼の心情に反している。しかし、その先にいる存在の事を考慮すると、左右の存在に気を取られる訳にはいかなかったのである。
 後ろ髪を引かれる気分のキーンであったが、歩を進めるにつれ、その感覚は緊張感によって覆い尽くされていく。彼の本能が、前方の存在・・・・・自称魔王の強烈な気配を敏感に察知し、警告を発していた。
 キーンはくすぐり回廊(廊下)を抜けた時点で、進行方向に人影を認めた。
 広間となった部屋の奥の、玉座をイメージした椅子に腰をおろしている人影。何の根拠もなかったが、キーンは『それ』が魔王と確信した。
「「ようやくお目通りが適ったな」」
 キーンと玉座の男は同時に同じ言葉を発していた。
「?」
 自分はともかく、招かれざる客であるはずの自分が何故、そのような言葉を受けるのか?意外な言葉に、キーンは多少なりとも困惑した。
 それが表情に出たのであろう。男は僅かに笑みを浮かべると言葉を続けた。
「君の闘いはずっと見ていた。強いな・・・・そして更に強くなって、ここまで来たな」
「あれだけ色々な敵と闘えば、誰でも強くなれる。この手の進行のお約束だ」
 キーンは緊張を解かずに応じた。相手には明確な殺意や敵意は感じられなかったが、本能が言いようのない危機感を感じていたのである。
「魔王は虫けらのような人間相手に自らの手を汚さず、配下に任せるものの、人間はその困難を乗り切り、勇者へと変貌する・・・・か」
 キーンの皮肉に、魔王は納得したように言った。
「どこにでもある「おとぎ話」だが、実例もある。だからお話にもなる」
 歩みを止めずに、魔王の弁に応じるキーン。
「だが、全ての者に当てはまる事例でもない。『我も』と、勇者の仲間入りを目指して、戦場に赴き、夢半ばに消えた人間の数も馬鹿には出来ない。今回のこの一件でも、君一人がここに来る前に何人が犠牲になったか・・・・ここの王女に聞いたか?」
「いいや。でも、先々で囚われの美女達を見てきたから、ある程度は察しがつくさ」
「なら、君は自信を持つべきだ。一国の戦力が敗退した魔王と相対する事の出来る、『勇者』としてね」
「その称号を得られるのは、最後の敵である『魔王』を倒してからだと言うのが相場なはずだけど?」
 結局、勇者という称号は、全ての困難に打ち勝ち、生還した者が得られるのである。少なくとも、今のキーンには該当する事項ではない。キーンには、それが分かっているだけに、魔王の評価を否定したのである。
「『魔王』にも色々あるさ。中には、君が今まで倒してきた程度の実力しかない者が魔王を名乗っている事もある。それを考慮すれば、君は十分『勇者』だ」
「魔王から『勇者』と称されるとは・・・・だけど、魔王は『王』なのに複数いるのか?」
「『国王』と同じ理屈だと思えばいいさ。色々なところに色々な種類の魔王がいてもいいだろ。でなければ、勇者も一人しか存在しないはずだ」
 そう言った魔王の弁に、キーンは妙な親近感を感じた。どうも、目の前の存在は自分と似た価値観を抱いている事に気づいたのである。
「理屈だな。それじゃあんたは、自分が絶対の、最強の存在とは思ってないのか?」
 仮にも魔王を自称するほどの者である。そう考えても不思議はないと思いキーンは問うた。
「無論だ。そこまで自信家じゃない」
「魔王を名乗っているわりには謙虚だな」
「その肩書きはこの国の連中を怯えさせる方言って事だ」
「?」
 ほんの一瞬、キーンは思考に詰まった。会話の中で相手の気質を伺っていた所に、突如、本音とも思える意志が垣間見えたためである。
「すまんな、話がそれた。正直こちらは君の訪問を喜ばしく思っている。そして相反する二つの感情が同時に沸き上がっているんだよ」
「ひょっとして一方は『勇者』の懐柔・・・・かな?」
 キーンは過去、何度かスカウトをされた事を思い出し、問いただした。
「そうだ」
 魔王はあっさりと認めた。
「だが、『勇者』である君ではなく、強者である君を友として欲しいだけの事だ」
「友?」
「そう、正直に言ってしまえば友だ。君のように俺の力に怯えず、対等に会話の出きる存在・・・・それが欲しい」
 キーンには何となく分かる気がした。強力すぎる力を持つが故に、どうしても恐怖の感情が先立つ。一般市民が傭兵や戦士に容易に声をかけれないのと同質ものであり、その種の疎外感に魔王が孤独感を感じていたのであろう。
「光栄・・・・と言うべきなのかな?立場が立場だけにコメントしにくいが・・・・」
「自惚れになるかも知れないが、一介の戦士と言う立場の君であれば、栄誉な事だと思うがな」
「そうか・・・・それで?相反する感情ってのは?」
 こうなると、聞かずとも解る事ではあったが、あえてキーンは問うた。
「・・・・・・この場に辿り着く事の出来た君と・・・・・・全力で闘う事だ」
 瞬間、魔王から発せられた気に、キーンは今までにない威圧感を感じた。
 謙虚と評価されたが、『魔王』と言う肩書きを持つだけの実力はあると言う事を一番効果的に証明して見せたのでる。
「生か死か・・・・と言う選択か・・・・」
 放たれる気から推察される相手の実力に、思わず冷や汗を流すキーン。
「違うな。俺の誘いを拒絶し、闘うからと言って、そちらが確実に死ぬと言う事はない。死ぬのはこちらかもしれなんだからな」
 既に魔王の口調は攻撃的なそれになり、言葉使いにも変貌が生じていた。
「現実的な・・・・・」
「共に歩んでくれるか?それとも、今後二度とない好敵手として、俺の闘いの歴史を刻んでくれるか・・・・・だ」
 魔王から攻撃的な気配が溢れ出す。
「それって・・・・魔王の語る選択じゃないな。どちらかと言えば、生粋の戦士の言葉だ」
「俺の気質がそうさせるんだ。俺にとってはどちらも捨てがたい選択でな、どちらか一方だけを推薦する事もできない・・・・・だから、判断はそちら任せだ。当事者たるお前がどんな選択をしても、一向に構わない」
 キーンは本気で悩んだ。彼にも魔王と共通する思考部分があり、強大な敵と闘ってみたいという欲求が生じていた。これは相手に悪意が無いために生じた感情でもあった。もし魔王が悪意による誘いを行っていれば、キーンは間違いなく拒絶し、不意打ちの一撃も加えていたに違いない。
 だが、己を過大評価せず現実的に評価する異質な魔王は、キーンの好む部類の存在であった。できるなら、友人にしたいと思えるタイプだったのである。
 さほど策士ではないキーンは、しばらく自分なりに思考して答えを求めた結果、それを抜剣と言う動作で表した。
「俺は闘う選択をする」
 特に深い考慮があったわけではない。手を組むという案も含めた上での選択は、キーンの受けた依頼が遂行中であったあった事。更に、次の依頼の予約の事を思えば、魔王の側に着くことは出来なかったのである。
「それもまた・・・良し」
 魔王が玉座から立ち上がった。
 その途端、周囲に緊張が走った。双方が相手を敵と認識し、臨戦状態になったためである。魔王もその実力に絶対の自信を持っているのか、身に纏う装備は実に軽装であり、革製と思わしき鎧に、武器は左胸に取り付けられている装飾品のような短剣だけだった。
 だが、外見だけではその全てが分からないのが闘いであり、二人は、相手だけでなく自分の一挙一動にも注意し、些細な隙も作らず、逃さず、注意を払っていた。
 そんな時、キーンの背後で魔王とは異なる、凶悪的な殺気が駆け抜けた。
「!!」
 訳も分からず、ほとんど反射的に横っ飛びするキーンの傍らを、激しい熱線が通過した。半瞬も遅れていれば、まともに直撃を受けていただろう事は疑いない。
「痛っ・・っちっ・・」
 焼けた空気が肌を焙る刺激にキーンは呻き声をもらしながらも、身を翻して不意の襲撃者の姿を確認しようと背後に視線を向けた。
 廊下の出口付近でたたずむ相手を見た時、彼は目を見張ると共に、納得したような表情を見せた。
「貴様はぁ・・・・俺が殺す!!」
 右腕を失い、全身に痛々しい亀裂を生じさせたモンスター・ゼルが、大きく肩で息をしながらも怒気を放っていたのである。
 彼は先の闘いで損傷をまのがれた左腕を突きつけ、再度熱線を放つ準備を行っていた。
「まだ生きていたか、しぶとい・・・・・」
 意気込みは評価できても、今の彼では自分の敵にはならない。そんな余裕を持っていたキーンではあったが、背にしていた魔王から圧倒的な殺気を感じると、思わず振り向き直し剣を構えざるを得なかった。
「挟み撃ちになったか・・・・」
 できれば魔王とは1対1でやり合いたいと考えていたキーンにとっては、これは好ましい状況ではなかった。だが、魔王の殺気は彼よりむしろ、ゼルの方に傾いていた。
「ゼル・・・貴様がこの上、何が出来るというのだ!」
「あ・・・う」
 ゼルも魔王の怒りの矛先が自分に向いた事を悟り、言葉を詰まらせた。
「自身に負担をかけてまで得た力でも負けた貴様が、なぜこの場にいる!」
 魔王はゆらりと掌底をゼルに向ける。
「・・・・・!!」
「敗者の分際で、勝者の楽しみを邪魔するなっ!!!」
 魔王の掌から光の玉が放たれた。
「気孔弾!?」
 キーンがそれを認識した直後、気孔弾がキーンの脇を掠めゼルを捉えた。
 断末魔の悲鳴は無かった。気孔弾はそれすらも飲み込んで大爆発を起こし、あの頑強なゼルの身体を粉みじんに粉砕したのである。
 キーンはその瞬間を目撃する事は出来なかった。瞬間的に膨れあがった『気』を感じた直後には、小さいながら強大な威力を秘めた光弾が彼をかすめ、背後のゼルを直撃し、振り向いた時には、相手は粉微塵になっていたのである。
「よもや魔王殿が闘気士とは・・・・・」
 キーンは背筋に冷たい物が走るのを感じた。
「だからこそ、お前の秘めたる力を悟れたのさ」
「やはり魔王の肩書きは伊達じゃなかったか」
「自称するには、多少なりとも自惚れもないとな」
 そう言って魔王は玉座の隠しスペースを開け、中に隠されていた物体を取り出し、キーンにも見えるように掲げた。
 それは紅い色をした珠だった。
「何?その宝玉らしき物体は?」
 キーンは魔王が意味ありげに差し出したソフトボール程の大きさの紅い珠をみて、警戒心を抱いた。単なるアイテムであれば彼も恐れはしなかったであろう。だが、その物体からは見かけ以上の、そして今までにない不思議な威圧感に似た気配が感じられたのだ。間違ってもただのアイテムであるとは思えない。
「竜血結晶・・・俗に言う『ブラッド・ストーン』だよ」
「ぶっっっっっ!!!!!!!」
 何気ない口調で説明された一言に、キーンは思いっきり硬直した。
 『ブラッド・ストーン』
 この世界に無数に存在する『宝』において、至高と言われる物体である。
 『宝』と言う表現に関しては、それを探し求める者によって存在価値が大きく異なるが、物質的なそれに関して言えば、全世界の承認を得ているのが、このアイテムだろう。
 強力な魔力と膨大な寿命と豊富な知識に富んだ竜族の中から、特に厳選された成竜の脳と血を、多大で高密度な魔力によって長時間かけて凝縮し、宝石状にした物がそれだった。
 もともと竜族には神秘的な力が存在することは周知の事実であり、竜の血を全身に浴びて不死身となった戦士。竜の肉を食し不老となった者。竜の血を使い死者を蘇らせた者・・・・誰もが知る伝説的な事実が竜の血肉によって行われている。
 その『竜』の血と脳を原材料にしてブラッド・ストーンは完成される。
 この様に、製法自体は過去の文献により、あらかた知られてはいたが、既にそれを実施する技術が失われているため、地上に残された分だけが唯一のブラッド・ストーンであった。
 経緯だけなら、他のアイテムと違いは無かったが、やはり問題はその効果であった。
 『至高の宝』と言われ、冒険者や権力者や王族のみならず、一般市民さえ欲するその力とは、一言で言えば『全能』である。
 ブラッド・ストーンは保有者が念じることによって容易に発動し、資格など一切必要がない。そして発動したブラッド・ストーンは凝縮された魔力によって、

『所有者の願った事を具現化する』

のである。
 信じられない事ではあるが、これは事実であった。願えば子供でも国を滅ぼし、上級の悪魔すらも触れることなく消滅させる事が出来たのである。
 だが、全能のアイテムも無限ではなかった。
 ブラッド・ストーンは発動と同時に、所有者の願いを具現化する程度に比例して『燃焼』して行き、最終的には魔力を使い果たし消滅してしまうのである。
 この世界に残存するほとんどのブラッド・ストーンが、実は欠片程度の大きさでしかなく、僅か一瞬の全能でしか成り得なかった。
 だが、それでも人はそれを欲している。その一瞬でもあれば大抵の人々は望みうる巨万の富か絶対の権力を手中に収める事が出来るのである。
 そんなレア中のレア・アイテムであるブラッド・ストーンが、あの様な巨大なサイズで存在するなど、誰が考えたであろう。
 公式記録はもとより、口伝による言い伝えであっても、知られる最大サイズはせいぜいゴルフボールサイズの大きさでしかなかった。
「負けだな・・・・」
 目の前の人物が、嘘を言うとは思えなかったキーンは、それによる結末を予測し、逃れられない結果を口にした。どんな状況でも決して諦めないのがキーンであったが、今回ばかりは例外である。
 どう足掻こうと、ブラッド・ストーンの所有者には決して勝つことは出来ない。欠片程度のそれを持った者でも、ほんの一瞬、キーンの死を願えば、それが現実となるのである。
 実力差や常識など全く関係はない。所有者を文字通り『神』にする究極のアイテム。それがブラッド・ストーンである。
 闘う前に諦める事は本意ではないキーンも、この時ばかりは悔いは無かった。と、言うより、悔いることさえ無駄なのである。絶対などあり得ないとするキーンすらも唯一認める不可侵な法則を前に、彼が勝つ見込みがあるとすれば、『所有者がそれを望まない』事しかない。
「そこまで潔いと、かえって拍子抜けだな・・・・」
「そんなアイテムを出されて、まだ希望を持つなんてのは、余程の無知か究極の楽観者だけだ。はっきり言って、全世界の運命は、あんたに握られている様な物だ」
「その通り・・・・だが俺も魔王である前に戦士だ。僅かな思念一つで得られる勝利に興味はない。興味があるのは、強大な力を持った者との死闘だ。俺の全力に渡り合える様な・・・・な」
 その時、魔王の手中にあったブラッド・ストーンが輝き始めた。彼の思念に反応し『燃焼』を始め、その望みを具現化させ始めたのである。
 キーンの身体が反射的に硬直した。無駄だと分かっていても、生き物としての本能が恐怖を感じて、反応してしまったのである。
「・・・・・・・っ」
 キーンは恐怖感に捕らわれそうになる我が身を、意志の力で辛うじて押さえつけていた。醜態はさらしたくないと言う意志の現れであったが、いつまで経っても彼の身に変調は生じなかった。
「?」
 彼は不審に思い、何らかの変調が起きているのかどうかを確認するように軽く身体を動かしたり、小刻みにジャンプしたりして見せた。そして彼の自覚としては、何も変化が生じていないことが分かった。
 だが、確かにブラッド・ストーンは発動はしていた。血のように紅い宝玉から不可視の光が放たれ、周囲の景色の色彩を反転させその場を異空間のように変貌させているのだが、当のキーン自身には何の変貌も起きていなかったのだ。
「・・・・・・・何をしている?」
 魔王の意図を見抜けないでいるキーンが、率直に尋ねた。
「我等に相応しい戦場を作り出したのさ」
「戦場?」
 異変はその直後起きた。小さくジャンプを続けていたキーンの身体が、降下することなく、大地をゆっくりと離れだしたのである。
「な、何だ!?」
「俺とお前、二人の重力の干渉をほぼ断ち切った。ブラッド・ストーンの波動が広がる全範囲に対して、この効果は有効だ」
「重力の干渉?」
「そうだ。今の我等には上下と言う存在が皆無と言っていい。自分自身が空間の基準と化したのだ」
 発動を開始し始めたブラッド・ストーンを懐にしまい、魔王は状況を端的に説明した。
「だ、だが、こんな状態でどうやって闘うってんだ」
 初めて体験する無重力に、手足をばたつかせながらキーンは言い返す。
「お前も闘気士だろ。身体の一部から気を放出して、その反作用で移動するんだ。慣れれば鳥よりも見事な空中戦が出来るぞ」
「簡単に言うな!」
 未知なる行為をいとも簡単に行わせようとする魔王に対しキーンは思わず怒鳴った。
「闘気士の肉弾戦の時と基本は変わらん。インパクトの瞬間、武具を加速させ、その身は反動で返されるのを堪える・・・・これを移動に応用するんだ。上手く行けば・・・・・ここまでの事が出来る」
 そう言うと魔王は姿を消した。瞬間的な気のコントロールで、踏み込みよりも早い速度で移動したのである。並の者なら確実に見失っていた動きであるが、キーンには辛うじてその動きが見えた。
「くっ!」
 キーンは魔王の動きに合わせ、その方向へ反射的に拳を繰り出した。本能故か、攻撃のタイミングは正確であった。だが彼の一撃は容易く魔王に手に包み込まれ、受け止められてしまった。
「良い読みだ」
 余裕を持って、だが、決して剣を離さず、逆に力を込めて魔王は笑んだ。
「・・・・だが言ったろ、攻撃の際も自分の位置を「固定」するんだ。でなければ命中しても、反作用で身体が退き、大したダメージには・・・・・・・ならん!」
 魔王は掴んだ剣を、思いっきり振り回し、空間に対して自分の位置を固定できずにいたキーンの身体を上空に向けて放り投げた。
「おおっ!?」
 体験したことのない勢いで、あり得ない方向に飛ばされたキーンは、唸りつつも魔王のレクチャーを反芻し、気を進行方向とは逆の方向に瞬間的そして爆発的に放出し、急ブレーキをかけた。
「上手いぞ」
 そんなキーンを見上げて魔王が再び高速移動をかけ、キーンのすぐ前に姿を現す。
「!」
 キーンは高速移動の際の気の流れを読み、同じようにやってみた。すると、キーンの身体も高速移動を行い、先程と全く同じ間合いを開けた。見よう見まねで魔王と同じ事をしたため、同じ角度・移動距離になったわけである。
 だが、この間合いはキーンには都合が良かった。不慣れなフィールドでの長期戦は確実に不利になると考えていた彼は、一気に勝負をつけるつもりでいたのだ。彼はいったん剣を収めると、右腕を眼下の魔王に突きつけ、その腕を左手でがしっかりと支えた。そして精神を集中させ、一呼吸の後、強大な威力を秘めた気孔波がキーンの右腕から放たれた。支えていた腕に反動が伝わり震え、魔王のレクチャー通りしっかりと身体を空間で『固定』していたにも関わらず、その身が後ろへと退いた。単発発射型の気孔弾とは根本的に威力が違う気孔波の反動による結果であった。
「ほぅ、なかなか・・・・」
 迫り来る気孔波を前に、魔王の表情には恐怖のかげりは微塵もなく、むしろ満足気であった。
 命中直前、その表情が僅かに引き締まったかと思うと、魔王は両手に気を集中させ、振り払うかの様なアクションで横降りした。
「何っ!??」
 その時起こった現象を目の当たりにし、キーンは信じられないと言った声をあげた。
 格段の威力を秘めた気孔波が、魔王の腕の一閃でその軌跡を歪め、術者であるキーンの意志に逆らい、まるで同極同士の磁石が弾かれるかの様に、あさっての方向へ弾け飛んだのである。
 キーンのコントロールを外れ迷走状態になった気孔波は、大きく弧を描いて国の周囲を取り囲む樹海の一角に突き刺さり、大きな光と共にクレーターに変貌した。
「あ、あれを弾き飛ばすかぁ?」
 思いがけない出来事を目の当たりにしたキーンに、隙が生じていた。そこへ気孔波を捌いた魔王が間髪入れず間合いを詰め、キーンに痛烈な蹴りを叩き込む。
「あぐっ!」
 キーンの身体は蹴られた勢いそのままに、地表に向けて落下していった。
 地表に激突する瞬間、キーンは身を翻して姿勢を整えると、気による減速もそこそこに辛うじて着地と呼べる姿勢で地面に降り立った。戦士としての本能がすぐさま相手の姿を追い求めたが、その時既に魔王はキーンの背後に着地していた。
「!?」
 気配によってそれを知ったキーンが振り向くよりも早く、再び蹴撃が背中を痛打し、彼は地面を削るような勢いで飛ばされ、地面を舐めた。
「あいっつつつ・・・・・」
 激痛に背中を押さえ、付着した泥を払いながらキーンが立ち上がる。戦闘不能に至るようなダメージではなかったが、魔王の持ちかけた意外な空間での闘い方に、焦燥感だけは拭えないでいた。
「どうした?動きに隙がありすぎるぞ」
「我流だから、動きに無駄があるってのは気にしないけど、フィールドがフェアじゃないぞ」
「お前は無重力と言う条件を意識しすぎているんだ。フィールドは我等の闘いの為に存在する。足場が無い事に気をとらわれず、空間そのものが自分の大地であるとイメージすれば問題ない。闘気士であるお前なら、すぐ順応できるはずだ」
「だから無茶言うなっ!今まで人間として地面の上を駆けていたのに、いきなり鳥になれるか!」
 揚々と言う魔王に対し、キーンは不満げな表情をして見せた。
「どうした?出来ないとでも言うか?」
「出来る出来ないより以前に・・・・」
「ん?」
「このフィールドの意味は何だ?」
 キーンから放たれた言葉は、魔王の予想とは違っていた。
「言ったはずだ。我々に相応しい戦場だと・・・・」
「究極のアイテムであるブラッド・ストーンを使ってまで作り出す意味は?」
「お前の存在そのものだ」
 キーンの問いかけに、魔王は意外な一言で答えた。
「何?」
「俺は自らの野心をかなえるために、この国に攻め入った。他の事などどうでもいいつもりだったが、お前という予期せぬ嵐が舞い込み、興味を持った。その潜在能力の末恐ろしさにな・・・・・好敵手となるのも良し。友と出来るも良し。もし敵となるのであれば、俺が全力で闘える存在である事を期待していたが・・・・・・それは現実の物となった」
 その言葉にキーンはふと思いだす。何度か相手側からの誘いがあった事を・・・・それは全て方便などではなく、真実、魔王の意志だったのだ。そして数々の闘いも、ひょっとすると魔王によってし向けられたレベルアップのための試練だったのでなかろうか・・・そんな思いが彼の頭の中をよぎった。
「だが、お前も実感しているだろ。我々が全力を出して闘うには、あの塔内は狭すぎ、脆すぎると・・・・だからこそ、この空間を作りだしたのだ」
「あんたは勝利ではなく、闘いを欲しているのか?」
「そうだ」
 いともあっさりと魔王は肯定する。勝利ではなく闘い。それは支配者とは異なる、生粋の戦士・傭兵に見られる傾向と言える。
「今となっては、経緯なんてどうでもいい。ただ、俺の乾いている心を満たせるなら・・・・全てを忘れられるような熱い闘いが出来ればそれでいい。どちらの結果になろうともな」
「・・・・・あんた・・・一体何があった?」
 魔王を自称する男の意志が、単なる征服欲とは違っている事に気づいたキーンは思わず問うた。そもそも魔王を名乗り『女だけの国』を支配しようとしていた人物だけに、欲に溺れた典型的悪党を想定していただけに、実像とのギャップは大きい。どちらかと言えば戦神と相対している様な感覚が、彼にはあったのだ。
「それを知りたければ闘え。勝っても負けても、この一件の真実は教えてやる」
 魔王が駆けた。数歩踏み込んで助走をつけ、後は気による飛翔を行い、キーンに迫った。
「もとよりっ!」
 吠えてキーンも踏み込んだ。そして先程の『高速移動』を行い、互いの間合いを一気に詰める。
「!?」
 その場での迎撃を予想していた魔王は、急速に縮んだ間合いに対処しきれなかった。キーンはそんな魔王の顔面にカウンターばりの拳の一撃を加える。
 魔王の身体は壁に当たったボールのように弾け、吹っ飛んでいった。
「依頼を受けてるからな、あんたとは闘うことにしている!」
 遠ざかる魔王の背にキーンは言い放った。 
「上等っ!」
 魔王は姿勢を取り戻すと、くるりと反転し、激突寸前であった岩を蹴り、その反動と己の加速をプラスし、先程をも上回るスピードで再びキーンに迫った。
「!?」
 その切り返しの早さに、今度はキーンが躊躇した。その隙を突く痛烈な肘打ちが、お返しとばかりに彼の顔面に炸裂した。
 打撃・衝撃共にキーンの一撃と大差なかったが、彼は即応できるように、吹っ飛ばないように堪えた。
「あいっ・・・・・」
 痛みに声をあげる暇も与えないかのごとく、立ち直ったキーンの背後に魔王が高速移動を行う。そして無防備な背に向けて手刀を振るったが、キーンの身体が急速に沈んで空振りとなり、逆に身を屈めてかわしたキーンがその一瞬の隙を突いて、魔王の腹に蹴りを突き入れた。
「・・・って~~~~~!!」
 中断した悲鳴を再開させつつ、キーンは蹴りによって地面を削りつつ吹っ飛ぶ魔王の後を追った。
「ぐうぅぅっっっ」
 キーンの蹴りは魔王でさえ強烈と感じるものだった。それは徐々に相手がこのフィールドに慣れ、自分が忠告した通り、攻撃の際に自分の位置を空間に固定・・・即ち、踏ん張る事が出来ているからに他ならない。
(のみ込みが早い・・・流石に見込んだだけの事はある)
 身体で地面を削り続ける魔王の眼前に、キーンの追い打ちの爪先が迫る。
 魔王は不完全な態勢のまま地面を殴り、その反動で僅かに身体を浮かしてキーンの蹴りをかわした。
「っち!」
 キーンは地面に食い込んだ爪先を引き抜くと、再び魔王の後を追って再度蹴りを繰り出す。その一方で、魔王は右手に作り出した気孔弾を地面に叩きつけ、その爆発の反動を利用して態勢を整えつつキーンに対する牽制とした。
 爆風で勢いを殺され、目標も見失ったキーンの蹴りは、またも地面に突き刺さるだけに止まった。
「くそっ、俺みたいな闘いしやがる!」
 基本的に「形」がなく、状況に応じる戦法の持ち主と対峙している事を改めて実感したキーンは、舌打ちしながらも飛翔を行い、魔王の後を追った。
「ついて・・・来れるか・・・・」
 魔王は視認確認せずとも気配を探る事によって、背後に取りつくキーンの存在を感じる事が出来た。それはキーンも同様であり、先程の背後の一撃をかわせたのも意識を集中して、不意打ちに備えていたからである。
 自分との距離が離れない事を感じた魔王は不敵な笑みを浮かべ、飛翔コースを樹海の方へ向けた。
 魔王のスムーズなターンに対し、地面を蹴ってという少々危なっかしいターンを行って後を追うキーンは、進行方向に樹海があるのを見て、警戒心を抱いた。
「隠れ蓑にするか?」
「隠れはしないさ」
 魔王にキーンの声が届いた訳ではない。単に独り言が交錯した結果であったが、二人のそれは会話として成り立とうとしていた。
 魔王は樹海前の一本の樹に注目し、その脇をかすめるようなコースをとり、そこを通過しようとする寸前、右腕を横に突き出して樹に接触した。それは樹にラリアートを仕掛けたようにも見えた。
 不意に加えられた力に、樹が軋み音を立てて折れ始める一方で、魔王の身体は不意に加えられたベクトルに従って樹の周りをくるりと回転する形となる。これら全ては計算された行動であった。
 魔王を追っていたキーンは、眼前に倒れ込む樹を前にスピードを落とさざるを得なく、最終的には樹の眼前で停止する形となった。するとそこへ、樹を支点に回転してきた魔王が背後に回り込み、存分に気を込めた脚で、倒れた樹もろともにキーンを上空へ蹴り上げた。
「おぅわっ!」
 樹もろともに宙に舞ったキーンは、痛みと言う身体の警告を無視して、気を周囲に放ち魔王の位置を把握し息を呑む。魔王は高速移動により、自分より先に上空に舞って先回りしていたのである。
「こなくそっ!」
 キーンは吠え、タイミングを見計らって上昇にブレーキをかけると、共に蹴り上げられていた樹の幹を両手で掴んで取ると、身体全体を使って振り回し、待っていた魔王に叩きつけた。
 自分の身丈の十数倍ある巨大な打撃武器であったが、魔王はそれが命中する直前に、片手で作り出した気孔弾を樹に当て、それを粉々に粉砕する。
 歯噛みするキーンに笑みを浮かべる魔王。その二人の視線が合った。そして次の瞬間、もう一手を持っていた魔王が、もう片方の手から気孔弾を放った。
「あぐっ!」
 まともにそれを受けたキーンは、気孔弾に押される形で地表に落下し、そのまま着弾時の爆裂に呑み込まれていった。
 状況から見れば、これで勝敗は決したと誰もが判断する事だろう。常識の範疇であれば今の爆発の爆心点にいて、生きていられるヒューマノイドタイプの生命体など、魔族や悪魔を省けばほとんど存在しない。だがそれでも、後を追って着地した魔王の表情に油断した様子はなかった。

 城内は騒然としていた。突如として起きた空間配色の反転は、ゆうに城内はおろか国の全土に達していた。
 特に実害があったわけではないが、この空間の急変は、ブラッドストーンを使用した魔王による現象であると言う事情を知らない者にとっては恐怖となり、パニックを誘発していたのである。
「まだ状況は把握できないのですか?」
 凛とした態度で玉座に座る王女も、内心の恐怖感を押さえつつ、この怪現象の原因を知ろうと焦っていた。
「申し訳有りません王女・・・・あの様な現象は今まで見た事もなく、文献にすら記載されてはおりません。状況からして魔王が関与している可能性はありますが、確証もなく、また、人為的に起こせる現象か疑わしいと言う点からしても・・・・」
「まさか、秘宝の力なのでは?」
 唐突の、悪意無き発言ではあったが、無知なる者の何気ない一言はあっという間に一同の恐怖心に浸透し、今までになかったと言う事態がそれに拍車をかけた。
 パニックが無意味に増大する事を嫌う王女ではあったが、彼女自身も秘宝の実体を知らないが為、最も簡単な『否定』と言う形で一同を抑える事が出来なかった。
「王女あれは!?」
 不意に外窓近くに立っていた衛兵の一人が悲鳴を上げ、窓の外を指さした。
 窓は塔の方向にあるのを知っていた王女は、僅かに身震いしながらも臣下の見た事実を確認しようと立ち上がった。
 王女が赴き、衛兵が場を譲りつつ、自らが見た物を確認してもらおうと、一角に指を突きつけた。
 そこは塔そのものとは方角が異なっていた。その示す先は塔の先端よりも上を示しており、虚空に浮かぶ二つの小さな物体に向けられていた。
 最初、眉をひそめた王女であったが、微かに判断できる輪郭からその正体を知り、絶句した。
 それは『人』であった。二人の人間が鳥の様に自在に舞い、闘っていたのである。魔法などを駆使すれば不可能ではない現象ではあったが、魔法戦では到底不可能な力強い激突が繰り返されていたのである。
 それは常軌を逸していた。その飛翔速度もさることながら、樹海に姿を消したかと思えば、一人が大木ごと上空に吹っ飛ばされる。そして息を呑む間もなく、吹っ飛ばされた側が大木を軽々と振り回して相手に叩きつけようとし、相手はそれを容易く片手で粉砕する。
 誰もがその圧倒的な光景に驚愕したその時、一方が痛烈な一撃を受け、勢いよく地表に落下した。
「キーン様!」
 落下した方の姿を垣間見て、同じように傍観していたルシアは思わず声を上げていた。

「あ、あてっ・・・・あててててててててて・・・・・・」
 身体に積もった土砂を気で吹き飛ばして姿を現したキーンは、痛む身体を押さえながら完成したばかりのクレーターから這い出した。
『我が主よ・・・・』
「今、取り込み中!」
 いきなり心の中に語りかけてきた『鎧』の声に、キーンは素っ気なく応えた。
『聞きたいことがある』
「あ~もぅっ、こんな時に何だ?」
 少し先で佇み、自分を見ている魔王に速攻の意志がない事を見取って、キーンは鎧-セイファート-との会話を続けた。
『あれは本当に人間なのか?』
「それを探る事に関しては、お前さんの方が得意だろ」
『確かに・・・身体的な構成物・骨格・内臓・生体波動・・・・・どれを見ても奴は人間だ・・・・だが容易には信じられぬ。・・・・我が主は人間でありながら我を力で従えた。・・・それすらも更に凌駕する戦闘力を有した存在など、到底信じれる物ではない・・・・あれは人間と言って良い存在なのか・・・・』
「いいんだよ」
 自分の数百倍の歳月を生きてきて、多くの物を見てきているであろう鎧の疑問をキーンはあっさりと肯定した。
「人間はまだまだ進化の余地があるのさ。精神力が肉体や物体に影響を与えるってのは、お前さんの良く知る所だろ・・・・それだけ相手の精神的な部分が優れているんだよ・・・・・」
『だが、精神は無限でも肉体と言う物質には限界と言うモノがある・・・・』
「確かにな・・・でも、彼の器(肉体)は特上なのさ。もしくはそこまで鍛え上げたか・・だな」
 それは言葉で言うほど、簡単な物ではない。
『そうのような超生物相手に勝算はあるのか?』
「客観的に見ての御意見は?」
『現状では、敗北は必至だ・・・・』
「率直だな。で、対処案でもあるか?」
『勝てる可能性があるとすれば、我との力を融合させ、攻撃時の瞬間的な破壊力を上げるか、可能性は低いが人魔融合による新たな能力に望みを託すかだ・・・・』
「・・・・却下」
 ほんの数瞬思考した後、キーンは提案を破棄した。
 最初の提案である二人の能力の融合攻撃は、物理的な物だった場合、二人三脚的な要素が含まれ、呼吸の正確さが要求される。主従関係が成立してから数時間程度も経過していない現状でそれを望むのは難しく、中途半端なコンビネーションは今の相手には通じず、逆に歩調を乱す恐れもある。
 又、精神的な物、つまりはキーンの気孔にセイファートの魔力を上乗せさせる訳だが、異種のエネルギーを融合させるなど、物理的な歩調合わせより困難であった。
 そして人魔融合は博打的様相が強すぎた。確かに人魔融合は、『ミラー』と言う例が存在する様に、今までにない能力に目覚める率は高かったが、それが全て戦闘に適したものであるとは限らず、成功率すらも約束された物ではなかった。そして何より、人魔融合は二つの人格の崩壊を意味している。勝つ必要性があるキーンではあったが、自分が生きている事が前提であるため、その手段を使用する選択肢だけは持ち合わせていなかった。
『ならばどうする?』
「・・・・・・・・お前はお前の仕事を最大限こなせ」
『何の話だ?』
「今のお前は『鎧』だ。『鎧』は使用者の身を守るのが仕事だ。だからいいか、お前は常に俺の身体のダメージを修復し、精神の疲労を癒せ。物理的防御の優先度はその次でいい」
『回復専念?それでどうするつもりだ』
「決まってる!怪我の心配を低くした上で、無茶をする!」
『勝てるつもりか・・・それで?』
「身を守る心配はそっちに委ねる。その分を俺は攻撃に傾ける!」
『・・・・・分かった・・・・』
 契約により、その運命をキーンに預けた以上、そう言わざるを得ないセイファートだったが、二人三脚で闘うのなら、こうした分業の方が即席の共同歩調よりはましだと判断した。
「作戦は決まったか?」
 キーンの意識と視線が自分に向いた事を見て、今まで待っていた魔王が声をかけた。
「作戦なんて良いものはないさ・・・・ただ、全力で闘うのみ!」
 キーンの気迫に呼応したのか、彼の周囲に気が溢れ、光の膜となって身体を包み込んだ。
「その意気込み、気に入った」
 魔王の身体もまた、その身を光に包み、二人は再び戦闘態勢となる。
「「!」」
 見る者を無条件で威圧する程の気を周囲に放ち続けながら、二人は同時に大地を蹴って間合いを詰めた。距離が縮まる最中、魔王が気孔弾を放つ。互いに距離を詰める中での攻撃は相対的にもかなりのスピードだったが、キーンは踏み止まる事なく、僅かに身を捩る事でそれをかわす。防御を含むダメージ回復を『鎧』に一任しているとはいえ、全ての攻撃を馬鹿正直に受ける必要もない。この回避も間一髪と言う様相が強かったが、彼は一瞬で今の出来事を忘れ、迫る本命である魔王の攻撃に備えた。
 気孔弾の牽制が功を奏して、先手は魔王が取り、気を込めた拳がキーンの顔面を狙う。
「!」
 キーンはわざとつまずくようにして身を沈めて拳の一閃をやり過ごすと、相手の腕が引き戻されるより早くその腕を取り、ハンマー投げのように自分の身体を軸にした回転で、魔王を上空へと放り投げた。
「はぁっ!」
 そしてすかさず気の衝撃を叩き込む。追い打ちの衝撃を受け、魔王の身体は更に加速して上昇し、衝撃が微妙な捻りとして加わったせいか、その身体は回転を起こしていた。
 その後を、間髪入れずキーンは追う。
 相手を回転させ、平衡感覚を奪っての追撃。致命傷でないにしても連撃は極まると思っていたキーンであったが、魔王はやはり尋常ではなかった。
 キーンが攻撃の間合いに入ろうとする瞬間、魔王は回転・上昇をピタリと止め、何事もなかったかのように、身体をその空間に固定した。
「!」
 さすがのキーンも、これには面食らった。
「しゃぁっ!」
 一瞬止まった彼の動きを魔王は見逃さず、すかさず気孔弾をキーンに叩き込む。
 回避する間もなくその直撃を受けたキーンの身体が、弾かれたように吹っ飛ぶ。そして更に魔王は両手を突き出すと、問答無用とばかりに気孔弾の連射を行った。
 無数の気孔弾は的確にキーンを追尾し、彼の身体が地表に叩きつけられる寸前に、その全てが着弾した。
 キーンの身体が次々に起きる爆発の衝撃に揉まれ、人形の様に舞った。普通であれば原型すら止めてもいない状況であったが、キーンは中空でバランスを取り戻し、何事もなかったかのように着地する。
「つ~~~~っ・・・・一発当てたら数倍になって返ってきやがる。割に合わないな」
 がっくりと膝を着きつつ、キーンが唸る。
「何を言う、着弾した気孔弾のことごとくを瞬間的な気孔障壁で防いるじゃないか」
「・・・・・・見えてた?」
「当然だ。命中時の威力が最も高い瞬間をそれで受けつつ、爆風には煽れてダメージを受けるふりをしていたな。こちらの隙を突くつもり、だったんだろ?」
「おおむね正解・・・・・くそっ、上手く行ったと思ったのに」
 着いていた膝を地面から放し、何事もなかったかのように立ち上がるキーン。
「騙し合いで魔王と呼ばれる者を出し抜こうとするのが間違っているんだ。当初の予定通り、無茶をしてみてはどうだ?」
「そうそう無茶ってやつを実施できる訳がないだろ・・・」
「ならば死ぬしかないな・・・・たった一人でここまで来た男故に、期待していたのだがな」
 ゆっくり歩を進めて構える魔王。全身から放たれる雰囲気は、自分がまだ本気を出していないと語っている様でもあった。事実彼は、今だ武具を使った戦闘を行っていない。
「一人で・・・・か・・・確かに俺がもう一人いれば、活路はあるんだが、あいにく俺には分身は・・・・・・・・・・・」
 キーンは魔王の言葉に、忘れていたある事を思い出し少し考え込む。そして彼は早々に結論を出した。
「やれる事は全てやってみるしかないな・・・」
「ん?何か企んだか?目つきが変わったぞ?」
 既に目つきどうこうより、姿勢そのものに変化が生じており、魔王はあからさまな様相の変化に茶々を入れる。
「ああ、思いっきりね・・・・」
 キーンはそれの指摘を肯定した。
「と、言うより、あんたの凄さと、このフィールドの特異性に気圧されて、自分ができる闘い方を忘れてた」
「ほぉ、ではこれから本番と言う事か?」
「そこまでは言わない、ただ、戦闘フィールドのルールに則ったまま、戦法を変えるだけだ」
 言って、今まで相手に合わせて納めていた剣を抜くキーン。
 ドライアードによって創造された剣は、刀身に斬るべき相手を映し出していた。
「命を賭けてか・・・・」
「否、それに近い覚悟でだ」
 死はそのまま無と直結する。死者は何もしない、何も出来ない。だからこそ生き延びるべきだと持論を持つ彼は、意を決して剣を構える。
 その剣に集中する気の質を見取って、魔王も左胸に飾りの様に装備されていた鞘から剣を引き抜く。見た目は短剣であったが、魔王が抜いた剣を右手で横に構え、左手を刀身に添えて横に広げると、刀身が手品のように伸び、通常サイズの剣へと早変わりした。
(カイゼル・ブレード!?)
 キーンは口にこそ出さなかったが、剣の特徴から、その正式銘を見抜いた。傭兵家業の中で聞き知った剣であり、その所有者共々、知る人ぞ知る伝説の武器となっている。キーンの知る所有者情報に更新がなければ、魔王を名乗る者の正体も判明したと言って良かった。
「あんた、こんな所で・・・」
「問答無用!」
 キーンが自分の正体に気づいた事を悟ったのだろう。魔王は相手の動きを待つ事なく、先制攻撃に出た。
 振られた剣に込められた気が放たれ、三日月状の気の刃となって間合いの外にいたキーンに襲いかかった。
「はっ!」
 キーンは小さなジャンプでそれをやり過ごし、自分も剣を振る。魔王のように剣先から気が放たれる事はなかったが、その代わりに剣の先端を形成している二段の銛が分離して飛び出し、魔王に迫った。
「ふん!」
 魔王は剣を鮮やかに左右に振って二つの銛を叩き落とすが、その間隙を狙ってキーンが迫っていた。
 剣を返すのは間に合わないと瞬時に判断した魔王は、素手である左拳を突き出した。込められた気がその拳を淡く光らせ、キーンを狙う。
 命中直前、キーンは地を蹴って宙転を行うように舞って拳をかわし、その勢いのまま魔王をも飛び越した。
(後ろ!)
 魔王が殺気を感じた瞬間、彼の頭上を通過中のキーンが、回転の勢いを利用して剣を振った。上手く行けば頭を両断できたのだが、魔王は剣を後頭部にかざしてそれを防ぐ。
 気を込めた剣の一撃は、並の相手であれば、その防御ごと両断できたはずであったが、所有者の剣の強度がその一撃を耐え抜いた。
 必殺の一撃ではあったが、キーンは攻撃の不発に気落ちなどしておらず、そのまま回転の勢いを殺すことなく剣を振りきって着地すると、間髪入れず魔王の背後に斬りかかった。一方の魔王の方は、今の回転斬りの勢いでバランスを崩し、振り返るタイミングが一呼吸遅れていた。
魔王は振り向きつつ殺気の集中している部分に剣を振り、キーンの剣を受け止める。だが、その重みは予想より遙かに軽かった。
「!?」
 魔王がそれに違和感を感じた時、彼の全身に衝撃が走った。キーンが突進の勢いのまま体当たりしたのである。奇策による先手と、囮の剣撃に注意を逸らした上で、全身を使っての体当たりが真の目的だったのだ。
 二者の衝突は瞬間的な物であったが、その瞬間に加わった荷重は見かけを遙かに上回っていた。突進をかけたキーンは、物体の衝突で制動がかかり、魔王は衝突によって弾き飛ばされる形となる。接触、そして二人の身体が離れた刹那の瞬間を狙って、キーンは防御が完全でない魔王の身体を思いっきり蹴り上げた。
 痛烈な蹴り上げに魔王の身体が高く舞い上がり、キーンもその後を追って跳躍する。振りかぶった剣先に先程飛ばした先端部分の銛が極小の糸によって引き戻され元の位置に戻り、再び本来の形状へと変貌した。
 舞う魔王に、追うキーン。そんな中、後少しで剣の間合いにまで入ろうとしていたキーンが唐突に舌打ちをした。
「やばっ!」
 本能が危機を察した。追撃時間が長かったのだ。蹴りを受けた魔王にもダメージはあった。それは一瞬では反撃できないほどであり、その『間』が命取りになると判断した魔王は、蹴り上げられた勢いを利用して、気づかれないように自ら上昇していたのである。これにより連続攻撃を狙っていたキーンのタイミングはずれてしまう事になった。
 キーンがそれに気づいたその瞬間、魔王の身体が急停止し、おもむろにキーンの方を向いた。
「さっきと同じパターンとは進歩がない!」
 無防備なふりをして時間を稼いだ魔王が、容赦なく大型の気孔弾を放った。突進をかけていたキーンには避けきることが出来ないタイミングであった。
「くそっ、同じやられ方をするものか!」
 叫んでキーンは剣を振った。剣に込められていた気が刀身から分離し、気孔弾となってほとばしる。
 剣先から放ったためか、キーンの気孔弾は全体的に鋭角状の槍型になっており、魔王の気孔弾と正面からぶつかった。
 通常、気孔弾同士が衝突した場合、純粋な力比べになるのだが、今回は押し合いをする事はほとんどなく、キーンの気孔弾が魔王の気孔弾の中に沈み込み、あっという間に貫通し、どちらがどちらの気孔弾を破壊する事無く、すれ違ったかの様に進み続けた。
「「!?」」
 一方が鋭角状であったため、抵抗がほとんど生じなかった結果ではあったが、二人には不意な出来事だった。瞬間的な動揺の中、先に事情を悟り、対応したのはキーンの方だった。
 彼は両腕を眼前で交差させて気を集中させると、そのまま迫り来る気孔弾の中にその身を投じた。一度『貫通』されていた魔王の気孔弾は『弾』として形成しているものの、その結合力が弱くなっていたのである。
 それに賭けた(決して知っていたわけではない)キーンは、その身をガードし、魔王への最短コースを取ったのである。
「おおっ!」
 気孔弾を通り抜けたキーンが吠え、剣が煌めき、魔王の手から剣を弾き飛ばす。だが魔王も弾かれたその右拳でキーンの甲を殴り、お返しとばかりに彼の剣を落とさせた。
 主の保護を失った剣はそのまま落下していったが、二人はそれを追うことはなかった。追う余裕も発想も、今の二人にはなかったのだ。
 手持ちの武器を失った二人は同時に拳に気を込め、互いに攻撃を仕掛けた。拳と拳が衝突し、込められていた気が干渉を起こし衝撃波となって二人に襲いかかる。人間を軽く吹っ飛ばせる衝撃波の中で、二人はそれを堪えつつ攻撃し続けた。
 激しい殴り合いは激烈を極め、双方が双方に幾つかの打撃を与える。そんな中、無数に交差する拳をかいくぐり、魔王の左拳がキーンの右肩を捉えた。一瞬大きくバランスを傾けるキーンは、無理に姿勢を戻そうとせず、殴られた勢いのまま身体を時計回りに回転させ、その勢いを利用して魔王に、右の裏拳を当て、更に追い打ちとばかりに左拳を叩き込んだ。
 痛烈な一撃に魔王が吹っ飛ぶ。そこへキーンが更なる追い打ちとばかりに気孔弾を直撃させる。
 それにより魔王の落下速度に加速がつき、地面への直撃は間違い無いと思われたが、地表に激突寸前、魔王が急制動・急加速を行い、一瞬でキーンの眼前にまで戻ってきた。
「!!?」
 非常識な運動の後、再び近距離からの殴り合いが再開された。だが今度は魔王に勢いがついており、キーンは押されて徐々に後退する形となる。やがて彼の背が行き止まりとなる。塔の壁面に接触したのである。
「しまった!」
 魔王との殴り合いに夢中になり、周囲の状況を把握していなかったのである。キーンの後悔の念と同時に一瞬の隙が生まれ、それを見事に突いた魔王が、彼の顔と右肩を押さえ、壁に叩きつけた。
「ぬうぅっ!」
 今尚自分を押さえつける魔王の腕に気が集中するのを文字通り肌で感じた感じたキーンは、咄嗟に首を捻り、自由な左腕で自分の顔を押さえている腕を横殴りした。この一撃で顔を押さえていた腕がずれたが、直後、両手から気孔弾が放たれた。
 二人の間近で爆発が発生したが、魔王は構わず気孔弾を連射した。既に爆煙でキーンの姿は隠れていたが、それでも連射が続けられた。次々に爆発を起こす気孔弾。その大半が塔の壁面による接触によって引き起こされてであろう事は確実であったが、こう言う状況下での零距離攻撃においては、攻撃の精密さより連続性が重要となる。だが実際、零距離からの気孔弾あるいは魔法攻撃など、前例以前に常識的観点の持ち主であれば実施することは無い行為であった。
 他の闘気士や魔法使いが見れば、何十人がかりの攻撃かと疑うだろう規模の攻撃は、並の戦士団が十回は死ねる程続いた後、ようやく終息となった。
 攻撃を受けていた場所は無数の気孔弾が重なって出来た大きな光の玉が溶岩の様にくすぶり、流れ弾をしこたま受けた塔の外壁はずたずたになり、そのポイントから上の部分が倒壊し、今この瞬間、落下しながら崩れていった。
宙に滞空し、崩れる塔を眼下にする魔王の様子は、その肩書きに相応しいと言えた。だがその意識は、今も本能が放つ警告に従い、攻撃ポイントを警戒していた。
「来るな・・・」
 魔王が呟いた直後、周囲の気に乱れが生じた。そして直後、消滅せず残っていた魔王の気孔弾の塊が破裂して、細かな気弾を辺り一面にばらまいた。
「こいつは目眩まし!」
 魔王は冷静に状況を把握し、闇雲にばらまかれた気弾を最低限の動きでかわしながら、その視線は攻撃者の方へ集中していた。そして気弾の飛来方向から、隠れるように迫る黒い影をめざとく見つけ、彼は僅かに笑みをもらした。
 魔王は『影』に迫り、物陰代わりにしていた気弾ごと右拳で粉砕にかかった。もともと威力の激減している気弾は、魔王の一撃の前にシャボン玉のように破裂して霧散し、拳は勢いを衰えさせないまま、目標に命中した。
「!?」
 魔王は戸惑った。命中した相手にあまりに手応えが無さすぎたためである。その理由はすぐに判明した。彼が粉砕したのは雑魚のモンスターの死体だったのである。
「囮?」
 おそらくは倒壊する塔内から見つけて利用したのであろう。相手に逃げる意志がなければ、囮に気を取られた瞬間に乗じて攻勢に入るという考えは定石であったが・・・・
「!」
 魔王は背後に気配を感じ、反射的に攻撃を行った。
 だがそれも囮の木塊であり、肝心のキーンの姿はなかった。
「っち!忍者の技も持っていたか」
 そして再び気配を感じて振り向くが、またも囮の岩塊がこれ見よがしに視界にはいると魔王はそのしつこさに舌打ちした。
「いつまでそうしてるっ!」
 周囲に『囮』が断続的に展開されている以上、キーンの逃亡はあり得なかったが、露骨に隠れている相手に苛立ちを感じ、魔王は唸って八つ当たり気味に岩塊を粉砕し、そして、不覚にもぎょっとなった。砕いた岩塊の向こうからキーンが肉迫していたのである。
「あんたに隙が生まれるその瞬間までだ!」
 度重なる囮で相手の集中力を低下させる事に成功したキーンが、魔王の胸板に痛烈な蹴りを放った。全体重と加速を加えた蹴りは確実に相手を捉え、直撃を受けた魔王の身体は、その加速が乗り移ったかのように弾かれ、今度は減速する間もなく地面に叩きつけられた。
「今までの闘いであれば、これで決着がつくんだけど・・・」
 彼の疑問はやはり当たっていた。傍観者が見れば揃って常識外れと判断される一撃も、同様の頑強さの前に決定打には至らなかった。
「やるなぁ、心の底から楽しい闘いだと思うよ」
 地面から這いだした魔王は、痛む身体が心地よいと言わんばかりに笑んだ。
「異論は無い・・・・・が、泥沼でもあるな。いずれは決着の着く時が来るだろうけど、周囲の被害が馬鹿にならん」
 永遠は無い。そう信じるキーンではあるが、先の見えない物は永遠に似た感覚を得るのも事実である。
「貴様、まだそんな事を考える余裕があるのか?無心で闘えば、そんな事は綺麗さっぱり忘れられる物だ。余力があると言うなら、それを見せてみろ」
「だから周囲の被害が・・・・・」
「そんな事をいつまで言ってられる?」
 魔王が踏み込み、信じられないスピードで間合いに入ると、その勢いを止めぬまま膝を繰り出し、キーンの顎を捉えた。
 まだ向こうも余力を残している。その事実を、傷みと共に実感したキーンは、痛烈な一撃に突き飛ばされながら身を翻し、着地地点にあった岩を蹴って、その反動で魔王のもとへと突進した。
「おおっぅ!」
 気合いと共に、お返しとばかりにキーンの右肘が繰り出されるが、それは魔王の左腕によってガードされた。
 激しい衝撃が双方の腕を震わし、空気を揺るがす。その次の瞬間には、間近に向かい合った二人が互いに拳を繰り出し、そしてそれを捌き始める。
 もはや並の人間では何が起きているかも判らないスピードで攻撃が交錯し、二人の汗と血がお構いなしに周囲に散った。
「はぁっ!」
 下段に繰り出された蹴りを、敵眼前での宙転と言う行為でかわしたキーンがその勢いのまま、踵を魔王の肩口に叩き込む。
「っ!」
 踵落としの勢いに堪えきれなかった魔王が膝を着き、そこを追い打ちとばかりにキーンが拳を振り下ろす。
「いけっ!」
「まだ甘い!」
 魔王は身を捻って拳をかわし、カウンターとばかりにキーンを蹴り上げ、間髪入れずに立ち上がり、頭上で組んだ両腕をまだ宙に浮いていたキーンの腹に叩き込んだ。
「かはっ」
 キーンが小さく呻き、一時的に呼吸を詰まらせた。
 魔王は一瞬気を失いかけたキーンの両脚を掴むと、容赦なく振り回し、遠心力が十分についたところでその手を離した。
「うあああああああっ!」
 彼の身体は勢いよく飛ばされ、城の外壁に衝突した。だが、それだけでは加わった勢いを相殺できず、その身体は城の奥深くまで進み、玉座の間にまで辿り着いた。
 城内の侍女・衛兵達は突如侵入してきた物体に驚き、それがキーンである事を知ると更に驚き、人間であれば即死であるダメージにも関わらず生きている事実にパニックを起こした。
「!?まずいところに・・・・」
 周囲の状況を即座に察知したキーンが、早々にその場から離れるより早く、魔王の追い打ちである大型気孔弾が飛来した。
「やばいっ!」
 避けるチャンスはあったが、かわせばこの場の女達は確実に消し飛ぶ事が目に見えていた。キーンは自ら逃亡の選択を削除し、迫る大型気孔弾に気孔弾の連射を行った。
 一発一発の威力は歴然たるものであったが、それを数で補う形でその威力を弱める事に成功したキーンは、正確に自分に迫る光弾を引きつけ、タイミングを見計らって殴り上げ、真上に向けて弾き飛ばした。
「キーン様!前!!」
 危機の回避に安堵する間もなく、聞き慣れた声が彼の耳を打った。そんな数少ない味方の忠告が届く頃には、指摘された危機は彼の目前に迫っていた。
「そんな奴等を守って何になる!」
 放った気孔弾の影に隠れるようにして迫っていた魔王が、捌いたばかりで態勢のままならないキーンの間合いに入り、拾い上げていた愛剣カイゼル・ブレードを振るった。
 彼に横一文字に繰り出された剣を回避する暇はなかった。
「くぅっ!」
 キーンは咄嗟に右腕を引き、腕の鎧部分を可能な限り寄せ集め、魔王の一撃をその『面』で受け止めた。だが、手加減など微塵もない魔王の一撃に、刃の1/3程が装甲を裂いて腕に沈み込んでいた。
 悪魔の具現化した鎧を斬った魔王の斬撃と、必殺であっただろう一撃を受けたキーンとその鎧、どちらを賞賛しても良い状況ではあったが、全体の評価としては、着実にダメージを与えている魔王に分があったと言える。
「お前は今、傭兵として俺と闘っているようだが、そんな『義理』程度じゃ、俺を倒せはしない。ゼニスやゼル、そしてカールを倒した時の様な力を発揮しない限りはな・・・・」
 食い込んだ剣を引き抜いて魔王は言った。
「何が言いたい?」
「判らないか?」
 さも意外そうな表情となって、魔王は言葉を続けた。
「『使命』などではなく、純然たる『怒り』と『殺意』だ!それを俺にぶつけて見ろ!守る物の無いお前が力を発揮するにはそれしかない」
「怒り?」
「俺は、殺意すら持ち得ていない相手に殺されるほど甘くは無いと言っているんだ。お前は確かに多くの闘いを経て強くはなっている。だが、傭兵として有りすぎるんだ。闘いや殺しを仕事として割り切りすぎているが故に、己を強くする感情をも抑制してしまっている」
「感情?」
「分かっているはずだ。人を強力に突き動かす相対する二つの感情の一つ、『憎悪』そして『怒り』だ!」
 ビシリと剣の先端を突きつけて、魔王は言いきった。
「お前に出来ないはずはない。少なくとも、ゼニス達を葬った時、そう、少なくともあの時は、お前も憎悪に満ちあふれていたはずだ」
 その指摘には十分に身に覚えがあるキーンだった。
「だが、あんたは俺の憎悪の根元じゃない」
「憎悪は一つではないさ、今持っている不満を俺に解き放ってみろ、お前の価値をまっとうに評価しないこの国の連中に対する不満を俺にぶつけてみろ」
「そ、そうは言ってもな、その『不満』をぶつけるべき相手はあんたじゃない」
「お前はそうかもしれん。だが俺は、お前が、この国の連中の手助けをしているその事実だけでも十分に憎悪が湧くんだぞ!」
「何!?」
「お前は仕事で引き受けたかもしれんが、こんな自分勝手な連中の何処に守る価値がある?」
 魔王の剣が振り下ろされた。
 キーンは咄嗟に両腰の大型ナイフをクロスさせてそれを受け止める。
「こんな人でなしの!」
「血も涙もない連中の!」
「何処に守るべき価値が見いだせる!!」
 魔王から言葉が放たれる度に、剣に力が加わり、キーンを押し切ろうとする。それは、自分の内にある鬱憤をそのまま彼に叩き込もうとしているようでもあった。
「分かるかぁっ!!!!!!!」
 妙に感情的となり肉迫していた魔王を、キーンは思わず蹴り上げた。
「確かに、この国の差別意識は尋常じゃない。だが、全員がそうでない事は知っている。価値を見出せなかったあんたの思いは理解できかねる!」
 少なくても、キーンにはルシアという理解者がいた。
「中途半端な理解は全員を不幸にするぞ」
「なぜあんたに言い切れる!」
「判るからだ!」
「判る?知っているの間違いだろ!一体何があったって言うんだ!!話せ!!」
「言っただろう!それを知りたければ闘えと!この国が、守るに値しないと言う事を知るだけだがな」
「このっ俺にっ!国をを守るなんてたいそうな事が出来るかっ!俺は『国』なんて物は守らない。そこにいる『人』を守るんだ」
 キーンが全身から気を放ち、それが僅かに魔王の動きを制した。今の彼等の闘いでは、そんな一瞬の間が攻撃の決め手となる。
 キーンは気を込めた拳を魔王の腹に叩き込むと同時に、込めていた気を気孔弾として放った。
 気弾に打ち上げられる魔王を追って跳躍したキーンは、追い打ちとばかりに新たな気孔弾を槍状にして放った。貫通力を重視したそれは、命中すれば確実なダメージを与えられるはずだった。
「まだだ!まだだぁっ!!」
 魔王が吼え、自身を押し上げている気弾に拳を叩きつけた。無論、単なる拳撃ではなく、尋常ならざる気が込めらており、力負けした気孔弾はキーンの元に戻る形で弾かれて行った。
「!」
 だがそれだけではなかった。
魔王はインパクトの瞬間に気孔弾を放っており、キーンのそれに上乗せする形で返していたのだ。
 基本的に気孔弾を弾き返すためには同等以上の気が必要である。単純に考えても二倍の威力となって戻ってきた気孔弾は、キーンの放った槍状の気孔弾をも呑み込み彼に迫った。
 キーンは咄嗟に2本の大型ナイフに気を込めて、それを受けた。回避は可能であったが、彼の背には守るべき者がいたため、またもその行動が制限されたのである。
「ぬあああぁぁぁっ!」
 キーンは全身全霊をもって、気孔弾に臨んだ。ナイフに込められた気と気孔弾の気が干渉して生じる凄まじい衝撃に、彼は懸命に堪えた。
 全身の骨が軋む感覚を堪えていたキーンの眼前で、抑えていた気孔弾が左右に裂け、その中から鈍い光を放つ剣の切っ先が姿を見せた。
「!」
 キーンは思わず飛び退いた。魔王が剣に気を込め、気孔弾もろともに斬りかかったのである。
 間一髪避けたつもりであった。だが、剣に生じた剣圧がキーンを捕らえ、鎧と肉体の一部を斬りつけていた。
 斬られた痛みを味わっている時間はなかった。切断され迷走した気孔弾の片方が、城の方向へと落下して行くのを見て、キーンはその後を追った。
 傍観者としての立場しかない王女達は、迫り来る気孔弾に成すすべなく立ちつくしていた。大半は身が竦んで動けず、残りの者は抵抗すら無意味だと悟っての事だった。
 ルシアも同様であった。『魂の絆』により、闘気士としての能力を得た彼女は、迫り来るそれが、自分の手に負えない物だと言う事を的確に見抜いていた。
「人間の・・・・人間のどうこう出来る物じゃない・・・」
 絶対的な力量差による絶望感は、彼女の恐怖感を麻痺させ、死が確実な物として訪れることを納得させてしまっていた。
 光の死神が彼女達に覆い被さる直前、文字通り飛来したキーンがナイフを振るって気孔弾を受け止め、弾き、着弾方向を大きく反らせた。
 が、同時に彼の2本のナイフも、過度の負荷に耐えかね、粉々に四散していた。
「ちっ!」
 最も使い慣れていた武器を失い、思わずキーンは舌打ちした。だが、感傷に浸る間は一瞬も無かった。頭上から魔王が降下しながら剣を振り下ろしてきたのである。
 キーンは横っ飛びしてそれを避けると、目標を失った魔王の剣は、変わりに石床を餌食として粉砕した。
「キーン様!」
 いかに彼といえど分が悪い。忍者としての冷静な目がそう判断した時、ルシアは思わず叫んでいた。
「!?」
 その声に魔王が反応して顔を上げ、ルシアと魔王の視線が合う。
 だがそれも一瞬の出来事であった。ルシアの身を案じたキーンの気孔弾が魔王をかすめ、その注意を自分の方へと戻したのである。
 再び魔王が斬りかかり、キーンはそれをかわし続ける。先程まではなんとか互角に見えた闘いも、いまやキーン劣勢は素人目にも明らかとなっていた。主要武器である剣が紛失し、多用していた大型ナイフも失った今、素手と剣では攻撃半径の差は覆いがたく、彼に加えられる傷は徐々に増えていった。
 もう、何回目になるかも分からない魔王の剣を、キーンは紙一重で避けた・・・・つもりだった。しかし、魔王はその一撃を振り下ろす際、刀身に気を込め、気の刃で先端のリーチを伸ばしていた。
 気の刃は反応の遅れたキーンを捉え、彼の胸板に一筋の傷を深々と刻み込んだ。
 通常であれば致命傷であっただろう傷は、魔鎧の装甲と治癒力によって軽減はされたが、その運動能力を著しく低下させるに至った。 
「どうした?そこで終わりか?お前も俺を止めきれないか?」
 たまらず膝を着いたキーンに、剣を突きだした魔王が詰め寄った。
「キーン様っ!!」
 その時、女性特有の高い声と共に、気孔弾が飛来した。
「!?」
 狙いは魔王。彼は反射的に気孔弾を弾いたものの、反応できたのはそこまでであった。
 弾いた際の感覚で、その気孔弾が大した威力ではない事を感じ取り、自分に害を成す程の相手では無いことを悟った事と、何より、『気孔弾を放つ』=『闘気士』が他に存在していると言う事実に驚いたためであった。
 相手はやはりこの国の女性であった。慣れていないのか、今の一撃でかなり精神力を使ったのだろう、肩で息をして左腕を突き出していた。
「ルシア!」
 魔王もであったが、何よりキーンがその事態に驚いた。誰よりも冷静に相手の能力差を見極められるはずの、忍者の彼女が、事もあろうに慣れない闘気士の力を使って闘いに割り込んだのである。
「馬鹿!何やってる、下がってろ!」
「キーン様!これを・・・・」
 キーンの焦りを意に介さず・・・と言うより、差し置き、彼女は右手に持っていたモノを投げ渡した。それは一本の線が音符のように曲線を描いて出来たようなデザインをした、細身の剣であった。
 それを受け取ったキーンは、何よりその剣の軽さに驚愕した。
「軽い・・・殆ど重さを感じない?」
「忍者部隊秘伝の剣、『風の忍刀』です。古代技術製なので、キーン様の力にも・・・・」
 ルシアの言葉はそこまでしか届かなかった。新たな剣を得たキーンに、魔王が斬りかかり、それをキーンが手にしたばかりの剣で受け止めたためである。
「いけるっ!」
 魔王の剣を受けたキーンの感想だった。
 風の忍刀は、その細身と軽さにも関わらず、魔王の剣の一撃に耐え切り、尚かつキーンの気孔付与にも耐えて、彼の手に馴染んだ。
 キーンの剣は魔王の剣を押し返すと、返す刃でその首を狙った。軽さ故か、その切り返しの早さは今までの比ではなかった。
 魔王は咄嗟に手首を回して剣を傾け、的確に首を狙うキーンの刃を受け止めた。
「いくぞっ!」
 間髪入れず、キーンの連撃が繰り出された。今までの動きに慣れてしまっていた魔王は、その攻撃に即応する事が出来ないでいた。
 幾筋かの軌道が魔王の防御をかいくぐり、その身体に傷をつけていく。
 攻防の主導権が逆転した。ほんの一瞬の事かもしれないが、今現在は確かに自分が押している。そう確信したキーンは、勢いに乗って勝負を決めようと、無数の連撃の間隙を突いて、必殺の突きを繰り出した。
 手応えがあった。剣を持つ手に、強固な肉を突いた感触が伝わり、床に鮮血が滴った。だが、相対する二人のどちらも、満足した表情を浮かべていなかった。
「さすがだ。大したモノだよ」
 不適な笑みを浮かべて魔王は言った。喉元を狙って繰り出されたキーンの剣は、彼が掲げた左腕を貫いた所で筋肉の抵抗を受け、本来の目標に届く前に停止していたのである。
 魔王は痛みなど意に介さぬ様子で剣の突き刺さった左腕を捻った。
「!」
 キーンは反射的に剣から手を離した。無造作ではあったが、左腕には莫大な気が集中しており、そのまま剣を離さず堪えよう物なら、気と物理的な荷重に耐えかね、風の忍刀が折れる可能性があったのである。
 それを理屈ではなく本能で察したキーンは、剣を放棄することによって剣を守ったのである。
 そして彼は、剣を離した事によって行き場所を失い腕に残留した気を、気孔弾として魔王に放った。
 もともと剣が触れ合う距離にいた二人である。直撃は必死であり、その一撃は殆ど間をおかずに魔王の胸元に着弾して炸裂した。
「ぐぅっ!」
 たまらず呻き声を上げて吹っ飛ぶ魔王。それを追ってキーンも駆け出し、魔王が壁面に激突した瞬間、彼の左腕に突き刺さったままの剣を引き、その勢いで斬りかかる。
魔王は自らの剣で受けに入ったが、勢いで力負けし、両刃の剣の片側を身体に食い込ませる結果となった。
 キーンはそこで満足せず、剣を振り抜き、魔王も自分の剣の刃が食い込む痛みも忘れて受け止め続ける。
 助走分の優位があったキーンが剣を振りきり、魔王の身体を剣で掬い上げるようにして放り上げた。
 続けざまに投擲用のナイフを数本同時に放ち、自らも跳躍して魔王を追うキーン。
「くはははははっ!いいぞっ!!」
 魔王は笑った。久しく忘れていた傷による痛みと言う物が全身を駆けめぐり、飢えていた彼の心を満たし始めたのを実感していた。
 魔王は思いっきり身体を捻りつつ剣を振り、その剣圧で先行するナイフを全て叩き落とすと、返す剣の勢いで自分の剣をキーンに向けて投げつけた。
「!」
 もの凄い勢いで迫る剣を、キーンは辛うじて弾くものの、その強烈な衝撃によって攻撃の姿勢を崩す。その隙を狙って魔王が肉薄し、両手を大きく振りかぶった。
 武器は無かったはずと言うキーンの考えは、一瞬で訂正される。振り上げられた魔王の両手には、気で構成された光り輝く刃が握られていたのである。
「受けてみろっ!」
 二本の気孔剣が同時に振り下ろされ、キーンの胸にXの軌跡を描く。胸を覆っていた一番厚みのある鎧の装甲が、不可に耐えかね崩壊し、その下の肉体をも傷つけた。
「・・・・・・・っ!!!!」
 キーンは声にならない呻き声を上げ、その一撃に吹っ飛ばされる。そのまま地表に激突すれば魔王の勝利は確実に思えたが、彼はこの上、更に追い打ちの一撃を加えるべく、落下中の彼を追った。
 キーンは傷の痛みを懸命に堪えた。まともに受ければ即死だと見抜いていた彼は、攻撃を受ける直前、全力を防御へと転じていた。その上、回避行動も諦め、あえて装甲の厚い胸の部分で攻撃を受け、肉体へのダメージを最小限に持ち込んだのである。
 確かに彼の目論見は成功し、受けたダメージは可能な限り相殺できた。それでも抑えきれなかった力が、鎧を砕き、彼の肉体にもダメージを与えたのである。
「生きていれば何とかなるっ!」
 落下中、キーンは全力で自身の回復に勤めた。セイファートの回復力もそれに加わり、地表に激突寸前、彼の身を貫く痛みだけは解消された。
「よし!」
 キーンは身を翻して着地に成功した。痛みがあっては耐えきれなかっただろう衝撃を堪え、まだ胸から吹き出している血を無視して、頭上を見上げた。そこには、先程同様、気孔剣を振り上げて迫る魔王の姿があった。
「今一度受けて見ろ!!」
 魔王の剣が煌めき、キーンの剣が気を伴って光の軌跡を描いた。
 双方の攻撃は、風の忍刀を得たキーンがそのスピードで勝った。
 キーンの一撃は、魔王の左の気孔剣を弾き、その勢いで右の気孔剣をも弾いた。一瞬、いや半舜、魔王の姿勢に隙が生じ、そこへキーンの左拳が繰り出された。
 魔王はそれを咄嗟にジャンプしてかわしたが、それを追い打ちするかの様に気孔弾が放たれる。
 だが、先程のタイミングとは異なり、今の一撃には素人でも分かる程のタイムラグが生じていた。連続攻撃としてのタイミングを逸したのである。
「どうした、気力も落ちたか!」
 魔王は上昇を続ける事で難なく気孔弾をかわしたが、その気孔弾は大きく孤を描いて旋回し、意志があるかのように再び魔王目指して迫った。
 そして同時に地を蹴ったキーンも剣を掲げて魔王に迫った。
「同時攻撃か」
 魔王は気孔弾とキーンの両方の動きに注意した。同一人物の同時攻撃である以上、どちらかが本命であり、それを見極めるべく彼は神経を集中させた。
「そっちかっ!」
 迷うことなく迫るキーンを見て魔王は言った。同時に迫る気孔弾など眼中にも無いかのような、覚悟を決めた突進。それは、気孔弾の誤爆があり得ないと分かっていなければ出来ない行為でもある。
 魔王は躊躇わず二本の気孔剣を交差させて、キーンの必殺の一撃を受け止めた。
「そんな手が今更・・・・」
 その直後だった。キーンの放った気孔弾が 二人 を直撃したのは。
「なっ!なっ!?」
 彼の放った誘導気孔弾は、術者もろとも魔王を直撃し吹っ飛ばしたのである。誘導型と言う事は、キーンは自らの意志で気孔弾を自身に当てた事になるのだ。
 まるで予期していなかった事態に、魔王は困惑してしまい、僅かではあったが露骨な隙を生じさせてしまった。
 しかし、自爆を意図的に行ったキーンに、これによる当惑は一切存在しない。
「疾風一陣!!!」
 高速で繰り出される一刀が、爆煙と空気を切り裂きいて魔王を捕らえた。
その瞬間、二人の間で時が止まった。何の前ぶれもなしに、空間が通常状態に戻り、彼等の周囲に『常識』が戻った。
 所有者の意志が途切れ、ブラッド・ストーンがその発動を停止したのである。
 二人は生じていた勢いのまま地表に落下していった。

 


つづく



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