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 第6章 沖縄県南大東島 太平洋上の離島(2001年 1月)
     04.那覇01 沖縄に到着、壺屋へ行く

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☆これまでの旅☆
大阪南港をフェリーで出港、揺られ揺られて太平洋。途中で鹿児島県のロケッ
ト発射場を目撃し、のんびりのんびり東シナ海。のんびりのんびり飛び石寄港。
夜中に何度か起こされつつも、2回目の睡眠だ。
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●そして沖縄に到着

 7時25分日の出。出発してから曇りばかりだったが、やっと晴れの日だ。も
う朝日に光る沖縄島が見えている。
 8時、外は20℃。あたたかい。南の島に来たことを実感する。入港は30分後
と言うアナウンスがあった。予告通り接岸。
 天気は快い晴れ。途中、奄美大島で時間をロスしたものの、停泊時間を減ら
してほぼ予定通り無事に那覇に到着。
 港に立ってまずすることは宿探しだ。前もってガイドブックでめぼしをつけ
ていたので、フェリー乗り場の待ち合い室から電話をかけて、決まったところ
に向かう、つもりだった。

●宿が決まる

 タラップの下で降りてくる個人旅行者にチラシを渡しているおじさんがいた。
もらったチラシは民宿のものだった。後ろにワンボックスカーがある。それで
送迎してくれるのだろう。
 アジアを旅してきたぼくにとって、向こうから近づいくてる客引きは避ける
クセがついていたが、ちょっとまて。ここは日本。しかも沖縄。
 よく見ると、おじさんの民宿はガイドにも載っていたのでチェックしていた
ところだ。
 結局、おじさんはぼくと大学生の2人をつかまえて、ワンボックスは民宿へ
向かう。民宿はすぐ近く。ごく当たり前の2階建ての家だ。
 少しクセがあるちょっとあやしいオヤジさんだが、民宿の居間には壁一面に
ハガキと写真が貼られている。部屋もきれいで、長期滞在の人もいる。実は、
普通の安民宿だった。1泊2,000円、沖縄でも安い部類だ。
 まだ朝だ。宿でじっとしているのもおもしろくない。一息ついた10時頃、宿
を出る。風が冷たいが、陽にあたると暖かい。南国だ。
 いとも簡単に宿が見つかった。幸先いい。そのときはそう思っていた。

●壷屋大通り

 沖縄到着初日は、やはり沖縄一の繁華街、国際通りの様子を見に行こう。民
宿から歩いて行ける。おやじさんの話では15分くらいらしい。
 ちょうど途中に沖縄を代表する焼き物の壷屋焼きの発祥の地、壷屋を通る。
ぜひよっていこう。
 民宿の近くにあるひめゆり通り、そこから国際通りに向かってある約350メー
トルが壷屋大通りだ。その通りに沿って焼き物屋が何軒かある。そしてその先
は商店街の平和通となり、国際通りにつながっている。
 壷屋焼の発祥地である壷屋大通りは三百年余りの歴史を持つ。今でも陶芸工
房やギャラリー、焼き物の直売店がところどころにある。
 また、壷屋焼きを中心として沖縄の焼き物の歴史を展示する壷屋焼物博物館
がある。今のところ店は冷やかし半分、博物館がメインだ。
 1682(尚貞王14)年、流球王府が技術向上と陶器産業振興のために、3箇所
の陶窯の陶工たちを集められたのが、壷屋のはじまりという。
 戦災が比較的少なかったことが幸いし、戦後、各地に散っていた陶工たちが
再びここに戻って焼き物を始めたが、周辺の住宅密集化が進み、ほかの地域へ
窯場を移す陶工が増えているという。

●壷屋焼物博物館

 壺屋焼博物館は、壷屋焼を中心として沖縄の陶器全般の歴史を概観できる博
物館だ。
 間口はあまり広くなく、狭い通りにあってもあまり違和感がない。展示室も
きれいで、気持ちのいい博物館だ。
 沖縄では焼物は「やちむん」と呼ばれ、その歴史は14〜15世紀ごろに始まる。
沖縄の焼き物は2つに大別できるという。「荒焼(あらやち)」と「上焼(じ
ょーやち)」。焼き物ひとつとっても、沖縄は本土とは違った歴史を歩んだこ
とがわかる。
 1617年(尚寧王代)、首里王府が薩摩に要請し、朝鮮から三人の陶工を招き
入れると、焼物の生産はより盛んになった。
 彼らが伝えたのは釉薬を使う上焼で、それは南方伝来の荒焼に代わって沖縄
の焼物の主流を占めるようになった。
 1682年、尚貞王は各地に散在していた窯を那覇の壷屋に集め、王室御用達と
した。こうして誕生したのが壷屋焼で、流球処分後は民窯となった。

○壷屋焼物博物館
壷屋焼物博物館

●荒焼と上焼

 独自に発展した沖縄の焼物も、壷屋よりも内地産の陶磁器の方が安くて丈夫
なので、1879(明治12)年ごろから市場を奪われ、今では沖縄の焼き物は日用
品ではなく、お土産の民芸品のようになってしまった。
 もっとも、これは沖縄だけのことではなく、日本中の焼物の産地は、量産品
に押されていると聞く。場合によっては、「○○焼」というブランドをつけた
量産品もあるとも聞いたことがある。真実かどうかはわからないが。
 ここは焼物だけの博物館ではなく、沖縄の文化も紹介している。そのひとつ
に民家の展示がある。土間と板の間のある民家。雰囲気は中国ではなく日本の
本土のようだ。だが、どことなく東南アジアの雰囲気がある。日本と東南アジ
アとそして中国の文化が混ざり合ったものだろうか。
 それからスクリーンに10分のスライド上映。スライドと同時におばあさんの
琉球語の話が流れる。意味がわかる部分は少ないが、外国語というよりも日本
語の方言だ。何を言っているのか意味がわからないのに日本語として感じる。

●拝所

 この博物館の展示は屋内だけではない。壷屋にあった拝所がちょうど博物館
の横、敷地内にある。
 設置されている解説板によると、名前は「にしぬめー」。「にし」=北、
「ぬ」=の、「メー」=宮、という意味だ。つまり、「北の宮」。ということ
は、ここの南に関連ある御嶽があるのだろうか。祭神は土帝君(とーてぃーく
ん)。壷屋の土地神だ。
 ここにはニシヌ窯と呼ばれる登り窯があったが、1918(大正7)年に窯を崩
して大和風のお宮をつくり、そこに土地の守り神である土帝君と、焼物の神様
がまつられ、北の宮と名付けられた。とある。御嶽としての歴史は、意外と浅
いようだ。
 横には古い窯跡が発掘された状態である。にしぬめーは、この古い窯を祠る
ための御嶽だったのかもしれない。
 御嶽自体は、沖縄風の屋根がついた祠に祭られている。八重山では、祠とい
うとコンクリートで囲っているか、そのままのことが多いのだが、本島ではこ
の様に日本の祠と同じように小さな家の形になっていることが多い。

○北の宮
北の宮

●つづく●
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