中興期後俳人短冊より
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鏡山うらの花野や見て行む 風律
ほめる手をよこして見たき青田哉 諸九
木からしや日もてり雪も吹ちらし 樗良
見に出るも夕くれなれは遅さくら 五竹坊
風律 通称木地屋保兵衛、名敏行、多賀庵と号す、野坡門、安芸広島人。天明
元年没、享年八十四。
諸九尼 有井氏、名ふみ、湖白庵二世と号す、浮風の妻、野坡門、筑前人、夫の
没後、諸国を行脚し、後ち故郷に帰住す。天明元年没、享年六十八。
樗良 三浦氏、名冬卿、通称勘兵衛、後剃髪して玄仲と号し、無為庵と号す、
志州鳥羽人、伊勢山田に住し、榎の落葉の句によって榎本庵の号あり、
画を蕪村に学ぶ。中興正風の先駆たり。安永九年没。享年五十二。
五竹坊 田中氏、初め市郎八、後ち薙髪して東伯と称す、五竹庵、五築坊、帰
仙童、琴左の号あり、廬元坊門、美濃芝原人、医を業とす。安永九年
没、享年八十一。