中興期後俳人短冊より
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(前書略)
袖寒き露をしくれのはじめかな 滄洲
明ておく戸やつはくらのかよふほと 大魯
すゝしさや恥しいほと行もとり 千代
来々 河合氏、五湖庵、湖貫と号す、初め牛湖、後ち普求門、京都人。安永九
年没。享年五十四。
巴釣 益戸氏、名秀典、字君徽、称勘四郎、沙?閑人、滄洲、巴丁、把釣、仙
鼠と号す、秋田藩士、秋田騒動に功あり、詩書画三絶と称せらる。安永
六年没、享年五十二。
大魯 吉別氏、蘆陰舎と号す、蕪村門、阿波人、大阪住。安永七年没。
千代尼 福田氏、夫を弥八と云い、表具師福増屋六兵衛の女なり、幼名はつ、剃
髪して素園と号す、希因、蘆元坊、支考、乙由に従い、呉俊明に画を学
ぶ、加賀松任人、安永四年没、享年七十四(或云七十五)。