月斗の花の句
松 本 島 春
月斗俳句を考えて見るとき、外的なファクターとして、その作品の多くが、句会吟である事、題詠である事をキーワードとしたい。
そこで、桜が開きそして散るまでの期間を選び、昭和八年のそれと、その五年後の昭和十三年の、二回の春を抽き出して、お目にかける。
その理由は、全生涯に亘る句を掲げるまでもなく、これらの句が、姿と味の点で、月斗俳句の一つの典型としてもよいと思うからである。
見れば、句となるまで、景情は、作者の胸中に寝かせられている。それによって、句の姿が熟らされ、句の味が醸し出されるのであろう。
句会の題詠では、句作りの過程で、逍遥する胸中における山水花鳥が、俳句の形を取って表れるのである。かの文人画の如しである。
それぞれの句は、健全であり、明朗であり、直裁である。漢字、漢語、漢詩の味わいを持つ。豊潤な筆致で短冊に認めるによい句である。
花
月斗
昭和八年
* 三月念六。堺句會
花を待つ心に雨を聽く夜哉
膏雨いたるひたすら花の待たれけり
花を待ちて花に遲るる習ひ哉
鯛食うて心に花のまたれけり
日影も雨も春十分や花を待つ
* 三月廿七日。梅枝句會
花時を妬みて風の吹きにけり
酒食らう貧しき人や花の時
花時や花の屑とも人の出る
花時や空も大地も唸りゐる
花時の風たち易きキ哉
花時や一日かかる宮角力
花時や夜も白々と花明り
花時や浮れ烏に薄月夜
花時や人の心も薄月夜
花時の曇客憂新なり
* 三月念九。綿業會にて九龍吟社會
花曇湖南の遊を終日す
江樓に一醉呼びつ花曇
大江の流れ悠々花曇
自動車に袴食はれつ花曇
* 四月朔。櫻の宮小集
花を待つ用意なりけり旅硯
花發くこの雨待つや久しかり
初花の便りを山の主かな
初花や海風受くる山南
花盛朝寢宵寢のその中に
花時や一日過ぐせば花の減る
花時や喧譁し歩く
宿の花一夜の雨に名殘なく
纖手よく蜂拂ふ花見扇哉
花見扇殿上人の掌中に
風呂敷をかつぐ内儀や花の雨
花の冷女に酒をすすめけり
酒運ぶ女が云ひぬ花の冷
篝火のあふりに散るや夜の花
夜の花しきりに酒のさめる哉
冷の茶漬に發つや花の宿
さみせんを鳴らす男や花の宿
おろおろと花ちる暖き夕哉
あじきなき寒さに花のちりにけり
* 四月二日夜、銀古會
管弦の船中流に花の雨
花の雨旅人ぬるる本願寺
嵐山頂に雲花の雨
人を待つかり寢の枕花の雨
花の雨岸につなげる屋形船
銅蓮を溢るる水や花の雨
* 四月四日。時雨會。花の山。
花の山夕陽遲々といたる哉
樽の酒こぼし行く也花の山
足すべりて手をとられけり花の山
寺山より尾根つづきなり花の山
猿へる茶店の人や花の山
*七日。壺中會。庭櫻、朝櫻、夜櫻。
庭櫻十人ばかり句に招ず
庭櫻雨一入の眺め哉
恣に鳥翔るなり朝櫻
遠山の櫻に朝の光り哉
咲き滿ちて散りを見せけり庭櫻
おそらくは今日を盛りの朝櫻
朝櫻山の泊りの温泉の窓に
夜櫻の篝に風や筵卷く
* 八日。凌霜會。花
遲れゐし花一時に發きけり
花時や夜に日についで遊ぶ事
向ひ隣りの留守ョまれつ花盛
花雨に發き人酒に醉へりけり
人酒にあるより花のちりにけり
愁人やちりつぐ花に消魂す
泥濘を來て汚しけり花衣
題提硯筥 吟魂を飛ばする花の筵哉
*河内觀心寺雨中吟行。四月九日。
山は煙雨に濛々たりや花の雨
濡れ縁の痩に立ちけり花の雨
耳近に囀過ぎつ花の雨
參々伍々雨中の人や花の寺
傘さして境内歩りく花の寺
一時も止まざる雨や花の寺
冷々と降りもやまずよ花一日
(後村上帝、檜尾陵)御陵へCらの道や花の雨
終日の雨冷々と花の寺
* 四月十日。京句會。花の雨
泣くやうな空降り出でつ花の雨
をちこちの盛りを今日の花の雨
花の雨酒旗ぬれてはためきぬ
醉ひし女を扶けて行くや花の雨
大坂や櫻の宮の花の雨
* 四月旬一。咫尺會。花
江の花や夕日の波の照り返し
白々と綴る磯山櫻かな
歌ふ暇もあらず叫びぬ花の瀑
散りにつく花に夜惜む獨り哉
人は花に追はれつ心あはただし
山も水も更けて來りぬ夜の花
一時の盛りの花に歡呼哉
鉦の獅フ寄進につきぬ花の寺
* 四月十四日。惜春會。花の雨。この夜王樹を迎ふ
遠來の友と置酒しつ花の雨
よべぬくく今朝の寒さの花の雨
花の雨朝寢の風呂に殘る酒
花の雨傳ふる花の遲速哉
花の雨旅中家信を受取りぬ
旅二日降りつづけたり花の雨
*四月十五。上町句會。
雨氣とれし夜空を花の寒さ哉
障子しめよ酒中なれども花の冷
花の冷重たき寺の障子哉
花の冷嵐峽水のさ哉
彳めば月光花をちらすなり
*四月十六日。野茨會。
遠望す二つの塔と花の雲
晩鐘の消え行く方や花の雲
降りそそぐ寺中の池や花の瀑
林泉や一時風の花の瀑
古城趾や海へ流るる花の瀑
(昭和八年)