最終更改 2020.3.17
月斗(ゲット)。木新護。俳人。大坂船場の人。明治十二年十一月二十日生。木藥房主人たり。のち家業を廢して句に專念す。明治三十年頃より句作を始め、月兔と號し子規門。明治四十年月斗と改號す。「車百合」「カラタチ」を主幹し、大正九年四月より「同人」を主宰す。昭和二十四年三月十七日大和大宇陀の假寓にて沒。享年七十一。墓は、蕪村の墓に邊し、京キ金n宸ノあり。
還暦の月斗
半世紀に及ぶ膨大な句業のほとんどは纏められることなく、まして内容的に見るべき月斗句の論究は少ない。俳壇史的に語られることもその句業に比して僅かである。直接に謦咳に接した者たちも既に世を去り、先生の人間性の発露である言行を伝えるべくも無い。ここに微力ながらその全貌の中のほんの一片の輝きを、「我に著書なし」とされる先生が残された文字の中から拾い集めるべく努力している。五十年百年後にあって、昭和前期の有力俳人としての青木月斗研究を志す者のため、いささかの参考となれば幸甚である。(松本島春)
俳人 青木月斗の生涯を略述。還暦写真1葉。 |
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同人派の俳句に對する理念を述べたもの。 |
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月斗筆跡集 |
春星舍蔵の短冊、書幅、書信、句箋など。 松本正氣宛句葉書より。2012.5.15 |
月斗葉書(戦中・戦後) |
松本正氣宛句葉書より。 |
月斗短尺集 未 |
春星舎蔵短冊帖より |
語録集 |
「同人」「春星」の短文や句評より、人柄が偲ばれる片言隻語を拾う。 |
青木月斗の句より |
月斗の句業は、主宰誌「同人」に尽くされている。その一端として、下記の句を採録した。 |
花の句。昭和8年の句会吟。 |
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同、昭和13年。 |
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昭和9年3月の句。2019.10.08 昭和15年5月の句。 昭和19年正月の句。2005.9.21 |
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平福光明寺の鐘供養百八句原稿より。昭22。 |
「銀」の字を詠む。『時雨』(昭23)に所載。 |
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昭和24年元旦。お題「朝の雪」 |
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写真 |
写真と関連の文など。 月斗写真に追補 2017.2.15 |
印譜 印譜帖 |
大正時代のものと思われる。2007.10.24 印譜追補 2017.2.15 |
句碑 |
三原、本郷、直方、枚方2017.2.15 青木旦による訪問記。 |
年代別落款 |
「月斗」署名の推移。 |
原稿 |
『春星』執筆の月斗原稿より。2007.12.23 |
短文 「幼な顔」 |
『春星』に亀田小蛄の書いた文章の中より、古い時代のものを引用した。 明治大正期における月斗資料のほとんどは、小蛄によって収集されたものである。『同人』や『春星』『うぐいす』に発表されたその多くが、誌上に留まっているのは惜しまれる。2009.2.15 俳句的に、真価ともいうべき大正末期より昭和初期までは、大阪で発行された『同人』誌バックナンバーに拠られたい。 『春星』小蛄「月斗の『幼な顔』」より |
明治・大正 月斗一千句
今井柏浦編『明治一萬句』『新撰一萬句』より抄出。 |
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同『最新二萬句』『最近新二萬句集』『大正一萬句』より抄出。 |
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同『大正新一萬句』『大正新俳句』『新俳句選集』『昭和一萬句』より抄出。2005.7.18 完 |
(月斗の昭和句について)
月斗俳句の真価を示す昭和期の厖大な句業については、その一端を上掲しているが、主宰俳誌『同人』バックナンバーに拠るほかはない。現況では、句集『月斗翁句抄』、結社 句集『時雨』を参照のこと。
松本
皎 編
蓑笠亭・愚庵・古道人研究家の松本 皎氏が、その資料
1.『俳星』明治版(第一巻〜第一〇巻)
2.『懸葵』に登場した月兎・月斗句 2009.2.01
月斗の画論
『俳画講座』(小川芋銭・森田恒友監修 全六巻 俳画講座刊行会 昭和3年1月から9月刊行)第一巻に収録。
山口誓子・直原玉青共著『俳画入門』(保育社カラーブックス)に、「青木月斗の俳画漫談」として引用しているその原文を示す。
『俳画講座』第二巻に収録せるものより抄出した。
月斗の俳画
春星舍蔵より 未
月斗の俳話
叢書などに執筆したものより島春が抄録した。