花
月斗
昭和十三年「三月四月句鈔」より
* 三月廿七日。松坂屋句會
鷗白く野にとび來り花曇
花曇乳餘す子の乳くさき
花曇郊外の人蟻の如し
花曇茶苦く煙草からき哉
松に登って鳴ける小猫や花曇
* 四月三日。同人本會
一醉の假り寢に如かず花曇
花曇讀書を眠くしたりけり
花曇顏の重たき酒疲れ
花曇盆栽棚の乾きかな
町中の古き宮居や花曇
水邊の家の風味や花曇
花曇山の筧の水うまし
* 四月四日。電氣クラブ會
裾は浪の寄する磯山櫻哉
山櫻雉子窒ホたいてちらしけり
籠り堂に詠歌の聲や山櫻
小舟漕いで仰ぐ磯山櫻哉
灣を抱く磯山ざくら哉
山櫻人見ぬうちに散りにけり
K門の吉野はよしや山櫻
* 四月初七。建築句會
夜櫻や魂拔けし酒の醉
夜櫻や群集の中の喧譁沙汰
夜櫻や篝煙らす磧風
* 四月九日。西句會
遊士は凡櫻人になん
花見舟に花見車に櫻人
三十六歌仙中の花人誰々ぞ
櫻人をとこをみなの見惚れつる
藤十カ舞臺の上のさくらびと
* 四月十日。朝。
濠の隅に片寄る鴨や花の冷
花の冷湖水巡りの船の風呂
花の冷篝は風に片燃す
湯が沸いて起されにけり花の冷
花の冷朝寢の顏を洗ふさへ
花の冷銅器竝べし飾り棚
朝月に濡れもやすらし花の鈴
花の鈴鳴らせば花のちりにけり
脇息に凭て眺めぬ花の鈴
*四月中一。京句會。
拜殿や風と遊べる花の塵
小旋風が卷き上げにけり花の塵
花の屑ちびり箒にかかりけり
淋しさや全く消えし花の塵
花の屑さへ目に止まらずなりにけり
草の中に消えてしまひぬ花の塵
人の屑花の屑程も惜まれず
花の屑尚惜まれぬ句の屑は
*四月中二 。萩の寺北郊句會。
川波にもまれて白き落花かな
今年花早し人の世慌し
花早し人にも見せず散ることか
怱々に花咲き花のちる世かな
花待ちし人に背きて花ちりぬ
心なの花咲き散って寒きかな
花ちって寒さ返して來りけり
一夜風雨滿開の花卷き去んぬ
花咲くを待ち構へゐし風雨哉
*四月旬三。
頑な寒さに花や咲きこじけ
友邦の使節に櫻咲きにけり
雨の雫を落して花の明るけれ
花過ぎの日向を蠅のとびにけり
花の宿筍藪のよきを持つ
扇もて面掩ふや花の瀑
花の句案心旺して狂ほしき
何をして今年も花に背きしや
花時の風雨に心慌し
花の人出をためらひ居れば花過ぎぬ
* 四月十六日。西本願寺參詣。白鬼和尚東道。
桃山の豪華しぬびつ花の晝
知恩院殘りの花の夕かな
知恩院の大鐘仰ぐ花夕
知恩院の鐘叩く花見扇かな
白張の提燈に花のちる夕
水のしたたる螢の窟花夕
* 四月十七日。花
うち仰ぐ峰の櫻や小鹽山
筍藪の道を上りに花の寺
花の寺に筍をよばれけり
微醺一睡中に春雷一撃あり
一睡を起されにけり花に雷
花に似げなき雷一撃や花の寺
人のはやして
雷を誘ふ鼾や花の寺
田庭、鱶洲等の一群も吟行せるなり
知り人に名を呼ばれけり花の寺
寺より帖を出さるるままに
名に戀ひしことの久しや花の寺
花の寺西行櫻ちりにけり
藁屋根に遲き櫻や花の寺
年越の豆出されけり花に雷
昨は本願寺にて、數千疊の疊替といへば備後の「疊講」より
障子張替といへば何れの國の「障子講」より獻納との話を聞き
しなり、この花の寺には、山寺らしく、伏見の「燈明講」が
昔ぶりにも煙草盆を寄付せるは、ふさはしき事なりと微笑
まれつ
花の寺燈明講のたばこ盆
歸途雨に降られ、やうやくにして、京に出で四條油小路の
鳥蹄Cに小燕を催しぬ、床には梅嶺の仁和寺山門の懸れるも
花の想ひぞ深し
御室の花に行くべかりしを花の冷
* 四月廿一日。吉野山
夕に、吉野にのぼり櫻花壇に入る、王樹、洛中共に吉野は
初見參なり
殘る花夕に白し吉野山
吉野山蛙が鳴いて夜の靜
花の宿蛾が來る障子しめにけり
如意輪寺の火影を夢と花の闇
夜散歩
藏王堂を闇に仰ぎつ花の夜
夜來風雨強し
一夜風雨花に心の安からね
主人、長樂老、毫を求むるに
朝烏鳴いて渡るや餘花の雨
遠山に雲煙かけつ花眼前
襟を正して後醍醐天皇の塔尾御陵參拜、四邊肅々、如意林寺
に小楠公を弔し、吉水院に、後醍醐帝の玉座の閧拜しまつ
る、朝來參拜者殆どなく心行くままに暮春の哀調に心を惱しぬ、
終に雨本降となり、上奧の千本その他を割愛下山す
葉櫻や伊勢を戻りの吉野山
*四月廿八日。建築句會。
花過を人の心のゆるび哉
花過の日向が誘ふ眠りかな
花過のキ大路は朝寢哉
花過の大和の國は霞かな
(昭和十三年春)