昭和九年三月句鈔
青木月斗
*三月朔、小庵小集
濃き霞燻ずる如き日の出哉
朝霞巷の往来しげきかな
寝違に廻らぬ首や朝霞
溶けて行くやうな暖さを霞みけり
書楼遠く霞める山に対す也
夕霞戻れば爐煙尚白き
夕霞雨の近さの暖き哉
*三月初四、同人本会
山荘や竹樹の中の桃の花
桃林や斜陽輝く丘の上
白桃と緋桃と園の日午也
桃林や海よりの日の照りつづく
桃畠南瓜の種蒔きにけり
*三月初五、
花時や浦の泊の鯛鰈
花時の狂ひ寒さや夜の宴
花時や寝不足にゐる旅の空
花時や酒のいたみの友を叱す
花時や遊び疲れし肩の凝
*三月六日
風大きく花巻きしより春の雷
どうと雨を落して来たり春の雷
春の雷月下に雲を翳しけり
春の雷住の江の濱白波す
鯛を焼く厨暗らしや春の雷
初雷や本陣へ著く女駕
肴屋が走る春雷雨落とす
*三月七日
護花鈴の紐金殿の欄に
護花鈴や太閤立て廣縁に
花の鈴連歌を致す耳にあり
几に凭て爵を手にすや花の鈴
管弦のいとまを鳴るや花の鈴
鈴ひけば花飛び露のちりにけり
*三月九日
雛屏風俳句を細く散らし書
あら惜しや女雛の髪の蟲ばめる
雛棚や昔人形の盆の窪
藤衣山吹衣雛人形
燈更けぬ雛は眼つぶります
菜種うまし歟鼠が通ふ雛の段
*三月十日、京
花に酌む雨中初雷面白し
春の雷一時都暗うしぬ
春の雷鰉諸子を沈まする
春の雷鞍馬の山の花や散る
初雷や花見つぶせし寒き雨
京都句会席上、夜臼追悼の句を作る
京の春にも永久に背きしいとほしき
生きてあらば京の花にも酌まんもの
京の句会の後の春酒の一酔も
*三月十一日
夜臼追悼会を萩の寺に開く、月村肝煎す、野五句をものす
野を遠く人見えずなりし霞哉
そぞろ行くに草匂ふ野の春邊哉
若草の野を行く人の聲遠し
春色の野望に人の歸り来ず
野の春をさまよふ魂か呼び返せ
*三月中四
鯛羣るる海に立ちけり春の虹
春の虹薄れて細し伊豆の海
春の虹うつるや桶の蟹の泡
山門に顧みつれば春の虹
野の末に小さき寺と春の虹
花待って煎る酒屋の酒の樽
(櫻の宮)花を待つ茶店出来たる隄哉
(同)花待や小屋掛出來し曲馬團
花待ちし我花我を待たぬかな*三月旬五
春陰や女は髪を梳づる
春陰や琴ならすさへ睡氣さす
春陰や何を泣きぬる鄰の妻
*三月旬七
彩館を下りて青きを踏みにけり
踏青に錦繡の履映える哉
鼓を鼓て江を上る舟や青き踏む
踏青や風柔はらかく日暖くし
踏青に美服つけたる蓮歩哉
皓歯見せて胡葱膾たぶ人よ
*三月中八
林中に彩館見ゆる霞哉
草霞む野に見る士女が美服哉
大阪城と天王寺の塔の霞かな
鼓雛の鼻胡粉をぽとと落したる
雛市や雛屋立圃が結界に
學校や雛飾りし作法室
雛祭窗より覗く三日の月
*三月念、竹
竹山に寒き朝の霞かな
長雨の霽れんとすなり竹の蝶
焚きそゆる目刺の串や風呂の下
竹履はいて落花の庭に下り立ちぬ
白居易の春吟刻す竹の杖
春の夜や笛の竹紙を貼りかふる
うたたねの主に蝶や竹裏館
竹林に茶を煮る賓主遅日哉
白魚の塵をつまむや竹の箸
北窗を開く竹林日斜
後庭の竹樹に風や遅日亭
竹径を赤く染めたり落椿
*三月念四
山火事を消す春雷の大降に
鯛が寄る灘ひびかせつ春の雷
槖駝師の庭のぞかるる木の芽哉
木の芽風机のよれば片眠
しつとりと煙雨にぬれつ木の芽山
*三月念五
山重畳春雲小鳥降らしけり
春の雲遊山日和となりにけり
春の雲眺めて居れば目くるめく
春の雲鯛寄る海に流れけり
春の雲椎の大樹の梢かな
春雲を染めて落日寒き也
*三月念八
かけてある蓑に乾くや春の泥
春泥を女の靴に歩道行く
(「同人」誌より)