煙草ののみ方

                                      木月兔

 

鬼史はメシヨンのOAのパイプを燻べる事に苦心してゐた時分から、サビタパイプの時も相變らず色をつける事に苦心した男だ。そののみ方は極々無意識にのみつづける、パイプは長いが流行らぬ樣になってからはヂカに口にして得意がってをった時の鬼史の手は眞赤になってゐた。今は廢してゐる。

 

々は昔、木村から出してゐたホークの愛煙家ぢゃった。運座の席なぞで徐ろに一本を拔き出して竹のパイプに插して丁寧に靜かに火を近づける火の面の平らかな所をムラなく火をつける、二分程吸うてホークの箱の稍〃上へたへて句作に餘念がない、タバコは獨りたって一二分灰になる頃手に取って吸ふ又休める、非常に旨さうだ、又銀煙管にはキズがついてない。

 

 

碧梧桐の煙草ののみ方の特長はその灰のはじき方で人差指と高々指にタバコをはさんで親指で高々指の方から煙草のパイプをバチッとはじくのだ、圭岳や井蛙らは未だに眞似をやって自分の癖にしてゐる。

 

圭岳と言へばこの男ヒドイ勢いで無暗に吸ふのでタバコの紙がしなべてしまう。

 

紅高ヘ「大和」を日に六ツ七ツ燻らすといってゐる、成程さうらしい。見てゐるとセッセッと息を咽喉の奧へ入れてのみつづけてゐる。湯に入る時でも一つは口に一つは耳にして行くから呆れる。

 

 

醉來は中々ゼイタクな喫煙家で敢てマニラの上等葉卷を燻らすと言ふのではないが、何しろ一本卷煙草を四分五分迄吸ふて殘りはツクツク火鉢へ插し込んで仕舞ふから火鉢の中は冬木立になってしまう。

 

牛伴(爲山)は必ずアメリカタバコを燻らしてゐた。「菊世界」や「天狗煙草」は手にしない、「オールド」「ピンヘット」をのんでゐた。少しのんで火鉢へつっ込んで第二の煙草を箱から出してのんでゐる。又六七分で第三の箱の新しいのをのむ、所がふと氣がついた樣に前ののみさしをスパスパやってゐる、或日梅雨過ぎのタバコを買ってシユミの入ったのを平氣でやってゐる。「まづいだろう」と人がいうと、所が妙だ舶來のタバコの味がしてゐると。

 

 

素石は金と四分一の張りつけの煙草管四分一全體のキセル、銀と四分一のキセルといろいろひねつたキセルを持ってゐる、そのキセルに悉く蕪村か几菫の句が刻ってある、裏ガワにも句が刻ってある、どこまでも素石ばりだ。

 

虚子はカルク煙草をつまんで、カルク燻らして、中々よく燻らす、快活なくゆらし方だ。

 

 

墨水は禁煙だと言ふて袂からシルバーカッチョウスを出してカリカリやってゐるかと思へばこの次に會ふと「敷島」をつづけさまにふかし立ててゐる。この次ぎ會ふと葉卷をふかしてゐる。「この煙草は上等だのんで見給へ」。

 

北渚も亂煙家と言ふべしぢゃ。生來眼が惡い爲でもあるが火をつける事が亂暴で斜めにつけたり中の方だけつけたり、膝の上へ火の粉を落したりして平氣だ。又或時落さぬ火を落したと見違って大騷ぎをやる、又北渚程自分のタバコの煙で煙たがる人も稀だ。

 

 

巨口は烏人時代に新聞紙で莨入を折って羞かしそうにこそこそのんでゐた。

 

露石はタバコは喫まぬが商賣が莨入問屋だけにいろいろヒネッタ莨入を澤山持ってゐる、之は露石の好事家たる所以のものだ。

 

 

月兔はオールドと菊世界を兩の袂へ二個づつ入れてゐて、オールドをのんではその次菊世界をのんでゐた。

 

虚明、月村はのまぬ。

 

(『春星』昭和33年新年号、亀田小蛄「煙草ののみ方月兎稿」より抜書)

 

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