入門俳話

                

     

入学試験に学生が悩まされるが、俳句にも入学試験がある。それは答案紙を出すのでもない、口頭で答へるのでもない。どんな試験かと云ふと、俳句を感じるか、感じないかと云ふ事である。勿論、初めから真の味を味はふ事は出来ないが、「俳句を見て、ただ何となしに趣を解する事」。これが試験の中心である。即ち「俳句に関心を持つ事」。これある人は入学試験にパスする人である。

次ぎには、他動的に人から進められても、自動的に自分から発してもよいが、作る事である。課題で作って先輩に見せるべく作る、句会などへ出て作るのである。この関門、この機会がちょいと大層である。羞恥心に妨げられたり、自負心に妨げられたり、謙遜に過ぎたりして、この機会を逸する事が甚だ多い。この人に見せるべく作句の機縁が熟したならば、その人は入学試験に通ったのである。

 普通の入学試験は一度通ったら、卒業を見る事であるが、俳句は入学試験に通っても卒業がない。一作毎に及第し、落第し、優等を見る事もあって、進んでは行く。それは一度斯道に遊んだ上は、努力して、自発して行かねばならぬ。進んでは行く。然し卒業はない。丁度人生のそれと同じく、修養によって人生は向上するが、人生に卒業はない。俳句もそれの如きである。

 さて、俳句の門に入って初めの内は、面白い程作れる。滾々として泉のやうに作れる。自分の句が印刷に付せられると、何とも云へぬ愉悦を感じる。一年、二年する内には、自分は古今の大家にも比肩するやうに思へて来る。その内三四年経過すると、先と反対にいくら作っても、同じ事をくり返すに過ぎぬ。更に進まぬと気が付いてくると、益々渋滞し、悲観してくる。この時代に倦怠を生じてきて、疎遠状態になる。そのまま句から離れる人が多い。

 そこを精進して突破して行くと、道は坦々として通じて来る。こんな事を再三くり返してゐる内に、十年は経つ。十年も句に携はってゐると、天才と凡才とに関はらず、東西が見えて来る。自分といふものが出て来る。先づ十年である。未来の十年は遠いが、過去の十年は一瞬である。

 芸術鑑賞の中でも俳句は、自個が作者でなくては全く他人の作を評判する事は出来ない。選者は作者でなくては出来ない。よき作品は一般には解らない。一般凡百に通じるやうな句は、よき作品ではない。古今のよき作品は、古今のよき作家にのみ真の味解を得て来てゐるのである。

 

俳句の入門は如斯にする。

俳句を読めばよい。

仮に、蕪村全集を読めばよい。解っても、解らなくても読めばよい。読書百遍意自ら通ずと古人はよく云ったものだ。読んでをれば解って来る。読めない文字でも読めて来る。意も通じて来る。味もついて来る。理屈や穿鑿は要らぬ。

俳句を作ればよい。

作れても、作れなくとも、作ればよい。誰かに見て貰へばよい。良禽は樹を選ぶと云ふから、よき先生に見て貰ふ事が何よりよいが、さうも皆が行くまいから、拙い先生でもよい、仕方がないから、見て貰ふ事だ。それが捷径である。

 畫家蕪村には師といふものがない。俳人蕪村は巴人に就いたが、これも少時間だった。

 子規居士には俳句の師はなかった。

 まだまだ世界人類の恩人、大発明家のエヂソンは、三日しか、学校へ行かなかった。

 世間の事、すべて然りであるが、藝術の事、俳句の事は、自力悟入の外はない。

 博識な人と、然らざる人がある。何でも知ってゐる人はよいに決ってゐるが、句がうまいと云ふ訳には行かぬ。ものを知らぬといふ事と句の拙いと云ふ事は別である。学問のある人は、学問のない人より遥かに結構であるが、学問のある人が句がうまいとは云へぬ。学問の少ない人でも句のうまい人がある。感情の豊かなる人がよい。ものの喜びをよりよく感じ、ものの哀れをよりよく感ずる人がよい。と云って、小感情に左右される如きとは違ふのである。

 俳句会に出ると、三十分か一時間のうちに、五句なり十句なりの句が作れる。これは初学の人でも、古い人でも同じである。勝手のわるい題でも、好きな題でも作れる。不思議なもので人が寄りあってゐる刺激で作れるものである。

それを互選する、そして披講する。それを聞いてゐると、拙い人は拙い句を選し、うまい人はうまい句を採ってゐる。先輩なり偉い人の選を注意してゐると自然に発明する処がある。尚後に句評とか質問とかを聴いてゐれば、次第に俳句がわかって来る。よき指導者のある句会、よき先輩のゐる句会には奮発して出ればよい。議論のために議論をするのは面白くない。小感性にかられて理屈を云ひ張るやうな事は謹まねばならぬが、判らぬ処は、どしどし判った人に尋ねると、自発する事が早い。

 

 夜の芝に一つ落ちゐる蛍かな      太郎

 馬の顔の横通りけり春の泥

 笹鳴や両手沈めし洗面器

 蟻の国を曇らして立つほほ笑まし

 噴水の脚見えぬまで暮れにけり

 燈火を大きな寒さ包みけり

燭の火の闇と戦ふ寒さかな

 蝶の舌捲きたるままに凍てにけり

長谷川太郎君の作句態度は、真摯な、純情で、俳句らしい俳句を作り上げよう、こねあげようと云ったものは一句もない。この態度でなくてはならない。学生である太郎君は、句になりにくい勉強とか卒業とか、マスクとかの句が多いが、いずれも首肯出来るものになしている。太郎君は、十五位の少年から、今年廿二まで、同じ調子で作っている。太郎君は学校の本以外に、どんな本を読んでいるか知らぬが、まず取り立てて、句に表れたものは見当たらぬ。見聞は年も若い学生であるから広くもないが句はいくらでも出来る。植物、それも庭上や活花のものぐらいで、山野渓谷の物はない。それでも俳句はいくらでも出来る。人事の交渉なども学友以外には持たぬがそれでも句は出来る。俳句は、じっと見、じっと聞き、じっと考えれば、何物にでも感情が出てくる。出てくれば俳句になるのである。

写生の客観結構。感じた主観結構。そんなことにこだわらないで作ればよいのである。

太郎君の句を熟読すると、太郎君が出ている。句中に太郎君が出ているものは、吾輩は自画像だといったが、誠にそうである。俳句は人のために作るのではない。自分のために作るのだから、自分のものを作らねばならぬ。しかし、人に解らぬような、自己だけが陶酔しているものはよくない。それは芸術品ではない。人に解るものでなくてはならぬ。解った上に、人に感じさせねばならぬ。自己と第三者と共鳴し交響したものでなくてはならぬ。も一度言うと人に解り、人が感じ入るもので、そしてそれは自分の十分出たもので他の追従を許さぬ権威のあるものでなくてはならぬ。

太郎君の句はよく解り、よく感じる。そして太郎君の句は、いつも太郎君自身を出してゐる。

こうなると、太郎君が人間として向上してくると、よりよき太郎君になる。良き太郎君になるほど、太郎君の句が光ってくることになる。太郎君は良き天稟を持っているのだが、不断の努力で、その天稟が発揮されるのである。

誰もが太郎君のような天稟を持って、太郎君のような句が作れるとは言わぬが、各人各個の天稟を持っているのであるから、勉めて止まねば必ず天稟の発露はある。 

 

 句会で、採点をするが、点の多きを競ふのは人情の然らしめる処だが、少し馴れた人は、解し易い、流暢な、大衆向きの句を心がけて点を多くとる。こんな風は面白くない。いくらしても、表面的な上手で終ってしまふ。やはり真面目な純真な態度で終始せねばならぬ。

人の少ない句会は、十分話も聞けるが、遊び半分に終らぬやうに心掛けねばならぬ。人の多い句会は、句も多く作れず、指導者や先輩の話も十分聞けぬが、又刺激と印象を享ける事が多い。どちらにしても、よき会へ出る事である。よき会へ出て、緊張してゐれば得る事が多い。

 大きな病院で、院長はじめ医員薬局員が句会をやってゐる処へ、招かれた。句会の名を訊くと、「面白会」と云ってゐたので、第一に眉を顰めた。おもしろをかしく遊ぶ会といふのは余り低級な名である。と云った。幹事が命名をしてくれと云ふので、面白をひっくり返して「白面会」と撰名した。俳句道に精進して大いに向上進歩して行くべき白面会である。と。

 友人、同窓、同僚から進められて句作に入ったと云ふのが一等多い。次ぎは祖父母、父母等が俳句又は和歌をやってゐた感化と云ふのが多い。次は小学校時代に読本や先生から聞いたのが動機といふのも多い。自発的に雑誌、新聞から興味を覚えたのも多い。中には、病気から、病床の読書中からといふのも可なりある。

要するに、他動的、自動的、伝統的であっても、我ものになれば同様である。

同季の季重なりと又夏と秋、秋と冬などの季重なりも、自然にさへ順応してをればよい。事実でさへあればよいのである。然し季の問題のみならず、事実が確かなものであるには論はないが、普遍性の乏しい事実、たまたま出会った珍奇な事実、平凡極る事実、そんな事実は何の役にも立たぬ事である。

   

句の調子は、その人々に依て違ふが、五七五のものが大道である。字余りのものは上六、上七、上八などになっても中七下五で整って行くが、中八、中九、又下六など、よき調子になりにくい。

 多作の猛練習はよいが乱作の放縦に流れてはならぬ。

 作句は大胆にあって、細心を失うてはならぬ。

 信仰を持つ先輩を得れば幸福だし、今人になければ古人に求めればよい。

 句から心を放たねば、必ず悟入の域に達する。

(改造社『俳句講座』昭七より、島春抄録)

 

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