子規の俳論俳話
『春星』連載中の中川みえ氏の稿
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子規の俳論俳話(四九)
中川みえ
◇ 随問随答 Ⅰ
明治三十二年四月－三十三年三月
「ホトトギス」
明治三十二年四月から一年間に渡って、子規は「ホトトギス」に「随問随答」を連載した。松山時代の「ほとゝぎす」で試みた「或問」を題を改めて再興したようなもので、読者からの質問に明快で啓蒙的な解答を示した。
質問は、字句の読み方や意味を問うもの、句を挙げて何故に選に漏れたかを質すもの、子規の俳論の挙足を取る者、単に「新俳句」の発行所及び代価郵税の問い合せ等種々雑多に及んだが、子規は丁寧に対応した。
この中から筆者の興味を引いたもの数項を取り上げる。
まず旧派にちなむ質問について見てゆくことにする。
初回の第四問に、
(略)琴柱に膠する陋見を去り明治の俳壇に一革命を
喚起せんとする貴派同人にして、
屠蘇臭くして酒に若かざる憤り
七草は薺はこべに何々ぞ
白き蝶黄なる蝶とばかりなり
涼しさうな処をよつて行き給へ
などの俳句有之、如何に首を傾け想像を逞しくして吟
腸の影を迫ひ意匠の跡を求むるも其趣味を解すること
能はず、ある宗匠に問ひしにこれは俳句にあらずして
之れをしも俳句と云はゞ活字的配置は悉く俳句と謂は
ざるぺからず、との事に有之候。右は一句の表面に現
はれたるだけの意義にして復他に意義なる者無之候や
もし然りとせば何虞に詩美を感得したかを疑はざるを
得ず候。云々。
という質問がある。これに対して子規は、先ず「新派の句の可否を月並の宗匠に問ふとは気の知れぬ事なり。」と断じ、「我々が宗匠に誉めらるゝ句を作るやうなら初めより新派とか何とか騒ぐに及ばぬ訳なり。」と自分達の立脚点を鮮明にした。その上で何処に詩美を感じるかはその句その句に表現されている中で理解すべきで、そんなにむずかしく考えるには及ばない。新派の句を宗匠に問うような料簡では、この句に限らずどの句を見ても理解できないであろう。万一わかったという句があるならば、その分かったというところは宗匠が褒めたところで、
それはかえつて新派の欠点とするところに相違ない。
「何處に詩美を感じたか」と問われても教えようもないが、「焼芋を喰ふたうれしさも俳句になる。」言い方次第で人に感動をれ与えるということを知るべきである。先ず郊外へ出て、れんげやタンポゝの花を見るが良い、それでも分らなければ、木々の芽吹く林の景色をつくづくと見てみたまえ、もしその時、仰向いた顔へ鳶が糞を落したら、「俳句はこゝなりと知り給へ」と、子規は写生を通して俳句の本質を会得するよう些か皮肉を交えて答えている。
同じ初回の第十三問、
寂栞細みなどいふ俳諧上の通語を御説明下され度候。
には、
世々の宗匠が思ひ思ひに解して居るやうに思はれて
何だか分らず。縦し分ったとてそんな事はどうでも善
きにあらずや、我々仲間では通語でも何でも無い。
と答えた。
「芭蕉雑談」の芭蕉批判は意図的なもので、旧派俳壇が芭蕉を神に祭り上げて無批判に讃美するあり方を否定したのであって、芭蕉俳句に対しる子規の敬慕の深さは、「俳句分類」 の仕事の過程に於て、「春の日」「あら野」に至って佳境に入り、「猿蓑」に及んで楽しくてたまらなかったと述べてゐる事からも推測できる。
質問の「寂栞細み」についても当然自分なりに理解していたはずであるが、ここではあえて「何だか分からず」「そんな事はどうでも善きにあらずや」と述べているのが筆者には非常に興味深い。
同第十六問の
新派の句と月並の句との差別を明にせられたし。
には、
新派の句と月並の句とを比較すれば自ら区別は明な
り。其上にて若し不審あらば実例を挙げて質問す可し
と実にそっけない返答をし、第七回の第八問でも、
所謂舊派宗匠の作にて「黄昏や又一人行く雲の人」
「草の戸や日のさしかゝる雛の顔」等はいやみなき自
然を詠じたる句と思へど如何に候や。
という問いに、
宗匠派の句としてはいやみ少き方なり。併しこんな
句を佳句と思ふてはあてが違ふなり。宗匠等の句に一
句でも善き句ありと思ふは畢竟趣味の発達せざる証拠
なればよくよく研究あるべし。「さしかゝる」など最
拙き言葉なり。
と手きびしく批判した。これらの批判には、
余の所謂明治の俳句は彼俗宗匠輩、月並者流の製作
を含まず。蓋し彼らの製作の拙なるを以ての故に之を
斥くるのみにあちず、彼らは不當の點を附して糊口の
助となすの目的を以て之を作り、景物懸賞品を得るた
めの器用として之を用ふる者、其目的已に文学以外に
在り、文学以外に在る者固より俳句と称すべくもあら
ざればなり。
と「新俳句」の序文に記した旧派宗匠の在り方への不満が色濃く反映されていると思われる。
子規の俳論俳話(五〇)
〇隨問隨答Ⅱ
「隨問隨答」(二)の第二問に、
(略)運座の方法、採點法並に、課題、兼題、せり
吟、探題等に就いて御教示相願ひ度候。
という質問がある。今回はこれを取り上げる。
子規は先ず運座と採点法について説明した。
運座とは、例えば十人が集ったと仮定すると、状袋十枚を用意し、これに一つずつ題を書いて、その袋一枚ずつを各人に配る。受け取った者は、そこに示された題について一句を作り、無記名で状袋に投じる。句を入れた印に自分の名を小さく状袋に記し、右隣の人に回す。左隣から回って来た状袋に同様の作業をして、右へ回す。これをくり返して十名の者が各十句を作り終えた所で、中の句を引き出して清書する。清書が終わった時点で、
座中の一人が句を読み上げて、清書に誤膠があればここで訂正する。
ここから選句に入る。清書した紙を各々に一枚ずつ配布し、この中から各人が自分の句以外の佳句を書き抜きそれを更に精選して十句を選び、紙に認めて提出する。座中の一人が之を読み上げ、選ばれた句の作者が名乗る。採点者が点を記す。各人の得点を報告して、一回の運座は終了する。
選句に於て、特に天.地.人の三座を定めた場合は、得点表に天，地，人と記すが、点数としては一点であることに変りない。但し同点者がある場合は、天.地.人に選ばれた者を優先とする。
この運座の起源については、内藤鳴雪が「追懐雜記」に次のように記している。
〇吾々運座の口切りは翌廿六年一月の事で、其頃居士
は伊藤松宇氏と懇意になり、その誘引で石山桂山氏の
宅へ行き、片山桃雨、森猿男、石井得中諸氏と共に運
座をして、其夜は夜通し遣ったとの事、それから直き
僕の所へ来て、昨夜は斯くくで運座は極めて面白い
ものだとの話(略)
〇今日に行って居る運座で、銘々の句を箋に認め状袋
へ入れて廻し合ふ方法は、此頃藪鶯氏が牛込の宗匠岡
本半翠氏の運座へ出席して見て來たのが起因で、右の
法は半翠氏門の発明ださうで、それ故袋組と自ら称し
て居た。
と、また採点法についても、
〇扨又運座の採点法は通例席上で一人の點者を定め、
其批評から生ずる點数を以て勝敗を決するのであるが、
それを衆評に付することに改めたのは松宇氏等の椎の
友であるとの事。
と記している。衆評即ち互選制の導入こそが椎の友の最大の功績であつたと言つても過言ではあるまい。
明治二十九年一月子規庵で午後から三回の句会が袋回で行われた。第一回は参加者六名で題は十二題、銘々の前に状袋が二つあり(略)題が記されて居りそれが順に廻送されて、各人が題の数だけの句を作るという方法でやった。
(高浜虚子「子規について」)
二回目は八名で十六題、三回目は五題で行ったという。
次に「一題十句」「せり吟」について、子規は、
一題十句は題を一つ出して其題にて十句作るなり。
之を小紙片に書き浄書し選抜し點を記す方法は運座の
時と同じ。(略)此一題十句を作る時は多く三十分乃
至一時間を限るを常とす。(略)
せり吟は句數を限らず、時間のみを限る。(略)題
は一つ出し置くとも數多出し置くとも宜しきに従ぶベ
し。
と記す。一題十句の起源については、「松蘿玉液」(明治二十九年)の八月二十四日の記述に。
〇一題十句といふことをものし初めたるは今年夏の
初なりけん。
とあり、その元をたどると、同五月二十五日、
〇牡丹は艷麗第一の花なり艷麗はなかなかに俗な
りとて排斥せの昔の俳人はひたすら芭蕉の糟粕を嘗め
て牡丹などは句にも作らざりけん。(略)ひとり蕪村
は牡丹の句に二十首に及びてしかも首々その精神を得た
り。(略)われ蕪村の句を見てそぞろ咏嘆の余り(略)
筆取りて一いきに十句ばかり書い付けける。
と記したあたりに起因すると考えられる。
探題は小紙片に一々異なる題を記して其紙をひねり、
各々其ひねりを取りて其中に記しある題を詠む
もので、この場合は句を見せ合うのみで勝負を決することは行わない。
兼題、宿題とは即座に題を出して作るにあらず、兼
ねてより題を出し置きて作る。
方法で、この場合は会合で運座のように採点するか、稿本にして回覧して点を付けるか、或はただ句を見せあうにとどめるか、いずれでも良いとした。
課題とは即席にても宿題にても題を定めてそれを作
らしむ事
で、選句は、袋回し、一題十句、せり吟、その他いずれの場合も総句数の十分の一とするのが妥当であるとした。
「右何れの場合にても互に句に就きて可否を評論するは極めて有益なり。」「自己が作りて自己一人で褒めて居てはいつまでも進歩せざるべし。」と句作のみならず互に句評によつて切磋琢磨することの重要性を訴えた。
子規の俳論俳話(五一)
◇隨問隨答Ⅲ
「隨問隨答」(一)の第十五問に、印象明瞭と余情について、
本誌第二巻第一号に四方太君の雑話と題せる文中
「印象が明瞭でなければ餘情が無い、風韻が無い、実に
餘情は明瞭の度に正比例して居る」云々と書いてある。
然るに一二年前日本新聞紙上にて何かの俳論の中にこ
れと正反対のやうな説のあった事を記憶せり。其概要
説に印象明瞭にして余請のある句は作し得ずと。(略)
明瞭なる印象はなくとも餘情あれば句となり、又餘情
なくとも明瞭なる印象さへあれば完全の句となるやう、
即ち印象明瞭と餘情を両立せざるかに論ぜられたり。
予は深く四方太君の説を信ずるものなれども尚大に疑
を生ずる事あり。詳細なる解答を望む。
という質問が寄せられている。
質問者の言う一二年前日本新聞紙上にて何かの俳論」とは、「明治二十九年の俳句界」を指すもので、この論に於て子規は、碧梧桐の句の印象明瞭について詳しく解説し、「印象明瞭を主とするがために餘情無くなるは事実なり。」と述べると共に、「印象明瞭といふ事は美の一分子なれども、一句の美を判定するは印象の明不明のみを以てすべからざること勿論なり。」とも述べた。
印象明瞭と余韻については、「餘韻のー點を以て俳句を是非するは、印象の一點を以て俳句を是非すると同じく僻論たるを免れず。(略)両者共に美の要素にして其優劣は判し難きも、一を取り他を捨てんことは恐らく感情の発達せざる人の所為ならんか」と言い、余韻のある句は、全部を言葉にしないで読者の連想に委ねる部分があるが、印象明瞭な句は、すべて言葉で表現し尽しているので、読者はそのままを読みとればいゝと説明する。
茫然とした山野を一望のうちに広く全体を見渡そうとすると、印象は不明瞭になるが、一尺四方の箱庭は明瞭なる光景を脳裡にきざみつける。同じ字数(十七字)を用いて広々とした景色全体を見渡す句と、箱庭のような小景を詠んだ句では、印象の明瞭(小景)と不明瞭(大観)が生じるのは当然のことである。それ故、印象の明瞭と余韻は両立しない-印象明瞭と両立しない者を余韻と言う—ということになる。
子規はこのように説明して、「餘韻多き句も佳なり。印象明瞭なる句も佳なり。吾人は両者の優劣を判せずして、孰れにもせよ出来得るだけに含み得、現したる者を何とせん。」という趣旨のことを「明治二十九年の俳句界」に述べたのであるが、質問者には十分理解されていなかつたのであろう。
質問には、先ず、このような議論の多くが定義の異同によって生じる衝突であることを指摘し、質問者が考えている余情の定義或は実例が具体的に示されていればそれを中心に論ずるのであるが、その記述がないので、子規の余韻についての考え方を試みに提示するとした。
世間一般の人が余韻、余情があるという句は、例えば
夏草やつはものどもの夢の跡 芭蕉
のような句で、自分もこれ等の句によって余韻の定義を帰納的に定めたのであるが、その結果、余韻と印象明瞭とは反対に走る傾向を認めたので、「明治二十九年の俳句界」にそのように述べた。
漢学家の用語法を見ても、彼らが余韻ありと評するのは、明清時代の客観的印象明瞭的詩文ではなく、漢魏六朝の主観的印象不明瞭的詩文である。俳句に於ても、余韻と称するのは主観的なものか、又は客観であつても多少ぼんやりした処を含むものであると思う。景色で言えば、空間の狭い景色には余韻が少く、広い景色には余韻が多い傾向がある。余韻嫋々と言うのは、鐘を撞いた後に響が長く残るような感じで、多少時間を含むように思われる。主観的なものは時間を含むが、客観的なものであっても、広い空間、奥深い空間は一瞬で全体を見るのは不可能で、見渡す或いは覗き込むという行為に若干の時間を含む。この二者に余韻多しと言うのは、時間という要素が含まれているためである。
自分の考えている余韻では概ねこのようなものである。質問者が問い合せて来た四方太の所謂余韻は、広く文学的美を指したものと思われる。子規はこのように答えた。
(二)の第十六問は写生句の作り方を問うものである。質問者は俳句を志して一年、「写生の句作を学ばんと、鉛筆と手帳を携へ郊外散歩」を試みたものが、景色が広すぎてつかまえ処がなく、一句だに意に適うものが出来なかった。「如何せば美の焦點を觀破するを得るか。」というのが質問の骨子である。
子規は先ず、写生に行くなら、そこにある事物を大小遠近悉く句に詠む覚悟が肝要であると心構えを説く。大きな景色に対時して二、三句を漸く捻り繰り出すようでは埒があかない。大きな景色をもて余すなら、先ず足元を見るが良い。そこに崩ゆる草、咲く花を一つ一つ句に詠めば、十句や二十句は立所に出来る。蒲公英、嫁菜、青麦、豆の花、畑打、木ノ芽等々句の材料は捨てるほどある。質問者はそれを見過してようやく薮の中に椿を見付けても「竹藪の中に椿の盛かな」とただその事のみに多くの言葉を費したのでは、新趣向を入れる余地がない。そのあたりを工夫して趣を拵えることが肝腎であると、子規は質問者にもう一段の努力を促した。
子規の俳論俳話(五二)
◇ 隨問隨答 Ⅳ
「隨問隨答」には、季についての質問が数多くある。
・俳句には新暦を用ふべきにや、蕾暦を用ふべきにや。
・俳句にては蜻蛉は秋季に入れられたれど実際は夏季な
りと思はるるなり。唯々赤蜻蛉は秋季なり。如何に候
や。
・夏季に雷の題無きは如何。
・(略)俳句には必ず季を詠み込みあり。初心者の考に
ては俳句も詩歌の如く (略)強ひて季を詠まざるも可
なるが如し。いかにや。
・當地(盛岡)は梅も櫻も同時に咲き申候。櫻散らざる
に子規啼き卯の花の中に桃の花咲き菜の花も薔薇も堇
も一時に綻び候様な次第にして暮春と初夏と混同する
には閉口の外無候。此実景を詠まんとすれば春夏混雜
の句出来申候が夫にても差支無御座候や。
などの問に対して、先ず「季の定めには多少の無理あり。」と断った上で、蜻蛉に夏季の観が強ければ、夏季に詠んでも差し障りは無い。しかし、古来より秋と定めて来たものを秋にしておくことに便利な点もある。どちらでも好きな方を選べば良い。夕立が夏であるならば、虹も雷も夏季と定めて不都合はあるまいと思う。また、雑(無季)の句を作ることも俳句は禁じているわけではない。けれども実際に俳人が雑の句を作ることが少いのは、面白い句が出来ない為であるなどと答えた。暮春初夏混在の景が出現して閉口の外なしと言う盛岡の俳人には、季の混雑を詠むことも些も差支えないと答えると共に、「盛岡の人は盛岡の実景を詠むが第一なり。」とアドバイスした。
・俳句に四季の節序を分ち花は春、月は秋と区分しあれ
ども中には不適当のものあり、梅は春と定めあれども
寧ろ冬ならんか。落葉、山茶花の如き亦秋の部に属す
べきものならん、且今日に於ては昔日と暦を異にしあ
れば四季も從て動かざる可らず。然るに新俳句を見る
に秋の部に天長節あり。冬の部に十月の句あるか如き
は矛盾の甚しきものと云はざるを得ず。余は此に於て
明治新派の俳人が依然俳諧歳時記栞草等に據り季を分
ち題を課するが如きは改良したものと存候。此辺い
かがに候や。
という意見には、梅を春と、落葉、山茶花を冬と定めるのは分類上の便宜に属する問題であって、冬の末に梅を詠み、秋の末に落葉、山茶花を詠むのは勝手である。今日公には太陽暦を用いているが、田舎では祝祭その他が太陰暦に従って行われることが非常に多い。故に俳句に新暦の句と旧暦の句が混るのは致し方ないことである。そもそも「春夏秋冬は新暦にても舊暦にても愛せざるものなり。」と答えた。
これに対して質問者は、「春夏秋冬は新暦にても舊暦にても愛せざるなり。」という部分に異和感を抱いて、再度質問を寄せて来た。
・余の見る所にては新舊二暦は慥かに四季に相違あるものと思ふ。例へば新暦の一 月は冬なれども舊暦の正月は春なるが如し、此説如何。
と。
子規は前回の説明不足を補って、再度説明を試みた。先ず、前回の回答が、新暦の一月と旧暦の正月とが同じであると言ったのではないということを明確にした。その上で、例えば立春、夏至、舂分秋分などのように天文学者が天文の観測から割り出して示すものは、暦に拘わりなく定められるもので、すべて同じ日である。但し旧暦の場合は毎年暦の上で表わされる日付が変るので、暦を見なければ分からないが、新暦では立春は二月四日、立夏は五月六日、立秋は八月八日、立冬は十一月七日と毎年同じ日付なので記憶し易いと説く。
春夏秋冬という名称については，種々の論があるが、自分は、立春から立夏迄を春、立夏より立秋迄を夏、立秋より立冬迄を秋、立冬より立舂迄を冬とすることに定めている、と述べた。
ここで本論から離れて、明治の改暦について少々説明する。
明治新政府は、明治五年〔一八七二)十一月九日、これ迄使用してきた太陰暦(旧暦)を廃して太陽暦(新暦)を採用することを大政官布告で公布し、その年の十二月三日を以て明治六年一月一日とすることを定めた。即ちこれ迄の一月四日が一一月一日に、閏六月九日が八月一日となるわけで、従来と比較すると一ヶ月乃至二ヶ月の感覚的なずれが生じた。元来自然現象を受けとめる季節を重んじ、季語を必要とする俳句は、これによつて著しく混乱した。
正月は春、七夕や盆は秋と受け止めていたものが、正月は冬、七夕や盆は夏ということになる。二月の花であつた桜は三月、四月に咲き、衣更は四月から五月になるという事態に直面し、俳句界は大いに動揺した。太陽暦採用の公布後、一般には三・四・五月を春とする福沢諭吉の考え方も示されたが、俳壇ではこれ迄通り一・二・三月を春とする考え方を踏襲するゆき方と、二・三・四月を春とする考え方があり、後者の場合、冬は十一月・十二月・一月となり、初春と称している正月を冬に含めることへの根強い抵抗感もあった。そこで、現在も行われている、春・夏・秋・冬と、別に新年を立てる五分類に次第に定着してゆくことになる。
子規の俳論俳話(五三)
◇ 俳句評釋を讀む
明治三十二年六月～八月
「ホトトギス」
河東碧梧桐が「猿蓑」を解釈してそれに自分の評を加えて「俳句評釋」を著わした。「俳句評釋を讀む」は、その批評文である。
子規の第一印象は、「自分が嘗て思ふて居ったのとまるで違って、思ひもよらぬ評が多い」という事で、その理由を「碧梧桐と我との俳句に於ける歴史の相 異から来ている。」と認めた。
子規は、七部集、殊に「猿蓑」を見て初めて俳句の眼を開いたと述べ、それ故に「猿蓑」を「天下に唯一の俳書」と思い、同書に対して一種の〃信仰心〟が生れ、「猿蓑」の句というだけで何となく善い様な感じがしたと回想する。蕪村などの句は未だ見たこともなかった頃のことである。
一方碧梧桐は、天明の辺から悟入したので、蕪村、几董などを本尊としている。その碧梧桐が「猿蓑」を詳細に読んだのは今回が最初であろうから、天明を標準として「猿蓑」を評したことは言うまでもない。
この歴史の相異から来る解釈の相異が、碧梧桐と自分の衝突の原因であろうと考え、両者の衝突を評細に吟味した。自分の以前からの考えの方が善いと思うこともあるが、碧梧桐の言い分が正しいと思うところも少くない。自分が昔大変に褒めていた句が、碧悟桐の評を俟つまでもなく、今見るとごく平凡な句であると気付いたものも多数ある。
「猿蓑」は、「俳書中の宝典」であることは違いはないが、中には「驚く可き幼稚」な句もある。元禄に出来た句集であるから、碧梧桐の天明的標準で厳しく判断されては逃げ所の無い句が多いのは仕方がない。この点に於ては自分としても碧梧桐の評に委ねることにする。
この書を読んでの第二の印象は、「碧梧桐が俳句の歴史を知らないと云ふ事、即ち元禄の特色が何處に在るかと云ふ事を知らないから出た誤謬が多い」ことである。談林の後に芭蕉が興した新風の第一の特色は、地口洒落の類を斥けて、ただ趣味の上に俳句を建設した事であるが、碧梧桐はそれを知らず、「猿蓑」の句を談林的に解している処がある。それはかけ言葉を以て句を解そうとした点で、これは大いなる誤謬である。例えば、
歸花それにもしかん筵切
其角
の句の「しかん」という語の解釈に、「及ばず」という意にもかけてあると記しているが，これは単に筵を敷こうという意味で掛詞ではない。「かけ言葉の無いのが元禄の特調である。」
茶湯とてつめたき日にも稽古哉
龜翁
を解釈して「茶と云ひ湯といふ字義の暖いにも拘らず、つめたい日にも稽古するといふ文字上のかけあはせの句である。所謂談林派の遺調である」と記しているのも大きな誤りである。かけあわせの句や談林派の遺調というものは、「猿蓑」には全く無い。このような誤謬が発生した一原因は、碧梧桐が「猿蓑さがし抄」を参考にしたところにある。この書は誤謬の多い本で、俳句の趣味を解せぬものが著したことは言うまでもない。それを元禄調を深く理解しないまゝ碧梧桐が参考にした為に、誤謬に迷わされたと思われる。寧ろあのような本を参考にしなかつた方が良かつたのではなかろうか
もう一つの原因は、碧梧桐が蕪村の句を標準にしたところにあると思われる。蕪村の句には思いの外にかけ言葉が多く用いられているので、芭蕉派の句にも当然かけ言葉が用いられているであろうと考えたようだが、それは誤解で、蕪村のかけ言葉の使用の方が、当時に在っても殆ど論外であつたと見るべきであろう。
この他の解釈についても自分とは少々見当が違うと思われるものもあるが、それは碧梧桐個人の一種の趣味に由来する事柄で、吾々から見ると一方に僻していると言わざるを得ないが、碧梧桐の平生を知っている者には、一読してその辺りの事情を察することが出来るであろう。
また、碧梧桐の「筆のまはらぬ為」に、自分の思うことを十分に表現出来ていないところもある。碧梧桐が俳句の注釈をするというのは、彼にとっては短所に向って進んだと言える事柄であり、殊に「猿蓑」というなじみの少い本を注釈したことは、その短所を益益顕したようなものであると、子規のこの書への評は碧悟桐の性格にまで言及する手厳しいものであつた。
論を結ぶに当つても、
要するに碧梧桐の此解釋は可なり間違ふて居る。少
くとも掛言葉などを持ち出した處は大に味噌をつけた。
碧梧桐のためにいふなら、こんな書は焼いてしまふた
ら善からうと思ふ。
と非常に厳しい苦言を呈したものゝ、続けて併し其各句の評論に至っては古今に無い好著述で、彼趣味を解せぬ似而非註釋家などの及ぶ所でないのは勿論、猿蓑の作者を九原に起して一々読んで聞かせたい位である。若し彼等に讀んで聞かせたら、彼らは何といふであろう。芭蕉は黙つて居るであろう。去来は怒って論ずるであらう。凡兆は頻にうなづいて居るであらう。
と、その独特の感性を「古今に無い好著述」と褒めた。
子規の俳論俳話(五四)
◇俳諧三佳書序
明治三十二年十二月
「俳諧三佳書」
「俳諧三佳書」は、「俳諧七部集」I元禄時代の俳書のうち、多少芭蕉に関係あるものを七部集めたもので、安永頃に出来たと思われるの中の「猿蓑」と、「蕪村七部集」(文化六年)の中より「続明烏」と「五車反古」を合せて一冊にした書物である。
子規はこの書の序文に於て、〇元禄と天明の俳諧が、俳諧という円球の半分ずつを占めていること、〇俳句分類を通しての自分の休験、○連句についての考え、などを述べている。
俳諧二百年の歴史の中で、盛時は元禄と天明前後の二期である。元禄を代表する句集が「俳諧七部集」、天明前後の俳諧を代表するのが「蕪村七部集」であり、この両時期の俳諧の趣味が全く異つている―元禄は消極的で質素、静であり、天明は積極的で華美、動であることを指摘し、両者はいわば俳諧という円球の半分ずつを占領しているので、俳句を研究する者は是非ともこの両時代だけは精細に研究しなければならない。俳諧を歴史的に研究する人のみならず、俳諧の趣味の変化を見るにも、どちらか一方が欠けていては俳諧の半面しか理解出来ず、変化の全体像を掴むことは困難であると説く。
昔の人が芭蕉派の正風を奉ずると言って蕪村などを度外視したのは大いなる謬見であるが、今日の人が蕪村一本槍で芭蕉をないがしろにするのも甚だ狭い見識であると述べ、子規はこれ迄「芭蕉雑談」等で故意に否定した芭蕉の評価を修正し、自派の旗印に掲げた蕪村と共に認めようという考えを提示した。
各句集について見てゆくと、「猿蓑」は元禄四年に京の去來、凡兆によって、芭蕉の監督の下に編纂された。俳句は此時に完備し、此時に隆盛になった。しかし京には未だ芭蕉派の撰集は存在しなかったので、一句の選にも評議を凝らし、五文字の置きようにも議論を戦わしたことは「去來抄」の記述から窺われる。
注目されるのは、芭蕉。去來、凡兆各々の性質と嗜好とが躍然として見えてくることで、芭蕉と去来とは似た処が多く幽玄という趣味を最も喜ぶが、凡兆は幽玄というようなぼんやりしたのは嫌いで、趣向がはっきりして言葉は一字もたるみのない句を好む。
元禄四年に出た「猿蓑」には、幼稚な見解や幼稚な嗜好、平凡陳腐の趣向なども見られるが、子規は自らの体験(俳句分類)を引きあいに出して、そうした歴史上の「猿蓑」の評価を説明した。
自分が俳句分類を始めたのは、まだ俳句の知識や趣味の全く無い時で、巧拙に拘らず、時代に拘らず、出来るだけ多くの俳句を網羅して分類しようと企で、古い時代から漸次近代に至るという方針で始めた。
先ず連歌の発句から始めたが、千篇一律、平々凡々でつまらない作業であった。貞徳派の句も馬鹿げた駄洒落ばかり、ようやく天和に至って「虚栗」の分類を始めると、千篇一律でなく、駄洒落でもない「ある高尚なる趣味」に出合い、いかにも面白く感じた。
それからは「春の日」「続虚栗」「曠野」と進んでゆくに従って面白くなつた。次が「猿蓑」である。「猿蓑」を分類する時の愉快は今に覚えて居る。其句を写す間は終始胸が躍って居て、何やら嬉しくてたまらんので、(略)此時が始めて俳句の趣味を自分に感じた時である。」と回想する。そしてこの体験を「自分一人の実験談であるが、實は昔の俳句界が実験した道筋なのである。」と歴史的普遍性と認識し、去来の「猿蓑は新風の始なり」も「同じ心持」を述べたものであると記す。
「蕪村七部集」の中の「續虚栗」「五車反古」は、「續明烏」が安永五年(蕪村死没前八年)に几菫によって「五車反古」が天明三年(蕪村死没の年)に維駒によつて編まれた書であるが、蕪村派の価値が世に認められなかったので彼らの死後は全く忘れ去られていた。百年を経て再び堀り出され、「古今第一の集」だなどと誉められようとは思いもしなかったであろう。
自分(子規)がこれらの書を得たのは、初めて「猿蓑」の趣を知ったのよりずつと後で、「蕪村七部集」を得て初めて天明の空気に解れた時には「愉快でたまらなかつた。此本を明けて初一句を読むと面白いので次の句を読む。面白い。又次の句を読む、又面白い、又次の句を読むといふやうに、段々に面白くなつて来る。斯ういふ事は決して外の集を見る時に起った事は無い。」と記す。
子規は「続明烏」「五車反古」の句が「猿蓑」の句に比べて「物がはっきりしていきいきとして居る」と言い、その理由に「印象明瞭の度が進んで、言ひまはしが気が利いて来た」ことを挙げ、それを猿蓑時代には俳句が僅に出来上り、巧拙の標準が定まっていなかつたのに対し、蕪村時代には標準も確立し経験も積んだ故と見ている。
自分は連歌といふ者餘り好まねば、古俳書を見ても
連歌を讀みし事なく、又自ら作りし例も甚だ稀である。
然るに此等の集にある連句を讀めば、いたく興に入り
感に堪ふるので、終には、これ程面白い者ならば自分
も連句をやって見たいといふ念が起つて来る。
という文末の発言は、初期の俳論で「個」の文学ではないと切り捨てた連歌を再評価するかのような気運が感じられて興味深い。
子規の俳論俳話(五五)
◇車百合に就きて
明治三十二年十二月
「車百合」
明治二十九年八月、虚吼、楚人冠、青嵐、無心(青々)、瓦全、鹿水、由挙らが、日本派の俳句会京阪満月会を起した。
翌三十年、その京阪満月会から、水落露石、野田別天樓、松瀬青々らが分離独立して大阪満月会を作り、三十一年に至つてその若手の会という性格の三日月会が、月斗とその友人二人を発起人として発足した。
月斗(兎)青木新護は、明治十二年大阪の薬種商(快通丸や天眼水の本舗)に生れた。母方の祖父が旧派の俳人で、母も俳句のたしなみがあったので、月斗も小学生の頃から俳句を作つていた。
父の死後若くして青木薬房を継いだ月斗は、商用で全国各地へ行くようになると俳句への関心はますます高くなり、たまたま旅先で見かけた「国民新聞」俳句欄(虚子選)に投じて、明治三十年十二月一日号に初めて、
雪の日や華赤き人の入り来る 月兎
ほか二句が載り、つづいて子規選の「日本俳句」にも投句するようになつた。
明治三十二年一月、大阪の書店金尾文淵堂より文芸誌「ふた葉」が創刊され、月斗はそこに俳句や文章を毎月のように発表していたが、薄田泣菫が編集顧問となった為に詩や小説が優遇されるようになり、月斗は「ふた葉」の付録として「車百合」をスタートし、同年十月に至つて独立して俳句雑誌として発刊するようになった。
俳界の西の奉行や月の秋 子規
何のせてひくや此の花車百合 虚子
がこの時に祝句として寄せられた。
あらためて言うまでもないが、月斗は当「舂星」誌の創刊者で先代の主宰であった松本正氣の俳句の師であり、「春星俳句」の初代選者であった。
創刊間もない「春星」の昭和二十一年十二月三十日発行の号に
「大阪俳壇は文淵堂の二階から」と云ったのは予で
ある。(略)金尾は予の同年で小学校からの友人。文
淵堂の二階を俳句道場にしたのも予である。鬼史、北
渚、巴子、愛霞等に青々、井蛙等加わり後に別天樓、
圭岳も来た事があるかも知れぬ。
(青木月斗「序てに正誤」)
という記載がある。
「車百合」の創刊を祝う文章に、子規は発行所の所在地大阪について語った。
先ず、初めて大阪の地を踏んだ時以来、自分の心に写つた大阪は「只々俗の一字」であり、しかもその俗はしみつたれで、無趣味な小さな俗であるように思われ、この俗気紛々とした地から「車百合」の生れたことを不思議に感じたと率直な印象を述べた。
但し振り返って二百年の昔を思えば、大阪の地で宗因が談林の俳諧を開き、西鶴は人情を説き、巣林は浄瑠璃を作った。文学史上に於ける彼らの功績は今更論すまでもないが、当時の大阪は文壇の牛耳を取るにとどまらず、彼らの識見の高さは驚くべきもので、今日の小説は西鶴より始り、今月の芝居は巣林より起つたと言つても過言ではあるまい。
「風流洒落なる太閣様の城下は殺風景なる権言様の城下よりも先づ文学上の進歩を致し」たにもかかわらず、「延宝より天明頃迄斯く光明赫々たりし大阪文学は天明以後に至り俄に光を収めて萎微衰退したるは如何なる訳に候や。」と子規は疑問を呈した，
俳句界の二百年は、流派が数多くあり、一々名目を異にするものの、内容を検討すればそれらに著しい相違は見渡らない。
試みに地方的に分類してみると、江戸には江戸風、京には京風、美濃には美濃風、伊勢には伊勢風があるが、大阪には大阪風という俳味は成立していない。大阪には大俳人が存在せず、また後継者が出なかったことがその理由として考えられる。
不思議なことに、大阪俳人は後継者に恵まれず一代限りで消えてゆく。その句風は斬新で他に例が無い。
天明の俳傑蕪村を生み出した大阪の巧は誇るべき価値が十分あると思われるのに、大阪人は自らが刺激されなかったばかりか、手柄顔もせず誇りもしなかった。
こうした大阪の地に「車百合」が出現して「はきだめの中に白き大花びら」を開いた。「車百合」には古人を凌篤するすぐれた人物が多数集つていることをたのもしく思い、この花の中から「無数の豪傑」がうまれることを望むと子規は期待し、門出を祝した。文末に
車百合一号拝見致候(略)
本の大小いづれにも一得一失あれども、俳句の如き
短き者を載する雑誌を小形にしたて、一頁一欄にした
るは面白く珍しき思ひっきと存候。初号に長き祝辞無
きも氣の利きたる者、紙数を少くして駄句を省き、善
き紙を用ゐたるなどさすが抜目無之候。只々今後望み
候は少くとも 一二の熱心家ありて俳道研究と雑誌編輯
とに出来るだけのカを盡し、自己研究の結果を毎号雑
誌の上に載せて、号々清新ならしめ給はん事に有之候。
と、実際的なこまごまとした注文を記しているのがいかにも子規らしく興味深い。
子規の俳論俳話(五六)
◇明治三十二年の俳句界
明治三十三年一月
「保等登藝須」
明治三十二年の俳句界を、子規は、
明治卅二年の俳句界は明治卅一年の俳句界よりも進
歩せり。俗世界に対する俳句界の位置に於て、俳人俳
社俳誌の増加に於て、各々進歩する所ありたりといへ
ども、吾人が特に喜ぶ所は俳句の伎倆の進歩せし一時
に在り。
と概観し、その根拠を「日本」への投句の進歩を例に説明した。
「日本」に三十一年に投句された句のうち紙面の都合で掲載を見合せたものを、付点のまま三十二年に廻し置いたが、三十二年に前年の投句を閲するに当って、その付点を施して置いた句を改めて検討したところ、削除すべきと思われるものが半分以上、七、八割にも及んだ。
このように選句の標準が高くなつたのは、三十二年の投句が前年に比べて著しく増加したばかりか、投句者の作句上の伎倆が進歩し、佳句の量が増加したからに外ならない。「日本」への投句という一事実を以て俳句界全体の現象であると一概には言えないが、「保等登藝須」等でも同様の現象が見られるので、一般の俳句界でも同様のことが興つていると推測するのは強ちまちがいではあるまい。
三十二年中の「日本」への投稿は、前年と比較すると、投句者の数に於ては減少し、投句の数に於ては増加した。このことから、以前は五句十句の出来の悪い句を試みに投じていた素人や弥次馬連中が跡を絶ち、熱心な摯実なる投句家が毎季一人
一・二百句から千句に及ぶほども句を投じるようになつていることが窺われる。
三十二年の十一月、「日本」への投稿は日々数通、一日分の投句数は二・三百から千句に及び、それを閲するに数夜を費すありさまで、しかも「日本」への掲載は一日十七・八句に過ぎないので、投稿は筐中に積重なり、供給は常に需要の数倍はあった。「日本」に俳句が掲載されるようになって以来、かってない盛況である。
「保等登藝須」への投句は「日本」とはやや異なった。「保等登藝須」では投句者がますます多くなり、しかも新しい作者が増加し、佳句もますます多くなつた。この差異の原因は、「日本」の俳句が「俳句界のある一部」と関係するのに対し、「保等登藝須」の俳句は「俳句界の殆ど全部」と関係する為であると子規は推測した。
新聞の俳句欄へは、前号で紹介した月斗のように、俳句に興味を持つ者がたまたま月にした新聞の俳句募集に応じてみることがしばしばあつたであろうし、日頃俳句にあまり縁のない素人や弥次馬、ひやかしの投句も少くなかったと思われる。玉石混淆の状況であった。俳句雑誌を標榜する「保等登藝須」への投句者とは自ずから異なっていたことは当然であろう。―景勝地や神社仏閣、祭などに設置された投句箱に投ずる句と、「舂星俳句」への投句の違いのようなものがあると筆者は考える。―
「保等登藝須」に於ても「日本」に於ても、投句の数佳句の数が共に未曾有の増加を来したという事実が同一であるということは、明治三十三年の俳句界が全体から見ても一部から見ても「明治再興以来第一の盛時」であると言わざるを得ないであろう。
三十二年の俳句界に於て、俳人の増加と共に若しく増加したのは各地の俳句結社である。その数約一百半、朝鮮の仁川や口シアのウラジオストックにまで同好の人が俳社を結んでいることが、自分には何よりも嬉しい。
俳句結社の急激な増加は自分を幾何か驚かせたが、三十一年の末、三十二年の初の既にそのことは予想してい.た。ただ、俳句的文学雑誌の勃興については全く予想外の事柄であり、その気運が熟したのが三十二年の歳末であるので未だに「夢寐の感」を免れないが、各地にその計画が起つていることは事実である。
三十二年夏に「芙蓉」が静岡に起り、続いて「車百合」が大阪に起った。この一つの雑誌が独立して起ったことさえ自分は驚いたのに、今又京都に「種ふくべ」、金沢に「吹雪」、伊豆に「星影」、仙台に「うもれ木」が起るようである。これらの句誌の可否、盛衰は予想も出来ないが、自分としては、今各地の雑誌の勃興の報を得て、俳運の隆盛を卜するにとどめることにする。他日、「明治卅三年の俳句界」を記す折があれば、好材料となろう。
結社の盛衰を言うならば、大阪満月会が衰えて大阪三日月会が盛んになり、伊預松風会衰えて出雲碧雲会が盛んに、信濃松声会衰えて加賀磬聲会が盛んに、陸前百文会衰えて羽後北斗吟社盛んになる。
三十二年中に頭角を頭わした俳人は、東京では潮音、格堂、三子、孤雁、竹子、紫人、牛歩など、大阪では鬼史、月兎、井蛙など、それに因幡の寒樓、紫溟郎で、彼らは概ね年少で気負があり、多作であるが未だ取捨選択の識を具えていないので、その句は玉石混淆であるが、比較的佳句が多いのは潮音、寒樓である。
これらのことを述べた後に子規は論を締括るに当り、
明治世二年の俳句界は爾く進歩せり、而して吾一個
の俳句は果して衰へざりしか。明治卅ニ年の俳句界に
は佳句多し。而して吾一個の俳句稿中には果して悪句
多からざりしか。
と自らを反省し、各個にもそのことを求めた。