2008.4~

子規の俳論俳話

『春星』連載中の中川みえ氏の稿

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(五七)　 (五八) (五九)　 (六〇)　完

　

子規の俳論俳話(五七)

中川みえ

◇　俳句上の京と江戸

　　　明治三十三年四月

　　　「種ふくべ」

　京都から俳句雑誌「種ふくべ」が発刊されることになり、子規は「俳句上の京の江戸」を論ずる文を寄せた。徳川時代の俳句界の中心は何処にあったかを考えるに江戸か京かの二つのうちにあったということには異論はないが、そのどちらかを問うと人によって意見が分れる。江戸の人は江戸を、京の人は京を挙げてどちらも譲らない。公平に考えると、「徳川時代の俳句界は一個の中心点を持つた正円形ではなくて、いはゞ二箇の焼点を持つた楕円形のやうなもの」であった。何故円形でなく楕円形になったかと言うと、この時代の政治界が楕円形であった為だと考えられると子規は言う。

　このことを先ず時代順に見ると、第一の貞徳の時代は江戸は草創期で文学などをやる余地はなかった。貞徳も京に居て、俳人の大方は京の人であった。

　第二の談林時代には、江戸でも文学勃興の機運が高まり、江戸・京・大阪の三都が共に盛んであったが、この時代は長くは続かなかった。

　第三は元禄時代で、この時代には両都共に名人を沢山輩出した。時代を造った本尊の芭蕉は、江戸と京を行き来して生活したので、江戸にも京にも善い弟子を持った。江戸に於ける弟子では、其角が句もうまく弟子も多く、著作も沢山ある第一人者で、次に嵐雪が相応の弟子を持ち、その弟子も善く作るので、其角と頡頏する存在であった。

　京では去来が抜群の知名度で、江戸の其角と東西の両大関という存在であった。但し、去来の弟子には風国、野明くらいしかいなかったし、その他の京の俳人も凡兆以外には見当らない。

　その代り京に近い近江には、丈草、許六、尚白、智月、乙州、千那、正秀、曲翠、珍碩、李由、毛紈、程己など「腕こきのしたたか者」が夥しく出ているので、これらを京に含めると、優劣は江戸と互角か或いは優勢と言えるかも知れない。

　第四の享保時代には、俗俳は盛になったものゝ、俳諧史の上からは衰微の時代で、江戸では多少の俳人が存在し、談林も振わないまでも少しはやっていたが、京では僅に移竹あるのみで、江戸の方が勝ったと言える。

　第五の天明時代（明和から寛政頃迄を含む）は、元禄時代と共に俳句が最も隆盛を極めた時代であるので、両都共に名人も名句も沢山出て、書籍も多数出るという非常に勢のある時代であった。けれども勝負ということになると、言うまでもなく蕪村という傑物を輩出した京の勝ということになる。

　蕪村は当時の天下を動かしたばかりでなく、古の俳風を一変し、明治の新俳風の種を蒔いた。それに匹敵する力を持った者は、江戸にも地方にも存在しなかった。その上、京には太祇、几董という名人も居たし、彼らと

は格下ながら闌更も居た。

　江戸では蓼太、白雄が門戸を張り、俳句をやる人の数は非常に多かったが、その力は到底京には及ばなかった。但し、蕪村も太祇も江戸で修行して京で成就したということを一言伝えておきたい。

　最後に文化以後明治以前をひっくるめて言うと、この時代は俗俳時代で、江戸では白雄、蓼太の門弟や成美など居たが、京では蕪村の系統ほ既に絶えて、僅に月居が残っている外は、蒼虬、梅室などという「くだらぬ奴」

が居た。これは江戸の方が勝ということである。

　次に、俳風について京と江戸で比較してみる。

　自分の考えでは、京には京風、江戸には江戸風という特色が、時代や流派、作者を越えて存在すると思う。京風は、やわらかで、うつくしくて、濃厚、おとなしく、すらりとしている。

　江戸風は、強く、渋く、淡泊、気が利いていて、曲りくねっている。京の俳句と江戸の俳句は、周囲の情況に支配されてこのような差が出来たに相異ない。例を挙げると、

　　　鎧著てつかれためさん土用干　　　　去　来

　　　夜著を著てあるいて見たり土用干　　其　角

　おとなしく上品に出るところは去来の本領であり、これ即ち京風の骨髄である。

　其角の方はどこ迄も軽口に覿軽で、これが其角の本領、江戸風の骨髄である。

　句の題目に於ても、去来には花とか月とか時雨のような尋常な題が多いが、其角は人事的な種々の変な題まで桐山推している。

　蕪村ほ少し変則であった。長く江戸に居て「江戸でしこんで江戸の代物を京に持って往た」ので、京と江戸の両方の長所を取って大成した。但し純粋の京風でなかった為に京でははやらなかったし忘れ去られた。

　後世になるほど流派が混じり、太平が永く続いた為に江戸の人々も元気が失せて京のようなやさしい気分忙なって行ったのは致し方ないが、京人が蕪村を忘れて蒼虬、梅室をありがたがったのほ、甚だ不見識な事だと思う。

　京風と江戸風とはどちらが勝れて居るかと問われれば、京風も江戸風も優劣はない。但し、京風の中に優劣があり、江戸風の中に優劣があるという事を忘れてはならないと子規は警告した。

子規の俳論俳話(五八)

◇　召波樗良句集序

　　　明治三十三年七月

　　　「召波樗良句集」

　この文章は、ほぼ同時代の俳人召波と樗良の句を全集にして刊行したものへ寄せた序文である。

　子規は、召波と蕪村の門人で、その句は「洗練にして且つ新意を出だす虞、昔時作家の一人として指を屈すべし」と賞賛し、「召波の句は太祇、蕪村の間に出入する者なれば別に論なし。」とこゝでは取上げず、もっぱら樗良の句について論じた。

　樗良を蕪村の友人で「平淡の趣味を好み」、「別に一派を興した為にその名は召波の上に置かれるが、両者を比較すると「樗良の拙は到底召波の巧に比すべくもあらず」と評価するものゝ、

　　樗良の句は平淡にして無造作なる虞を好みしからに、

　俳諧二百年間、前後に例なき一派を為したるは特に注

　意すべき虞なり。

とも述べて、樗良が、梅、桜、時鳥、月、雪などどく普通の題日を選び、これに配合する材料や思想も、時鳥に初音、月に暗雲の如きどくありふれたものを用いて、あたかも素湯を飲むような平淡な句を作ると説いた。

　　　白梅や春ごとに見てめづらしき

　　　時鳥昼の初音そうらみなる

のように平淡で無造作な句は、太祇一派のしまりのある句と比べると法外にのびやかで、従って字余りの句にも「をかしき程無頓着」なものがある。

　　　四方の花に心さわがしき都かな

　　　涼しさや松の木の間より漏るる風

　　　盆の月人静まりて法の光かな

　しかしながら、平淡の中にも至味はある。樗良の句の善いものには、力を用いず、巧を求めないにもかゝわらず一種の面白い所がある。先に平淡な句を素湯に例えたが、この平淡ながら至味ある句は、麦湯にでも例えられよう。麦湯には茶の香気無く、酒の魔気無く、砂糖水の甘味も葛根湯の利目も無いが、全体が無邪気な野気を以て満たされていて、一点の市井の俗気を交えず、舌を喜ばせる程の味も無いが、そのかわり胃を害するほどの毒も含まない。平々淡々の中に幾何かの味を備えていて、無効無害ながら多少の渇をうるおす。幾多もの飲料がある中で特に麦湯を勧めるのと同じように、幾多の済々たる俳人の中になお樗良を無視することは出来まい。

山寺や誰もまゐらぬ涅槃像　

　　　旅人の桃折つて持つ節句かな

　　　旅人の見て行く門の柳かな

　　　飯時や戸口に秋の入日影

　　　稲刈の棒突き立つる田面かな

など佳句で、他にも珍しい材料を配合して面白い句があるのは、さすがに樗良が一家を成する所以であろう。

　　　男伊達に逢ふて懲りたる花見かな

　　　天六月民の涙に曇るべし　　（雨乞）

　　　秋の波風辨慶が胸裂く思ひ　（安宅）

　　　兵法をつかふて見たき野分かな

などがその例である。

　要するに樗良が蕪村時代に生れたにもかかわらず、蕪村の妙味を咀嚼することが出来ないために平凡な一派を興したのは、その見地が高くなかったからで、そのことは称揚すべきことではないが、自分が一流を始めるに当って、その特色を蓼太の繊巧、軽薄、俗気紛々とは別方向の、平淡、質素で「水の如く湯に如き」方面に現したことは、人品が単純ながらも高かったことにも由来する。

一般に平淡と称される句にもたいてい多少の技巧があり、樗良のように平淡な句は極めて珍しい。樗良の句の特色は、その平淡というところにあったのである。

　子規はこのように述べて樗良の平淡の句を蓼太等よりも高く評価したが、自身は平淡をどう考えていたのだろうか。

　ここでこの序文から離れて子規自身の平淡についての考えを検討してみたい。

　子規はこの序を書く以前から平淡ということに関心を示していた。

　　初めは極端なる者、即ち極めて奇なる者、極めて大

　なる者等を好みし者、漸次平淡なる者をも好むに至れ

　り。是れ感情発達して能く微細の差別を感じ得るに

　至りたる結果なるべし。写生も亦平淡に傾かしむる

　力あり。

　　　　　　　　　　　（明治二十九年「我が俳句」）

　　余は更に進んで明治俳句に現れたる新趣味を研究せ

　んとす。（略）此新趣味たるや、濃厚なる趣味に非ず、

　高遠なる趣味に非ず、寧ろ淡泊平易なる趣味にして、

　従て中心は一鮎に集中せず、精々放散せる傾向あり。

　（略）印象明瞭も此新趣味に附随する。

　　　　　　　　（明治三十二年「新派俳句の傾向」）

などと述べ、後の「病牀六尺」（三十五年五月）にも、

　　理想といふやつは一呼吸に屋根の上に飛び上がらう

　として却つて他の中に落ち込むやうな事が多い。写生

　は平淡である代りに、さる仕損ひは無いのである。さ

　うして平淡の中に至味を寓するものに至つては、その

　妙実に言ふ可からざるものがある。

と記し、晩年の子規が写生から得た平淡にして至味あるものを高く評価するようになっていたことが窺われる。

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子規の俳論俳話(五九)

◇　春夏秋冬序

　　　明治三十四年五月

　　　「墨汁一滴」

　明治三十四年五月、「新俳句」（三十一年三月刊行）に次ぐ子規派の第二句集「春夏秋冬」の春の部が出版された。

　「新俳句」が幼稚で見るに堪へない、早く現役俳人

　の希望を充たす第二新俳句を作りたい渇望に対して、

　子規にも十分其の用意はあつた。丗三年頃から其の材

　料を整備しつ、先づこの辺で一旦打ち切つて第二新俳

　句を作らう、その台本は出来てゐた。俳人は新らしく

　増加する、句は日々の新聞、月々の雑誌を賑はしてゐ

　る。どこかで打ち切つて、それ以後は第二次集の材料

　へと繰り越さなければならないのは知れ切つてゐる。

　が丗年以来余り急激な変化は、どこかで一度清算する

　その機会をさへ与へない程だつた。

　　　　　　　　　　　　　　　　（「子規の回想」）

とこの間の事情を碧梧桐が記している。

　子規としては、材料の新聞雑誌も主要なものに限定し、句の年代日時までもわかるようきちんとしたものを用意して、新たに刊行する句集も「新俳句」と同じように一冊にまとめるつもりであったらしいが、出版の都合で分冊ということになった。病状の重い子規にとってもその方が好都合であった。

　子規自身が実際に携わった春の部は、ほととぎす発行所から刊行され、一二三七句が所収された。

　「春夏秋冬」の序文は、五月十八日に、「春夏秋冬」の凡例は、五月二十日に、それぐ「墨汁一滴」に掲載された。序文では先ず

　新俳句刊行後新俳句を開いて見る毎に（略）幼稚と

　平凡と陳腐とを感ずるに至り（略）是に於て新に俳句

　集を編むの必要起る。

と新句集刊行の動機を説明した。「新俳句」の編纂から僅か三、四年を経過したに過ぎないが、その間に於ける「我一個又は一団体」の俳句上の経歴は、必ずしも一変再変に止まらない。俳句界一般を概括して言えぼ、「蕪

村調成功の時期」とでも言うべきであろうか。

　蕪村崇拝の声は、明治二十八、九年の頃が盛であったが、蕪村調と思われる句が実際に多く作られるようになつたのは、明治三十年以後のことである。今日を蕪村調成功の時期と言うものの、後になって振り返った時に果してどうであったか、それを予め知る事は不可能である。

1.近年、太祇、蕪村、召波、几菫などの俳句を学んだ結果は、たゞ新趣味を加えたというこのみならず、言い廻しに自在を得て、複雑な事物を「能く料理」するに至り、このことは、これまで捨てゝ採用しなかった人事を好んで材料と為す「異観」を呈した。それは、自分がかつて唱道した「俳句は天然を詠ずるに適して人事を詠ずるに適せず」という議論を事実的に打破したことになる。

　この「春夏秋冬」を、最近三、四年の俳句界を代表する句集にしたいと考えているが、あまりにも膨大な数の句を前にして　「茫然として為す所を知らず」、辛うじて選んだものが、俳句界を代表する句であるとはとうてい言いきれない。しかも、この句集と「新俳句」を対照するならば、「五十歩百歩」ではないことほたしかである。

　以上がこの序文の要旨である。

　「春夏秋冬」の選択基準が、第一に佳句、第二に流行した句、第三に多数の選にはいった句であり、先の「新俳句」が日本派の俳風が刻々と変化している時期のものであったのに比べ、「春夏秋冬」はその安定した時期の作を集録大成したものであったということである。

　「明治三十二年の俳句界」（明治二十三年一月）以後は、前年の俳句界を振り返って総括する論は発表されなくなったが、この序には、短い中にその案件をも論じていると言えなくもない。

　「春夏秋冬」春の部が出版されると―初版は「恐らく四五百部程度」（河東碧梧桐「子規の回想」）―一ケ月経つか経たないかという短期間で再版された。「新俳句」につゞく第二次句集が、一般に渇望されていた証と見てまちがいなかろう。

　初版のたちまちの売切れが、子規に夏の部以下の発行への刺戟を与えないわけは無い。

　元来、先へ先へと準備を整え、まわりへ催促するのが子規のやり方であったが、この時は続刊がかなわなかった。病苦のすさまじさと疲労衰弱は極限に達していた。

　子規は内心焦燥を感じ、心を痛めていたことは、まわりでも推察されたが、「催促すべき理由も間隙もなかった」（碧梧桐）状況で、結局子規選のものは春の部のみであった。

　「春夏秋冬」の夏の部は、子規没後の明治三十五年五月に河東碧梧桐・高浜虚子編で八一四句所収、秋の部が同じく碧・虚編で七七八句を所収して三十五年九月に、冬の部（碧・虚編）には冬六七九句、新年五九句が所収されて三十六年二月に、俳書堂から刊行された。

　　虚碧共選の「春夏秋冬」夏の部以下は、春の部と同

　種同族のものでなくて、多少異種異族と言つてもいい。

　（略）子規没後、何とかしようぢやないか、と虚子と

　共に結末をつけることになり（略）人の借着をしたや

　うで、自分にしつくりこない妙な気分

であったと碧梧桐は「子規の回想」に記している。

子規の俳論俳話(六〇)

◇　獺祭書屋俳句帖抄上巻を出版するに

　　就きて思ひつきたる所をいふ

　　　　　　明治三十五年一月執筆

　　　　　　「獺祭書屋俳句帖抄上巻」

　明治三十五年四月、子規は明治二十五年から二十九年での句を年代別に自選で抄出して「獺祭書屋俳句帖抄上巻」を刊行した。

　四六判、百二十四ページのこの書は、子規のたゞ一つ自選句集で、七百四十六句を収録した。子規はこの年の秋に没したので下巻ほ実現しなかった。一月中に、二十ページに及ぶ長い序文を、虚子、格堂、鼠骨に口述筆記させたのが、この「獺祭書屋俳句帖抄上巻を出版するに就きて思ひつきたる所をいふ」　という長い題名の文章で、俳句出版に先立って二月に「ホトトギス」に掲載された。

　子規は先ず自分の句を自分で選ぶむつかしさを説いた。

　　俳句のやり始めの少しく趣味がわかつたといふやう

　な時代には（略）自分の句集を出版して見たいといふ

　やうな考えは勃々として起つて来る。（略）其頃はい

　つも大得意であつて自分は最早俳句の奥底を極めたや

　うに思ふてゐたのであるが、一年々々と立つ内にだん

　だん自分の考が発達するやうにと思ふと同時に前に大

　得意であった句が皆つまらない句のやうに思はれて来

　る。（略）句をやり始めてから十余年の間、毎年々々

　斯ういふ感じがする。（略）前年の作などは到底自分

　にも信用の出来ん事になる。よし今日の標準で厳格に

　句を選んで見たところで来年になつて其を見たらばど

　んな厭やな感じがするかも知れん。そう思ふと自分の

　句集を自分で選んで出すなどゝいふ事は到底出来る事

　ではない。

と。

　ところが「身体の衰弱と共に精神の衰弱も増して来て」「さきに少しも望みのない身の上となつて」「昔の苦吟の形見を」「唯病床の慰みの為に」「自分の幽霊が昔の自分の句を選んでをるやうな心持」で句集を作って見たいという気が起って来た、と句集刊行の動機を説明する。

　子規は、自分が俳句を始めたのはいつから、誰に習ったというのではなく、何となしに十七字に連ねてみたのが明治十八年の事であり、それを見た人の勧めで旧派の其戎という宗匠を紹介されたが、「其宗匠は自分が逢ふて後あまり久しからず此世を去つてしまうた。」ので「終に此宗匠に耕ロをあけて貰ふと追行かなかつた」と記し「自分が俳句に熱心になつた事の始りは趣味の上からよりも寧ろ理窟の上から来た原因が多く影響してをる。」と、俳句分類の作業の過程で俳句の趣味を会得したことを明らかにした。

　自分の俳句に於ける進歩の第一歩は、連歌時代から始めた俳句分類の研究が、無趣味な滑稽を主とした貞徳時代を過ぎ、宗因の談林に至って活気を認めながらも尚五里霧中を迷い、「春の日」「あらの」で漸く佳境に入り始め、「猿蓑」に到達して一句一句が皆面白くてたまらず、嬉しくて、少し俳句に眼が開いたように感じた時で、それが明治二十四年の暮のことなので、この句抄も二十五年から始める事にしたと説明する。

　明治二十五年の初めには、「何やら俳句を呑み込んだやうな心持ちがして」、冬の始に鳴雪と高尾の紅葉を見に行った時は、「天然の景色を詠み込む事が精々自在になった。」と言い、これ迄は気が付かなかった平凡な景をつかまえて句にすることを会得したと振り返る。

　翌二十六年は多作、濫作の極に達した年であったが、前年に無かった趣味を見出す迄には進歩しなかった。

　「小日本」の発行に携わった二十七年には、天明の趣味を解するようになり、以前には排斥していた艶麗という趣味や雄健という趣味を解し、句詞も強い方を好むようになったが、一層深く天明詞に入り込んでいる今日から見ると、まだ平凡なものであった。

　「小日本」廃刊後ひまになって、子規は毎日のように一冊の手帳と一本の鉛筆とを携えて根岸の郊外を散策し得るに随て俳句を書きつけた。「写生的の妙味は此時に始めてわかつた様な心持」がしたと記す。毎日十句、二十句を得たが、それらは「平凡な句が多いけれども何となく厭味がなくて垢抜がした様に思ふて自分ながら嬉しかつた。」と回想し、「今日から見ても此見解は間違つて居ない。」と確信している。

　明治二十八年という年は、日本国が世界に紹介された大切な年であったが、子規の一身にとっては殆ど生命を奪われた程の不吉な年であった。

　二十九年には、足が立たなくなり、病牀の狭い天地に閉じ込められることになり、自分の句にも活動した所や斬新なところは見られないが、幾らか句が練れて来たと思う。

　蕪村の新花摘の句にいたく感心したことが、この年の一出来事であり、蕪村調を真似した特色が少しはこの句帖の上に現われている筈であると自負しているのがいかにも子規らしい。

　「獺祭書崖俳句帖抄上巻」の序文に於て、子規が各年の自分の俳句の変遷を述べている部分は、明治俳諧史の一部とも重なるものであり、その意味でも衰えた体でこれだけの長文の序を口述した意義は大きい。

　子規はこの年九月に没した。　　　　　　　　（完）

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