田中寒楼集

 

7.書簡(昭和六年)より(3.葉書 参照)

 

その一 

 

 

 正喜庵は一つ整理の事 あれでは楽屋が見えすぎて何うもよくない 世の中のことは見えすいたやうでゐて何処かに見えぬかくれた処があるがよい 入り*の氷のやふに外が心まで見え透いて草塵一すぢも見えるやうでは天下***る 正庵主の如き明敏の志は向うて切るまへに立合はぬことが肝心也 一ぱい頂いていふわけ也 全く御めんくだせい 島一番の美人をもらってそれで禁酒してべん強するはよし うちとけたうちにもかくす処かほしと思ふ

一 仕事場の開放はやっぱりよく無きこと也 此事はこぶん達のゆへと思えど いふは吉備津神社のさい礼にて吉備中山の松山の樫や松の松蝉をきいて山を一周して句作しました 風月といふ神社のつりさがる金の小とうろふの上で雀がつるんでゐました

三月十三日         寒楼

 松本大兄 机下

 

 

その二 廣島県横島 正木はいしゃ様  丹波国天田郡雀部村東林寺 田中寒楼

 一 鯛網は まだですか

 一 今年はゆこかと思立てをるが

一 可なりくってをらるるや

一 すこし寄食してもよきや

一 御夫人けん在なりや

一 横島には何処から渡るべきや

一 近況御もらし下さい

  三月十七日         寒楼

正木様

 

 

その三 廣島県沼隈郡横島 松本正喜様  備中吉び宮内 田中寒楼

 

   

 

この宮内は昔の遊女町にて紅壁のその当時をしのばせるものが遺てをります 橋本屋といふ樹あんどうが低ひ藁ぶきで うしろは吉備宮をお祭りやる鯉山の青嵐 丁度御祭礼の日に来ました 備中玉しま円通寺に良寛のあとをみに来りお玉杓子の行列をみました 潮海のやうでした 横島はあの夜の小船がよかった もの入りをかけてすみませんでした 正喜さんの結婚はたしかに賢明なしかたでした 何うぞうまくやっていただきたい

   五月十三日         寒楼

 松本正喜様

  令夫人様

 

その四 廣島県横島 松本正喜様  吉備宮内 放牛方 田中寒楼

 この原稿はうまいと思ふ 句はつくり放し也 奥さんためにべん解はさいぜんは無用也 そんなこといふた僕ではごわせぬ あの奥さま傑物也 トテモええ ボッコヱヱ ずゐぶん神妙にゆかしう亙らせられたい 同人の選者は節をまげてまでのねうちは無い なりたくはなってもよし 吉備は二三日中に出発 菜君は帰来 ぼくは此海辺へゆく

   五月十七日         寒楼

 正喜様

 

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