化政期俳人短冊より

 

 

 

晝鳴て鶏さひし田植時         太

 

まかはしや出るも入も橇の道     宜麦

 

東に下らんとして中途迄出たるに

椋鳥と人に呼るゝ寒かな        一茶

 

草の戸やよる来ものはほとゝきす   玉屑

 

 

青野氏、称慶次郎、猫頭庵、半年庵、青猿翁、迎風道人、椿丘の号あり、恆丸門、下総香取人、常に江戸・越後に半年宛居を定。文政十一年没。

宜麦

川路氏、称弥三郎、後ち平右衛門と改む、老鶯巣二世、睡堂と号す、幕府の家士、蓼太門、江戸人、文政十一年没、享年七十八。

一茶

小林氏、称弥太郎、俳諧寺、蘇生坊と号す、信州柏原人、初め継母の難を避けて江戸に出で、素丸の門に入り、菊明と称し、二六庵竹阿を継ぎ点者となる、後葛飾派の規矩に協はざる所あり破門せらる、其の俳趣は離俗の語を活用して一風をなせり。文政十年没、享年六十五。

玉屑

播磨米田村神宮寺住職、栗の本、栗庵二世と号す、青羅門、肥後人、文政十年没。

 

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