島春二十代句抄(2

 

昭和二十八年(二十一歳)

 

太き埃の日射が昼のストーブに

高くとも寒月峰と結ばるる

踏切の凍てゐる白さ渡りけり

寒灯や小さな月がガラス戸に

曇る日の紅き雲間や春隣

人間の顔眼鏡掛けマスク掛け

畑打を見る学問に痩せし肩

ステッキの先にて椿散らさるる

下駄で来て足疲れたり蒲公英に

湿っぽき空気の底の落椿

春雲に石採る丘は階をなす

菜の花に白濃き雲の浮かびゐる

菜の花と麦のモザイク沼囲む

春の川坂なして日を弾きつつ

遠く忘れし想ひを春の水浮かべ

滝に立てば真上の空が風降らす

滝に立つや陽射し数本身の回り

数人の少女過ぎ去り蝶飛べり

春憂しや深夜の辻に月あらぬ

春の雲山を出で来て高くなる

野の若葉水路連なれるを示す

飛行雲曳かれ地上に蝶乱れ

しづかにも群蝶つむじ風をなす

平らなる犬のかばねよ陽炎へり

春深き夕雲のふといきどほろし

雲厚き暮春や猫の眼の他は

靴磨き頭上のビルに春日満ち

春の雑踏悠々遅れ行く老婆

交錯す春夜のネオン額に撥ね

春月に地下道を出て背伸びせる

春風の虚しく吹きて河濁る

春果つる沼の小さな波の嘆き

げんげ野に孤りなる眼を見開けり

酔うて出て春夜の雲の高う浮く

噴水の細きちからの孤立せり

命とはかくも噴水立ちのぼる

噴水を澄みし空気の支へ居り

噴水の落つる迅さは荒れて居り

月鈎の如し端居の耳冷ゆる

噴水の秀にある微妙なる時間

身のほとり青麦を風荒く打ち

すぢかひに渡舟走らす五月川

夕涼やピアノの音が甘くくだけ

夏暁よりはや空に見る虚しき色

今日の日が臨む夏暁の雲痩せて

電線の蛇群衆に腹見られ

忍冬に立ち寄ってゐる甘い風

書に育ちかく弱きもの紙魚光る

庭の蜥蜴もの書く視野の隅偸む

寺参りの老婆の足を蜥蜴見る

墓参しに来しが蜥蜴を驚かす

はにかめる吾が胸や薄き虹仰ぎ

夕虹に情念化されたる疲れ

星が背に満ちたる玻璃の守宮かな

籐椅子を歪ませ揺らせ論じ居り

炎天下風は木陰を遊弋す

泳ぎ上りて西日の松の幹に凭る

 

 

沖に感ず海の力やひた泳ぐ

歓楽のボートの肉刺に風沁みる

夜の青田夢の平らかさを持ちて

沖泳ぎ鹹き眼で日を仰ぐ

星飛ぶや口の中にて思索せり

鏡中の己が残暑の眼に見らる

夕焼に樹の横顔の生きている

天の川太くて深夜がらんどう

糸瓜棚影ごつごつとして夕べ

蓼の花水まろまろと流れつぐ

秋風の谷狭まりて巧緻なる

馬の目にふと目を合はす秋風裡

秋風裡河浮き上がるごと流れ

秋風の野に立つ一樹愛しまれ

夕雲の紅くはなやぐ秋風裡

露滋き草愉しげに山明くる

露の道くねりて朝日みぎひだり

露満ちて細き流れのほこらかに

露滋きより立ちのぼる朽ちし臭ひ

跫音の蟲に埋もり去りてけり

秋夕日木立透かしてまろきかな

近々と月耀よへど蟲の闇

秋陰の地窪に苔の色滲む

秋陰やいくばくほてる日の在処

風乱れ易くて秋の沼越えし

秋の沼面なめらかに重く澄む

霧深しヒローイックに人顔浮く

夜の秋どっとラジオに笑はるる

象徴のごと雲ありて冬立ちぬ

指先の冷たく城濠に見入る

雲暗み八手の花のもつ強さ

高枯芦の上にて厚き雲割れ目

枯芦原に入りて泥土に呟かる

雑踏の地の涯冬の雲埋む

砂原を這ふかなしさの穴惑ひ

秋の日の熱さは頬の骨尖る

多彩なる雲よ秋雨なりし木々

泥濘のこの道秋日目を潰す

硬直す冬木に近く行く市電

冬は塀に梢に丘の三日月に

三日月の低く且つ濃く冬浅し

木枯に逐はれ瀬の水弾み過ぐ

落葉踏み悔いの言葉を風へ言ふ

古き「刻」拾ひつ落葉踏んで行く

見上ぐる山の質量は落葉に続く

落葉の底の底の団栗穿つ虫

銀杏枯木金夕雲に白け立つ

冬晴の風の振舞ふ野にてあり

木枯や瀬音断ち且つ放ちつつ

霰過ぎ希薄となりし日射あり

重く白く冬の雨散る舗道夜半

綱の限り山羊は冬木を隔てけり

山羊の鬚黒ずみて冬日は低し

炭燃ゆる紅さに見入る冬美きかな

油臭き舗道霰のぽんぽん載り

タクシーの列へ乏しき霰なり

冬木の中のユーカリにして風荒き

山羊ひそと木枯の紙食べてゐる

 

 

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