今年(2001年)は天候不順で、4月の末にモロー美術館を訪れたときも、まだ、冬空の寒い日でした。美術館の扉が閉まっているので呼び鈴のノブを引くと、マダムが今日は閉まっているといいます。4時近くだったので遅く来すぎたかと思い、明日は開きますかと聞くと、わかりませんと言う。変だなと思っていると、後から来た人が、今日は国立美術館がストをやっている、と教えてくれました。さすがフランスは、美術館もストをするのかと妙に感心しながらその日は帰り、数日後に再度訪れました。
ここは、画家の自宅を美術館にしたものですので、1時間もあれば見ることが出来るだろうと思っていたのですが、2時間かけても十分ではありませんでした。というのもデッサンが4000点ぐらいあり、開架パネルにして展示してあるそれらを全部見るためにはかなりの時間が必要なのです。この画家の代表作は、オルセーや他の国の美術館にあり、ここには、未完成の作品や習作、デッサンが多いのですが、その中で一点だけ大変な密度のあるのが「ジュピターとセメレー」です。この絵の題材は、神であるジュピターに愛された人間の娘セメレーが、ジュピターに貴方の力をすべて示してほしいと懇願し、ジュピターが聞き入れると、彼の雷によって人間であるセメレーは撃たれて死んでしまう、と言う神話です。この、思いがけない運命に見舞われる女、というのはモローの作品に多いのですが、人間は皆、思いがけない運命にもてあそばれながら生きているとも言えるのかも知れません。
ここの作品を見ると、モローの幻想画家としての側面と、歴史画家としての側面が見えてきます。そこに一種歯切れの悪さも感じるのですが、ボザールの教授であり上流階級の一員としての歴史画家の面と、そうした価値観からは否定されるべき幻想画家の面との矛盾を彼自身自覚していたと思えますし、そうしたある種のあきらめを含んだ人生観がこのような幻想作品を生み出したとも思えるのです。
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