パリ/ピカソ美術館

 ピカソという画家の、自由奔放な制作を生涯続けることが出来た己に対する自信とあふれるエネルギーには脱帽するしかないし、うらやましい限りなのですが、多くの作品が必ずしも優れているとは、私は思わないのです。最も生涯に数十点しか描かないような寡作の画家と、ピカソのように大量に作り上げた画家では作品に対する意識が相当に違うのは当然なのでしょうが。この美術館の作品で、何点か好きな作品があったのですが、著作権の問題があるので美術館の内部の写真だけを載せることにします。
 ところで、子供達が写っている写真が2点ありますが、これは、見学に来たおそらく幼稚園の年長さんと小学生に、学芸員らしき女性が、複数の視点があることなどを身振り手振りで説明したり質問したりしている場面です。ヨーロッパの美術館を歩いていると、このように子供達が先生に連れられて美術鑑賞をしている場面によく出くわします。そして、身近にそうした施設があることや、それらを活用していることをとてもうらやましく思うのです。このように、子供の時から日常的に美術にふれることが大人になったときに文化や芸術に対する関心の高さや生活の豊かさにつながっていくのだろうと思います。
 もう一つ思うことは、おそらく、担任の先生方の裁量で、子供たちを美術館など外部の施設に連れて行くことが、日本の学校よりも容易にできるのだろう、と推測されることです。日本のように、教員が管理されている組織ではなかなか難しいことだと思います。
 このように感心すると同時に、当時は、こんな小さな子供達にピカソの視覚について教えることには少々疑問も感じたのでした。ピカソと幼児の絵との共通点はよく言われるところですが、幼児には、体験をもとに自分の感じたことを素朴に描かせてほしいと思い、その時に、ピカソの色彩や自由さ、大胆さが、なにがしかのヒントになればそれでいいと思ったのです。しかし、いまは、ピカソの視角の理屈はともかく、優れたものや本物の芸術に小さい時から触れることが、彼等の感性に知らず知らずのうちに影響し、成長とともにその経験が生きてくるのだろうと考えるようになりました。幼児からのそうした体験の積み重ねが成長してからの感性に大きな差を生むように思えるからです。
 さらに、小学生の場合、客観的なものの見方や優れたものを吸収したいという意欲の高まる時期でもあり、本物との出合いの持つ意味は幼児以上に大きいことは疑問がありません。私自身も、小学4年生の頃に絵に興味を持ち出したのですが、最初は、好きだった名作文学の挿し絵を模写したりすることから始まったことを記憶しています。そのような時期に、本物の優れた芸術と出会うことが優れた感性や美の概念を育てることにつながると思います。
 最後に、もう一度付け加えますが、子供の時から日常的に美術にふれることのできる環境を作り上げた文化や政治、そうした機会を作り出している先生方に感心しますし、日本でもそうなってほしいと強く望みます。


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