鶴山公園と津山城趾

津山城は、本能寺の変で織田信長に殉じた森蘭丸の弟で津山藩初代藩主森忠政が 13 年の歳月をかけて
元和2年 (1616) に完成させた梯郭式の近世平山城で、天守は破風を持たない南蛮造り 5 重 5 階の独立層塔形式で、小倉城の天守を模したものともいわれている。

津山盆地の中央部に位置し、城の東部を流れる吉井川支流の宮川及び丘陵の天然の断崖を防御線に取りれ、
   城の南部を流れる吉井川とその支流で西部に位置する藺田川外郭とし、その内側に城下町の主要部を形成している。

  

往時には五層の天守がそびえ櫓は 60 棟を数えました。明治6年(1873)の廃城令により櫓など他の建物と共に悉く破却されましたが、
幸いに豪壮堅固な石垣はほぼ完全な形で残りました。
広大な敷地に通路を迷路のように複雑に入り組ませた石垣は、高さ 10m 前後もあり、
本丸、二の丸、三の丸の石積みは高さ 45m にもおよび昔日の雄大な面影を今に伝えています。

  

 

平成 17 年には津山城の櫓の中で最大級の規模を誇る備中櫓が復元された。

  

現在は鶴山公園として、春には約 5,000 本の桜が咲き乱れる桜の名所となっており日本さくら名所 100 選にも選ばれている。
また、新緑の頃の藤、ツツジ、秋の紅葉、雪景色など四季を通じて訪れる人の目を楽しませてくれます。