圓通院 その2


三慧殿(国重要文化財)

伊達家二代藩主忠宗の次男である光宗の廟所。
光宗は、文武両道に長じていたため、外様大名から名君が出ることを警戒していた幕府から恐れられ、毒殺されたと言うのが定説。
光宗の死を悼んだ忠宗公により建立された。

三慧殿の厨子の図案には、クロスなどがつかわれているため、鎖国制度を施行していた徳川幕府に対しては、伊達家の霊廟と申し立て、その扉は開けることがなかった。
3世紀半もの間公開されず現代に至った伊達家の秘蔵です。

三慧殿内宮殿型厨子

厨子の内部には白馬に跨る衣冠束帯の光宗の像と殉死した7人の像が祀られている。
厨子の右扉の内部には、支倉常長がヨーロッパから伝えた西洋文明の影響が強く、日本最古と言われる西洋バラの絵や、クロスつなぎ、ダイヤ模様、クローバー、ハート、スペード模様などの図案がある。
バラは、金箔の地に白、赤、緑の3色を用い、緑青やサンゴなどを使っているので永久に変色しない。


本堂 大悲亭(松島町指定文化財)


光宗君の江戸納涼の亭で、愛息の早逝を悼んだ忠宗公が、解体移築したもので、寄棟造茅葺の瀟洒な姿は、小堀遠州作と伝えられる前庭の雰囲気と相まって、禅寺らしい落ちついたたたずまいを見せる。

約350年前に江戸時代の作庭家、小堀遠州により作られたと言われる本堂大慧亭の前庭。


本尊木造聖観世音菩薩座像
(松島町指定文化財)

檜材、寄木造り、漆箔、像高 63p。
四段の鱗型蓮台に座し、右手を施無畏印、左手に未開敷蓮華を執る。
豊頬、高鬢の姿はりりしく、框座・透かし彫りの光背とのバランスも良く、鎌倉時代の秀作。

心字の池と観世音菩薩が住む補陀落山を中心にした本堂大悲亭の前庭。


心字の池

池には蓮の花が、補陀落山にはモミジとツツジが季節の移ろいを感じさせてくれる。


バラの園「白崋峰西洋の庭」

厨子に描かれたバラと九曜紋を表した西洋の庭は、キリスト教と仏教の出会いによって生まれ西洋の文化を東洋に取り入れた庭です。
 

「日本最古の洋バラ」は、支倉六右衛門常長がローマから持ち帰った云々と由来を説明。