五 大 堂

海に突き出た小島の上に建つ五大堂は観光松島のシンボルです。

国の重要文化財で瑞巌寺が管理しています。

大同2年(807年)、坂上田村麻呂が東征した際に建立したのがはじまり。
当時、五大堂には毘沙門天が安置されており毘沙門堂とよばれ、小島も毘沙門島と名付けられていた。

天長5年(828年)、慈覚大師円仁が瑞巌寺の前身である青龍山延福寺を建立したおり
大聖不動明王を中央に配置し、東方陣三世、西方大威徳、南方軍多利、北方金剛夜叉の五大明王像を
安置したことから、五大堂と呼ばれるようになった。

現在の建物は、 1605年に伊達政宗が紀州の工匠を招いて再建したもの。

左;

 観潤亭から五大堂、福浦橋、福浦島を 望む

右;

 五大堂

単層宝形造りで国の重要文化財。

周囲に12支が刻まれ太陽の方向と同期していてその時点の時刻を示す。

 

元禄2年、奥の細道の旅の途中、松尾芭蕉とその弟子曾良が松島を訪れている。

俳聖さえも絶句して

”あまりのたかぶりに、句も出来ねば、眠られもしなかった”

との記述が残っている。

五大堂へ渡る朱塗りの橋は床板が交互に抜けており、透かし状になっていることから『すかし橋』と呼ばれている。

参詣には身も心も乱れのないよう、脚下をよく照願して気を引き締めさせるための配慮とされている。