瑞巌寺

臨済宗妙心寺派・松島青龍山瑞巌円福禅寺
( しょうとうせいりゅうざん、ずいがんえんぷくじ)

宮城県宮城郡松島町松島字町内91(JR仙石線松島海岸駅徒歩10分)

伊達政宗公の菩提寺で、奥州随一の禅寺。


天長5年(828年)、慈覚大師円仁が開創し天台宗延福寺と称した。
鎌倉時代中期の13世紀半ば、執権北条時頼公が法身性西和尚を開山とし、円福寺と改称し建長寺派の禅寺に改める。
幕府の庇護のもとに大いに栄えたが、戦国時代に寺勢は衰え、その末期に妙心寺に属した。

現在の建物は慶長14年(1609年)、正宗公が桃山様式の粋を尽くし5年の歳月をかけて完成したもの。

特に、唐戸や欄間、あるいは襖や床の間の豪華な絵画は日本の人工美の極致とされている。
正宗公が心血を注いだ荘厳な大伽藍といえる。

瑞巌寺の観光には、専門の案内人がつきます。

敷地内は有料部分と無料部分とに分かれています。

 
 

総門

宮城県文化財指定。

一間一戸袖塀付の薬医門で、慶長14年(1609年)伊達政宗公が建立。
扁額「桑海禅林」は
105世天嶺性空の最晩年の筆。

参道

杉木立の中をまっすぐ中門へとのびている参道。
右下は、参道に設けられている公衆電話。

中門

門は向かって左から御成門、中門、登龍門と3つあるが、通常中門以外は閉ざされている。

中門は切妻造、こけら葺の四脚門で、篇額「瑞ー円福禅寺」は当山100世洞水東初の筆。

御成門

入母屋造瓦葺の薬医門。

御成玄関

乙字形をしているので、乙字方玄関ともよばれている。

現在は天皇、皇族方専用の玄関で一般には公開されていない。

 

本堂(方丈) 国宝

南東に面し、正面 39m、奥行き 25.2mの入母屋造、平屋、本瓦葺。慶長14年に完成。

内部は禅宗方丈様式に武家邸宅の書院を加えた 10室間取りで、東、南、西の3方に上縁、下縁を巡らしている。

南西端に御成玄関が附属している。

庫裡 国宝

庫裡(庫裏とも書く)とは禅宗寺院の台所で、一般家庭の台所に当たる。

正面 13.78m、奥行き 23.64mの白壁と木組みのコントラストが美しい建造物で、日本三大庫裏(京都妙心寺、妙法院、瑞巌寺)の一つに数えられている。

屋根の上に見えるのは八畳間ほどもある大きな煙出(けむりだし)である。

回廊 国宝

本堂と庫裡をつなぐ廊下で、一般には公開されていない。

本堂廊下

東南西三方に上縁、下縁を巡らす。室中への入り口を画す唐戸や欄間の總透し彫りの彫刻は、根来の工匠、刑部一門の作。

欄間の彫刻

欄間には、「鶴の巣籠り」、「桐に鳳凰」、「牡丹に孔雀」、「牡丹に金鶏」などの吉祥のモチーフが、写実的な手法で彫刻され、廊下にアクセントを与えている。

鐵道殉職者弔魂碑

右下の車輪は 「ゴットンゴットン」で合計10トンだそうです。

石窟と観音堂

参道の脇道には石窟群と観音像が散在している。石窟の壁には卒塔婆や仏像が刻まれている。

法身窟

鎌倉時代半ば、法身禅師と執権北条時頼が出会ったと言われる岩窟。
左の石碑は鎮海観音、右は揚柳観音と呼ばれる。原画は塩竃出身の画家小池曲江の制作。

鰻塚

松島付近の岩は非常に軟らかく加工しやすい。参道脇には霊験な臭いのする数多くの洞窟や遺跡群が残っているが、この鰻塚は生活感が漂う。