日本最北端の地の碑 碑の中央のNは北を、円形の台座は平和と協調を表現している。 歩道の新設、駐車場やハマナス花壇などが 整備され、観光客の絶好の撮影ポイント。 |
9時45分 日本最北端 気温 4.0℃ 北緯45度31分14秒 平成16年4月23日 |
”日本最北のすしや”などなど 日本最北を歌ったものが目立つ。 |
間宮林蔵の立像 像は2mで実物より2割ほどおおきい。 |
宗谷丘陵展望休憩施設 (ゲストハウス・アルメリア) 氷河時代の名残です。 宗谷海峡のブルーと牧草のグリーンで彩られた最高の眺めを眼下に据えてオリジナルブランド「宗谷黒牛」や 北海の幸を楽しめます。 |
また、平成14年には「宗谷岬」誕生30周年を記念して 「30周年記念音楽碑」 がたてられ、碑の前に立つとメロディーが流れる。 |
納沙布岬(根室)、日和山(小樽)についで3番目にたてられ明治18年9月25日に初点灯。当時は石油を光源に使用していた。 また、この灯台には霧信号所、無線方位信号所が併設されていて、視界の悪い日は霧笛をならしたり、灯台の光の届かない遠距離で航行している船舶のため、1日中電波を発信して宗谷の方向を知らせます。 |
あけぼの像 牧さくをかたどった台座の上に、野良着姿の男女が南に果てしなく広がる宗谷丘陵を見つめながら立っている ブロンズ像で ”天北酪農の夜明け” を象徴している。 |
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旧海軍望楼 日露戦争の終結とともに望楼に使命は終わったが、その後も、大正9年沿海州で起きた尼港事件では無線通信基地として、太平洋戦争だは対潜水艦環視基地として使用された。 昭和43年12月、市の有形文化財に指定された。 |
2周忌にあたる昭和60年9月1日に、遭難者の慰霊と世界の恒久平和を願い、遺族会の資金と稚内市をはじめとする全国からの浄財をもとに、サハリンを望む宗谷岬の高台に建立された。 19.83mの高さは事故発生の年を、 16枚の羽は犠牲者の母国数を、 269枚の白御影石は犠牲者の数を示す。 |
特に、昭和20年7月、米潜水艦の魚雷攻撃を受けた稚泊航路連絡船「宗谷丸」を守るため、身代わりとなって爆沈した望楼防備隊所属の「第12号海防艦」の乗組員152名の霊を慰めるため、旧防備隊隊員から寄せられた浄財 250万円で、昭和55年9月に建立された。ここにも”再び戦争繰り返すまじ” の祈りがこめられている。 |