京の香を残す旧家 横山家
江差町に和人が住み着くようになったのは、1189年源義経が衣川で自刃した後、藤原泰衡の一族がこの地に上陸したといわれる。
延宝6年(1678)松前藩の奉行所が置かれた後、多くの廻船問屋や土蔵が建ち並び、北前船が頻繁に港に出入りし、ニシン漁の最盛期には
8000戸3万人の人々が暮らし、所謂「江差の五月は江戸にもない」と謳われるほど活況を呈した。
江差は 800余年の歴史を誇る古い町で、商業の町、文化の町として発展、繁栄を極め、民謡の王様といわれる「江差追分」を初めとする
伝統芸能や生活文化など有形・無形の遺産が伝承・保存されている。
また、戊申戦争中に榎本武揚等を乗せて活躍し、暴風のため明治元年(1868)、江差沖で座礁、沈没した江戸幕府の軍艦「開陽丸」が復元され、
青少年研修施設として利用されている。
|
|
|
江差町鳥瞰図 |
ニシン街道道標 |
道標 |
|
|
|
豊年山山車蔵 |
姥神大神宮 |
豊年山山車ミニチュアに乗って |
ニシン漁の豪商の家 横山家
江差と京都や北陸を北前船で結び、漁業、商業、廻船問屋を営んできた豪商
横山家は、初代から現在まで二百年以上の歴史があります。
現在の建物は約 160年前に建てられたもので、細長い京風の作りで、昭和38年、北海道有形民族文化財に指定されている。
歴史的記念物となってしまった民家が多い中で、横山家は、現在も8代目が住んでおり、
母屋と四番蔵にはニシン漁全盛期のころに使用されていた用具や家財道具が陳列され、当時の暮らしぶりを今に伝る唯一の貴重な建物です。
建物は、ウナギの寝床形式で、入り口から帳場、居間と続き、通り庭を通る人がよく見えるための横座があります。
昔から地震の多かった地域なので多少の揺れも吸収する遊びのある構造のため冬の寒さは厳しいといわれています。
蔵は1番から4番蔵まであり、雪や風から守るため「のざや」という屋根がかかっています。
昔は非常に火事が多かったので、防火用のわらじ、飛び口、ポンプ、バケツ、
火事の時お金を持って逃げる桐で出来た背負いい金庫などがたくさん残されています。
横山家では明神丸という北前船をもっていましたが、船がおおきいので沖に停泊させ、小さな舟に荷物を移しはね出しまで運んでいました。
|
|
|
横山家紋 |
横山家 |
北海道文化財横山家 |
|
|
|
横山家外観 |
横山家外観 |
横山家外観 |
|
|
八代目当主の説明 |
通り庭 |
|
|
|
「のざや」で守られた蔵 |
四番蔵入口 |
四番蔵内天井 |
|
|
|
|
展示されている用具や家財道具 |
|
ニシンそば
京都名物のニシンそばは、かって江差から北前船で日本海経由、周山街道、若狭街道のニシンロード運ばれたニシンで作られたといわれる。
「ニシンそばのルーツは江差町」 とは、江差町で現在もニシンそばの味を守っている横山家ご当主のご意見です。