味覚と魅惑の浮島 奥尻島

   

周囲 84q の奥尻島は、北海道の離島の中では利尻島と並ぶ大きさの島です。

奥尻島という名は、古くから狩猟にため往来したアイヌの人々が、島を「イクシュン・シリ」と呼んだことに由来する。
イクシュンとは「向かい側」、シリは「島」という意味です。
 
「奥尻」という文字は、江戸時代中期の儒学者で政治家の新井白石が著した「蝦夷誌」に見つけられる。

平成5年7月12日午後10時17分、北海道南西沖の深さ34qを震源とするM7.8の地震が日本海地域をおそいました。
震源地に近い奥尻島は、地震発生とともに起きた大津波とその後の火災によりにより壊滅的な被害を受けた。

全国から寄せられた復興支援と島民の努力により、平成10年に「完全復興宣言」が行われた。

島の見所は、やはり海岸線です。東側の穏やかな海岸線に比べ、西海岸は絶壁と断崖が続く景観を見せる。

鍋 釣 岩

奥尻港のすぐ近くの海上に立つドーナッツ形の奇岩。奥尻島のシンボル。
空洞部分は海食洞門といい自然に形成されたものです。
高さは 19.5mもの大きさで、鍋のツルに似ていることからこの名がついた。
夜はライトアップされて暗い海に浮かび上がります。

ア ク セ ス

利尻島へのアクセスは、江差と瀬棚の各港からのフェリーを利用する海路と、函館空港から利尻空港への空路があります。

江差〜奥尻間フェリー 約130分
瀬棚〜奥尻間フェリー 約 90分
 函館空港〜奥尻空港  約 40分 

瀬棚のシンボルともいえる三本杉岩

瀬棚フェリーターミナル

瀬棚風力発電所の風車群

ニューひやま

全長 76.61m
巾 14.50m
深さ 4.70m
航海速力 17.7ノット
総トン数 2,258トン
旅客定員 夏期/534名 冬期/370名
車輌搭載能力 8トントラック/18台 乗用車/48台

奥尻航路初の「2,000トン型フェリー」として、平成3年6月就航。
奥尻航路としての「新」をアピールするため、従来のネーミングを改めた。
北海道南西沖地震の際は奥尻港に停泊していたが、間一髪で津波の被害を回避し、
以後復興に向けて不眠不休でお客様や物資を運んだのはあまりにも有名。

アヴローラおくしり

全長 76.61m
巾 14.50m
深さ 4.70m
航海速力 17.7ノット
総トン数 2,248トン
旅客定員 夏期/534名 冬期/393名
車輌搭載能力 8トントラック/18台 乗用車/48台
就航 平成11年4月平成11年4月
「アヴローラ」はロシア語でオーロラの意味を持ち、オーロラとは神話によると【夜明けの女神】の名前であることから、前年“復興宣言”された奥尻島の【復活と再生】をイメージしてネーミング。
特に平成11年8月19日、天皇皇后両陛下が復興状況ご視察のため奥尻島を行幸啓された際、同船を「お召し船」として瀬棚−奥尻−江差間を運航した。


さらば奥尻島

デッキ

斜陽

1等ラウンジ

救命ブイ

1等ラウンジ

奥尻港を見下ろす大壁画 「 サムーン 」

フェリーに乗って奥尻港へ近づくと、その背後の観音山の山肌に描かれた巨大壁画「サムーン」が一際目を引く。
 400枚のパネルで構成されるタテ、ヨコ40メートルの大壁画は、北海道南西沖地震で崩れ落ちた山肌に描かれている。

地震の時はここで崖崩れが発生し、その下にあった旅館が倒壊し宿泊客など28名が死亡している。
この巨大壁画は崖崩れの修復工事に合わせて、復興のシンボルとして描かれたそうである。


観光PRマスコット 「 うにまるくん 」

 「うにまるくん」は、奥尻島の名産である「キタムラサキウニ」をモチーフにしたイメージマスコットキャラクターの着ぐるみです。
定期フェリーで乗降する観光客のみなさんの歓送迎のためにフェリーターミナル登場し、
握手をしたり、一緒に記念撮影をするなど、とても人気のキャラクターです。

大壁画 サムーン

うにまるくん

奥尻フェリーターミナル

奥尻島青苗エリア

ぐるりと海に囲まれた島の最南端、青苗岬の小高い丘をのぼると、大きな御影石のモニュメントが海に向かって立っています。
「時空翔」と名付けられたこのモニュメントは、1993年7月12日におこった北海道南西沖地震の慰霊碑です。
丘の麓には地震と津波被害からの復興の歩みや震災から学んだ教訓を紹介する奥尻島津波館があります。

時 空 翔

南西沖地震で犠牲となった方の慰霊碑。黒御影石で作られた石碑のくぼみは、震源地となった南西沖をむいており、
地震のあった7月12日に海に向かって石の正面にたてば、くぼみの中に沈む夕日を見ることができます。

慰霊碑の形そのものは「心と海と翼」を表現し、下部の傷状の線は波しぶきを表している。

丘の上部周辺をぐるりと取り巻く壁には、「 北海道南西沖地震 奥尻町震災物故者諸精霊位 」とあり、
張り付けられた黒御影石に198名の犠牲者の名前が刻まれている。

石碑の右手前には四角い黒御影石が置かれて、ここに天皇陛下御製が刻まれている。

 平成6年の新年、「奥尻島」というお題のもとに、お詠みになられました御製。

 天皇皇后両陛下は、平成5年7月27日、被害にあった島民を慰め励まされるため奥尻島を訪れられました。この際のお心をお詠みになられたものだそうです。

 壊れたる建物の散る島の浜
         物焼く煙立ちて悲しき

奥 尻 島 津 波 館

奥尻島に大きな被害をもたらした北海道南西沖地震の災害の記憶と教訓、そして全国から寄せられた復興支援への感謝を
後世に伝えるため、震災から8年後の2001年にオープンした。
テーマ別に「198のひかり」「映像ホール」など7つの展示スペースを設け災害の様子と復興までの記録を伝えている。

臨場感のある映像と音とで楽しめる「映像ホール」では、二つの作品が公開されており、
専用の3Dメガネで立体映像を楽しめる「海の記憶」は圧巻です。

  

「198のひかり」

災害で亡くなられた奥尻島民198名(行方不明を含む)の鎮魂と記憶のモニュメント

198のひかり

オブジェ(金属の曲面と鋭い輪郭が凶暴な津波を表す)

メモリアルプレート1993

オブジェ

落陽を堪能するには西海岸がベストです。影をみせる奇岩群の向こう、遮るもののない日本海の水平線に、夕日がゆっくりと沈みます。

夕日に照り映える奥尻島津波館

日本海に沈む夕日

一日の最終章沈む夕日と無縁島

北西エリア

奥尻湯ノ浜温泉ホテル緑館

奥尻島の宿泊施設は30軒余りで、ホテルと呼ばれるのは緑館だけ、ほかは旅館、ペンション、民宿です。
三角屋根が特徴的なお洒落な建物で最新の設備と島内最大の規模を誇っている。

客室は海が見える和室と山側の洋室があります。部屋から目の前に広がる碧い海の展望は最高です。

リゾートホテルの性格を持ち、プールやサウナを完備している。
天然石を配した岩風呂大浴場と露天風呂があり、露天風呂からは雄大な日本海が眺められます。

北海道の離島で温泉が湧いているのは奥尻島のみです。

フロント / ロビー

三角屋根

岩風呂

ホテル駐車場前のモニュメント

部屋から眺める神威脇漁港と屏風立岩

北東エリア

賽 の 河 原

島の最北端の稲穂岬にある「賽の河原」は、道南五大霊場の一つで、海難犠牲者や幼くして世を去った子供などの慰霊する地として信仰されてきた。
約6ヘクタールにわたって見渡す限りに大小の石が積まれています。

「・・・・河原の小石を取り集め、これにて回向の塔を積む、一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため・・・・・」

切なく悲しい石積み歌が聞こえてきます。

炊事場、トイレ、簡易シャワー、照明、売店、自販機などが完備した賽の河原公園キャンプ場は、夏場多くの観光やキャンパーで賑わいます。







稲穂岬 ( 稲穂は「イナウ」という神様への捧げものに由来 )

稲穂岬灯台 ( 1891年初点灯、黒白四角の外観が珍しい )

宮 津 弁 天 宮

ニシン漁が盛んだった頃、番所を置き対岸との連絡の拠点で、科人の逃亡監視の場所でもあったといわれる。
1831(天保2年)、島の漁師たちが先端の盛り上がった岩の上に大漁祈願のご神体として弁天様をここに奉納したのが始まり。

宮津弁天のお社は、海に突き出た岬の急斜面を登った頂上にあります。

道路から鳥居迄の急階段

お社迄は急階段を下って登る

宮津弁天宮

鳥居からお社迄の急階段( 164段 )

宮津弁天宮( 弁財天とも

呼ばれる福の神を祀る )

鳥居はもうすぐです

手摺りにつかまって登ります

下るのも大変、足下注意

駐車場で待つ観光バス

碧い海

宮津漁港