梅香荘(旧京都電燈変電所?)

 所在地:京都市
 竣 工:明治28年?
 設 計:

 不思議なアパートです。始めて見た時に変電所と感じましたが、送電のための碍子等の痕跡も無く、いつもの日本近代建築総覧で調べると「旧京都電燈変電所(前西田洋傘株式会社)、M28?、京都電燈→京都市→関電→西田洋傘(S58取り壊し)」とあります。
 明治28年というと日本で始めて電気鉄道が走った年(2月1日に伏見線開通)で、すぐ近くの堀川第一橋横の橋台にも関係ありそうですが、それを裏付ける情報はありません。

 総覧が正しい前提で、以下のように勝手に推測します。
 京都電気鉄道に給電するために京都電燈は堀川中立売に変電所を建てた(この区間が開通したのは明治28年9月24日で、蹴上発電所から遠いため変電所を用意したと推測)。
 大正7年に京都市は京都電気鉄道を買収(考えにくいが、同時に京都電燈から変電所を買い上げ又は借り上げた→もう一つの推測は、始めから京都電気鉄道は自前で変電所を建てていた)。
 昭和36年に京都市電の狭軌(N電)区間が廃止され、変電所は関西電力に売却(または借り上げていたものを返還)。
 その後、関西電力はこの場所のすぐ南に変電所を新設し、この建物を売却した。
 この辺りを昭和36年に撮影した写真には「雨合羽」「傘(略字)」の看板が見られ西田洋傘と推測されますが、下の写真の左手前あたりの現在は更地の部分で、その敷地と梅香荘の玄関までの通路の間には立派な塀が建っています(梅香荘の経営者が西田洋傘だとすれば話しが繋がるのですが、塀で仕切るということは西田洋傘と梅香荘は関係無い?→総覧が間違っているなら「京都電燈→関西電力→梅香荘」の方が判りやすい)。
 上の写真の右下に煉瓦塀が写っていますが、これはNTT西陣に面した道まで延びていて、この建物の敷地が大きかったとも考えられます(または、煉瓦塀は全く関係無いかも)。
 何か情報をお持ちの方は、連絡下さい。


2003年11月21日撮影
煉瓦博物館に戻る
ZeroZone マップに戻る


Copyright(C) Shinichi Takahashi