所在地:京都市山科区日ノ岡朝日町
竣 工:明治45年
設 計:片山東熊、山本直三郎
明治維新後の京都を衰退から救った事業に、明治23年に完成した琵琶湖疎水事業が挙げられます。しかし、それでも水不足は解消せず、まさに明治が終わろうかという45年に完成した第二疎水、蹴上浄水場、蹴上第二発電所によって一連の事業の完成を見たように思えます。
同じ頃、京都御所を火災から守るための水道が必要となり、第二疎水の最後のトンネルを出たところにこのポンプ室が造られました。現在では九条山浄水場にて水処理の実験用に使われているそうです。
疎水関係の写真を撮っていたら偶然この建物を発見して小踊りしそうになりました(^^)。後になって上に書いたことが判りましたが、当時「辰野金吾や片山東熊の影響を受けているなぁ」とか「こんな山奥にもったいない」とか「水道施設にしては出来すぎ」とか思いまして、今となって全て納得がいく歴史のもとでの結果なのだとしみじみ考えさせられました。
すぐ近くにはインクラインの遺構や導水管があり、もちろん、丸めた図面を握って蹴上浄水場の方角を凝視している若き田辺朔郎の銅像もあります。その面影を残していたと思われる当時に建てた、明治18年の着工から23年の竣工までの間に亡くなった工夫や技手を供養する石碑も見逃せません。
同じ敷地には、大正か昭和初期っぽい、着水井と思われる建物もありました。
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