スピリチュアリスムの冒険──ベルクソン研究の現況をめぐって


『創文』No.472(創文社 2005年)pp.44-47に掲載されました。
「口が悪いなあ」と言われたものです。確かに。


 ここしばらく、ベルクソンについての研究が再び活況を呈している。このいくぶん意外な動向は、表面的には、新資料の登場によって説明されるだろう。かつては遺言によって出版を禁じられていた諸資料が、時間の経過と共にその禁を解かれながら、次々と私たちの目の前に示されてきているわけである。例えばユード(H. Hude)による講義録四巻の刊行(一九九〇−二〇〇〇)以降、特に若きベルクソンのリセにおける諸講義については相当のことが明らかになっている。二〇〇二年には、ロビネの手による『書簡集』の公刊と共に、リール第三大学のヴォルムス(F. Worms)を中心として『ベルクソン年報(Annales bergsoniennes)』も創刊され、新資料の定期的な提示の場となりつつある。コロックの開催や関連書の刊行も増えつつある現在、私たちは、一種の幸運なベルクソン・ルネッサンスの時期にあるとも言えよう。そのような時期に居合わせることのできた者として、思うことを少しばかり述べてみたい。

 ベルクソン哲学は敷居が低い。フランスでも、この日本でも、早くから一般読者を多く獲得した哲学ではあった。しかしこの水準における受容は、すぐさま限界に達した。直観や持続、創造や自由といった言葉ばかりが反復され、陳腐化していった。生誕百周年(一九五九)前後にはいくつかの優れた研究が出たものの、結局ベルクソン哲学は、リセのカリキュラムやバカロレアなどの本質的に保守的な制度において丁重に保存され継承される一アイテムと化したのである。日本でも、特に澤瀉久敬氏たちによってかつてのブーム的な受容の廃墟から救われて「デカルトと並ぶフランス哲学の代表者」と呼ばれはしたが、それにしては研究はそれほど豊かなものとはならなかった。中島盛夫氏、中田光雄氏らの仕事を例外として、教科書的なテーゼ(ないしそれと同等の解像度における粗雑な批判)の反復が長く続いたというのが実情ではないかと思う。「分析と直観」「科学と形而上学」「閉じた社会と開かれた社会」といったテーマがいつまでも繰り返されているさまは奇妙ですらある。ベルクソン哲学はずいぶん以前にその生命力を失い、惰性的な反復的継承へと委ねられてしまったかのようだったのである。

 このようにいささか暴言めいた話をするのは、今日のベルクソン復興の意味を正確に見積もるために他ならない。近年の諸文献の少なくない部分は、ベルクソンの著作の要約的紹介ないし教科書的分析から成る。実際それらはバカロレアなどのための参考書であることも多く、もちろん時に内容は優れたものであるが、しかしまさに教科書的に優れているのであって、内容に間違いはないのだが、別段そこに新しい情報や観点が含まれているわけでもない。保守的な学校教育システムをめぐるニーズによって生き残っていくことを、ルネッサンスなどと呼ぶのはためらわれる。そればかりではない。一例だが、ユードは、初期講義録を利用して、ベルクソン哲学全体を単純に「(キリスト教的な)神についての哲学」と規定して見せた(これは「自然についての哲学」と規定したグイエに対する異論である)。だが、こうしたベクトルでの「復興」は、むしろ平板化であり、研究上の後退でしかあるまい。実際、それならベルクソンでなくともクーザン(V.Cousin)やジャネ(P.Janet)たち、つまり古い「スピリチュアリスム」で話は済むのである。あのグイエなら皮肉めかして微笑して見せることだろうが、今日の私たちはその種の「再読」や「新解釈」に対して微笑んでばかりもいられない。

 私は「スピリチュアリスム」と言ったが、しかしそれを無視しようと言うのではない。逆であり、そうした歴史的文脈を把握することは今日むしろ不可欠な、そして不可避なこととなっているはずだ。

 これは実にありふれた話である。デカルトが学院で教えられる哲学を批判しているのだから、デカルトを学ぶためにスコラ哲学を振り返る必要などはない、などと言えば失笑をかうことだろう。実際、スコトゥスやトマス、そしてスアレスといった思想家への目配りなしにデカルト研究はほとんど不可能であり、またその目配りによってこそデカルトの有する過剰がそれとして見えてくるということ、これを否定する研究者は今日ではいないはずだ。何やら妙な嫉妬話めいているが、私はベルクソンに関しても、そのような堅実かつ豊かな読解のフィールドが用意されて然るべきだと感じてきた。しかし、かつてのグイエやジャニコーの研究書の時代以降、その種の作業はむしろなおざりにされがちだったように見える。

 そんな思いもあって、しばらく「フランス・スピリチュアリスム」と呼ばれる系譜を私もいくらか辿ってみたのだった。そして確かにそれは無益な作業ではなかったと今では言うことができる──幾分の両義的な思いと共に。

 「フランス・スピリチュアリスム」は、それなりに流通しているタームではある。そういった系譜が実在するかに見えるほどである。だが私がむしろ目にしたのは、そのような「系譜」の名目的あるいは党派的な性格であった。「フランス・スピリチュアリスム」の名称がそれとして確立するのはほぼ一八六〇年代であり、その主役はクーザンないしその直系であるソルボンヌのカロ(E.Caro)や特にジャネであり、そしてクーザンと対立するかに見えて結局は同じ枠内で動いているラヴェッソンであった。そこには、イギリスの経験論(ミルやベインの心理学、功利主義的道徳論)や、ドイツの唯物論などを掲げて「大学の哲学」を攻撃してくる論客への防御的対応があり、そうした論争的文脈なしにこの「フランス・スピリチュアリスム」という語の意義を論じることはおよそ不可能なのである。この語を語りつつ「系譜」を拵えたのは誰か、そしてそれはどのような意図と関心に基づいてのことであったのか。まずこれが問題なのだ。そしてそこには、いわゆる「哲学の国籍」をめぐる問いなどをも巻き込んで、極めてスリリングな経緯がある。

 しかし同時に、そうした事情を「地」として見るとき、かえって個々の思想家の有する過剰がそれとして浮かび上がってもきた。ビランに対するラヴェッソンの根本的な差異、そして科学論にフィールドを定めるブートルー的戦略の新しさ、ブランシュヴィックがもたらす関係主義的存在観の革新性…。そこにあるのは、一つの滑らかな流れではなく、互いにほぐれていこうとする数多くの冒険的な線の集まりのごときものであった(実際、すでに「エスプリ」の概念そのものが論者ごとに大きく異なるのだ)。「フランス・スピリチュアリスム」は、そうした光景を浮かび上がらせるには実に好都合なタームである。唯名論的に扱う時にこそ生産的になる語だ、と言ってもよい。

 唯物論の否定と、精神の自由の肯定。人格神の実在とそこに由来する道徳的諸価値の絶対性。──それらはクーザン的「スピリチュアリスム」の綱領的命題だが、今またそのようないささか空虚な結論的主張にのみ諸思想の連続性を担わせて、使用語彙の類似の下で遂行されているさまざまの冒険的な試みとそれらの過剰を見逃してしまうのなら、百年をも過ぎる隔たりを越えて諸テクストに向かう甲斐もないというものだ。ベルクソンについても同じである。

 ここしばらくの間必要なのは、ベルクソン哲学を「フランス・スピリチュアリスム」なるものへ溶かし込んで「連続」を保持することでもなく、かといってまたドゥルーズたちに合致する点を「切断」してきてそのアクチュアリティを称揚することでもないだろう。理由は極めて単純かつ実際的なものであって、そうした読みには、現在のところすでに一区切りがついているからである。

 おそらく私たちが思ってきたよりも深くかつ広く、ベルクソンは哲学史的連続性を引き受けている(講義録が教えるのはまずそのことだ)。そして彼自身が試みる切断もまた、それに応じて、思われてきた以上に多岐にわたり、また時に見えにくいものであることだろう。彼は、精神の自由、あるいは道徳や宗教といった、決して新しくないテーマと概念をやはり引き受けつつも、しかしむしろそれゆえに、それらの概念を内側からすっかり別のものに変えてしまう。先に例としたデカルトに限らず、哲学的な新しさとは、そうした種類の冒険を通じて密かに告げられるものではあるまいか。

 ここは詳論の場所ではないが、例えばベルクソンの「自由」が、それ以前の、あるいは同時代の哲学が擁護しようとするそれといかに隔たっていることか。当時ありふれた「決定論批判」を行うかに見えて、その背後では「自由」がついには主観の内在性そのものの名となるという、思いがけない議論が遂行されている。また、かの「純粋持続」という時間概念も、単に等質的時間を批判しては終わらない。それは、過去把持とその変様によって体験流を捉えようとするような時間論への潜在的批判であり、ひいては志向性や否定、脱自といった諸概念を先回りして疑義に付すものだ。彼は「精神」をして、今ある以上のものを自らの内から引き出してくる存在と定義したが、これは彼の自由論・時間論と密接に関わりながら、既存の「精神」概念を大きく変更する試みに他ならない。

 あるいは、彼が「道徳」や「宗教」を扱う時、本当のところは何が問題になっていたのか。何をいまさらと思われようが、よく考えるべきだと思う。ベルクソンは「善」や「悪」、「価値」を語らない。キリスト教神秘主義を特権視しながらも、「罪」や「赦し」、「救い」といった言葉は現れない。当然、彼は「道徳」を論じ損ねた(いや、新しい価値を説いた)、キリスト教に近づきつつもその十全な理解に至らなかった(いや、晩年には至った)、といった種類の論評は多いわけである。しかしそのような評者はベルクソンの視点変更をまさに見逃しているのであって、おそらくベルクソンが「道徳」や「宗教」の語を通じて語ろうとしたものは、通常それらの語が指示していよう事柄とはうまく重ならないのだ。詳細な検討のための雑な目印として言えば、彼が描いたのは、共同性と他者性をめぐる一般的力学とでも名付けられよう何かであったはずだ。

 空手形を切るつもりはない。ともかく、ベルクソンには多くの過剰がある。他の「スピリチュアリスト」が述べ得なかったこと、その後の哲学の語りにおいてもうまく掬い取れないものがある。そしてそうした過剰とその意味は、まさに地味な読解と比較検討を経なければ、浮き彫りにしようもないものなのだ。今日では、例えばヴォルムスたちがこの種の作業に取りかかっている。現在私が携わりたいと思っているのも、そのような種類の仕事である。

 漠然とした類似の指摘によって連続的系譜を拵えるのでもなく、その後に生じた魅力的な思想の先駆としてのみ称揚するのでもない、そんな読解に私は惹かれる。「哲学史」とは結局のところ、現在からする過去への暴力であることを免れないとは思うのだが、それでも過去になにがしかの敬意を表することができるとしたら、それはそのような読解を通じてでしかないと考えるからである。

 条件は再び整いつつある。今日の「ベルクソン・ルネッサンス」は、そのような読解たちの豊かな交錯であるべきだろう。

(すぎやま・なおき 学習院大学文学部助教授/フランス哲学)


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