杉山直樹『ベルクソン 聴診する経験論』(創文社 2006年)
あとがき(pp.331-337)


 たぶん大学二年生になったあたりだと思う、哲学科のものではないある講義でベルクソンという名前を聞き、図書館で白水社版の『時間と自由』を借りて読んだ。隣には『二源泉』があったので、それも読んだ。「何が主題となっているのか、よく分からない」といった印象だったろうか。その後、メルロ=ポンティなどの現象学というか身体論というか、当時はまだそれなりに勢いのあった思潮のほうに惹かれもしたが、卒業論文では結局ベルクソンを研究の対象に選んだ。なぜか、とは答えにくい。心酔したとか、傾倒したとか、そうしたパトスはほとんどなかったと思う。ただ、(こういった比較は愚かだが)メルロ=ポンティたちよりも何か奇妙なもの、気がかりな分からなさとでもいったものの存在を、私はベルクソンのテクストの中に感じていた。これは何も、他人の気付かなかった真理をこの私こそは予感し得たのだ、といった類の話ではない。単によく分からなかった、というだけのことである。

 「やめときなさい」といった趣旨のことを言った先輩もいた。賢明なアドバイスだと思う。その後も(よせばいいのに)ベルクソンを読み続けはしたが、「よく分からない」などとは未熟な誤解であった、「本当に分からない」のである。流麗なリズムをそなえた繊細な文体、などと言われはするし、確かに目の前の数行単位で読む限り、彼の言葉はそう言われもしよう心地よい滑らかさを有してはいると思うが、しかしそうしたフレーズたちが構成する全体はというと、それは私には、実に見通しの悪く、ぎこちない、今にも崩れそうな集塊のように映る。ノートを取り、用例集を作り、自前のレキシコンを作成し、つまりは「哲学書」を前にしての通常の読みの作業をするのだが、こんな難物はない。用語の意味は揺れ動き、矛盾するだろう主張が説明もなしに行われる。段落や節(あるいは章すら)の繋がりは時に不明確である。そういったことは多かれ少なかれどんなテクストについてもあるのだろうが、それにしても、「多い」と「少ない」とでは大きな違いだ。彼の「したがって」「ゆえに」は多くの場合、さらりと読めはするものの、よく考えてみれば、なぜ「したがって」「ゆえに」なのか分からない。このような哲学を「明晰」だの「端正」だの形容する人々が少なくないようだが、きっと彼らは、ベルクソンのテクストを本当に自分で読んだことがないのだ。──そんな傲慢な独り言でも繰り返して自分を励まさないことには、到底読み切れないばかりか、そもそも読み続けられないような哲学者。私にとってベルクソンとは、そのような実に厄介な存在であった。ここだけの話、彼の著作をぞんざいに床に放置したり(私にはベルクソンと同じく図書館員的魂が欠けている)、そればかりか文字通り放擲することもあった。だから私の所有するベルクソンの著作たちはむやみに傷んでいる。傷み具合が年代をそのまま示すという、考古学的には明晰判明な資料ではある。

 下らないことを述べてしまったけれども、もし以上に何らかの共感を抱かれる方がいるとしたら言おう──私はまずあなたに向けて本書を書いた、と。あなたならお分かりだろう、このベルクソンという哲学者がいかに異様な存在であるかを。簡単に扱おうとすれば簡単に扱える。彼に関して入門書的な概説を書けというのならすぐに用意しよう。「フランス・スピリチュアリスム」の系譜とやらの中に埋め込んでしまえというのならそれもまた簡単なことだ。「現象学」の先駆者の一人として評価しろというのならしよう(「現象学」は他の現代哲学系の華麗な看板に置換することも可)。そんなことはお構いなしに、この哲学者は書いている。あるいは、書かされている。彼は、最後となる著作序論の末尾において「本を書く義務など誰にもない」という恐ろしい言葉を記しているが、これは文字通りの意味だと思う。義務で書かれる本は、何かを背負ってみせた上での批判的・教育的意図、つまり結局は他人をすなどる欲望によって記される。ベルクソンの書き方はまったく異なる。彼は、誰を代弁するでもなしに、自動機械のように書く、あるいは書かされている。もちろん他学説に対する批判はある。だがそれをかきわけてみよう。そうして洗い出されるもの、例えば持続の「純粋異質性」、「イマージュ」、あるいは「エラン」や「創話機能」といった諸概念──事典に「ベルクソン」という項目を書くならば必須となろう諸概念、批判全体を駆動していた核となる諸概念そのものは、いつも唐突に、必要な説明もなしにやってくる(講義録や講演の中を探しても、多くの場合それらのプロトタイプは見つからないと思う)。異様ではないか。著作では一応ベルクソンはそれらを自らの主張として述べるにしても、そもそもそうした諸概念そのものが、不意に到来した異邦の客のようなのだ。よく分からないままに言えば、ベルクソンはその客人の言葉を聞き取り、それを私たちに告げ直しているように思う(しかもそれは、超越的権威を恭しく身にまとう例の僧侶風の謙虚かつ押しつけがましい語り口とも全く無縁なのだ)。内容に不整合なところはあるだろう。用語そのものの曖昧さは残るだろう。それは分かっている。だがそんなものに拘泥していては言えないことがある。もちろん語り手としては達人である。繰り返せば、ベルクソンが紡ぐ言葉はさしあたって滑らかで端正だ。「声に出して読みたいフランス語」に属すると言ってよい(実際、朗読レコードがある)。だがそれだけにかえって、そうした語りが覆うことのできない異形の何かがそこに露わになってしまう。ごく回顧的に言えば、私がベルクソンを読み続けたのもそのためなのだろう。そしてここでは、その「何か」のせめて輪郭を、描いてみようと思った。

 というわけで、本書にはいくつかの偏りが生じている。本書は「ベルクソン哲学」というものの包括的な注釈書とはなっていない。参照される著作のページリストを作れば、どこが素通りされているかは明らかだと思う。私としてはまず、テクストとして前述の「異様さ」を強く孕むと感じられた箇所を中心に読解を試みたつもりである(ある意味、この取捨選択が本書の一番大きな主張だとも言える)。また同時に、既存の研究においてほぼ論じられたと思われる点についても本書は(同意と込みでの)そっけない態度を取っている。ただ、いくつかの点は註に記したし、参考文献をご覧になれば私が前提とした諸考察はこれもほぼ明らかだと思う。特に言うとすれば、ベルクソン的な「神」について本書があまりにそっけないと感じる方もおられることは承知しているが、それも含めて、ベルクソン哲学とキリスト教との関係について新たに述べることはさしあたりないと思われた。そして、ドゥルーズによるあの留保なしに目覚ましいベルクソン解釈についても、ドゥルーズ自身が述べた以上のことを今の私が述べ得るとは思わない。長い研究史のほんの一こまとなるに過ぎない本書なのだから、アジテーションまがいの称賛の反復は避けるべきだろうし、正直なところ、そのあたりに存在するらしいある種のマーケットに参与するというのも気が進まなかった。

 だがそれ以外、単に私の力不足で論じられなかった点も多い。「自然種」の実在性に関する問題は放置されている(紙数が許さなかったということもあるが)。カントを扱いはしたが、カント哲学からの言い分は多いはずだ。特に、『判断力批判』とベルクソン哲学との関連は、多くの研究者が「ある。重要だ」と言いはするものの、いまだ誰も明晰に論じていないテーマ、しかし極めて重要で多産的なテーマであろう。第二章で扱う「空間」概念は、一方では「実体」と「関数」をめぐってのカッシーラー的思想(ブランシュヴィックはフランスにおける併走者と見られる)との連接を求めているはずであり、他方では、非直観的「理念性」を記すものとしての「エクリチュール」概念の相関者として再検討されてよいものでもあろうが、しかしこれもまた本書では放置せざるを得なかった。そして何より今の私があらためて気になっているのは、ベルクソン哲学が強調する「異質性」や「共約不可能性」、「表現不可能性」といった諸概念の相変わらずのポテンシャルである。交換可能性・通約可能性の水準、つまりは言語や貨幣の使用、翻訳や計算の作業が成り立つ平面は存在し、確かに私たちはそのおかげでこそ生き得ている。それは「人間」の基本的存在条件なのであって、それを無視するのは素朴で古風で幼稚かつ夢想的でもある種類の思惟だ、と言って不当ではない。そして実際、哲学の「現代的ニーズ」が言挙げされるのが、底を洗えば、そうした計算と配分の作業がスムーズに進むための基礎作業においてである(でしかない)ことも事実ではある。しかしたぶん、ベルクソンは「哲学が思惟すべきことは、それだけではない」「私たちは、それだけで生きているのではない」と言い続けていたのだと思う。本書は、結局のところ、そのベルクソンの執拗さに付き従って書かれたのだが、しかし見直せば単なるアウトラインの無防備な提示に留まってしまったようである。

 この種の反省点リストは作りだせばきりがなく、長くなればそれだけ見苦しいものになろうから、これぐらいにしよう。ひとまず私としては、反論にせよ何にせよ、本書が「ベルクソン哲学」という巨大な謎の複合体についてさまざまの解読を喚起するものになればありがたいと思っている。このように一定のテクストの読解だけにこだわる態度がある種の顰蹙と嘲笑の対象になることは分かっているが、今の私は、騒がしい「アクチュアリティ」にとびつくよりもむしろその種の地味な作業を続けることにこそ意義があるように感じている。ともあれ本書はそのために、テクストに即して一定の読解についての根拠を明示し、そこから反論も可能である程度には主張を整えたつもりではある。しかしそれはもはや読まれる方に判断を委ねるべき事柄でしかない。


 本書の原型となる諸部分は、学会誌、ならび大学の紀要において発表された。これまたいくぶん私事に渡るが、私が三十代の大部分を過ごした徳島大学総合科学部の紀要は、原稿用紙二百枚(!)までの原稿を掲載することを許しており、私はまだ素描的なところの残る文章を毎年そこに試行的に発表することができた。それを通じていくつかの批評や批判を得られたのだが、これは実に恵まれた環境であったと思う。これがなければ、私の仕事の仕方は全く別のものになっていたことだろうし、本書がこうした形でまとめられることもなかったであろう。そして、同僚となる吉田昌市氏、井戸慶治氏、石田三千雄氏、そして鳴門教育大学の田村一郎氏は、毎週のようにフィヒテやカントの読書会を開催されていたのだが、その読書会(ならびにその後のシュンポシオン)に加わらせていただけたのは幸福な経験であった。そんな中で用意された本書の価値が結果的にどのようなものであるかは措くとしても、大学や学会をめぐる昨今のあれこれの状況を見聞きするにつけ、現在の若いひとたちにもこの種の余裕ある環境が用意され続けることを願わずにはおれない。

 同じ種類の感謝を述べるべき方々は多い。ベルクソン哲学研究会のメンバーの方々は、先述の紀要論文に対して、またさらにその原型となる発表に関して、多くのコメントを与えて下さった。この研究会は、根田隆平、石井敏夫の両氏が発起人となって一九九七年に発足した。私は第二回から参加したが、従来の学会とは異なって専門的に、かつ自由闊達に、意見を交換できる場として、多くのことを学ばせていただきつつ、現在に至っている。これもまた幸福な場であった。かくしてようやく成立した原稿(ほぼ本書である)は、二〇〇五年秋に同志社大学に学位申請論文として提出された。大学院博士後期課程からの指導教員であり、主査を引き受けて下さった山形頼洋氏は、いつまで経っても仕上がらない私の博士論文を「白紙論文」と呼んでいたものだが、最低限、白紙であることは免れたようである。だが、まさにその提出当日の夜、宿泊先で私は滞仏中の石井敏夫氏の突然の訃報に接することになった。ベルクソンの解釈をめぐっては、石井氏と私の間での容赦ない意見交換と批判の応酬は、延々と体力の限り(これが比喩ではないことの証人は複数存在すると思う)続くことが常であった。そして本書の刊行ののち、それはさらに激しく続くはずだったのだ。なのに不戦勝とはずるいじゃないか、石井さん。
 最後に。本書は日本学術振興会による平成十八年度科学研究費補助金(研究成果公開促進費)の交付を受けて出版される。出版に際して、また執筆の段階から、創文社の相川養三氏には多くのご配慮と励ましをいただいた。記して感謝したい。

2006年盛夏
杉山直樹


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