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 関連の神社
〜管理者自身の参拝の軌跡〜
○ 熱田神宮
 ・ 御神体・祭神 熱田大神、相殿で天照大神、素戔嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲
  種命
 ・ 所在地 愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1
 ・ 例祭日 6月5日
 ・ 神事 世様神事(1月7日)、踏歌神事(1月11日)、封水世様神事(1月12日)、歩射神
  事(1月15日)、舞楽神事(5月1日)、酔笑人神事(5月4日)、神輿渡御神事(5月5日)、
  豊年祭(5月8日)、御衣祭(5月13日)、南新宮社祭(6月5日)、御田植祭(6月18日)、鈴
  之御前社祭・茅輪くぐり神事(7月31日)
 ・ 由緒 三種の神器の一つである草薙の神剣を霊代としている。熱田大神は、これを
  依りましとする天照大~である。
   この神剣は、「古事記」「日本書記」に素戔嗚尊が出雲国で八岐大蛇から獲て、天
  叢雲剣として天照大神に献上されたとあるもので、天孫に授けられ、後に伊勢神宮に
  鎮祭されていた。日本武尊が東征の時に倭姫からこれを授かり、駿河国で草を薙ぎ払って賊徒を平定したことからその名があ
  る。
   日本武尊は、東国平定の後尾張国造の館に留まり、宮簀媛命を妃としたが、近江国伊吹山の賊徒平定に向かった時に病とな
  り伊勢国能褒野で没した。宮簀媛命は、残された草薙神剣の霊威を畏み、尾張一族の霊域でもあった吾湯市の熱田に奉斎し、
  終生奉祀した。これが熱田神宮の起源とされる。

○ 天岩戸神社
 ・ 御神体・祭神 [西本宮]岩窟、大日命、配祀神で天鈿女命・天手力男命・大年神
  ・素盞嗚尊・日子穗穗手見命・豊玉毘売命・菅原道真公、[東本宮]天照皇大神
 ・ 所在地 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸1073-1
 ・ 例祭日 5月2・3日、9月22・23日
 ・ 神事 岩戸神楽三十三番
 ・ 由緒 東西両本宮は元来は独立した別の社であった。ともに天照大御神を祀るとは
  言え、創祀以来皇室や朝廷からではなく、在地住民からの信仰を主としている。西本
  宮の創祀の時代は不明であるが、岩窟を御神体とするのは、古くからの信仰形態を示
  すものであるとされる。社伝によれば、瓊瓊杵命が天岩戸の故事を偲び、その古跡に
  鎮祭したのが起源であり、弘仁年間(810〜824年)に大神惟基が再興したとされ、岩
  戸川を挟んで東本宮と西本宮があり、西本宮は本殿をもたず、「古事記」「日本書紀」
  の中に記されている天照大御神のお隠れになった天岩戸と信じられている岩窟を御神
  体とする。
   一方東本宮も創祀の時代は不明で、昌泰年間(898〜901年)の古記録に、思兼神が天岩戸より出御した天照皇大神に、東本
  宮の地に造営した社殿への鎮座を願ったのに始まるとされる。

○ 天香山神社
 ・ 御神体・祭神 櫛真智命
 ・ 所在地 奈良県橿原市南浦町608
 ・ 由緒 天香久山北麓に鎮座している。畝尾都多本神社・坂門神社(天岩戸神社)・畝
  尾坐健土安神社とともに、「天香山坐四處神社」と呼ばれている。
   創建年代は不明で、「延喜式」神名帳に「大和国十市郡 天香山坐櫛眞命神社大月
  次神嘗」などがあるが、天香山坐櫛眞命神社を天香山神社に比定する説が一般的であ
  る。しかし、天香久山の山頂に鎮座する国常立神社に比定する説もあり、論社になっ
  ているとされる。
   境内にある波波迦の木は、昔、占いに用いられたと言われている。祭神の櫛眞知命
  は、神意を伺う占いの神であり、国家の大事を判断する亀卜や大嘗祭に行われる神饌
  田卜定に関わる神として重んじられていたとされる。「古事記」の天岩戸神話に「天
  児屋命と布刀玉命を召して、天の香山の真男鹿の肩を全抜きて、天の香山のははかを
  取りて、占合ひまかなはしめて‥」とあり、天香久山の雄鹿の骨を抜きとって「朱桜」の木の皮で焼き、吉凶を占ったとある。
  〜天香山神社〜

○ 出雲大社
 ・ 御神体・祭神 大国主大神
 ・ 所在地 島根県簸川郡大社町大字杵築東19
 ・ 例祭日 5月14日
 ・ 神事 大御饌祭(1月1日)、祈穀祭(2月17日)、古伝祭(3月1日)、涼殿祭(6月1日)、
  神幸祭(8月14日)、爪剥祭(8月15日)、神在祭(旧暦10月11〜17日)、献穀祭(11月
  23日)、古伝新嘗祭(11月23日)、御饌井祭(11月17日、12月27日)
 ・ 由緒 祭神である大国主大神は、稲羽素兎の説話に見られるように慈悲深く、ま
  た不撓不屈に数々の難儀をも耐え忍ぶ実直な神徳をもって葦原中国を開拓経営した
  神とされる。
   後に邇邇芸命の降臨に際して、その国土を天孫に譲り、自らは幽冥の主宰神とな
  った。この功績を喜んだ天照大御神は、大国主大神のために多芸志の小汀に天日隅
  宮という広大な宮殿の建設を命じ、第二の御子神である天穂日命をして、その祭祀
  を司らせることになったとされる。

○ 伊勢神宮
 ・ 御神体・祭神 [内宮]天照坐皇大御神、相殿で天手力男神・万幡豊秋津姫命、[外
  宮]豊受大御神、相殿で御伴神三座
 ・ 所在地 三重県伊勢市宇治館町1
 ・ 神事 日別朝夕大御饌祭(毎日)、祈年祭大御饌奉幣(2月27日)、神田下種祭(4月下
  旬)、神御衣祭・風日祈祭(5月14日、8月4日)、月次祭(6月15〜17日、12月15〜17
  日)、抜穂祭(9月下旬)、神御衣祭(10月14日)、神嘗祭(10月15〜17日)、新嘗祭大御
  饌奉幣(11月23日)
 ・ 由緒 伊勢の神宮は、「神宮」が正式な呼称で、全国の神社の中心的存在であり、
  神社本庁の「本宗」とされ、五十鈴川の川上に鎮座する皇大神宮(内宮)と山田原に鎮
  座する豊受大神宮(外宮)を中心に、この両宮に付属する別宮、そのほかの施設を包含
  する神社群の総称である。
   邇邇芸命の天孫降臨に際して同床共殿に神勅とともに授けられたとされる八咫鏡は、
  歴代、皇居の中に奉斎されてきたと伝えられるが、第10代崇神天皇のときに神慮を畏
  み、倭笠縫邑に移し豊鍬入姫が奉祀することとなった。ついで第11代垂仁天皇の時、
  皇女倭姫命は、この御鏡を奉じ大神の鎮まるところを求めて各地を巡行し、伊勢国に
  至り、「この神風の伊勢国は、常世の浪の重浪よする国なり。傍国のうまし国なり。この国に居らむと思う」との神託を得て、
  五十鈴の川上に鎮座したのが内宮の始まりとされる。
   一方外宮は、もとは丹波国に鎮座していたが、第21代雄略天皇のとき、御饌津神として等由気大神を近くへ召したいとの神
  慮により奉遷されたと伝えられる。

○ 厳島神社
 ・ 御神体・祭神 市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫命
 ・ 所在地 広島県廿日市市宮島町1-1
 ・ 例祭日 6月17日
 ・ 神事 神衣献上祭(1月1日)、春祭(3月17日)、桃花祭神能(4月16〜18日)、講社大
  祭(5月14日)、管絃祭(旧歴6月17日)、玉取祭(8月中旬)、氏神祭(10月15日)、菊花
  祭(10月15日)、新嘗祭(11月23日)、御鎮座祭(12月初申日)、鎮火祭(大晦日)
 ・ 由緒 安芸国一宮で、周囲約31キロの宮島は古くより神の島として信仰され、人
  も住まなかったとされる。神を斉祀る島の意味で厳島と呼ばれる。
   推古天皇元年(593年)に佐伯鞍職が神勅を受け社殿を造営したのが創祀であると伝
  えられる。貞観元年(859年)に従四位下に叙せられてより天慶3年(940年)には正四位
  上に上っている。平清盛が特に篤い信仰を寄せたとされ、現在の規模の社殿の完成を
  みて、平家納経など今日に伝わる多くの宝物を寄進している。

○ 稲田神社
 ・ 御神体・祭神 稲田姫命、配祀神で大國主命、素戔嗚尊、大山祇命
 ・ 所在地 島根県仁多郡奥出雲町稲原2128-1
 ・ 神事 春季大祭(4月26日)、秋季大祭(10月26日)
 ・ 由緒 創立年代及び由緒は不詳であるが、「古事記」や「日本書紀」には御祭神名
  が記され、しかも「大蛇退治神話」の舞台であったところからすると、由緒深い古社
  と言える。古の人々が現在の笹宮(笹の宮)のあたりに小さな祠を建てたのが始まりと
  言われている。
   棟札に記された最古の年号は元禄15年(1702年)、境内は約700坪ある。現在の社殿
  は昭和13年(1938年)に九州小倉の石炭王・小林徳一郎(1870〜1956年)翁が寄進した
  ものとされる。事業で大成功をなした翁が、故郷に貢献する社会事業として、拝殿、
  社殿、社務所を建立したとされる。
  〜稲田神社〜

○ 忌宮神社
 ・ 御神体・祭神 仲哀天皇、神功皇后、応神天皇
 ・ 所在地 山口県下関市長府町宮の内1-18
 ・ 例祭日 12月15日
 ・ 神事 数方庭祭(織祭)、御斎祭、後鳥神事
 ・ 由緒 仲哀天皇の行宮とされる穴門豊浦宮の伝承地に鎮座する。
   社伝では、天照大御神と底筒男命・中筒男命・上筒男命の神教を疑ったため、筑紫
  の香椎宮で崩御した仲哀天皇を、神功皇后が新羅から帰還の後、豊浦宮に祀ったのを
  起源とされる。第45代聖武天皇の時に、香椎宮より神功皇后と応神天皇の霊を勧請し、
  合祀したとされる。
   平安時代末期からは崇敬が高まり、長門二宮として鎌倉幕府を初めとする時の為政
  者・領主によって保護された。数方庭祭・御斎祭は神功皇后の事績にちなむとされる。

○ 石清水八幡宮
 ・ 御神体・祭神 誉田別尊、比淘蜷_、神功皇后
 ・ 所在地 京都府八幡市八幡高坊30
 ・ 例祭日 9月15日
 ・ 神事 青山祭(1月18日)、比淘蜷_祭(1月23日)、初卯祭・御神楽(旧歴2月初卯祭)、
  仲哀天皇祭(2月6日)、応神天皇祭(2月15日)、御鎮座祭(4月3日)、神功皇后祭(4月17
  日)、御田植祭(6月吉日)、御誕辰祭・御神楽(12月14日)
 ・ 由緒 京都の南西部、淀川に木津川・桂川が合流する地点を見下ろす男山の山頂に
  鎮座する。
   清和天皇貞観元年(859年)に奈良の大安寺の僧行教が宇佐八幡大神の「我都近く移
  座して国家を鎮護せん」との託宣を受けたことにより、橘良基が六宇の宝殿を建立し、
  同2年に宇佐三所の神璽を奉安したのを創祀とするとされる。

○ 宇佐神宮
 ・ 御神体・祭神 応神天皇、比売大神、神功皇后
 ・ 所在地 大分県宇佐市南宇佐2859
 ・ 例祭日 3月18日
 ・ 神事 鎮疫祭(2月13日)、仲秋祭(10月9〜11日)、御神幸祭(7月31〜8月2日)、致
  祭(2月・11月初卯日)
 ・ 由緒 本殿は、向かって左から第一・第二・第三之殿の3棟が南面して並んでいる
  が、第一之殿に祀られている応神天皇(八幡神)は、欽明天皇の時代に、現在奥宮の大
  元神社の鎮座する御許山に顕現されたと伝えられる。
   欽明32年(571年)に菱形池の辺に神が現れて「我は誉田天皇広幡八幡麻呂なり」と
  告げたことにより、これを祀ったのが宇佐神宮の始まりとされる。数度の遷座の後、
  神亀2年(725年)に現在地に造立されたのが第一之殿であるとされる。天平元年(729
  年)に第二之殿、弘仁14年(823年)に第三之殿が造立され、現在の規模になったとさ
  れる。

○ 鵜戸神宮
 ・ 御神体・祭神 日子波瀲武草葺不合尊、相殿で大日貴命・天忍穂耳尊・彦火
  瓊々杵尊・神日本磐余彦尊
 ・ 所在地 宮崎県日南市大字宮浦332
 ・ 例祭日 2月1日
 ・ 神事 神幸祭
 ・ 由緒 黒潮の怒濤が打ち寄せる日南海岸の断崖、洞窟内に社殿があり、社地一帯は
  亜熱帯植物の群生地である。
   創建は、崇神天皇若しくは舒明天皇の代に六所権現の社殿が建立されたと伝えられ
  る。延歴元年(782年)に天台宗の光喜坊快久が勅命を受けて神殿を再興し寺院を建立
  し、鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺の号を賜ったとされる。その後両部神道の道場と
  なり、明治以前まで代々の別当は仁和寺が任命し、一時は門跡が別当を兼ねたことも
  あったとされる。

○ 大神神社
 ・ 御神体・祭神 三輪山、大物主大神、配祀神で大己貴神、少彦名神
 ・ 所在地 奈良県桜井市三輪1422
 ・ 例祭日 4月9日
 ・ 神事 繞道祭(1月1日)、御田植祭(2月6日)、檜原祭(8月28日)、大神祭(10月23〜
  25日)、酒まつり(11月14日)
 ・ 由緒 三輪山を神体山として成立した神社で、今日も本殿を有せず、三輪鳥居の内
  側を禁足地とする神社の原初的形態を残している。
   「古事記」「日本書記」によれば、大己貴神の幸魂、奇魂であり、少彦名神が常世
  郷に渡った後、海原を照らして出現し、国造りを完成させて、大和の青垣の東、三諸
  山に祀られたとされる。
   天孫降臨に先立って「宜しく八十萬神を領いて、永に皇孫のために護り奉れ」との
  高皇産霊尊の勅を受け、神代よりの国家皇室鎮護の神として崇められているとされる。

○ 大山祇神社
 ・ 御神体・祭神 大山積神
 ・ 所在地 愛媛県越智郡大三島町大字宮浦3327
 ・ 例祭日 4月22日
 ・ 神事 御田植祭(旧歴5月5日)、産須奈祭(旧暦8月22日)、抜穂祭(旧暦9月9日)
 ・ 由緒 「伊予国風土記」逸文には、仁徳朝に百済から渡来し、はじめ津国御志摩(摂
  津国三島)に鎮座し、後に伊予国に移ったとある。このことから「三嶋大神」「和多志
  大神」と言われたとされる。
   天平神護2年(766年)に従四位下を授かり、貞観17年(875年)に正一位に進む。「延
  喜式」では名神大社、伊予国一宮とある。大鳥居には藤原佐理の筆とされる「日本総
  鎮守大山積大明神」の大きな扁額が掲げられている。

○ 大和神社
 ・ 御神体・祭神 大和大国魂神、八千戈神、御年神
 ・ 所在地 奈良県天理市新泉町星山306
 ・ 例祭日 4月1日
 ・ 神事 御弓始祭、粥占祭
 ・ 由緒 元来、天照御大神とともに宮中に祀られていたが、崇神天皇6年に天皇は神
  との同殿共床を畏れて、天照御大神を豊鍬入姫命に、大和大国魂神を淳名城入姫命に
  託して奉還した。このうち、大国魂神は初め市磯邑で祀られていたが、斎王である淳
  名城入姫命が痩せ衰えてしまった。この時、穂積臣遠祖水口宿禰らに夢告があり、大
  倭直遠祖市磯長尾市に奉仕させることになったとされる。
   平安初期までに伊勢神宮に次ぐ社領を得て、「延喜式」名神大社に列し、二十二社
  の一として朝廷の奉幣を受け隆盛した。しかし遷都や藤原氏の隆盛とともに衰退し、
  中世後半には神領も失い、江戸時代には仏堂様の建造物となっていたとされる。

○ 自凝島神社
 ・ 御神体・祭神 伊弉諾命、伊弉冉命、合祀神で 菊理媛命
 ・ 所在地 兵庫県南あわじ市榎列下幡多415
 ・ 例祭日 5月3日
 ・ 神事 夏祭(7月8日)、八百萬神社祭( 9月1日)
 ・ 由緒 この地が伊弉諾命、伊弉冉命両神による国産み・神産みの舞台となった自凝
  島であると伝えられ、このことから縁結びや安産などの御利益があると言われる。
   難読であるため境内の石標・案内板や周辺道路の道路標識、道路地図などでは、も
  っぱら「おのころ島神社」という表記が用いられている。なお馭盧島神社という表
  記もあるが、これはほとんど使われていない。神社西側を流れる三原川には朱色の欄
  干の「おのころ橋」が架かっている。
  〜自凝島神社〜

○ 橿原神宮
 ・ 御神体・祭神 神武天皇、媛蹈鞴五十鈴媛命
 ・ 所在地 奈良県橿原市久米町934
 ・ 例祭日 2月11日
 ・ 神事 御鎮座記念祭、神武天皇祭
 ・ 由緒 明治22年(1889年)に奈良県高市郡の住民は、神武天皇即位の伝承地である畝
  傍宮遺跡に、神武天皇を祀る神社を創建するように請願した。翌23年4月2日に畝傍山
  山麓に皇紀2550年を記念して官弊大社の創建が決定し、京都御所の温明殿が本殿に、
  神嘉殿が拝殿として下賜された。更に昭和15年(1940年)の皇紀2600年の時も記念事
  業として社殿の改築や神域の整備、拡張がなされ、現在の規模へと発展した。
   祭の日には、翁舞、金春流能、国栖奏といったこの地方にゆかりのある芸能が奉納
  される

○ 鹿島神宮
 ・ 御神体・祭神 武甕槌大神
 ・ 所在地 茨城県鹿島郡鹿島町宮中2306-1
 ・ 例祭日 9月1日
 ・ 神事 白馬祭(1月7日)、祭頭祭(3月9日)、御田植祭(5月1日)、神幸祭(9月1・2日)、
  宮贄祭(12月20日)
 ・ 由緒 「日本書記」によれば、祭神の武甕槌神は、香取神宮の祭神の経津主神とと
  もに、天照御大神の神勅を奉じて出雲国に降り、大国主神と国譲りの交渉をして、建
  国の基礎を築いた。その後、香取神宮の経津主神とともに葦原中国を平定し、鹿島の
  地を本拠として東国の鎮撫と開拓に当たったとされる。
   更に神武天皇東征に際しては、神剣「師霊剣」を下し、天皇の大和入国を守護した。
  社伝によれば、神武天皇は即位の年に天種子命を使いとして鹿島に遣わせ、大神を奉
  斎したと言われる。崇神天皇の代、大阪山に鹿島大神が出現し、中臣聞勝命に神託、
  天皇は神宝類を献じた。大化5年(649年)に鹿島神郡が設置され、天智天皇9年(670年)
  には唐使造営のことがあった。また藤原鎌足は鹿島の地の生まれといい、春日大社創
  立に当たっては、その第一殿に鹿島大神が勧請されたとされる。

○ 香取神宮
 ・ 御神体・祭神 経津主大神
 ・ 所在地 千葉県佐倉市香取1697
 ・ 例祭日 4月14日
 ・ 神事 元旦祭(1月1日)、節分祭(2月節分日)、新年祭(2月17日)、御田植祭(4月4
  日)、神幸祭(4月15日)、新飯神事(10月17日)、新嘗祭(11月23日)、大饗祭(11月30
  日)、賀詞祭(12月1日)、内陣神楽(12月4日)、団碁祭(12月7日)
 ・ 由緒 利根川下流の水郷地帯に対岸の鹿島神宮と並んで鎮座する。「日本書記」に
  よれば、祭神の経津主大神は、鹿島神宮の祭神である武甕槌大神とともに、天照大御
  神命令を受けて出雲国に降臨し、大国主神と交渉の結果、円満に国譲りを実現させた。
  更に国内を巡幸し、荒ぶる神々を平定して日本建国の基礎を築き、ことに東国の開拓
  と民生の安定に多大な功績を示したとされる。

○ 北野天満宮
 ・ 御神体・祭神 菅原道真公、相殿で中将殿(道真長子高視卿)、吉祥女(道真正室)
 ・ 所在地 京都府京都市上京区馬喰町
 ・ 例祭日 8月4日
 ・ 神事 二十五日祭(毎月25日)、筆始祭(1月2日)、梅花祭(2月25日)、御誕辰祭(6月
  25日)、名月祭(旧歴8月15日、9月13日)、瑞饋祭(10月4日)、余香祭(10月29日)、
  献茶祭(12月1日)
 ・ 由緒 延喜3年(903年)に菅原道真(845〜903年)は配流地の太宰府で没した。その
  後、京都では落雷などの被害があり、これが道真の祟りとする噂が広まり、更に御霊
  信仰と結びついた。その没後20年、朝廷は道真を本官に復し正二位を贈り、左遷の宣
  命を焼却した。更に天慶5年(942年)に右京七条二坊に住む多治比文子という少女に託
  宣があり、これにより天暦元年(947年)に皇城鎮護の神として、北野に社殿が造営さ
  れたとされる。

○ 吉備津神社
 ・ 御神体・祭神 大吉備津彦命、相殿で八柱
 ・ 所在地 岡山県岡山市吉備津931
 ・ 例祭日 5月第2日曜日、10月19日
 ・ 神事 月次祭(毎月13日)、松植祭(1月5日)、御忌日祭(4月19日)、名越祭(7月31日)
 ・ 由緒 崇神朝の四道将軍の一人として吉備地方を平定した吉備津彦命をはじめ、吉
  備氏一族の祖神を祀る。「黄金吹く吉備の中山」と喧伝された丘陵の北麓に鎮座する。
   承和14年(847年)に従四位下を授かり、仁寿2年(852年)に四品に叙せられ、官社に
  列し、神封20戸を寄せられた。天慶3年(940年)に承平・天慶の乱鎮定の報賽で一品に
  進んだとされる。
   「延喜式」では名神大社、備中国一宮で、本殿は応永32年(1425年)に足利義満の造
  営で吉備津造と称され、比翼入母屋造りの豪壮な建造物である。

○ 貴船神社
 ・ 御神体・祭神 高
 ・ 所在地 京都府京都市左京区鞍馬貴船町180
 ・ 例祭日 6月1日
 ・ 神事 雨乞祭、水まつり、御火焚祭
 ・ 由緒 反正天皇の時代に鎮座し、白鳳6年(678年)に社殿の造営があったと伝えられ
  る。貴船川上流に鎮座し、上古より祈雨と止雨の神として崇敬されていた。特に平安
  遷都後は大和の丹生川上神社と並び称され、名神大社に列し、二十二社の一つでもあ
  った。
   賀茂社とともに平安京を守護する神として、長らく賀茂社の下に置かれた。祈雨・
  止雨の神であるとともに、縁結びの神としての信仰もあり、小説や漫画の陰陽師によ
  る人気もあり、若いカップルで賑わっている。その一方で縁切りの神、呪咀神として
  も信仰されており、丑の刻参りでも有名である。ただし「丑の年の丑の月の丑の日の
  丑の刻」に貴船明神が貴船山に降臨したとの由緒から、丑の刻に参拝して願いを掛け
  ることは心願成就の方法であり、呪咀が本来の意味では無いとされる。平安時代には、丑の刻であるかは不明だが貴船神社に
  夜に参拝することが行われていた。時代の変遷とともに本来の意味が変質したものと思われる。

○ 草戸稲荷神社
 ・ 御神体・祭神 保食神、宇加之魂神、大己貴神
 ・ 所在地 広島県福山市草戸町1467
 ・ 神事 節分祭、卯之大祭、夏越大祓、草戸八幡神社例大祭
 ・ 由緒 社伝によると、平安時代の大同2年(807年)に空海が明王院を開基した時に同
  寺の鎮守として祀ったのが始まりとされる。元は、現境内地前の芦田川の中州に存在
  した草戸千軒町にあった小社であったとされる。伝承によると、草戸千軒町に居住し
  ていた刀匠法華一乗が剣を妙顕寺に奉納した際に、稲荷の霊験があったため稲荷を信
  仰し、自宅そばに勧請したという由来があるとされる。
   社殿は中洲にあるため、しばしば洪水により社殿が流失したと伝わる。寛永11年(1
  633年)に福山藩初代藩主水野勝成が再建したとの棟札が残る。承応元年(1652年)に福
  山藩3代藩主水野勝貞が父の2代藩主勝俊の病気平癒を祈願し参拝した。翌承応4年(16
  55年)に水野勝貞が社地を現境内地に遷したとされる。
  〜草戸稲荷神社〜

○ 熊野大社
 ・ 御神体・祭神 加夫呂伎熊野大神櫛御気野命(素戔嗚尊)
 ・ 所在地 島根県八束郡八雲村熊野2451
 ・ 例祭日 10月14日
 ・ 神事 鑽火祭、御狩祭
 ・ 由緒 八岐大蛇を退治した素戔嗚尊が、宮地を定めて鎮まったと伝えられる。
   出雲国造が奉仕する社の首座として、古くは出雲大社と並ぶ待遇を受けており、両
  者は出雲神戸を共有するなどでも密接な関係があった。出雲大社とともに「延喜式」
  では大社に列し、出雲国一宮として武将の崇敬を受けたとされる。
   現在も出雲国造の就任に伴う重要な神事を伝えており、祭神の母神・后神を祀る摂
  社伊弉冉神社、櫛稲田神社もある。

○ 熊野那智大社
 ・ 御神体・祭神 第一殿滝宮・大己貴命、第二殿証誠殿・家都御子大神、第三殿中御
  前・御子速玉大神、第四殿西御前・熊野夫須美大神、第五殿若宮・天照大神、第六殿
  (八社殿)禅師宮・忍穂耳尊、聖宮・瓊瓊杵尊、児宮・彦火火出見尊、子守宮・
  葺不合尊、一万宮・国狭槌尊、十万宮・豊斟渟尊、勧請十五所・土煮尊・飛行夜叉
  ・大戸道尊・米持金尊・面足尊
 ・ 所在地 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
 ・ 例祭日 7月14日
 ・ 神事 新年祭(1月1日)、二夜三日祈祷(1月1〜3日)、午王神事(1月1〜7日)、手斧
  始式(1月11日)、節分祭(節分当日)、初午祭(初午当日)、桜祭り(4月14日)、扇神事、
  火祭り、田植舞、大和舞、田楽舞、扇神興渡御、大松明神事(7月14日)、紅葉祭(11
  月14日)
 ・ 由緒 第四殿西御前の熊野夫須美大神(伊弉冉尊)を主神として、万物の生成、和合
  を図る神、農林・水産・漁業の守護神としても信仰されている。
   社伝では、神武天皇は東征の時、熊野灘から上陸して、那智の滝を神と祭り、その守護のもと八咫烏に導かれ大和に入った
  とされる。この那智の滝は、太古より信仰の対象であったが、修験道が起こってから、滝を飛瀧権現と称し、大己貴命の本地
  として千手観音を祀るようになったとされる。役小角は、この地を第一の霊場に定めたという伝えがある。

○ 金刀比羅宮
 ・ 御神体・祭神 大物主命、相殿で崇徳天皇
 ・ 所在地 香川県仲多度郡琴平町892-1
 ・ 例祭日 10月10日
 ・ 神事 初こんぴら(1月10日)、大祈願祭(3月8〜10日)、桜花祭(4月10日)、田植祭
  (4月15日)、潮川神事(9月8日)、神幸祭、お頭人さん、献馬の式、金刀比羅祭、東遊、
  大和舞(10月9〜11日)、紅葉祭(11月10日)
 ・ 由緒 広く「こんぴらさん」と呼ばれ、海上守護、航海安全の神として信仰されて
  いる。讃岐平野を見下ろす琴平山の中腹に鎮座する。
   祭神大物主神は、大国主神の和魂で国土経営の神であり、太古、琴平の地まで海が
  湾入していた頃、ここに行宮を営んだという。中世以降、本地垂迹説の影響により、
  金比羅大権現と称し、社僧金光院が別当に当たっていた。宝暦3年(753年)に後桃園天
  皇の勅願所となったのを初め、朝廷武将の崇敬も篤いものがあったとされる。

○ 籠神社
 ・ 御神体・祭神 彦火明命、相殿で天照大神、豊受大神、海神、天水分神
 ・ 所在地 京都府宮津市大垣430
 ・ 例祭日 4月24日(葵祭)
 ・ 由緒 「神道五部書」の「豊受太神御鎮座本紀」によると、天照大神は崇神天皇の
  とき大和笠縫邑を出て、真名井ヶ原の与佐宮に4年間留まり、以前よりそこに鎮座し
  ていた豊受大神から御饌物を受けたとされる。これにより元伊勢と称する。
   社殿では、大化の改新(645年)以後に与佐宮を籠宮と改め、養老3年(719年)に天橋
  立を望む現在地に社殿を遷して本宮とし、旧地は奥宮真名井神社としたとされる。
   「延喜式」では明神大社に列し、丹後国一宮でもあった。主祭神を彦火明命、相殿
  を天照・豊受両大神としたが、後に海神、天水分神も配祀したとされる。累代宮司を
  務める海部氏は、付近の海民の祖と伝えられる。

○ 佐太神社
 ・ 御神体・祭神 佐陀大神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、速玉之男命、事解男命、天照大神、
  瓊瓊杵尊、素戔嗚尊
 ・ 所在地 島根県松江市鹿島町大字佐陀宮内72
 ・ 例祭日 9月25日
 ・ 神事 御座替神事、直会祭、佐陀神能、からさで神事
 ・ 由緒 「出雲国風土記」によれば、佐太大神は神魂命の娘佐加比比売命の子で、島
  根県加賀郷加賀神崎の岩窟に生まれ、佐陀地方の祖神になったと言い、またその当時
  「佐太御子社」と称していたとされる。
   「延喜式」では「佐陀神社」、後に「正一位佐陀大明神」と称し、平安末期には安
  楽寿院の荘園に属したとされる。

○ 須我神社
 ・ 御神体・祭神 須佐之男命、稲田比売命、清之湯山主三名狭漏彦八島野命、配祀神
  で武御名方命
 ・ 所在地 島根県雲南市大東町須賀260
 ・ 例祭日 9月28日
 ・ 神事 百手の的神事(2月17日)、茅之輪神事(6月30日)、茣蓙替祭・八雲祭(8月22
  日)、鹿食神事(9月27日)
 ・ 由緒 「古事記」によれば、須佐之男命は八岐大蛇を退治した後、妻の稲田比売命
  とともに住む土地を探し、当地に来て「気分がすがすがしくなった」として「須賀」
  と命名し、そこに宮殿を建てて鎮まったとされる。これが日本初の宮殿ということで
  「日本初之宮」と呼ばれ、この時に須佐之男命が詠んだ歌が日本初の和歌ということ
  で、「和歌発祥の地」と称している。
   「出雲国風土記」大原郡条に記されている「須我社」に比定される。風土記の時点では神祇官の管轄ではなく、延長5年(9
  27年)の「延喜式」神名帳には記されていない。本来の祭神は大原郡海潮郷の伝承に登場する須義禰命であったものが、「古
  事記」「日本書記」神話の影響により須佐之男命に結び付けられたとも考えられる。
  〜須我神社〜

○ 須佐神社
 ・ 御神体・祭神 須佐之男命、配祀神で稲田比売命、足摩槌命、手摩槌命
 ・ 所在地 島根県出雲市佐田町須佐730
 ・ 例祭日 4月18日
 ・ 神事 月次祭(毎月15日)、歳旦祭(1月1日)、節分祭(2月3日)、祈年祭(2月17日)、
  古伝祭(4月19日)、大祓(6月30日)、切明神事(8月15日)、秋季祭(10月17日)、新嘗
  祭(11月23日)、大祓(12月31日)
 ・ 由緒 「出雲国風土記」に、須佐之男命が各地を開拓した後に当地に来て最後の開
  拓をし、「この国は良い国だから、自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言
  って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたとある。古来須佐之男命の本宮とされた。
  社家の須佐氏は、大国主神の子の賀夜奈流美命を祖とすると伝えられている。
   旧社地は神社の北方にある宮尾山にあったとされる。現社地は盆地のほぼ中央部に
  あり、中世の時点では既にこの地にあったと考えられる。
   「出雲国風土記」に「須佐社」と記されている。「延喜式」神名帳に「須佐神社」
  とあり、小社に列している。中世には「十三所大明神」「大宮大明神」、近世には
  「須佐大宮」と称された。

○ 晴明神社
 ・ 御神体・祭神  安倍晴明御霊神、合祀で宇迦之御魂大神、菅原道真公、地主神
 ・ 所在地 京都府京都市上京区堀川通一条上る晴明町806-1
 ・ 例祭日 9月秋分の日(晴明祭)
 ・ 神事 新年祭(1月1日)、節分星祭(2月節分)、火災除祈願祭(6月26日)、晴明神社祭
  (9月22・23日)、嵯峨墓所祭(9月26日)、御火焚祭(11月23日)
 ・ 由緒 寛弘2年(1005年)に晴明が亡くなると、その時の天皇一条天皇は晴明の遺業
  を賛え、晴明は稲荷神の生まれ変わりであるとして、寛弘4年(1007年)にその屋敷跡
  に晴明を祀る神社を創建したとされる。
   当時の境内は、東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通まであり、
  かなり広大であった。しかし度重なる戦火や豊臣秀吉の都市整備などにより次第に縮
  小し、社殿も荒れたままの状態となった。また隣接して千利休の屋敷が設けられてい
  たとされる。
   幕末には安政元年(1854年)の京都大火と天明の大火により、社記を焼失し、神社の
  詳しい概要などが不明になってしまった。幕末以降に氏子らが中心となって社殿・境内の整備が行われている。明治時代にな
  ると村社に列せられた。昭和25年(1950年)には堀川通に面するように境内地が拡張されたとされる。
  〜晴明神社〜

○ 大将軍八神社
 ・ 御神体・祭神 大将軍神(素戔嗚尊、天津彦根命)、大歳神(天忍穂耳命)、大陰神(市
  杵嶋姫命)、歳形神(田心姫命)、歳破神(湍津姫命)、歳殺神(天穂日命)、黄幡神(活津
  彦根命)、豹尾神(熊野樟日命)
 ・ 所在地 京都府京都市上京区一条通御前通西入3丁目西町55
 ・ 例祭日 10月第3日曜日
 ・ 神事 歳旦祭(1月1日)、人日の節供祭(1月7日)節分星祭・古神礼焼納祭(2月3日)、
  紀元祭(2月11日)、祈年祭(2月17日)、上巳の節供祭(3月3日)、端午の節供祭(5月5
  日)、水無月の大祓式・夏越神事(6月30日)、七夕の節供祭(7月7日)、盆祭(8月15日)、
  重陽の節供祭(9月9日)、新嘗祭・御火焚祭(11月23日)、師走の大祓式・年越神事(12
  月31日)
 ・ 由緒 延暦13年(794年)の平安京遷都の際、桓武天皇の勅願によって、大将軍神を
  奈良春日山麓より平安京大内裏の北西角(陰陽道の天門)の地に勧請し、国家守護、国
  民の繁栄を祈念したのが始まりとされる。
   大将軍神とは、陰陽道・道教の信仰による方位を司る星神であり、この神の方位を犯すと厳しい咎めを受けるというので、
  古来、非常に恐れられてきた。社号は初め、陰陽道のお堂として大将軍堂と称され、鎌倉期から戦国期には京都、上・中・下
  の内の上大将軍堂として信仰を仰がれた。応仁の乱の荒廃後に神社として復興し、村の氏神としての信仰も始まり、江戸時代
  に大将軍神を始め、暦の神八将神と素戔嗚尊その御子八神が習合した。また聖武・桓武両天皇を共にお祀りし、大将軍八神宮
  と改称したとされる。
  〜大将軍八神社〜

○ 高千穂神社
 ・ 御神体・祭神 高千穂皇神(天津彦火瓊々杵尊、木花開耶姫命、彦火々出見命、豊
  球姫命、彦波瀲武草葺不合尊、玉依姫命)、十社大明神(三毛入野命、鵜目姫命、
  御子太郎命、二郎命、三郎命、畝見命、照野命、大戸命、霊社命、浅良部命)
 ・ 所在地 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井1037
 ・ 例祭日 4月16日
 ・ 神事 猪掛祭、笹ふり神事、高千穂神楽
 ・ 由緒 天津彦火瓊々杵尊と木花開耶姫命以下日向三代の皇神とその配偶神の総称で
  あり、古くは「続日本後紀」に高智保皇神に名が見える。
   天孫降臨、高千穂宮などの場所に当たるとされ、この地に、垂仁天皇の時に創建さ
  れたと伝えられ、十社大明神と称された。天慶年間(938〜947年)に大神氏が高千穂
  八十八社の総社として以来、篤い崇敬を受けてきたとされる。

○ 太宰府天満宮
 ・ 御神体・祭神 菅原道真公
 ・ 所在地 福岡県太宰府市宰府4-7-1
 ・ 例祭日 9月25日
 ・ 神事 おにすべ・うそかえ(1月7日)、初天神祭(1月25日)、祈祥祭・飛梅講社祭(2
  月24・25日)、春祭(3月24・25日)、更衣祭(4月20日、11月20日)、夏祭(7月24・
  25日)、注連打奉納相撲(8月最終日曜日)、筆塚祭(9月上旬)、神幸祭(9月21・24日)、
  新穀感謝祭(12月15日)、納天神祭(12月25日)
 ・ 由緒 文教の神として広く崇敬されている菅原道真の遺骸を葬った聖地に社殿を造
  営し、その神霊を奉祀する神社である。
   延喜3年(903年)3月25日に太宰権師として左遷されていた道真は配所の榎寺で没し
  た。柩を乗せた車を引く牛が安楽寺に至ると止まって動かず、そのためその地に埋
  葬し廟所とした。延喜5年(905年)に随臣の味酒安行が社殿を造営し、天満大自在天と
  称したとされる。これが本社の創祀であるとされる。

○ 多度神社
 ・ 御神体・祭神 天津彦根命
 ・ 所在地 三重県桑名郡多度町多度1681
 ・ 例祭日 5月5日
 ・ 神事 初向祭(11月1日)、ふいご祭(11月8日)
 ・ 由緒 天津彦根命は、当地の豪族であった桑名首の祖神で、天平宝字7年(763年)に
  僧満願によって神宮寺が創建されたとされる。
   延暦元年(782年)に従五位下の叙せられ、貞観5年(863年)6月には正二位に累進し
  た。平安後期には伊勢平氏に崇敬され、軍神としても信仰された。中世には国史司北
  畠氏の庇護を受けたが、元亀年間(1570〜1572年)の織田信長の長島一向一揆攻撃に
  際し、兵火にかかり消失した。江戸初期に社殿が復興され歴代桑名藩士の崇敬を受け
  た。また伊勢詣の街道筋に当たるため、一般民衆による参詣も盛んであったとされる。

○ 筥崎宮
 ・ 御神体・祭神 応神天皇、神功皇后、玉依姫
 ・ 所在地 福岡県福岡市東区箱崎1-22-1
 ・ 例祭日 9月15日
 ・ 神事 玉取祭(1月3日)、放生会(9月12〜18日)、なまこ餅搗き行事(12月31日)
 ・ 由緒 延喜元年(921年)の筑紫観音寺の若宮の巫女の託宣により、延長元年(923年)
  に筑前国穂波郡大分宮の新宮として、同社の放生会の頓宮があった現在地に造営され
  たと伝えられる。
   「延喜式」には「八幡大菩薩筥崎宮」と見え、宇佐神宮、石清水八幡宮とともに朝
  廷の崇敬が篤い八幡神社であった。12世紀中頃より太宰府の支配下に置かれるが、文
  治元年(1185年)に後白河院の院宣により石清水八幡宮の別宮になったとされる。蒙古
  襲来時に消失したが、文久の役(1274年)の後社殿を復興したとされる。

○ 花窟神社
 ・ 御神体・祭神 磐座、伊弉冉尊、軻遇突智尊
 ・ 所在地 三重県熊野市有馬町上地130
 ・ 例祭日 2月2日、10月2日
 ・ 神事 御縄掛け神事
 ・ 由緒 「日本書紀」には、伊弉冉尊は軻遇突智の出産時に陰部を焼かれて死んで、
  「紀伊国の熊野の有馬村」に埋葬され、以来近隣の住人たちは、季節の花を供えて伊
  弉冉尊を祭ったと記されている。それが当地であると伝えられ、社名も「花を供えて
  祀った岩屋」ということによるものとされる。
   神体である巨岩の麓にある「ほと穴」と呼ばれる高さ6メートル、幅2.5メートル、
  深さ50センチメートルほどの大きな窪みがある岩陰が伊弉冉尊の葬地であるとされ、
  白石を敷き詰めて玉垣で囲んだ拝所が設けられている。一説には、伊弉冉尊を葬った
  地はおよそ西1.3キロメートル先にある産田神社であり、この地は火の神である軻遇
  突智の御陵であるとも言われている。花窟神社では、伊弉冉尊の拝所の対面にある高さ18メートルの巨岩が、軻遇突智の墓所
  とされている。
  〜花窟神社〜

○ 斐伊神社
 ・ 御神体・祭神 素盞嗚尊、稲田比売命、伊都之尾羽張命、合殿で樋速夜比古命、甕
  速日命、火R毘古命
 ・ 所在地 島根県雲南市木次町里方字宮崎643
 ・ 例祭日 10月10日
 ・ 神事 神幸祭、御種祭(古伝祭)
 ・ 由緒 「出雲国風土記」に樋社と称する神社が2社あり、共に神祗官在りと記されて
  いるが、この2社が「延喜式」の時代までに1社に併合されたのが、現在の斐伊神社と
  考えられている。
   「延喜式」に登場する斐伊神社と同社坐斐伊波夜比古神社が現在の斐伊神社と比定
  されている。
  〜斐伊神社〜

○ 氷川神社
 ・ 御神体・祭神 須佐之男命、稲田姫命、大己貴命
 ・ 所在地 埼玉県さいたま大宮区市高鼻町1-407
 ・ 例祭日 8月1日
 ・ 神事 的神事(2月7日)、郷神楽(3月15日)、鎮花祭(4月5〜7日)、祝子祭(5月5日)、
  鎮座祭(5月9日)、道饗祭(5月21日)、粽神事(6月5日)、神幸祭・橋上祭(8月2日)、抜
  穂祭(10月9日)、朔瓶祭(10月21日)、大湯祭前斎(11月30日〜12月9日)、大湯祭・
  百取膳(12月10日)、大湯祭後斎・誓詔祭(12月11日)
 ・ 由緒 社伝によれば、第5代孝昭天皇3年の創立とされ、日本武尊が東征の時に祈願
  し、聖武天皇の代に出雲族の兄多毛比命が武蔵国造となり尊崇したとされる。
   武蔵国造は出雲国造と同族とされ、当地方の開拓には出雲族の関わりが深く、氷川
  の名称も出雲の簸川に由来するとされる。

○ 日御碕神社
 ・ 御神体・祭神 [神の宮]神素戔嗚尊他3柱、[日沈宮]天照大日貴命他5柱
 ・ 所在地 埼玉県さいたま大宮区市高鼻町1-407
 ・ 例祭日 8月7日
 ・ 神事 和布刈神事、釿始祭
 ・ 由緒 社伝によると、素戔嗚尊が出雲熊成峯で鎮座地を求めて風に飛ばした柏葉が、
  隠ケ丘に留まり、御子天之冬衣神が奉斎したのが上の宮(神の宮)とされ、また下の宮
  (日沈宮)は天照大神の神託が文島にいた天之冬衣神に下り、大神を祀ったのが起源と
  される。
   安寧天皇13年の勅令で百枝松を神木と定め、開化天皇の時に勅令で社殿を造営し、
  天暦2年(948年)に現在地へ遷座されたとされる。

○ 伏見稲荷大社
 ・ 御神体・祭神 宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神
 ・ 所在地 京都府京都市伏見区深草薮之内町68
 ・ 例祭日 4月20日
 ・ 神事 大山祭(1月3日)、奉射祭(1月12日)、初午大祭(2月初午の日)、抜穂祭(10月
  29日)、火焚祭(1月28日)
 ・ 由緒 元明天皇の和銅4年(711年)2月の壬午の日に伊奈利三ケ峰に顕座した神を、
  深草の長者の「伊呂具秦ノ公」が勅命により祭ったところ、五穀大いに稔り、蚕織な
  って天下の百姓は豊かな福を得たのが創祀と伝えられる。また「山城国風土記」逸文
  は秦忌寸の遠祖伊呂具秦公が的にして射た餅が白鳥になって飛び去り、その留まった
  山の峰に稲が生じた奇瑞から稲荷の社名が生じたという説話を載せている。

○ 二見興玉神社
 ・ 御神体・祭神 猿田彦大神、宇迦之御魂大神
 ・ 所在地 三重県伊勢市二見町大字江575
 ・ 例祭日 7月15日
 ・ 神事 夫婦岩の大注連縄張替え神事、竜宮祭、藻刈神事
 ・ 由緒 二見浦夫婦岩の沖合には猿田彦大神の霊跡とされる興玉神石が沈んでいると
  される。倭姫命が夫婦岩に注連縄を張ってその神石の石門とし、神石遙拝所を設けた
  のが起源とされる。
   社内には竜宮社があり、綿津見大神を祀っている。また古くから伊勢参宮に先立っ
  て二見の浜で沐潮する習慣があり、浜参宮、浜行きと称する。
   明治41年(1908年)に宇迦之御魂大神を祀る三宮神社を合併し、昭和20年(1945年)
  には栄野神社を合祀して現社名に改めたとされる。

○ 弊立神社
 ・ 御神体・祭神 神漏岐命、神漏美命、天御中主神、天照大神、阿蘇十二神
 ・ 所在地 熊本県上益城郡山都町大野712
 ・ 例祭日 9月15日
 ・ 神事 五色神祭(8月23日)
 ・ 由緒 社伝によれば、神武天皇の孫である健磐龍命が阿蘇に下向した際、この地で
  休憩し、眺めがとても良い場所であると、幣帛を立て天神地祇を祀ったとされる。そ
  の後、延喜年間(901〜 923年)に阿蘇大宮司友成が神殿を造営し伊勢両宮を祀り幣立
  社と号し、天養元年(1144年)には、阿蘇大宮司友孝が阿蘇十二神を合祀し大野郷の総
  鎮守としたとされる。
   現在の社殿は、享保14年(1729年)に細川宣紀により改修されたもので、明治6年(1
  873年)に郷社に列したとされる。
  〜弊立神社〜

○ 防府天満宮
 ・ 御神体・祭神 菅原道真公、天穂日命、武夷鳥命、野見宿禰命
 ・ 所在地 山口県防府市松崎町14-1
 ・ 例祭日 12月5日
 ・ 神事 裸坊祭
 ・ 由緒 菅原道真公が太宰府に配流される途中、勝間浦に船を泊めて同族の周防国司
  土師信貞のもとに滞留し、死後の魂魄がこの地に帰ることを誓った。延喜3年(903年)
  の道真死後の直後、勝間浦に光明が、また酒垂山に瑞雲が見られたことにより、翌4
  年に松崎社として道真を祀る最初の社が創建されたとされる。
   建久6年(1195年)に俊乗坊重源が東大寺再興の返礼として社殿を造営し、室町時代
  は大内氏の、近世は毛利氏の崇敬と保護を受け、酒垂山満福時と号して九坊を有し、
  真言宗御室派に属していたとされる。

○ 三嶋大社
 ・ 御神体・祭神 事代主神、大山祇命
 ・ 所在地 静岡県三島市大宮町2-1-5
 ・ 例祭日 8月15〜17日
 ・ 神事 田祭(1月7日)、奉納射祭(1月17日)、酉祭(4月3〜7日、4月16日、11月16
  日)、頼朝旗挙行列(8月16日)
 ・ 由緒 天平宝字2年(758年)に神封十三戸を受け、天長9年(831年)5月に妃神伊古奈
  比盗_とともに明神に列せられた。承和7年(840年)9月には三嶋大社の本后である阿
  波神が噴火の霊験を示したことを伊豆国から朝廷に言上しており、妃神・御子神とと
  もに噴火・造島の霊験により信仰され、嘉承3年(850年)に従五位を授けられ、貞観10
  年(868年)に従三位に累進した。
   「延喜式」には賀茂郡条に「伊豆三嶋神社」とあり、後に現在地の旧田方郡に遷座
  したものと見られている。

○ 美保神社
 ・ 御神体・祭神 事代主神、三穂津姫命
 ・ 所在地 島根県松江市美保関町美保関608
 ・ 例祭日 4月7日
 ・ 神事 青柴垣神事(4月7日)、神迎神事(5月5日)、虫探神事(8月7日)、諸手船神事
  (12月3日)
 ・ 由緒 右殿に祀る事代主神は大国主神の子であり、左殿の三穂津姫命は大国主命の
  后神である。他に中央装束の間に三社(五神)を祀る。「出雲国風土記」には神祇官の
  神社台帳登録者として見える。
   青柴垣神事、諸手船神事は「古事記」の国譲り神話に因んだものとされ、頭屋制祭
  祀の代表例とされる。中世より神職は横山氏が世襲したとされる。
   社殿は連棟形式の大社造で美保造と称される。近世頃から「大社だけでは片詣り」
  と言われ、出雲大社とともに参詣者が増えたと言われる。俗に出雲大社とともに「出
  雲の恵比寿大黒」と称され、恵比寿信仰でも知られている。

○ 八重垣神社
 ・ 御神体・祭神 素戔嗚尊、奇稲田姫命、配祀で大己貴命、青幡佐久佐日古命
 ・ 所在地 島根県松江市佐草町237
 ・ 例祭日 10月20日
 ・ 神事 身隠神事、還御祭
 ・ 由緒 素戔嗚尊が八岐大蛇を退治した後に、「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣
  作るその八重垣を」と詠い、奇稲田姫命との住居を構えたのが始まりとされる。
   その後、大原郡須賀の地より、「出雲国風土記」に素戔嗚尊の子青幡佐久佐日古命
  が鎮座すると見えている佐久佐神社境内へ遷座したため、「延喜式」では佐久佐神社
  の名で国弊小社と記されている。
   近世には八重垣大明神と称され、佐草氏が神職として奉祀する。明治5年(1872年)
  に佐久佐神社は八重垣神社を合祀して郷社とし、明治9年に県社となったが、明治11
  年には八重垣神社と改称されたとされる。

○ 八坂神社
 ・ 御神体・祭神 [中御座]素戔嗚尊、[東御座]奇稲田姫命、御同座-神大市比売命・佐
  美良比売命、[西御座]八柱御子神-八島篠見神・五十猛神・大屋比売神・津比売命・
  大年神・宇迦御魂神・大屋毘古神・須勢利毘売命、傍御座-稲田宮主須賀之八耳神
 ・ 所在地 京都府京都市東山区祇園町北側625
 ・ 例祭日 6月15日
 ・ 神事 白朮祭(1月1日)、疫神社祭(1月19日)、御衣祭(立夏)、祇園祭(7月10日、神
  輿洗式・お迎提灯、13日、稚児社参、15日、宵宮祭、16日、献茶祭、17日、神幸祭
  ・山鉾巡行、23日、煎茶献茶式、24日、還幸祭・花笠巡行、28日、神輿洗式、29日、
  神事済奉告祭)、疫神社夏祓(7月31日)、七夕祭(8月7日)、御衣祭(立冬祭)、鎮火式
  (12月28日)、白朮祭(大晦日)
 ・ 由緒 明治の神仏分離令までは祇園社と称していた。
   社伝では、斉明天皇2年(656年)に高麗より来朝した調進副使伊利之使主が、新羅国
  牛頭山に祭られる素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷に祀り、八坂造の姓を賜ったのが始
  まりとするとされる。
   貞観18年(876年)に僧円如が播磨国広峯の牛頭天王を遷し、その後、摂政藤原基経が精舎を建立し観慶寺と称したとされる。
  更には延長4年(926年)に修行僧が祇園天神堂を建てたとか、あるいは承平4年(934年)に祇園感神院を建てたとするなど種々
  の記録があり、その創始については諸説あるとされる。

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