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 神楽の起源

1 起源
  神楽の語源は、「神座」が転化したとする説が一般的である。日本の古典の中で、最初に「神
 楽」の文字が見られるのは、「古語拾遺」(斎部広成撰、807年)で、「女君氏、神楽の事を
 供へまつる」と記されている。しかし神楽という文字をどのように発音していたかは不明とされ
 る。
  神楽とは、奏楽や歌舞により神を祀る神事芸能一般を意味するが、古い形態は、鎮魂、魂振り
 に伴う「神遊び」であったといわれ、「古今和歌集」(紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑
 撰、905年)巻二十に、「神遊びの歌」と標示されて、その中に、採物の歌六首、日女の歌一首、
 返しの歌一首と、そのほかに大嘗祭の悠紀・主紀の国の歌五首が収められているが、採物の歌と
 日女の歌は、平安宮廷の神楽歌と見られている。また謡曲「三輪」(作者不明)には「先ずは岩
 戸の其の始め、隠れし神を出ださんとて、八百万の神遊び、是ぞ神楽の始めなる」とあり、「神
 遊び」は、「神楽」と同義語と思われる。
  神楽は、日本の古典である古事記(太安万侶撰、712年)及び日本書紀(舎人親王撰、720年)
 の中で、天照大御神が天の岩屋戸に姿を隠した際、天宇受売命が、天の岩屋戸の前で神懸かりと
 なって、舞い踊ったとされる記事が神話的起源とされる。
  この記事は、古事記上巻では、「天宇受売命、天の香山の天の日影を手次にかけて、天の真拆
 を鬘として、天の香山の小竹葉を手草に結ひて、天の岩屋戸に宇気伏せ、踏みとどろこし、神懸かりして、胸乳をかき出で、裳
  緒を陰におし垂れき」と記され、また日本書紀巻第一では、「天鈿女命、則ち手に茅纏のを持ち、天石窟戸の前に立たして、
 巧に作俳優す、亦天香山の真坂樹を以て鬘にし、蘿を以て手繦にして、火処焼き、覆槽置せ、顕神明之憑談す」と記され、両書
 ともほぼ同様の内容である。

2 意義
  神楽は、宮廷の御神楽と民間の里神楽に大別され、里神楽は、更に巫女が舞う巫女神楽、島根
 県鹿島町の佐太神社の七座に代表される出雲流神楽、三重県伊勢市の伊勢神宮で行われていた湯
 立神楽に代表される伊勢流神楽、獅子頭を回しながら息災延命などを祈祷する獅子神楽に分類で
 きるとされ、それぞれの地方的特色を持ちながら継承されている。
  芸北地方の神楽は、佐太神社の七座に代表される出雲流神楽から分岐した「石見神楽」の流れ
 を汲むとされ、その曲目の多くは、神話や縁起、説話を題材としたものであるが、基本的な舞殿
 の配置や舞法の所作、更には一部の曲目に至るまで、古代中国の陰陽五行思想の法則が体系的に
 取り入れられている。
  陰陽五行思想とは、中国の春秋戦国時代ごろに発生した陰陽思想と五行思想が結び付いて生ま
 れた思想のことで、自然界のありとあらゆるものは陰と陽に分かれ、更にこれらは、木、火、土、
 金、水の五つの要素で構成され運行しているとする考え方である。
  陰陽五行思想の法則の最も顕著な特徴は、時間、空間の一致であり、最も重要な時間は「季節」
 で表され、また最も重要な空間は「方位」で表される。季節は、毎年、春、夏、秋、冬と繰り返
 され、太陽は、毎日東から昇り西に沈む。全ての穀物は、日々の太陽の光を受けて育まれ、春か
 ら夏にかけて活動の最潮期を迎え、やがて秋の収穫となって収束する。
  陰陽五行思想の法則を神楽に取り入れた最大の目的は、一年の推移を自然に任せて放置することなく、人間の側でも、天地の
 安寧や季節の順調な推移を促すことにあると思われる。
  個々の曲目について見れば、それぞれ狭義の意義が存在すると思われるが、神楽奉納の最大の意義は、農耕を営んできた先人
 達が、その土地を守護する氏神に対して、その年の新穀を感謝し、翌年の豊作を祈願することにあると思われる。
  日本の伝統的な神楽の形式の一つである湯立(ゆたて)神楽は、釜で湯を煮えたぎらせ、その湯を用いて神事を行って、一年の
 平穏な推移や五穀豊穣、あるいは無病息災などを祈願する神事であるが、水を容れた釜を据え、釜の下から木を燃やして火を起
 こし、後に木の土(灰)ができる様は、まさしく木、火、土、金、水の陰陽五行思想の法則を備えている神楽である。
  神楽は、現代の演劇や歌謡とは大凡その本質を異にしており、本来、観衆に鑑賞させるものでもなければ、示威するものでも
 なく、純粋に氏神を祭祀する一つの手段、方法と思われる。したがって、この地方の神楽には、神事的、儀式的な曲目が数多く
 存在し、先人達によって幾百年もの間伝承されてきたと思われる。

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