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 参拝の作法

 普段、神様とは縁もゆかりも無いような生活をしている私達は、正月には神社へ初詣に行き、結婚式では神前で生涯を誓い合い、
また子供が生まれると一か月後にはお宮参りをするなど、時々の節目では生活に密着したものとなっている。
 しかしながら、神社参拝の作法などについては、誰もが正確に知っている訳ではなく、参拝の仕方について順を追って説明する
ことにする。
 神社の入口には、神域と俗界の境界を示す門として必ず鳥居がある。これは神社のシンボル的な役割も担っているが、結界とし
ての役割もあり、神社の神聖な場所を保護する目的も考えられる。鳥居の起源や語源については、諸説があり、定説はない。鶏の
止まり木を意味する「鶏居」を語源とする説や、「通り入る」が転じたとする説などがある。鳥居をくぐるときは、まずは軽く一
礼してから中央の神様の通り道は避けて、左右どちらかの端からくぐり参道を進む。参拝を終えて帰る際も、鳥居をくぐった後に
社殿の方に向き直って一礼する。
 別項目「7 基本的な法則」の「1 潮祓」でも記したとおり、神道においては何よりもまず「清浄」を尊ぶとされ、穢れがある
状態で神迎えをしても神はその不浄を嫌って祭りは成立しないとされる。したがって神を祀るに当たっては、穢れを浄化するため
の「禊祓い」を行って清めることが必要とされる。神社参拝についても同様であり、神様を拝むには、まず禊ぎを行って心身を清
めなくてはならない。古い神社は概ね清流の川の傍にあり、この川は参拝する人が心身を清めるところであったとされる。伊勢神
宮の五十鈴川などは、橋が無かったときにはお参りするために必ず歩いて川を渡り、自然に禊ぎができるようになっていた。これ
らは、古事記上巻の「ここを以(も)ちて伊邪那伎大神(いざなぎのおおかみ)詔(の)りたまはく、『吾(あ)はいなしこめしこめき穢(き
たな)き国(くに)に到(いた)りてありけり。かれ、吾(あ)は御身(みみ)の禊(みそ)ぎせむ』と詔(の)りたまひて、竺紫(ちくし)の日向(ひ
むか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あわぎはら)に到(いた)りまして、禊(みそ)ぎ祓(はら)へたまひき」の伊邪那伎大神の禊
祓いに由来するとされる。
 現代では川などに入り、禊ぎをしてから参拝ということも難しく、神社の参道には、必ず手水舎が置かれ、いつも清浄な水が湧
き出して水盤に湛えられている。実はここが身を清め心を洗ってから、参拝するための場所である。口を濯ぎ、手を洗うことで心
身を清めるのである。
 その作法を簡単に説明すると、次のとおりである。
 @ まず、柄杓置きから右手で柄杓を取り、清水を汲み、左手に水をかけて清める。
 A 次に柄杓を左手に持ちかえて、同様にして右手を清める。
 B 再び柄杓を右手で持ち、左手の掌に水を受け、その水で口を濯ぐ。
 C 最後に柄杓を立て、柄杓の柄に残った水を流して清めてから、柄杓置きに伏せて置く。
 次に神前に向かうことになるが、神前で礼拝をするときは正面に立つことが基本である。神前に立つと鈴と賽銭箱がある。鈴緒
を持って鈴を鳴らすが、鈴は、参拝者を清め、神様を招き入れるための道具であり、その音には厄除け、魔除けの霊力があるとさ
れ、鈴の清々しい音色は、参拝者の心を清め、罪や穢れを祓い、神様に敬意を払う気持ちにさせてくれる。神社の鈴は、巫女が神
楽を舞う際に振る神楽鈴が由来とされ、神楽鈴には神様を呼び、神楽を舞うことで神様に祈りを捧げるという役割があるとされる。
鈴を鳴らすのは、参拝の作法のひとつで、お賽銭を納める前に鈴を鳴らすのが一般的である。鈴に結び付けられている鈴緒には、
鈴と参拝者、そして神様を結びつける役割があるとされる。お賽銭は、神様への感謝や願いを込めて納めるもので、特に、日頃の
感謝を表すために使われる。お賽銭箱に入れる金額に決まりは無いが、5円(ご縁)、15円(十分なご縁)など、縁起の良い金額が好ま
れる傾向にある。お賽銭は、単にお金を入れるだけでなく、神様への感謝の気持ちを込めて入れることが大切である。
 その後のお参りの仕方は、特別な神社を除き、一般的な神社では「二拝二拍手一拝」でお参りする。その作法を簡単に説明する
と、次のとおりである。
 @ まず、直立の姿勢から背を地面と水平になるまで深々と90度に腰を折り、頭を下げる。これを二度行う。これが二拝である。
 A 次に両手の指を揃えて胸の高さでしっかりと掌を合わせ、右手を指の一節分ほど引きずらして二度柏手を打ち、再び指を揃
  えて胸の高さでしっかりと両手の掌を合わせて祈念を込めてから、両手を下ろす。これが二拍手である。
 B 再び直立の姿勢から最初と同じように深々と頭を下げる。これを一度行う。これが一拝である。
 これらが神社参拝の基本的な作法であるが、現在のように統一されるまでには、歴史的にみると様々な変遷があったとされ、今
でも古来からの拝礼の作法を用いているところもある。例えば、伊勢神宮では、八度拝・八開手と称して、拝を八度行い、柏手を
八度打つ作法を行っている。また出雲大社や宇佐八幡宮などでは、四拍手の作法を行っている。
 こうした神道の作法については、実は深い意味が込められており、その作法を厳格に実行することにより、自然に神の御心のまま、正しく、明るく、浄いという真実生活に悟りを開いて真理を会得することにいたるとされる。神道の作法にはそれ相応の意義
があり、その作法を生んだ古人の心性、精神をよく理解して実行することが肝要である。またこの神道の作法というのは、実は神
意や宇宙の実相を示しているものだとする考え方もある。例えば、「屈(かが)む」という動作は「神」であり、神産霊神(かみむす
びのかみ)の働きで、「立(た)つ」動作は「健」「高」であり、高御産霊神(たかみむすびのかみ)の働きであるとされる。足を巡らし
左旋し、右転することは、伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)両神の働きを示すものであり、同時にそれは生成する宇宙の渦巻き
であるとされる。
 神前に立って柏手を打つときに、両手の掌を合わせ、右手を少し手前に引きずらすが、これは左は「火足(ひた)り」であり、「陽
(ひ)」であり、「霊(ひ)」である。右は「水極(みき)」であり、「陰(つき)」であり、体(身)であるとされる。両手の掌を合わせるの
は陰陽の結合、調和であり、右手を少し手前に引きずらすのは陰が一歩下がる、つまり霊主体従を意味するとされる。手を打ち鳴
らすのは天地開闢の「音霊(おとだま)」であり、天の磐戸開きである。祈るとき、そこに天地が開け、磐戸が開き、光明が溢れるこ
とを意味するとされる。
 日本の伝統的な礼法で、「左上右下(さじょううげ)」という言葉があるが、左を上位、右を下位とする考え方である。これは、人
が席に着く際の順序や、品物を置く際の配置など、様々な場面で用いられている。会議や食事の席で、誰が上座(上座)に座るか、誰
が下座(下座)に座るかを決める際に用いられる。雛人形や料理の配置など、空間に物を並べる際にも、左を上位に置くのが一般的で
ある。「左上右下」は、古代中国の「天帝は北辰に座して南に面する」という思想に由来するとされ、天帝から見て、太陽が昇る東(左)を上位、沈む西(右)を下位と見なしたことから、「左上右下」の考え方が生まれたとされる。正面から見た場合、左右が逆にな
るため、注意が必要である。ただし、西洋では逆の考え方が一般的である。
 この「左上右下」の礼法は、神道においても取り入られており、神前に立って柏手を打つときに両手の掌を合わせ、右手を少し手
前に引きずらすが、この礼法に倣った作法である。また神前に進み出るときは、左足から踏み出し、退くときは右足から下がること
とされる。これも同様な考え方の作法で、「進左退右(しんさたいう)」と呼ばれる。神域に入る際には神様に向かって左足から、出
る際には右足から踏み出すのが作法である。

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