日本の神社は、こんもりとした森の中に、ひっそりと鎮まっているのが一般的である。神社の「社」という文字は、元は「杜」で あったといわれ、つまり、神社は「神の杜」のことである。これは、一説には木に、あるいは森に神が降りると信じた、古代日本 人の自然崇拝を継承したものとされる。
日本人の心の中にある神は、形あるものではなく、目に見えないものである。いわゆる御神体といわれるものは、神そのも のではなく、「御霊代」のことであって、神の「依代」(神が乗り移る物体)なのである。神楽に用いられる「採物」も同様に考えら れている。
採物は手に持つから採物と呼ばれるが、一種の神座でもある。島根県の佐太神社の佐陀神能では、採物舞七番は「七座の 神事」と呼ばれ、剣、茣蓙、榊、鈴などを持って舞われることで有名である。神楽では、採物舞は面を用いないのが一般的であ るが、着面舞でも弓矢、茅輪、鬼棒などは採物と呼ばれる。
1 起源
「古事記」上巻の天岩屋戸の条及び「日本書紀」巻第一の神代上第七段で、天照大御神が天の岩屋戸に姿を隠した際、天 の岩屋戸の前において、天宇受売命が鉾や小竹葉などを持って舞い踊ったとされる記事が採物の神話的な起源とされる。
採物は、神楽をはじめとして、能楽や歌舞伎、舞踊などにも継承されている。
2 意義
採物には、本来、神の依代としての機能があり、それを手に持って舞うことにより、神力が発動すると考えられている。ま た、採物に降臨した神を舞人自身に取り憑かせ、神懸かりに至るための手段として用いることもある。
平安時代に成立した宮廷の御神楽は、各種の歌を謡うことを主体とした神楽であるが、降神神事に関するはじめの部分で は、「採物の歌」が謡われる。歌の種類は、榊、幣、杖、篠、弓、剣、鉾、杓、葛の九種類であるが、実際に採物を手に持って 舞われることはなく、それぞれの「採物の歌」を謡うことが、神事の主体をなし、重要な意味をもっていると思われる。
3 種類
(1) 御幣
御幣は、幣帛(神祇に奉献する物の総称)の一種で、幣束ともいいわれる。古くは 幣の意味で、幣帛と同じであったが、次第に現在のような狭い意味に用いられるよ うになったとされる。
御幣は、竹、又は木の幣串に金銀、あるいは白色、五色などの紙を挟んだ形状 のもので、古く布帛(綿麻布と絹布)を奉る場合、多くは串に挟んで奉られたが、今 日のものは、その変化したものといわれている。その形状も、初めは四角形の紙を 用いただけのものであったが、後に、その両端に垂を付けるようになったとされる。
元々御幣は、神祇に奉献する物であったが、社殿の奥深く立てて神霊の依り給う 御正体として、あるいは神前に据える装飾として、また、参拝者に対する祓具とし て用いられるようになった。神楽に用いる御幣は、専ら「祓具」としての側面が強調 されている。
古事記、日本書紀、古語拾遺に「幣」「神幣」「御幣」という表記が見られる。
(2) 榊
榊は、神前に供えて装飾に用いる樹木で、祭祀の際には垂の類が付けられ、玉串などとして神前に供えられる。榊は、 装飾、祓具、採物として用いられるほか、社殿、玉垣などに付けて神域を示すこともある。語義としては、常に繁っているこ とから繁栄を象徴する栄木、神域を示すことから境木などの説がある。
古事記に、天岩屋戸に隠れた天照大御神に対して行った祭りの中で、「天の香山の五百津真賢木を根こじにこじて、上 枝に八尺の勾玉の五百津の御すまるの玉を取り著け、中枝に八尺鏡を取りかけ、下枝に白和幣、青和幣取り垂でて」の 記述が見え、また、日本書紀にも同様の記述があることなどから、榊は古くから神事に用いられていたものと思われる。
(3) 笏
笏の音はコツであるが、その字音が骨と通ずるのを忌み、シャクと呼ばれる。笏は、平安時代以降の男子の正式な朝服 である束帯を着用した際に、右手に持つものであったが、現在では神職の服装の皆具(一揃えのもの)として用いられてい る。
笏は、元は裏に儀式次第などを記述した紙片(笏紙)を貼り、備忘のために用いられたが、後には、主として容儀を整える 用具となった。神楽では、笏は特別な場合を除き用いられない。
(4) 鈴
神楽では、中央に穴の開いた多くの円型の金属板に針金を通し、打ち振るわせ て鳴らす輪鈴のほか、多くの金属製の中空の球の中に、小さい玉を入れて打ち振 るわせて鳴らす一般的な鈴が用いられるが、いずれも一種の楽器で、奏楽を補う 役目もある。鈴は呪力があるとされ、古来、神事や装身具として用いられた。
島根県の加茂岩倉遺跡から多量に発見された銅鐸も鈴の一種と見られ、弥生時 代に祭器として用いたと推測されている。出雲・近畿地方を中心に各地方に分布し ている。
(5) 扇
扇は日本で生まれ、その最も古いものが檜扇で、バラバラの薄板を糸で綴ってと じ合わせたもので、古代の木簡が元になっているといわれている。
現在のような紙と竹の扇が出来たのは平安時代末期からで、この時代の扇は、骨が紙の片側に張り付けてあり、「かわ ほり」と呼ばれていたとされる。室町時代に入って、骨の両側に紙を貼った扇が、中国から逆輸入されるようになったのが、 現在の扇の原型とされる。ただし、現在は、紙を骨の両側から貼るのではなく、骨を地紙の中に差し込む独特の技術で作 られている。
扇は、竹で出来た扇骨と地紙から出来ており、計10本の骨の中で、地紙に貼り付けてある外側の2本が親骨、中の8本が 中骨と呼ばれている。地紙に関わる部分には、山、谷、天、地と壮大な名称が付けられており、また、扇骨に関わる部分で は、顔、肩、胴、目(要のこと)と人間の体の名称になっているのが面白い。
能楽では、通常は中啓(畳んだ状態で末が広がっている形の扇)が使用されるが、神楽では、専ら鎮扇(畳んだ状態で末 がすぼめられた形の扇)が用いられ、曲目、役柄により絵柄や色調が決まっている。
(6) 弓矢
弓は、木や竹をしならせて弦を張り、その弾力を利用して、つがえた矢を飛ばす 道具で、古くは狩猟用であったが、その後、武器として用いられるようになったと される。中世には、弓矢が武士を象徴する武具であったことから、武士は、「弓取 り」、あるいは「弓矢取り」と呼ばれた。
弓矢は、呪具としての機能があり、正月に神社で売られる除魔開運の飾り矢であ る「破魔矢」は、江戸時代から明治初年にかけて、男子の初正月を祝して、破魔弓 と呼ばれる二張りの飾り弓に矢を添えた祝い品を送る風習があったとされ、それが 簡略化して矢だけを魔除けとして売るようになったと考えられている。今日でも、上 棟祭の際、屋上に鬼門の方角に向けて、破魔矢と破魔弓を立てる風習が残る。
「はま」の語源は明らかでなく、一般的には、魔を払うから破魔矢・破魔弓である という説があるが、古事記に、「天羽羽矢」という表記が見え、古代の蛇信仰(古語 拾遺には、「古語に、大蛇を羽羽と謂う」とある)と関係は深いと思われる。
(7) 茅輪
茅輪は、茅で作った大きな輪のことであるが、神楽では、竹の輪などに多数の白 一色、又は、多色の垂が取り付けられたものが用いられる。
茅輪の機能については、備後風土記逸文に見える蘇民将来説話に、小さい茅輪 を腰に付けて疫病除けとしたことが記述されている。茅輪が疫病を防ぐ記事である ものの、なぜ茅輪なのか定説は無く、植物を輪にした鬘に魔除けの力があるという 思想と関係があるとする説、あるいは、青々とした植物の葉に再生の力があるとす る説など諸説ある。
なお、茅輪は、必ずしも茅でなくてもよく、季節や環境によって、菅や稲藁が用い られたらしい。茅輪は、罪や穢、災厄を祓うとされる。
(8) 剣(鉾)
剣は、古くは「つるき」とも呼ばれ、刀身の両側に刃の付いた刀のことで、いわゆる諸刃の刀である。刀剣の総称としても 用いられている。この剣に長い柄を付けたものが鉾である。
古代の剣である銅剣は、細形−中細形−中広形−平形へと変化し、特に、中細形以降は大型化が加速され、実戦用の 武器としての機能を失って祭器へと変化したとされる。細形銅剣の中には、高知県免田八幡宮所蔵の銅剣のように、呪術 的な紋様が鋳出され、既に祭器として作られたものもあり、銅剣祭祀の起源は古くまで遡るとされている。
島根県の荒神谷遺跡から発見された358本の中細形銅剣及び前述した加茂岩倉遺跡から発見された31個の銅鐸は、他 を圧倒する物量で、銅剣、銅鐸が古代祭祀の中核的な役割を果たしていたとすれば、日本神話の世界で、出雲地方が重 要な位置を占めているのと無縁ではないと思われる。
(9) 鬼棒
鬼棒は、「神」が用いる剣、弓矢などの武器に対し、専ら「鬼」が用いる武器のこと である。
地域によっては、打ち杖、ザイなどと呼ばれている。この棒は、1メートル前後の 竹又は木の棒の両端に、多色の垂が取り付けられている。
私達は、通常、「鬼」と言えば、頭に角が生え、虎柄のパンツを着けて、金棒を所 持した鬼を想像する。また、ただでさえ強い鬼に金棒を持たせる意味から、強い者 が、更に強さを加えることを表現する諺に、「鬼に金棒」というのがある。鬼と棒は、 切っても切れない関係にあるものと思われる。
岡山県には、地元ではよく知られた「温羅伝説」が伝えられている。その昔、朝鮮 半島からやって来た百済の王子「温羅」、またの名を「吉備冠者」という鬼神が、山 陽道を平定するために、大和朝廷から派遣された五十狭芹彦命によって退治され るという物語であるが、温羅は、古代の砂鉄資源を掌握した吉備王国の王者であったと見られている。
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