アンブシュア改造

「あるホルン吹きの2000年問題」(1999年初出)補筆・改題

ホルンを始めて20年目、不惑の年を目前にしてアンブシュアを変えた。これがみごとに大成功。以前に比べストレスを感じないでホルンを吹けるようになった。いままでの20年間は一体なんだったんだ。俺の青春を返してくれ〜!(笑)

アンブシュアの見直し

ファーカスの本(1)のパロディーのつもりで、自分のアンブシュアの写真(1998年6月)をホームページで公開したところ、これをご覧になった「なおさん」ことAさんから次のようなメールをいただいた。

池野さんのアンブシャーを見ると
どちらかというと中低音が得意で、
ハイトーンは出なくはないが、細い音になってしまう、
ハイFをフォルティッシモで吹くのはしんどい、
・・・という感じではないでしょうか?

確かにそのとおりだった。Aさん自身、こうした悩みを抱えていた時期があったという。「マウスピースのリム外縁を下唇で支える吹き方は、高音域ではアパチュアを狭めるために、必要以上に唇上部の筋肉を締めたりプレッシャーをかけたりする傾向がある・・・」、指摘されたことはどれも思い当たることばかりだった。こうした問題を解消するためのアドバイスは次のようなものだった。

  • 上唇と下唇の割合を1:1になるようにセットする
  • 下唇を少し巻き込み気味にして、リムを下唇の下端かさらに下にセットする

上下の唇の比率

200年来ホルン奏者の間では、マウスピースのリム内に占める上唇と下唇の比率は2:1がグローバル・スタンダードである。私も長い間このことに疑問を持つことはなかった。しかしこれは必ずしも厳密なものではないことに気づいた。ファーカスの本を読みかえしてみると、2:1の比率については、下線付きでapproxmately(おおよそ)という但し書きがある。ヴェクレの本では基本的には2:1としながら、「(個人によって)4:1から1:1までの間」と範囲を拡大している(2)。2:1が絶対的な比率でないことを示す次のようなエピソードもある。1998年にボストン響の首席を引退したチャールズ・カヴァロフスキーがホルンを始めたとき、最初の先生はトランペット奏者で、マウスピースの位置は1:1にするように教わった。その後ファーカスの本に出会い、1年間かけて2:1のアンブシュアに変えた。しかし皮肉にも、ボストン響に入団すると、音を遠くまで伝えるパワーが不足していることに気付き、以前のアンブシュアに戻したという(3)。トランペットからホルンに移行した人に高音域が得意な人が多い。一般にトランペットのマウスピースは上下の唇がマウスピースの中で1:2の比率でセットされる。この比率に馴染んだ人がホルンを吹くと、すぐに2:1に切り替えることはできず、結果的に1:1に近い比率で演奏するということも考えられる。

マウスピースの位置をわずかに下に移動させた。1:1のつもりでマウスピースをセットする。ところが、鏡で確かめるとリムの中では2:1に落ち着いていた(以前前は4:1)。どうやらこれが私にとっての最適の位置のようだ。上唇の「ふたつの山」(シュラー「ホルンのテクニック」)の際のやや下にリムの上の縁が当たる。位置を変えた結果は一目瞭然で、高音がいままでよりも出しやすくなった。リムのピークが当たる位置は縦方向で上唇の中心、歯と歯茎の境目である。一見この位置は上唇へ圧力が集中し疲れやすいように見える。しかし実際は、口の両端を締めることにより唇に弾力が生じ、マウスピースの圧力を跳ね返すので持久力は以前よりも向上した。

下唇の形

マウスピースを下唇に対してどのようにセットするかで、EinsetzenAnsetzenのふたつのタイプのアンブシュアに分類できる。

ホルンのアンブシュア - ふたつのタイプ
Einsetzen (set in) リムの外縁が下唇の赤い部分に当たる
Ansetzen (set on) 下唇の下端のすぐ下の皮膚にリムの外側が来る

19世紀の教則本(オスカー・フランツ)に登場するこのふたつのタイプは、それぞれ一長一短がある。現代のホルン奏法はこれらを折衷的に組み合わせたものだが、人によっては音域によってこのふたつを無意識に使い分けているケースもある。以前の私のアンブシュアは明らかに Einsetzen だった。私のアンブシュアの改造は、Einsetzen から Ansetzen への切り替えだったともいえる。

下唇はマウスピースを支える土台である。実際に振動して音を出すのは上唇である。その証拠に、唇だけでバズィングしながら、下唇に指を当てても音に変化はないが、上唇に指を当てると振動が止まり音が出なくなってしまう。上唇をいかに無駄なく効率的に振動させるかが、アンブシュアの作り方やマウスピースの当て方を決める大きなポイントになる。

下唇を巻き込むことで、上唇の内側の柔らかい部分の振動が引き出される。プロ奏者のアンブシュアの写真を見てみると、下唇を巻き込んでいる人が多いのに気づくだろう。ペーター・ダムはマウスピースの外から見ると唇の赤い部分がまったく見えない。ヘルマン・バウマン、バリー・タックウェルなども、わずかに下唇を巻き込んでいて、リムは下唇の縁の下に来ている。特にタックウェルは下唇を巻き込んでいることがよくわかる。

金管楽器奏者の顔

以前の私は、いわゆる「金管楽器奏者の顔」を作るために下顎を尖らせて口の下に三日月状のくぼみを作ることに躍起になっていた。下顎の「三日月」や「梅干」は、アンブシュアの状態を調べる手段としては有効だが、それに固執することは本末転倒といえよう。。むしろポイントは下顎ではなく、口角(口の両端)と舌だ。口角を締め舌先を下の歯の裏側に付けることにより、結果として下顎に「三日月」のある「金管楽器奏者の顔」ができあがる。舌先は常に下の歯の裏側に付ける。舌の位置は空気の流れに大きな影響を与えると同時に、それ自体がアンブシュアの一部である。口角を緩めると、バランスのとれた筋肉の緊張が瞬時に失われてしまう。この緊張は音域に関係なく常に維持しなければならない。低音域になると緊張が緩みがちだが、口角を緩めないことで、芯のある安定した音が可能になり、高い音に跳躍する場合もアンブシュアの動きは最小限ですむ。

アンブシュアと呼吸

数ヶ月の試行錯誤の末、新しいアンブシュアに変えた。音域・音量・音色・持久力のすべての面で、自分でも驚くほどの改善が見られた。アンブシュアが安定してくるにつれ、口の形はあまり変えなくても、シラブルと息のスピード(空気の圧力)を変えることにより、広い音域をカバーできることを実感するようになった。アンブシュアと呼吸法はクルマの両輪で、ホルン奏法の根幹をなすものである。いくら完璧なアンブシュアでも安定した息のコントロールの伴わない演奏はありえない。ところが管楽器奏者の呼吸法についての情報には、医学的裏づけのない感覚的なものが多く、その重要性の割に適切な指導ができる人が少ない。誤った情報を鵜呑みにして無駄な力の入った不自然な呼吸をしているケースも見受けられる。アレクサンダー・テクニークの本が呼吸のしくみを理解するのに役立った。

ともあれアンブシュア改造は大成功だった。ずいぶん遠回りをしてきたが、やっとホルン吹きとしてスタートラインに立ったところか。アドバイスしてくださったAさんに感謝します。

参考文献:

  1. Philip Farkas: The Art of French Horn Playing
  2. Froidis Ree Wekre: Thoughts on Playing the Horn Well. A.s Reistad Offset, 1994
  3. William Scharnberg: A Tribute to Charles Kavalovsky, The Horn Call / No.28.2 / February 1998
参考文献
フィリップ・ファーカス: フレンチ・ホルン演奏技法 (守山 光三:訳)
フィリップ・ファーカス: 金管楽器を吹く人のために (杉原 道夫:訳)
バーバラ・コナブル: 音楽家ならだれでも知っておきたい「からだ」のこと〜アレクサンダー・テクニークとボディ・マッピング〜 (片桐 ユズル, 小野 ひとみ:訳)

ためになるサイト
ホルン吹きの広場 > ホルンのイロハ
Hundertdreier > 基礎的奏法
管楽器奏者の歯のためのページ
English:
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Last Update: 02/01/13
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