(4)桜の咲く公園にて

 ちょおっと、早く起きなさいよっ。やっぱり次の休み時間に、も一回来ようよ。だめよ、私はやりたい時にやれないのって我慢できないの。……ん? まったく、ぐーすかぐーすか、頭ん中腐りだしてんじゃないの。……うるせえなあ。ね、ほら、全然起きないし、また後で来よ。うぐぐ、こうなったら、すーーーっ。
「起きろーーーーーーっ! ヒローーーーーーっ!!」
「どわわわーーーっ!!」
「やっと起きた」
「な、なんだなんだ? なにが? え? え?」
「あははは、寝ぼけちゃってるよ。おっかしー」
「志保……」
 いったい何があったんだ? ……あれ? 志保にあかりじゃねえか。
「目、覚めた? この志保ちゃんをほっといて寝てるからよ」
 俺はお前を呼んだ覚えはねえぞ。
「ごめんね、浩之ちゃん」
「なんか用か?」
「せっかく来てやったのにそんなこと言うわけ? 帰ろっと。行こ、あかり」
 おー、帰れ、帰れ。お前のことだ、ろくなこっちゃねえ。
「…………」
 ほら早く帰れよ。……なんだよ、ジト目で俺を見やがって。
「……そこまでして引き留めるんなら仕方がない。よし、とっておきの志保ちゃんニュース、ヒロには特別教えちゃおー」
 引き留めてないって。……なんだそのコピー用紙、目の前でひらひらさせて。
「これ、なぁーんだ?」
 街で時々見かける、電波で頭がイカレた人の書いた新聞。じゃあな、おやすみ。
「ちょ、ちょっと、寝ないでよ! こ、れ、は、じゃーん。的中100%間違いなしの期末テスト予想問題なのだーっ!」
 100%? 競馬の予想屋でももっと控え目な数字を言うぜ。
「志保ちゃんが足を棒のようにして捜してきた、たっくさんの過去問から選びに選んだスペシャル過去問よっ」
 いらね。
「浩之ちゃん、私も貰ったけど良くできてるよ」
「留年にリーチのかかってるヒロのために作ったんだから、ありがたく受け取りなさいよ」
 何言ってやがる。赤点にウノを宣言した自分のためじゃねえのか?
「とにかく、あげるからさ、使ってよ。用はそんだけ。じゃあねー」
「じゃ帰るね、浩之ちゃん」
 おー、早よ行け行け。
「あ、それからお花見だけど、日曜日の夕方6時からね。費用は1500円ぐらい見てんのよ。宴会の段取りは私がするから、ヒロは場所取り頼むわ」
 お前が仕切るなよ。……まあいいか自分でするのもめんどくさい。
「じゃ頼んだわよ〜ん」
 2人は教室を出ていった。ホントけたたましいやつだな……。
 志保ご謹製の予想問題を見る。なんだ過去問を切り張りしただけじゃねえか。言ってるほど手間かかってないぞ。
 もう一回寝ようとしたんだが、なんだか目がさえてしまった、予想問題を鞄にしまうと俺はホゲーと教室をなんとなく眺めてた。するとさっき出ていった志保が血相変えて俺の元へ駆け込んできた。
「ヒロ! ヒロ! 大変! 早く来て! あかりが大変なの!」
 なに!? どこだ? 連れてってくれ! 志保の後を追いかけると階段の所でうずくまってるあかりがいた。
「あかり大丈夫か?」
 あかりがこっちを見る。心なしか顔が青い。
「あ……大丈夫。ちょっとクラッとしただけだから」
 貧血か。とりあえず保健室行くぞ。立てるか? あかりは手摺りに掴まりどうにか立ったがだいぶフラフラしてる。……辛そうだな。よし担いでってやる。
「え……いいよ。私……」
 そんな言葉に耳は貸さない。俺は右腕をあかりのお尻方に差しだし、スカートの裾と一緒に両腿に腕を添える。左腕は骨盤と背骨のつなぎ目から手のひら1つ分ほど上の所に添える。そしてあかりの体をふわっとすくい上げるように抱きかかえる。
「きゃっ」
 予想以上の軽さと柔らかさにびっくりする。周りから「わあっ」と驚きの声が洩れたが気に留めない。さあ保健室に行くぞ。
 ところでよくマンガで女の子を抱きかかえる時、右手を女の子の膝の裏に入れてる描写をよく見るが、ああすると女の子は体が必要以上にくの字に曲がるため疲れるのだ。一方男の方も女の子の腰の位置が下がる(女の子の重心が自分の肩から遠くなる)から疲労度が増すのだ。また特に女の子がスカートの場合、そんな右手の添え方をするとスカートの裾が垂れ下がってパンツ大公開となってしまうので注意してくれ。俺はあかりのパンツを他の奴に見せるつもりはない。
「浩之ちゃん、私重くない?」
 あかりがつぶやくような声で聞いてきた。
「んなわけあるか。あまりに軽くて拍子抜けしたわい」
「よかった……」
 なにつまんないこと聞いてんだよ。
「だから言ったじゃない、そんなことないって。それにごはん抜いた位じゃダメだって」
 志保が心配そうに俺の横に張り付いてあかりの顔を覗き込んでいる。
「どっかのすっとこどっこいに何か言われたの? まったく、調子悪い時こそきちんと食べないとすぐ貧血起こすんだから」
「志保……大声出さないで……恥ずかしい……」
 あかりの頬に血の気が少し戻る。廊下ですれ違う奴がみんな振り返る。俺はなんともないが、あかりは恥ずかしいらしい、どどめに志保が横でぎゃあぎゃあ言うからなおさらだ。けどよ志保、お前まるで姑のようだぞ。
「あかり、恥ずかしいなら、顔を俺の方に向けて隠しとけ」
「……うん……」
 そう言うとあかりは俺の首と肩の辺りにおでこをちょこんと乗せて目を閉じた。
「あ……」
 ……ん? おーい志保―っ! なに立ち止まってんだーっ。呆然としてないでついて来いよ。
 保健室の前に着くと俺はあかりをそっと降ろしてやった。
「ありがと、浩之ちゃん」
 俺は保健室のドアを開けてあかりを中に入れようとした。するとズイと志保が俺とあかりの間に割り込むと、
「はーい、ヒロはここまでー。ここから先は乙女の領域よ。ベッドで弱ったあかりを見て誰かさんが狼に変身したら大変だもんね」
 と言いやがった。
「だーれがあかりなんかで狼になるか」
 ドアの所に立ちふさがったまま志保は言葉を続ける。
「ほらほら、すっとこどっこいは帰った、帰った。それから私たちのクラスに行って、誰にでもいいから『次の授業少し遅れます』って言っといて」
 そう言い残すとドアを目の前でピシャンと閉められた。なんか俺ひとり取り残されちまった気分だ……。

 さて自分のクラスの前に着いた、20mほど先を見ると隣の隣にあかり達のクラスが見える。めんどくさいが行って来るか。でもなあC組に来ると決まって、……ほら、教室の電気が消えてやがる。思った通りだ。いやな予感がして教室の中をそっと覗く、……中でうごめく影3つ。その影は委員長の机を囲んでなにやら言っている。
「なにこれーっ。コイツ生意気にノート治してんじゃん」
 あのノートを勝手に取りだしてパラパラめくってる。
「まだ何も書いてないよーね」
「なーんか超ムカツクー」
「あの程度のバツじゃ懲りないってことね」
 罰だ? てめぇら何様のつもりだ。血液がこめかみをめりめりと音を立て昇っていくのを感じた。
「じゃ、もっとすごいことやってやろうよ」
「どんなこと?」
「そーねー……、トイレの中に捨てるってのはどう?」
「やだー、それすごーい」
「それで水の溜まってるとこに丸めてずぼっと突っ込むの」
「きゃははっ、やろよそれ、チョベリグ!」
 おめえら今、自分達がどんなに醜い顔をしてるのか解かんねえんだろうな。腐って歪みきった、それはもう人間の顔とは呼べねえもんだぜ! 心臓が己の激情に耐えきれずにバクバク言ってる。もう押さえ切れねえ。
「じゃ、これ持っていこうよ」
「うん、これも天罰ね」
 天罰が下るのはお前らだ。3人が委員長のノートを隠すように持って、ドアの取っ手に手を掛けようとしたとき、俺は先にドアを開けた。
「なにやってんだおめぇら」
「ひっ」
 意表を突いてドアが開いたのと、その開いた扉の向こうに俺の怒りに満ちた目があったからか、3人はひどく驚いた表情を見せた。
「あ、あんた誰よ! うちのクラスに関係ないじゃない!」
 一人、気の強そうなのが言ってきた。
「こいつA組の藤田よ……」
 他の一人がそう耳打ちするとそいつの顔がみるみる青くなっていくのが解った。
「そのノート、委員長のじゃねえのか? どうするつもりだ?」
「い、い、今から保科に、と、届けようとしてたのよ……」
「そ、そーよ」
「嘘をつくんじゃねえ! それをどこかに捨てるつもりだっだんだろうが!!」
 ビクッ! 3人の女子にうろたえの色が浮かぶ。その目を射殺すようににらみつける。
「そ、……そんな、しょ、証拠があるって、い、言うの?」
 俺は目の高さまで拳を上げるとそのまま真横にあった掃除用具入れに拳の側面を思い切り叩きつけた。
 ガーーーーーーン!!
 ものすごい音が教室の空気を切り裂いた。鉄で出来ているその用具入れが俺の拳の形に合わせてベッコリへこんでいた。1人は膝をがくがく言わせ始めた。
「やかましい!! おめえらがノートにマジックで落書きするとこ俺は見てんだよっ! おれはなぁ隠れて汚ねえことやるやつがヘドが出るほど嫌いなんだよ!! てめえらみてえな卑怯者、絶対許さねぇ!!」
 3人とも真っ青な顔をして震えている。俺は奴らの方へじりっと1歩出た。こいつらの髪がザザッと逆立つのが解った。俺はすっと奴らの前に手を出した。
「ひいいっ!」
「出せよ。……ノートを出せよ」
 1人の子が別の子の肩にすがりつく、1人じゃ立てないようだ。ノートを持っていた子がぶるぶる震える手でノートを俺の手のひらの上に乗せた。そして残りの2人を連れて教室を飛び出していった。……まあ、あれぐらいビビらせとけばもう大丈夫だろう。俺もちょっと気が晴れた。ノートをそっと委員長の机の中にしまうと、自分の教室に戻った。伝言は……まあいいだろう。

 あかりは結局早退してしまったので、今日は俺1人で帰る。早く帰ろう。教室を出た所の廊下の壁に背中を寄りかからせている女子を見つけた。 A組から出ていく生徒を目で追ってるようだ。あ、目があった。
「藤田君……、ちょっとええか?」
 委員長だった。俺に用か? なんだか珍しいな。
 委員長に連れてこられたのは図書室だった。ちょっとがっかり(なぜ?)したが、試験前だってのに人気の少ないここは、人に聞かれたくない話をするのに向いた場所だ。なにか用があるのは確実だな。委員長は空いている席につくと、俺も彼女の正面の席に陣取った。
「あんた、あの子らにナンかしたんやろ?」
 なんのことかなー。
「とぼけんといてや。あの子ら変にうちの事オドオドした目で見るようになったし、おまけにうちの方見て『あの藤田がバックにいるなんて……』とか言(ゆ)うとったで」
「藤田なんていっぱいいるだろ?」
「『あの』なんて頭に付く藤田は1人しか知らん。……ふう、ヤクザの姐さんになった気分や……。うちも落書きの犯人はあの3人やと目星は付けとーたけど、あんたは誰から聞いたんや? 長岡さんか? それとも神岸さんか?」
「違うぜ、偶然あの3人の話を立ち聞きしたんだよ」
「……やっぱりあんたか」
 し、しまった。最後までとぼけるつもりだったのに……。
「思った通りや。で、あの子らに暴力ふるったんやないやろな? まさかレイプ!?」
「こらっ、と、とんでもないこと言うんじゃねえよ。ちょっときつく注意しただけだ」
「掃除用具入れ殴ってか?」
 うぐっ、なぜそれを!?
「はー、やっぱりあれもあんたか……」
「でもよ、あれ一発だったぜ」
「……一発やろが、二発やろがあんたのやったんは『注意』やのうて、『脅し』ちゅう立派な暴力や。……まあ、これでうちンとこにはもうあの子らも来(こ)うへんやろけどな。せやけど根本的な解決にはならへんやろな……」
「すまん……」
「まあ、ええわ。うちのためにやってくれたんやろ? おおきにな」
 にこっと委員長が微笑んだ。は、初めて見た。……かわいいじゃないか。
「……あんたこの前『試験のヤマ教えてくれ』って言(ゆ)うとったな。いまから教えたるから教科書出しぃ」
 ホント? ラッキー。じゃあ早速……。机の上に教科書をありったけ並べる。
「で、あんたは何点取らなあかんの?」
 は?
「せやから、100点狙うんと80点狙うんとじゃ教え方が変わるんや。で、何点?」
 正面切って聞かれるとなんか恥ずかしいものがあるな……。
「……30点」
「そか、解った」
 委員長は学年トップの人だから、30点て言ったら笑われるかと思った。けれど、すげえ真面目な顔で聞いてくれた。……意外。
 委員長は蛍光ペンのキャップを抜くと俺の教科書にずばずば線を引いていいった。
「で、俺はどうすればいいんだい?」
 手を止めると俺の方を見て言った。
「全部覚えー。丸暗記や」
 ええーっ、俺そういうのダメなんだよ。
「泣き言なんか聞きとーない。これが一番早くて効果的なんや。こんなせっぱ詰まった時期にじっくり理解する暇なんかあらへん」
 そうは言ってもよ……。
「ほんまに大事なとこしか線引いてないからな。全部きっちり覚えて30点ちょうどや」
 うう、確かにアンダーラインの数は少ないが……。大変そうだな……。このように国語、数学、理科、社会の教科書の上に次々と蛍光ペンが走った。社会は特に歴史の流れが大事だからと司馬遼太郎の本を一冊、一気読みすることを命じられた。奇しくも図書室と言う所で初めて借りた本は勉強のためのものだった。あまり分厚くなかったのが唯一の救いだ。
 さあ、次は英語だ。
「……ほら、英語は線引いた所の英文と和訳を完璧に覚えときや」
「それで和訳は?」
「んなもん、自分でしいや」
「じゃあさ、ここの英文だけどさ。 Foreign language skills seem to have been developed sufficiently to meet the needs. の訳って『外国の言語技術の思慮は必要性の意味する所の表面的な発達を持っている』だよな?」
「そういう冗談、関西やったらきいーーっつい、つっこみ入れられんで」
 …………。
「……あんた、本気で言うとんか? ……わかった、一つずつ言うてくで、まずな英文は動詞を最初に探すんや」
「えーっと、seemとhaveとbeenとdevelopedとmeetだな」
「そや、次にこの動詞のすぐ前の単語を見るんや。で、前の単語がtoとかforとかの前置詞やったり、他の動詞やったらひとまずそれはチェックから外すんや」
「すると、seem以外はみんなアウトだな」
「そ、これで最後まで残ったseemがこの文全体の述語やて判るんや。そんで基本的に動詞の前は主部や思うていいわ。で、seemは『〜と思われる』ちゅう意味やから『Foreign language skillsはto have been developed sufficiently to meet the needsと思われる』とくるんや。次にhaveとbeenは特殊な使われ方をするから取りあえず置いといてmeetに行こ。一つ大事なことがあってな、動詞の頭にtoが付くと名詞みたいになるんや、ここでsufficientlyの『〜に充分足る』というのと合わせて、sufficiently to meet the needsは『そのニーズ(必要)を充分満たす』と訳すんや」
「じゃ、最後のto have been developedはどう訳すんだ?」
「これを見ると前置詞の後、動詞、動詞、動詞って並ぶやろ?」
「ああ」
「こう言う時は意味があんのは最後の動詞やねん」
「と言うことはto developedと一緒か。toが頭に付くという事はdevelopedが名詞化するから……『〜のように発達する』だから、『外国の言語についての技術はそのニーズを充分満たすまでに発達するように思われる』か」
「そや! でもここでhave beenを忘れてるやろ。developedは過去形やからbe+過去分詞で受け身の意味になって、『〜のように発達される』と意味が変わるんや」
「じゃあ、haveは?」
「うん。ここは have+過去分詞で完了形を表すんや。ほら、beenも過去分詞やろ? せやからちょうどこの時developが完了したんや。日本語にない考え方やからちょっと難しいけど、『〜した』てな感じで訳しとけばいいわ」
「するとここの訳は、『外国の言語についての技術はそのニーズを充分満たすまでに発達したように思われる』か」
「ご名答! ちゃんと出来たやん。あんた意外と飲み込み早いな」
 てな感じで英語だけはゆっくりと教えてもらった。
「藤田君、そのノートの構文あんたが書いたん?」
「いや違うけど」
「そうやろな。あんたにしては字がきれ過ぎるわ。……あ、でも、ようまとまってるわ。ちょっと貸して」
 ノートを渡すと委員長はちょいちょいといくつかの構文にチェックを入れた。
「今印入れたとこを覚えたら、ヤマ張ったとこの理解がしやすいはずや。どっちかは知らんけどその娘によう感謝しときや」
 どっちかって、誰と誰のことだよ?
 委員長による特訓も終了したとき、俺は1枚のコピーを見せた。
「なんやこれ? あー、あかんわこれ」
「へ? なんで」
「前の教科書の時の問題や。去年までは『王冠』やったけど、今年から『水平線』に変わったんや。これ丸々信用すると痛い目に逢うで」
 おー、あぶねえ、あぶねえ。もう少しで地雷を踏むところだったぜ。

 いつもと違って出席番号順の席に座る。チャイムが鳴る少し前にやってきた中村先生がざら半紙を配り始めるとざわついていたクラスの連中もさすがに黙り込んでしまった。みんな自分の席に送られてくるざら半紙を固唾を呑んで見つめている。そして後ろの席に残りを渡すと机の上に裏向けで伏せられたそのプリントを透視するかのように凝視する。うっすら見える文字を見てその内容を想像する。緊張のボルテージはぐんぐん上がっていく。
 キーンコーンカーンコーン……
「よし、始め」
 チャイムが鳴り響く。そして先生の声に問題用紙をめくる音が応える。期末テスト1教科目の化学が始まった。昨日までにやるべきことはやった。後は全力を尽くすだけだ。第1問に目を走らせる。
 …………。
 キーンコーンカーンコーン……
「そこまで。えんぴつ置けよ。後ろから解答用紙を集めてきてくれ」
 カチャカチャカチャとシャーペンを手放す音があちこちからする。ため息や背伸びをする声そしてすべてが終わった開放感からの歓声が聞こえる。これで最後の教科リーダーの試験が終わった。え? ああ終わったぜ全試験。ホントあっと言う間に過ぎた4日間だったなあ。
 雅史を連れてあかり達のクラスへ行く。教室に入るとあかりと志保が楽しそうにしゃべっていた。
「よ。みんな、出来はどうだった?」
「ば、ば、ばっちりよ」
「私はまあまあかな?」
「僕もそこそこだったかな。浩之は?」
「おう、英語もばっちりだった。今年最高の出来だったぜ!」
 ビシッとVサイン。
「ホント!? わあ、よかったーーっ」
 あかりが自分のことのように喜んでくれた。お前には感謝してるぜ。
「うぐぐ、ヒロがそんなに自信たっぷりだなんて……」
 んん? どうしたのかね志保君? お顔が引き吊ってるぜ。今回はたくさんの人に助けてもらったからな、特にスーパーバイザーの存在がでかいな。わっはっはっは。
「それよりさ、夕方の6時からだったよね? 明日のお花見」
「試合終わってからでも間に合うだろ?」
「大丈夫、間に合うよ」
「私、お弁当いっぱい作ってくるからね」
 俺も朝から場所取りに行くぜ。で、イベントなんかは頼んだぜ、宴会部長。
「うぐ……ヒロがばっちりで、なんで私が……」
 なんかブツブツ言ってるぜ。ほっといて帰ろう。明日は公園で花見だ。さあ試験中に溜まった憂さをぱーっと晴らすぞ。
「……あの予想問題、完璧なはずだったのに……ブツブツ……」

 家に鍵を掛けると、玄関脇に丸めて置いてあったゴザ(茣蓙)をかついで城山公園に向かう。朝の空気がしゃきっとして気持ちいい。天気は申し分なし。風も穏やかに道を駆け抜ける。ちょっと雲の流れが速いかな。桜は今がド満開、まさに絶好の花見日和。公園に入り芝生広場に着くと、すでにいくつかの場所には先客のゴザが敷かれていた。すげえな、この人達夜が明ける前からここにいるんじゃねえのか? 俺だっていつも起きる時間よりもずっと早いんだぜ。けど早起きは三文の得。いいポジションはまだ残ってたぜ。バサッ。ゴザを広げてその上に寝っ転がる。遊びだと異常に気合いが入るなあ。このゴザだって土曜のうちに倉庫から探し出して来て、埃だらけだったのをきれいに洗って天日(てんぴ)に干したんだぜ。しかし、4畳半の大きさでもけっこう重かったよなあ。……え? ゴザを知らない? 畳って、イ草で編んだもので表面を覆っているだろう? あれだけで出来たじゅうたんみたいな物だと思ってくれ。もっとも俺の持ってきたやつはイ草じゃなくて安物のビニール製だけどな。
 いい天気だ。桜の花びらがかろうじて枝に付いているように儚げに咲いている。青空と桜が柔らかいコンストラクションを見せる。しかし花びらは優しそうなそよ風の誘いに乗ってすぐその身を風に任せてしまう。慌てちゃダメだぜ、風は君を愛してはくれないぜ。はらはらと地面に散る彼女らが春に生きる喜びと限りある命を思う哀愁を胸に掻き起こす。
 俺は暇つぶしにと家から持ってきた文庫本をポケットから取り出すとページをめくり始めた。

『みよは、右手の附根を左手できゅっと握っていきんでいた。刺されたべ、と聞くと、ああ、とまぶしそうに眼を細めた。ばか、と私は叱って了った。みよは黙って、笑っていた。これ以上私はそこにいたたまらなかった。くすりつけてやる、と言ってそのかこいから飛び出した。すぐ母屋へつれて帰って、私はアンモニアの瓶を帳場の薬棚から捜してやった。その紫の硝子瓶を、出来るだけ乱暴にみよへ手渡したきりで、自分で塗ってやろうとはしなかった。』

 ぐう……。
 んあ? いけね寝ちまってたか。そうだよなあ、普段の日曜ならまだ寝ているもんなあ。あれ? 枕元に人がいる。
「……あかりじゃねえか。もうそんな時間か?」
「あ、起きちゃったんだ。ううん、まだお昼前だよ。ご苦労さま、浩之ちゃん。お昼ご飯用意してないでしょう? ここに置いといたから食べてね」
 ホントだ、横にバスケットが置いてあった。開けてみると、おー、サンドウィッチだ。サンキュー。
「じゃ私はちょっと用事があるから行くね。夕方にお弁当いっぱい持ってくるから、楽しみに待っててね」
 おう、じゃーまたな。あかりの姿が見えなくなると早速サンドウィッチを頬ばり出した。お昼どころか朝飯も食ってないんだもんな。モグモグ。んー、嬉しい心遣いだね。食い終わったらもう一眠りすっか。

 夕日もだいぶ傾いてしまうと、遊歩道に備え付けられた街灯がぼちぼち目覚め始める。そろそろ他の花見客が集まりだす。昼寝にも飽きちまった。俺は集合時間までだいぶあったんで、近くのベンチに座り先ほどの文庫本の続きを読み始めた。

『その学校は男と女の共学であったが。それでも私は自分から女生徒に近づいたことなどなかった。私は情欲がはげしいから、懸命にそれをおさえ、女にもたいへん臆病になっていた。私はそれまで、二人三人の女の子から思われたが、いつでも知らない振りをして来たのだった。帝展の入選画帳を父の本棚から持ち出しては、その中にひそめられた白い画に頬をほてらせて眺めいったり、私の飼っていたひとつがいの兎にしばしば交尾させ、その雄兎の背中をこんもりと丸くする容姿に胸をときめかせたり、そんなことで私はこらえていた。私は見え坊であったから、あの、あんまをさえ誰にもうちあけなかった。その害を本で読んで、それをやめようとさまざまな苦心をしたが、駄目であった。』

 え? さっきから何を読んでるのかって? ちょっと恥ずかしいなあ。これは太宰治の『思い出』(新潮文庫『晩年』に収録)だ。『晩年』と言ったってこれは太宰治のデビュー作品集だ、変わってるだろ? 優しく繊細な情緒があって俺は好きだ。『人間失格』とか『斜陽』は毒が強くて(特に前者は猛毒)、初心者には勧められない。そんなのより『満願』『走れメロス』『駆け込み訴え』『女生徒』『富獄百景』なんかの中期の短編、中編がお薦めだ。
 さーと風が吹いて目の前を桜の花びらが横切る。それを横目で追っていくと1人の女の子が目に止まった。ドキ。なんかかわいい娘だぜ。こっちを見てる……。おっとと、本の方へ目線を戻す。街灯の逆行で女の子の表情はよく見えない。その娘はこっちに来ると、俺の座っているベンチに腰掛けた。おおお! ドキドキ。ここの花見客の1人かな? 俺の横に自然に座ったぞ、俺に気があるのか? なんちゃって。本を読むふりをしてチラッと横目で女の子を見てみる。街灯の光がやっぱりじゃまで顔はよく見えない。肩でそろえられたおかっぱのような髪型をしているけど、黄色いリボンをカチューシャ代わりにうなじの生え際からおでこの上にまわしてきゅっと結んでいるのがキュートだ。淡い桜色の春物セーターに、ジーンズの生地でできた膝上10cm位のミニスカート。胸の膨らみがふたつセーターに陵丘をつくっている、小ぶりだがお椀型の形のいいバストだ。またミニスカから覗く膝とそれに添えられた手がかわいらしい。靴下はルーズじゃなくて白のハイソックスだ。赤いスニーカーを履いているが、ふくらはぎから足下にかけて細くて可憐だ。全体的に初々しい感じがさくらんぼみたいでこの桜の園にふさわしい。ドキドキドキ。
「あ……」
 女の子が小さく声を上げた。1ひらの花びらがその娘の口唇にくちづけをするように引っ付いたのだった。女の子は「もう」といった感じでその花びらを取った。かわいい! ……決めた! 声を掛けよう。ダメもとで良い、名前とどの辺に住んでいるのか聞いてみよう。このまま終わるなんて俺には耐えられない。行くぞ。
「あーいたいた。こんなとこにいたの? 捜したのよー」
 んわっ! な、なんだ志保か……。人が一大決心をしたのにじゃましやがって。
「ヒロ、場所取りごくろ。で、どこ?」
「あれだよ、あの大きな桜の下に1つ空いたゴザがあるだろ? そこ」
「おっ、さっすがー、いいとこ取ってんじゃん。じゃあかりも行こ」
「うん」
 『うん』ってどこから返事が……ギョエエーーッ!! 返事は隣に座っていた女の子がしたのだった。じゃ今まで俺があれこれ悶々と考えてたのはあか、あか、あか……。
「ちょっとヒロ。何、鳩が豆鉄砲喰らったような顔してんのよ。あかりもその髪型いけてんじゃん」
「志保に教えてもらった美容院にお昼行って来たんだ」
「あそこいいとこでしょ?」
「うん。気に入っちゃった」
 髪をサラッとなで志保に微笑みかける。なんだろう……あかりが知らない娘のように感じる。16年も一緒にいるのに……。心臓が左の胸の中でしきりと自己主張している。
「浩之ちゃん。浩之ちゃんが取ってくれた場所に行こうよ」
「あ、ああ……」
 3人がゴザの上に座ると、あかりはスーパーの袋に入れたでかいタッパを4つと水筒を取り出した。その他割り箸や紙のコップ、おしぼりなんかも一緒に並べた。待ちきれずに志保がタッパのふたを開ける。
「うわー、やったじゃん。私おなかぺこぺこなのよ」
「志保、雅史ちゃん待とうよ」
「えー。遅刻してくるような男を待つ必要なし。パチン。いっただっきまーす」
 割り箸を割って、志保が卵焼きに手を付ける。
「浩之ちゃんはこのタッパのものは食べちゃだめだよ」
「あ、ああ……」
 なんか気まずくてまともにあかりの顔が見れない。
「ごめん、みんな。待っちゃった?」
 雅史がジャージ姿にスポーツバックをかついだまま駆けつけてきた。グランドから直行してきたみたいだな。
「おう、待ってたぜ。1人待ってないヤツがいるけどな」
「ひょれ、わはひおこほ?」
 口に物を入れたまましゃべるなよ。
「お疲れさま。お茶でも飲んで、雅史ちゃん」
 水筒から注がれたウーロン茶を受け取ると
「せっかくだから乾杯の音頭を執ってよ。浩之」
 と言った。あかりが残りの3人にも手早く紙コップをまわす。そ、そうか。それじゃ……。
「オホン……、期末テストも無事に終わったことだし、今日はめでたく4人揃ったと言うことでパーッとやろうぜ。乾杯!」
「かんぱーい!」
「あんふぁあい」
 だから頬張りながらしゃべるなよ、志保……。

 『 ほら 知りなさいよね 女の子の方から
   気安く 話しかけてる訳は 「―――」なのに …… 』


「……で3点目はボレーが決まってさ、思わずガッツポーズしちゃったよ」
「じゃあ、ハットじゃねえか。すげえな」

 『 どうして? どうして?
   私の気持ちわからない? …… 』


「左MF(ミッドフィルダー)の人がすっごくいいパス出すんだ。それのお陰だよ」
「ね、浩之ちゃん。『ハット』って、なあに?」
「……それで試合はどうなったんだ?」
「…………」
「結局4−1で勝ったよ。『ハット』は『ハットトリック』の略で1試合に1人で3得点上げることだよ」

 『 気付いて! 気付いて!
   ケンカも恋の駆け引き …… 』


しかし志保のヤツ、食うだけ食うとデイパックからハンドカラオケを出して、1人で歌いまくりだしやがった。1人で盛り上がってどうすんだ。察しの通りコイツは一度マイクを手にすると絶対に放さねえタイプだ。これで歌が下手くそだったら無理矢理にでも止めさせるんだが、妙に上手くて不覚にも聞き惚れてしまうことがある。声に芯があって力強く、それでいて高音がきれいに伸びて華やかだ。そして歌詞の内容をよく吟味して、抜群のリズム感と共にメロディに絶妙な意味を与える。これで時々音を外さなかったら間違いなくプロ級だ。

 『 いつも側に居て 憎まれ口たたいてあげる
   こんな女の子 そういないでしょ!
   「マイ フレンド」 バーイ アステル アーンド 中上和英 』


「ねえちゃん! 最高ーーーーーっ!!」
 周りのおっさん達が一斉に拍手喝采をした。スタンディングオベーション。
「どもども、どーーもーー」
 志保がその歓声に手を上げてこたえる。おっさん達も酒が入っているせいか、すげーハイテンションだ。
「よっ、そこのべっひんさん、どうだいおっちゃんといっかい援助交際ってやつしてくれんか?」
「ありがとー。でも私と付き合うときは本気じゃないとダメよ。声掛けるときは家庭を捨てるつもりでお願いね。パチッ(ウインクした)」
 どーーっと爆笑の渦が興る。大ウケだ。みんな志保の虜になっちまっている。
「おじさん気に入った!! こっち来て1杯呑んでくれ」
 おっさん、高校生に酒を勧めるなって。こら志保も「ラッキー」とか言って行くんじゃない。
「兄ちゃんも堅いこと言わずに、ほら」
 おいおい、俺にコップ渡してどうすんだよ。くいーーーっ。ぷはーーっ、良い酒だな。

 知らない間にどこからか貰ってきた一升瓶を4人で囲んでいた。雅史は試合の疲れも手伝って、横になって寝息を立てていた。志保が一升瓶の最後の一滴をコップに垂らした。
「あれれーっ、もうなくなっちった。まーた貰ってくるわん。まっててねー」
 ふらふらふらーと志保がよその宴会の輪の中へ入っていく。この一升瓶ほとんど俺と志保の2人で空けてしまった。……あかりは1杯の酒をちびちびと舐めては俺と志保のバカ話にずっとニコニコしていた。ぼっと赤くなった顔がかわいかった……。
「うふふ、今日はとっても楽しいね。浩之ちゃん」
「あ、ああ……」
「私もこんな気分になったの久しぶりー」
「あ、ああ……」
 なんかあかりの顔を見て話ができない……。どうしてだろう……。
「おまたへー」
 志保が3分の1ほど中身が残った一升瓶を持って戻ってきた。
「あまったの、もーらってきちゃったー」
 しかしコイツも見ず知らずの人達の中によく入っていけるもんだ。いくら宴会がたけなわで乱痴気騒ぎになっているとしても、必ずそこの人達と友達になって帰ってくる。
「ちょおっとーヒロー。今日はどうしたのよー」
「なにがだよ」
「ずっとあかりをムシしてるじゃなーい」
「そ、そんなこと、ない」
「浩之ちゃん、私……なんか気にさわる事した?」
「そ、そんなこと、ない」
「じゃ、髪型変えたから怒っちゃったの?」
「そ、そんなこと、ない」
 ちらとあかりの方を見る。視線を落としてしゅんとしている。伏せたまつげがきれいだった。あ、いけね。
「ほらっ! 今また目そらした! ひょっとしてヒロ、あかりがイメチェンしたんでときめいてんじゃないでしょね」
「ば、ばかやろう! そんなことあるか。こいつは、いつまでたっても俺の後を泣きながらついてきた、あの頃と同じなんだよ! 髪型が変わった位でそう変わるかってんだ!」
「ばっかじゃない? あんたあかりのどこ見てきたのよ。この頃この娘ぐっと女らしくなってんのよ!」
「志保、いいよ、私ならいいから……」
 あかりが恥ずかしそうな顔をして志保を止めようとした。
「なに言ってやがる。そんなことあるわけねえだろ!」
 志保は俺のセリフを聞くや、俺の右手をはしっと掴むと、
「だったら自分で確かめてみなさいよっ」
 とぐいっとあかりの方へ引き寄せた。
「きゃっ」
 ★*※#☆◆£!! 手のひらいっぱいにとてつもなく柔らかくて暖かい感触が広がった。し、志保が俺の手をあかりの胸に押しつけやがったのだ。あかりは胸を隠すように自分の腕でかばったが、すでに俺の右手はあかりのおっぱいに触れていたのだから、よけいに押しつけられる格好となった。……モミモミ。おお! すげーぷにぷにしてる!? それでいて中にゴムみたいな少し固い感触もあった。この手のひらにすっぽり収まってる半球状のものは今までに経験したことのない柔らかさを感じさせた。
「んんっ、痛い浩之ちゃん」
 志保が俺の右手を解放すると同時に、俺はあかりのふくらみから慌てて手を放した。あかりは胸の前を腕で隠し、正座の姿勢のまま上半身をゴザの上に伏せた。顔が真っ赤っかだった。かく言う俺も首から顔に掛けてすごく熱く、汗がだらだらと流れていて、心臓もばくばくいって治まらない。きっとすげえ赤い顔してんじゃねえだるうか。
「解った? 最近あかりもAからBのカップになったんだから」
 喉がからからになって、まともに息も出来ない俺に言葉を返すことは不可能だった。
 ゴミを集めると雅史をたたき起こしてゴザを丸める。志保は今晩あかりの家に泊まるそうだ。月明かりが明るくて足下の影がよく見えた。あかりの家まで2人を送ると俺の家の前で雅史と別れた。ゴミは雅史が持って帰って明日の朝に出すことになっている。楽しかった今宵の宴のここまでだ。

 シャワーを浴びた後、ベッドの上にごろりとなる。部屋の電気を消して天井の模様を眺めていると、今日の出来事が次々と浮かんできた。みんなで輪になってしたバカ話、志保のカラオケフィーバー、桜の木の下で見た俺の知らないあかり。……桜の花びらがくっついたきれいな口唇、とてもとても柔らかかったあかりの乳房。……さっきからずっと俺の欲望の化身がいきり立って治まらないんだ。右手をトランクスの中へ滑り込ませ、そのいきり立った器官に触れる。ピクッ。俺の中に切ない衝動が興る。トランクスを膝まで下ろし、ゆっくりとしごき始める。摩擦のたびに快感の波がとうとうと押し寄せた。頭の中であかりの乳房の感触を反芻(はんすう)する。そしてあかりの白い乳房を想像する。俺はその柔らかさを思い出しつつ想像の中でそれを揉みしだき、赤い頂上に口唇をそっと添える。そのまま口唇を内またまで這わせ、最後に最も秘められた箇所へ舌をたどり着かせる。神秘の泉からはこんこんと清水が湧き出している。俺のむき出しになった先端は充血し、透明な液がぷくりとにじみ出していた。そしてそれを支える柱にも血管が浮き上がってピクピクしていた。
 いくよあかり……。俺はまだ知らぬあかりの部分に醜い突起をめり込ませる。こすり上げる右手の律動が速くなる。あかりが快楽の渦に呑まれてあえぎ声を上げる。あかり、俺はおまえの中に入れたいんだ! おまえの中に出したいんだ! だから出していいか? あかり! あかり! ううっ! 俺の劣情の器官に電気のような衝動が起きると腰を駆け抜け一気に脳天まで貫いた。その刹那真っ赤になった先端から激しい痙攣と共に白い毒液が噴き出した。幾雫かを飛び散らせると、その液体は噴火口からどろりと垂れ、添えられていた右手を伝わり根本にある縮れた茂みに白い池を作った。
 ティッシュで情欲の痕跡をふき取る頃には、俺の突起物も落ち着いたのかぐったりとしていた。しかし欲望を爆発させた後の心の穴には、罪悪感という海の水が怒濤のように流れ込んできた。
「俺は、俺はなんてことをしたんだ……。今まで妹のように思ってきたあかりを、自分の汚い欲望の対象にしてしまった……。なんてバカな奴だ俺は! これからどうすればいいんだ? この醜い感情に気付いてしまった俺はどうすればいいんだ! どうすればいいんだ! どうすれば……いいんだ。……誰か教えてくれよ。……誰か……助けてくれよ」
 いつの間にか窓の外は星も月の消えて真っ黒い夜の闇が広がっていた。

 心の状態とは裏腹に体を包んだ疲労感と脱力感は俺を眠りの世界に引き込んだ。……やがて夜もゆっくりと西の空に立ち去る頃、微かに上昇していく温度と、明るさを増していく窓外の光とが、俺の瞼に朝の来訪をそっと教えに来る。「春眠、暁を覚えず」って言葉知ってるか? 知ってるならもうちょっと寝かしてくれ。……しかし周りが妙に騒がしい、何人かの人が階段を登る音がする。おふくろは今日いないはずだぞ……。
「しかしいつ来ても、きったない部屋ねー」
「ねえ、浩之ちゃん起きてよ」
 すぐ近くでわめくやつと、ゆさゆさと俺の体を揺するやつがいる。
「お目覚めのチューでもしてやれば起きるんじゃない?」
「もう」
 んあ?
「あ、起きた」
 寝ぼけまなこをこすると、ベッドの横から女の子2人が俺の顔をじーっと覗き込んでいた。
「おはよう浩之ちゃん。さ、早く起きよっ」
「こんなかわいい女の子2人に起こしてもらうなんて、あんたの人生この先にもう絶対ないんだから、さっさと起きなさいよっ」
 あー、あかりと志保か……。昨日の出来事が頭に浮かんだ。何となく気恥ずかしい。ちんちん勃ってねえだろうな、……大丈夫みたいだ。それでも、2人の胸やお尻に目が行ってしまう……。最低だな、俺って。
「ごめんね。志保が浩之ちゃんの寝込みを襲うぞって言って聞かなかったもんだから……」
 そうか、まあいいけど。
「こらこら、なにパジャマ脱いでんのよっ!」
 脱がなきゃ着替えられねえだろが。志保の方が照れているのが面白い。
「見るか?」
 俺はパンツに手を掛けて言った。
「じょ、冗談じゃないわよー。下で待ってるから早く降りて来てよねっ。行こ! あかり」
 あかりの手を引っ張って慌てて志保のやつ部屋から出ていった。はっ、はっ、愉快、愉快。
 家を出ると俺は2人が楽しそうにしゃべっている後ろをついて歩いた。あかりの髪型はやっぱり昨日と同じだった。知らない女の子みたいだ。志保の話に楽しそうに笑ってる。志保もいつものように大きな身振りを交えてなんでもない事をおもしろおかしくしゃべってる。2人を見ていると胸の中にもやもやしたものが立ち登る。ふと手を伸ばして彼女らの体に触れたいという衝動が興る。俺、どうにかなっちまったのか? 空へと目を逸らすと厚くて黒い雲が空一面に立ちこめて、天から俺を押しつぶそうとしている気がした。

 何度も言うなよ。なんか恥ずかしいことをしたみたいじゃねえか、雅史よ。
「ごめん、ごめん。でも本はいいよ。本は人類の生み出した文化の極みだよ」
「……一緒に風呂には入ってやらねえぞ」
「浩之、僕来たついでに何か借りてくよ。だからちょっと待っててよ」
 と、雅史は世界文学の書架に行ってしまった。俺は委員長に薦められた(実際は読むよう命令された)歴史小説を返却コーナーへ提出した。そのためにここ学校の図書室にやってきたのだ。もはや3年生は卒業し、在校生も期末テストが終わったこともあり、ここ図書室は図書委員が眠そうに書司をしている以外誰もいなかった。もう本なんか借りる気はなかったが、暇なんでそこらの本棚の間をぶらぶらすることにした。そうだ郷土の本のコーナーへ行こう。あそこは図書室の最も奥となる場所にあり、本自体に人気がないせいも手伝って、人っ子一人いない知る人ぞ知る我が校の秘境となっている。
 おや? 先客がいるぞ。珍しい。ちょっと光の届きにくい薄暗い本棚の狭間に誰か2人いるのが判った。なにかぼそぼそしゃべってるぞ……。
「……んっ、だからダメだって」
「いいじゃないか、誰も来ないよ」
 カップルだ……。そうか、ここはこんな使われ方をしてる場所なんだ……。女の背後から男が抱きしめている。ここからは2人の背中しか見えない。
「あ……。やだ、そんなとこ触っちゃ……」
 男が後ろから女のチチ揉んでるぞ。すげー。……いけね、ちんちん立ってきた。
「大きいね。すごいよ君。……かわいいよ」
 女の首元にキスをする。
「んあっ、やめて」
 女が男の方を振り向いていった。あっ、あれは志保だ。言い様のないショックが身体を駆けめぐる。志保が男に体を触らせている……。男の方はすると橋本先輩か……。
「頼むよ。俺もうこんなになってんだ、ほら」
 橋本先輩が自分の腰を志保のお尻に押しつける。
「ひゃっ!」
 志保がビックリして体をのけぞらせる。その一瞬をついて左手が制服の下から直に志保の胸元へ駆け上がる。そして右手はスカートの上から志保の秘所めがけて指を忍ばせる。
「いやっ、もうやめて」
 志保のヤツ真剣に嫌がってんじゃねえのか? 野郎もちょっと押しが強引だぜ。
「何言ってんだよ。最初からそのつもりで俺に声掛けたんだろ? 今更イヤはないじゃんか」
 野郎の右手がパッとスカートをめくると、電光石火で志保の薄いピンク色したショーツの中にその手を滑り込ませた。蝶をからめ取る蜘蛛のように志保の体に汚ねえ手足を巻き付かせていた。志保のショーツの最深部が不快な手の形に盛り上がって、そこが虫のように蠢(うごめ)いていた。志保は男の侵攻を防ぐ術(すべ)を持っていなかった。このままじゃヤツの言いなりになっちまうぞ。
「ああっ……。んんっ……いいかげんにし……」
「いいかげんにしとけよ! 女の子が嫌がってんじゃねか!」
 俺はたまりかねずに声を出してしまった。下司(げす)なことをしてしまった。けど志保が嫌がってんのを黙って見てられなかったんだよ。
「ヒ、ヒロ!?」
 2人は俺の声にビクッとなったが、志保は声の主が俺だと分かると野郎がひるんでる間に突き飛ばして俺の背後に駆け込んだ。俺は志保に目で合図を送ると、志保はピューッと逃げていった。よしよし、それでいい。後は先輩と丸く話を収めるだけだ。
「すんません先輩、あいつはそんなつもりで先輩に声掛けた訳じゃなくて純粋に、ゲボッ!」
「じゃましてんじゃねーよ、タコッ!!」
 うげっ……。問答無用で膝蹴りかよ……。油断したぜ、もろ鳩尾(みぞおち)だ……。
「かっこつけんじゃねーよ!!」
 くの字に折れ曲がった俺の体を頭から両手で押さえつける。ヤツの右膝がすっと後ろに下がる。もう一発膝来るな。ちょっと反撃しとくか。俺は膝を軽く曲げ重心をぐっと落とす。そしてヤツの右膝を両手を使ってヤツが膝を振り切る前にぐいっと外側へ向かって下の方へ押す。ヤツから見れば右膝が時計回り下方向へ受け流された格好になる。俺は相手の膝を受け流す動きを使ってウンッとへその下に息を溜める。そして右肩をヤツの腹に当てて、ハッと息を思い切り吐き出すと同時に足をドン! と踏み抜く。その力を背中を通して肩に伝達させ、ヤツの腹に注ぎ込む。もちろん力の加減はしたぜ。下手すると殺してしまいかねない。もうあんなことはしたくない。
「ぐうう……」
 でも先輩はこう息を漏らすと両のかかとが床から離れた。そしてそのまま床に崩れ落ちた。思い切りケリ入れといて、自分はちょこんと一発入れられたくらいでダウンかい? しょうもねえ男だ。仕方ねえ気をいれてやるか……。
「志保ちゃんキーーーーック!!」
 どかーーん!! ぐへーーっ!! ……き、きいた……。し、志保なにすんだよ……。
「なにすんだよって、ヒロがやられかけたから助けようとしたんじゃない。本棚の上に登って待機しててよかったわ。まあ、ちょっとはずれちゃったけど」
 俺にとどめをさしてどうすんだ。だいたい俺は「早く逃げろ」って合図したんだよ。
「へ? 『背後に廻って殺れ』って意味じゃなかったの? あはは、イヤー、ごめん、ごめん」
 後頭部をぽんぽんと叩いてやがる。ちっとも反省してない……。
「ったく、こんな所でなにしてんだよ」
「新しい恋の火遊びってとこね」
 新しい恋って……、それじゃ今まで別の恋をしてたように聞こえるぞ。俺は側でひっくり返っている橋本先輩に一瞥すると、
「この人は大学生とつるんで女喰いまくってる野郎なんだぜ。知ってたか?」
 と言ってやった。すると志保は大きな目を真ん丸に開いた。どうやら知らなかったみたいだな。しかしすぐ小賢しい笑みをつくると、
「ふふーん、そういう手練れだからこそ私の女を磨く絶好の相手だと思ったのよ」
 と言った。なーに言ってやがる。女を磨くどころかまだ『女』でもないくせに。
「ちょおっとー! なに知ったようなこと言ってんのよ!」
 ああいう男をあしらうテクも持たないで男を誘うなんて十年早いぜ。俺が助けなきゃここがお前の『初めて』の場所になってたんだぞ?
「うぐぐぐ、私がバ、バージンだってしょ、証拠でもあるってーの!」
 確かめられるかっ! でもお前見てたらよく解るぜ。
「ズバリ、エッチどころかキスもしたことないでしょう!」
 ポンと志保の頬が赤くなる。分かりやすいヤツ。しかしすぐさま悔しそうな顔をして地団駄を踏んだ。
「なによっ、あんただって同じじゃない!! 童貞のくせしてさっ!!」
 うぐっ。そう反撃に来たか。
「童貞で悪いか! 耳年増なだけの処女が!」
 具合が悪い。こっちの歯切れが悪くなってきた。
「わ、私はもう、お・と・な・なんだからキスの1つや2つなんでもないわよっ、そこらでチュッチュ、チュッチュする挨拶みたいなものよっ!」
「強がり言ってんじゃねえよ。お前は絶対キスも『まだ』だ」
「ふーんだ。ヒロ、あんたこそ女の子にエッチするどころかキスすることも出来ない意気地なしさんじゃないの?」
 いかん。志保のペースになってる。こうなったら……。
「だったらよ、今からここでキスしてやろうか?」
 さあこれで一発逆転だ。
「や、やれるもんなら、やってみなさいよっ」
 志保がきゅーっと目を閉じ、口唇も『ん』の字に固く結ぶ。よし乗ってきたな。……でも、なぜかこいつが目を閉じたときドキッとした。
「後で泣いたって知らないからな」
「は、早くしなさいよ……」
 志保の右肩に手を置いた。ピクッと志保の体が動く。すーっと顔を接近させると、志保のヤツ微かに震えているのがわかった。へっへっへ。かわいいじゃねえか。もう一押しだ。俺は人差し指をそおーっと近づけると志保の口唇にちょんと触った。
「……!!」
 志保は体をビクンと硬直させると、目をかっと見開いた。あっはっは、おっかしいぜ。しかし目の前の人差し指を見てさっきの感触の正体が解ったみたいだな。
「どわっはっは、なにそんなにビビッてんだよ。お・と・な・の志保君」
 志保は騙された悔しさを顔いっぱいに表した。
「騙したわねーーーっ! きーーーっ! よくもバッチイ指で触ったわねっ! ……あ、ということは……。ヒロも女の子にキスもできない意気地なし決定ーーーってことね」
 げげっ! しまった、自分で墓穴掘っちまった!
「ふふふ、明日の志保ちゃんニュースのトップは決まりね! 『あの藤田浩之、美女の誘惑にタジタジ』って所かしら。明日から『タージ』って呼んであげる!」
 く、くそっ。よーし解った。今のはナシだ。もう1度行くぞ!
「か、かかってらっしゃい」
 こうなったら我慢比べだ。再び志保は目を閉じ、口唇を固く結ぶ。俺は志保の両肩をぐっと掴んだ。意外と細い肩をしているんだな……。そして顔をずいっと接近させる。志保の顔がどんどんアップになる。……心臓がバクバク言い出した。
「今度は、ほ、本気でいくぞ」
「や、やれるものなら、やっ、やってみなさいよ」
 お互いの息がかかる距離まで近づいた。志保の口唇、リップでも塗ってるのかな? ピンク色してつやつやしてる……。口唇が乾いて仕方ない、ぺろっと舌なめずりをしてしまった。か、格好悪い……。志保が目を閉じてて良かったぜ。さあ、逃げるなら今のうちだぜ、志保。俺も目を閉じた。ほら、逃げろ逃げろ。俺は最後の5cmをぐいっと進んだ……。
 ちゅっ。
 うわわわわーーーーーーーーっ!!!  後ろに飛び退いた俺は本棚に背中を打ちつけて、ずるずるとしゃがみ込んだ。顔が熱い、心臓が苦しい、喉がからからだ、恥ずかしながら息子もズボンの中でパンパンに腫れ上がってる。志保を見るとあやつも後ろの本棚に寄りかかってずるずると床にしゃがみ込んでいる。顔どころか首から手から足まで真っ赤っかだ。こめかみには汗までかいてやがる。
「な、な、な、な、なんで逃げなかったんだよっ!」
「ヒ、ヒロ、ヒロこそなんで途中で止めないのよっ!」
 俺も志保も口唇をごしごしこすりながら、お前が、お前がと、相手のせいにした。
「お前は、んなくせに。いつも、だから、てっきり、今度も、なのに!!」
「いっつも、こんな、だから。ヒロも、ちょっと、私を、じゃなくて!!」
 その後は頭がパニックを起こして、相手の言葉どころか自分の言っていることさえ解らないまま、俺達はぎゃーぎゃー怒鳴り合っていた。
 志保がなにやら意味不明なことを言って、バタバタ逃げるように走り去った。俺は無意識に志保を追いかけようとした。その時俺は黒い物体に衝突してしまった。
「あっ、浩之、こんなとこにいたんだ。捜したよ。さあ、帰ろう」
 それは雅史だった。俺は思わずコイツにヘッドロックをかけてしまった。
「来るなら来るで、もうちょっと早く来いよなっ!」
「え? なに? 痛いよ。ねえ、どういうこと?」
 脇の下で雅史が苦しそうにもがいていた。
 ちゅっ。
 口唇にさっきの感触がよみがえる。志保が口唇をきゅっと結んでいたからちょっと固い手応え(口唇応え?)だったけど、暖かくて、プニッという感じがした……。俺……、ホントにキスしちまったのか? ま、また顔が火照ってきた……。か、帰るぞ、雅史!

第5章『春の嵐』に続く


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