アーリア人がインドのパンジャブ地方へ進入BC2000年ころ、インド=ヨーロッパ語族が北方から南方の文明地域へ向かって大移動をはじめたが、BC1500年ころ、インド=ヨーロッパ語族の一派であるアーリア人は、イラン東部を経由してインド北部のパンジャブ地方へ進出したとみられる。 そして、BC1000年ころにはガンジス川流域にまで達したものと考えられている。 インドに進入したアーリア人は、「リグ・ベーダ」を原典とし、先住民とみられるドラヴィダ人などを支配しながら、現在のカースト制度につながる身分制度をかたちづくっていった。 【アーリア人】 アーリア人は、インド=ヨーロッパ語族の一派であるインド・イラン語諸派族の総称で、特定の民族を指すものではない。原義は、サンスクリット語で「高貴な人」を意味する。 アーリア人は、まず、カスピ海とアラル海の間かあるいはアラル海の東を通ってイラン北方の中央アジアに進出したと考えられる。 その後、東へ向かった一派は、BC1500年ころ、イラン東部を経由してインド北部のパンジャブ地方へ進出し、BC1000年ころにはガンジス川流域にまで達したものと考えられる。 また、西へ向かった一派は、一部はイランへ入り、一部はメソポタミアへ達した。 インドの古典「リグ・ベーダ」は、イランに入ったアーリア人が信仰したゾロアスター教の最高教典「アヴェスター」の言語ときわめて類似しているといわれている。 【参考ページ】 インド=ヨーロッパ語族の大移動が始まる 参考文献 「クロニック世界全史」講談社、1994年 「新訂版チャート式シリーズ 新世界史」堀米庸三・前川貞次郎共著、数研出版、1973年 「広辞苑第二版」新村出編、岩波書店、1969年 「パーソナル カタカナ語辞典」金田一春彦監修、学習研究社、1999年 2004/5/10 |