ハムラビ法典古バビロニア王国の第6代ハムラビ王(在位BC1792〜BC1750)のとき、即位当初はアッシリア、ラルサ、エシュヌンナに包囲されるが、在位29年目にエラム、スバルトゥを破り、翌年ラルサ(ラルサはイシンを征服していた)を破ってバビロニア南部を統一した。また、BC1759ころにはバビロニア中部のマリまで征服し、バビロニア王国の最盛期をむかえた。 全バビロニアを統一したハムラビ王は、BC1750年ころに「ハムラビ法典」を発布した。 (注:「ハムラビ法典」は、AD1901〜1902年の発掘により、フランス隊によってスサで発見された。その後に大きな影響を与えた重要な法典であるが、世界最古の法典ではない。ウル第三王朝時代の「ウルナンム法典」の一部が発見されている。 ウル第3王朝 ) このほか、ハムラビ王は、治水灌漑事業や首都バビロンの造営、中央集権的な行政・司法・軍事の組織を確立した。 なお、ハムラビ王の名は、旧約聖書(「創世記」第14章)にもアムラベルの名で伝えられている。 【参考ページ】 古バビロニア王国 【LINK】 ルーヴル美術館ミラーサイト(日本語) ≫ コレクション ≫ 古代オリエント美術、イスラム美術 ≫ 選りすぐりの作品 ≫ メソポタミアとアナトリア ≫ ハムラビ法典 NIKKEI NET 日本経済新聞社 ≫ ハムラビ法典の一部が盗難、イラク博物館から(2003/4/13付) 参考文献 「クロニック世界全史」講談社、1994年 「世界の歴史2 古代オリエント」岸本通夫ほか著、河出文庫、1989年 「新訂版チャート式シリーズ 新世界史」堀米庸三・前川貞次郎共著、数研出版、1973年 「年表式世界史小辞典」酒井忠夫監修、文英堂、1988年 更新 2004/1/7 |