ウル第3王朝シュメールとアッカドを統一したアッカド王朝は、BC2250年ころ蛮族グティ人 Guti によって支配されたが、BC2112年に、ウルクのウトゥヘガルがグティ人の支配からシュメールを解放した。その後まもなく、彼の将軍ウルナンムがウル第3王朝を興した。 ウルナンムは、「ウルナンム法典」の発布などの社会改革を行ったほか、シュメール全土で諸公共建造物の建設を行い、「正しき牧者」と称された。 約17年間のウルナンムの治世のあいだ、ウルの港は交易船でにぎわい繁栄した。数々の善行にもかかわらず、ウルナンム王の最後は戦死であった。 ウル第3王朝の最後は、東方からはエラム人、シリア方面からはアムル人(セム系遊牧民)の侵略を受けて、BC2006年に滅亡した。 【ウルナンム法典】 AD1952年に、「ウルナンム法典」が発見されたが、これはBC1750年とされる「ハムラビ法典」の発布よりも古いものであり、現存する最古の法典である。 残存する35条ほどの本文には、殺人、盗み、傷害、離婚、農地の荒廃などについての刑罰が規定されているが、「目には目を」というハムラビ法典とは異なり、金銭で償うこととしている。 【参考ページ】 メソポタミア文明 アッカド帝国 【LINK】 大成建設 古代文明都市ヴァーチャルトリップ ≫ メソポタミア文明 古代都市ウル 大英博物館ミラーサイト(日本語) ≫ メソポタミア ≫ 地理 ≫ 古代の都市の地図 The British Museum 大英博物館(英語) ≫ mesopotamiaによる検索結果 ルーブル美術館(日本語) ≫ コレクション ≫ メソポタミアとアナトリア 参考文献 「クロニック世界全史」講談社、1994年 「新訂版チャート式シリーズ 新世界史」堀米庸三・前川貞次郎共著、数研出版、1973年 更新 2003/10/18 |