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エジプトのアマルナ文化


 エジプト新王国時代、第18王朝の王アメンヘテプ4世は、強大となっていたテーベの市神アメン神の神官勢力を排除するため、首都テーベを捨て、テーベの北360キロに新しい都アケタトン(現在のテル・エル・アマルナ)を建設した。
 アメン神の崇拝を禁止し、日輪の神(太陽神)アテンを唯一神として信奉した。自らの名もアメンヘテプ(「アメンは満足する」の意)から、アケナテン(「アテンによりてかがやくもの」の意)に改めた。宗教改革を断行し、伝統にとらわれない真実を愛した。芸術も伝統にとらわれない、写実的なものが隆盛した。アマルナ芸術と呼ばれる。「王妃ネフェルティティの胸像」が、その代表作といえる。

 このころ、シリア、パレスチナの諸侯が反乱を起こし、ヒッタイトやアッシリアの動きがめだってきたが、アケナテン王は戦いを嫌い、ひたすらアテン神に祈りをささげた。国内の反対勢力から糾弾にあい、国中に不満の声がわきおこって、宗教改革の理想は約10年で挫折した。王は、家臣に裏切られ、最愛の妻とも別居し、失意のうちに病死した。
(注:1887年に、アマルナから外交文書を主とする楔形文字の粘土板(アマルナ文書)が発見され、当時の外交関係を知る貴重な史料となった。)



【参考ページ】
エジプトの新王国時代


【LINK】
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参考文献
「世界の歴史2 古代オリエント」岸本通夫ほか著、河出文庫、1989年
「新訂版チャート式シリーズ 新世界史」堀米庸三・前川貞次郎共著、数研出版、1973年
「クロニック世界全史」講談社、1994年


2010/2/4

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