BC108年 衛氏朝鮮滅亡BC195年ころに建国された衛氏朝鮮は、中国民族による征服王朝だったため常に朝鮮民族などの抵抗に悩み、数代にして衰徴に向かった。 BC128年に、衛氏朝鮮に反対する?(かい)君南閭たちが28万人を率いて遼東郡に降った。漢の武帝は、「蒼海(そうかい)郡」(注:朝鮮半島の東岸か?)を置いてこの地方を支配しようとしたが、失敗に終わったという。 漢の武帝はBC109年に衛氏朝鮮を攻めたが、朝鮮王右渠(うきょ)は5万の大軍を迎え撃ってこれを破り、7千人の海軍も撃破した。漢の武帝は和戦両様の策をとったので、朝鮮の大臣や将軍があいついで漢に降り、翌BC108年に朝鮮王右渠は漢に内応した大臣の家臣に殺された。それでも王城を死守する大臣がいたが、彼も内応者に殺され、衛氏朝鮮は滅びたという。 漢の武帝は、衛氏朝鮮の故地に「楽浪(らくろう)郡」「真番(しんばん)郡」「臨屯(りんとん)郡」「玄菟(げんと)郡」を置いて直接支配に乗り出した。 【参考ページ】 BC195年ころ 衛氏朝鮮の建国 BC108年 楽浪郡など4郡設置 参考文献 「朝鮮史 新書東洋史10」梶村秀樹著、講談社現代新書、1977年 「朝鮮 地域からの世界史1」武田幸男・宮嶋博史・馬渕貞利著、朝日新聞社、1993年 「古代朝鮮 NHKブックス172」井上秀雄著、日本放送協会、1972年 更新 2004/1/28 |
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