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ミタンニ王国


 BC1550年ころ、フルリ人がアッシリアの北西部にミタンニ王国を築き、都をワシュカンニにおいた。この都はまだ発見されていない。
 サウシュタタル王(BC1450〜1430ころ)の時代に同じフルリ族の諸国を掌握して大きな勢力となった。西は北シリアから地中海に面したウガリト(現在のラス・シャムラ)まで、東はアッシリアを征服してチグリス川の東方まで進出した。アッシリアを征服したとき「金と銀の戸」を略奪してみずからの王宮に飾ったという。
 この時期のミタンニ王国は、バビロニア、エジプトと並ぶ三大勢力であり、相互に政略結婚も行った。

 フルリ人はインド・ヨーロッパ語族で、早くからこの地域へ入った先住民である。フルリ語には「馬」「調馬師」「戦士」などのインドのサンスクリット語がまじっている。
 なお、フルリ人は、旧約聖書では「ホリびと」と呼ばれた。


【馬車】
 ミタンニ王国では、馬の調教と画期的な6本のスポーク(輻(や))のついた2輪軽戦車、機動的戦術を用いて戦い、領土を広げた。
 この戦術は、エジプト、ヒッタイト、バビロニアに広まった。

【フルリ族の神々】
 フルリ族の多数の神々のなかには、インドのアーリア人の神々である「インドラ」「ミトラ」が含まれている。


【参考ページ】
BC1270年ころ ミタンニ王国の滅亡





参考文献
「世界の歴史2 古代オリエント」岸本通夫ほか著、河出文庫、1989年
「クロニック世界全史」講談社、1994年

更新 2008/6/24

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