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1077年 カノッサの屈辱(教皇権の伸長)


 ローマ法王グレゴリウス7世が君主の僧職叙任権を禁じたため、神聖ローマ皇帝ハインリッヒ4世は法王を廃位しようとしたが、法王はドイツ諸侯と結んで逆に皇帝を破門した。
 これを機に、南ドイツ諸侯は神聖ローマ皇帝から離反し、窮地に陥ったハインリッヒ4世は、北イタリアのカノッサに滞在中の法王の居城の前に雪中3昼夜立ちつくして、ようやく許しを得たといわれる。
 この事件は、ローマ法王権の優位を決定づけた。


【人物】
 神聖ローマ皇帝ハインリッヒ4世 1050〜1106
 1056〜1106年の間、神聖ローマ皇帝。ハインリッヒ3世の子。幼少で即位したため諸侯の伸張を許したが、1065年からの親政後、帝権の確立に努力し、各都市に自治権を与え、市民の支持を得た。1077年のカノッサの屈辱後、ふたたび反対諸侯を討ってローマに進撃、法王グレゴリウス7世を追ってクレメンス3世を立てて帝権を確保した。子ハインリッヒ5世にそむかれ、捕らえられて退位した。
 法王グレゴリウス7世 1020〜1085
 1073〜1085年の間、ローマ法王。本名ヒルデブラント、中部イタリアのトスカナ生まれ。クリュニー修道院で改革運動を行う。カノッサの屈辱後、ハインリッヒ4世に攻められて、南イタリアのセレルノで憤死した。ローマ法王在位中には、法王権の確立・教会の粛正に努めた。


【地図】
  イタリアのカノッサ(Canossa)周辺の地図(現代)






参考文献
「世界史辞典」数研出版
「年表式世界史小辞典」文英堂


更新 1999/3/9

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