1943年 東京で大東亜会議1943年(昭和18年)11月5日〜11月6日にかけて、東京に7人の各国政府の首脳が集まって大東亜会議が行われた。 この会議は、日本の重光葵外相によって発案されたもので、史上初めて有色人種のみが一堂に会して行われた首脳会議である。 出席者は、次のとおり。 ・東條英機(日本国 内閣総理大臣)(注1) ・汪兆銘(中華民国 (南京)国民政府 行政院長)(注2) ・張景恵(満州国 国務総理大臣) ・ホセ・ラウレル(フィリピン共和国 大統領) ・バー・モウ(ビルマ国 内閣総理大臣) ・ワンワイタヤーコーン親王(タイ王国) ・チャンドラ・ボース(自由インド仮政府 首班)(注3) |
(注1:大東亜共同宣言中には「大日本帝国」ではなく「日本国」と表記されている。(出典: 大東亜会議 - Wikipedia ) ) (注2:汪兆銘の率いる国民政府(この時の首都は南京)は、蒋介石の率いる中国国民党の政府(この時の首都は重慶)と並立していた。なお、汪兆銘は、中華圏では汪精衛と呼ばれることが多い。) (注3:自由インド仮政府は、日本と協力してインドのイギリスからの独立を目指し、1943年10月21日にシンガポールで樹立された。(出典: 自由インド仮政府 - Wikipedia ) また、チャンドラ・ボースの遺骨は、東京都杉並区の日蓮宗蓮光寺に納められている。(出典: スバス・チャンドラ・ボース - Wikipedia ) ) |
この会議で、大東亜共栄圏の綱領ともいうべき大東亜共同宣言が採択された。 その宣言文の内容を、 大東亜会議 - Wikipedia から引用します。 |
抑々世界各國ガ各其ノ所ヲ得相扶ケテ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ世界平和確立ノ根本要義ナリ。然ルニ米英ハ自國ノ繁榮ノ爲ニハ他國家他民族ヲ抑壓シ特ニ大東亞ニ對シテハ飽クナキ侵略搾取ヲ行ヒ大東亞隷屬化ノ野望ヲ逞ウシ遂ニハ大東亞ノ安定ヲ根柢ヨリ覆サントセリ大東亞戰爭ノ原因茲ニ存ス。大東亞各國ハ相提携シテ大東亞戰爭ヲ完遂シ大東亞ヲ米英ノ桎梏ヨリ解放シテ其ノ自存自衞ヲ全ウシ左ノ綱領ニ基キ大東亞ヲ建設シ以テ世界平和ノ確立ニ寄與センコトヲ期ス。 ・大東亞各國ハ協同シテ大東亞ノ安定ヲ確保シ道義ニ基ク共存共榮ノ秩序ヲ建設ス ・大東亞各國ハ相互ニ自主獨立ヲ尊重シ互助敦睦ノ實ヲ擧ゲ大東亞ノ親和ヲ確立ス ・大東亞各國ハ相互ニ其ノ傳統ヲ尊重シ各民族ノ創造性ヲ伸暢シ大東亞ノ文化ヲ昂揚ス ・大東亞各國ハ互惠ノ下緊密ニ提携シ其ノ經濟發展ヲ圖リ大東亞ノ繁榮ヲ増進ス ・大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ人種的差別ヲ撤廢シ普ク文化ヲ交流シ進ンデ資源ヲ開放シ以テ世界ノ進運ニ貢獻ス |
なお、大東亜共同宣言は、英米が1941年に発表した大西洋憲章へのアンチテーゼであるとみる説がある。 【1955年のバンドン会議】 戦後の1955年に、インドネシアのバンドンで開催されたアジア・アフリカ会議に、日本も招待され、高崎達之助(経済審議庁長官)を代表とする十数名が参加した。出席してみると、思いのほか、大歓迎を受けたという。 外務大臣代理として出席した加瀬俊一 氏(当時は外務相参与)は次のように語っているという。 『出てみるとアフリカからもアジアの各国も『よく来てくれた』『日本のおかげだ』と大歓迎を受けた。日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々はいまもイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった。それにあの時出した『大東亜共同宣言』がよかった。大東亜戦争の目的を鮮明に打ち出してくれた。『アジア民族のための日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣言は歴史に輝く』と大変なもて方であった。やっぱり出席してよかった。日本が国連に加盟できたのもアジア、アフリカ諸国の熱烈な応援があったからだ。』(引用: アジア・アフリカ会議 - Wikipedia の「日本からの出席とその反響 」の項) 【LINK】 国際派日本人養成講座 ≫ 地球史探訪:大東亜会議 〜 独立志士たちの宴 〜必見。一読願いたい。 YouTube ≫ 1/3【討論!】あらためて大東亜戦争を考えるPart2[桜H25/12/7] 〜特に、15分16秒付近からの三浦小太郎氏の発言。 YouTube ≫ 【ニュースの読み方】大東亜会議の今日的意味[桜H25/11/6] YouTube ≫ 【不朽の志】大東亜会議七十周年記念大会[桜H25/11/11] YouTube ≫ 【藤井厳喜】村山元首相の妄言と「村山談話」を斬る―植民地主義、人種差別と戦った日本 〜大東亜会議については、32分11秒付近から。 YouTube ≫ 【真実の歴史】大東亜共同宣言 ねずさんの ひとりごと ≫ ヘンリー・S・ストークス氏の講演 YouTube ≫ 1/3【討論!】中東・アジア・欧州から見える米国の本音[桜H27/4/4] |
この動画(47分19秒〜51分35秒付近)の関岡英之氏の発言によると、インドで、チャンドラ・ボースの評価が復権してきているらしい。 |
【参考ページ】 1944年 日本軍とインド国民軍でインパール作戦 私の思うところ ≫ 日本の歴史認識 参考文献 大東亜会議 - Wikipedia 大東亜共同宣言 - Wikipedia 汪兆銘 - Wikipedia スバス・チャンドラ・ボース - Wikipedia 自由インド仮政府 - Wikipedia インド国民軍 - Wikipedia ビルマ国 - Wikipedia フィリピン第二共和国 - Wikipedia アジア・アフリカ会議 - Wikipedia バンドン会議 大西洋憲章 - Wikipedia 「大東亜会議の真実」深田祐介著、PHP新書、2004年 更新 2015/4/17 |