1950年 韓国で保導連盟事件大韓民国政府は1948年に正式に発足したが、その前後からすでに「済州島四・三事件」や「麗水・順天事件」が発生するなど、北朝鮮と連携しようとする過激な左翼運動への対応をせまられていた。そうしたなかで、1949年6月に「保導連盟」が組織された。 保導連盟の結成は、思想検事として有名であった鮮于綜源、呉制道によって主導された。初代幹事長はパク・ウチョン(民族主義民族前線の組織部長出身)、初代会長は鄭栢(日本統治時代の有名な共産主義運動家で北朝鮮から越南する際に転向した)である。左翼からの転向者は義務的に加入することになっており、活動目標は韓国政府支持・北朝鮮政権に反対・共産主義思想の排撃で、連盟員は地下左翼分子の捜索や自首の勧誘、反共大会と文化芸術行事の開催を通した思想運動など実践的な活動を展開した。 共産主義者の家族や単なる同調者についても、登録すれば処罰しないとして加入を勧められた。また、保導連盟に登録すると食料配給がスムーズに行われたため、食料目当てに登録した人々も多かったといわれ、警察や体制に協力する民間団体が左翼取り締まりの成績を上げるために無関係な人物を登録することもあったともいう。 1950年初めに集計された会員数は、30万人を超えていた。 1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発し、北朝鮮軍がソウルに迫ると、6月27日に李承晩大統領は保導連盟員や南朝鮮労働党関係者を処刑するよう命令を発してソウルを脱出した。 韓国軍・警察は最終的に釜山にまで後退したが、韓国の全国各地で組織的に大量の処刑が行われた。 少なくとも20万人が殺害されたとみられているが、60万人から120万人としているものもある。 韓国での調査によると、警察が国民保導連盟員らを各地から招集し連行した後、2日〜3ヶ月間留置場や倉庫などに拘禁し、左翼活動経歴が多く‘甲(A)等級’に分類された人々は大部分が1950年7月初めに集団虐殺された。残りも北朝鮮軍の占領が近づき、後退する韓国軍・警察により処刑された。(注:参考文献に揚げている韓国の革新系新聞「ハンギョレ」の翻訳記事による。 ) ソウルに侵攻した北朝鮮にとっても、保導連盟員は党を捨てて敵に協力した者であり、追及・粛清の対象となった。また、保導連盟事件は、北朝鮮軍占領地域での報復虐殺の原因となったという。さらに、アメリカ・韓国軍がソウルを奪還すると、北朝鮮の協力者とされた者たちが殺害された。 南北朝鮮双方からの迫害を逃れようとした多くの人々が日本へ避難あるいは密入国し、そのまま在日コリアンとなった者もいる。 この事件は永らくタブー視されてきたが、左派系の盧武鉉大統領によって2005年12月に「真実・和解のための過去史整理委員会」が設置され自国の歴史清算事業が進められ、保導連盟事件も調査対象のひとつとされた。この委員会は被害者の申請を受けて遺骨の発掘を行うなど調査を行ったが、交代した右派系の李明博大統領はこの活動に積極的でなく委員会の性格も変わったといわれる。この委員会は、報告書を提出して、2010年12月末に解散した。 また、2008年1月24日には、保導連盟事件の犠牲者追悼式が行われ、ここで盧武鉉大統領がビデオメッセージで国民に謝罪した。 【事件場所(一部)】 (注:韓国全土で殺害が行われたようですが、当サイト管理人にはどうも全体像がつかめていません。ここに揚げたのは、日本語版のWikipediaとTBS「報道特集」で放送された内容です。 ) 日本語版のWikipedia ( ![]() ・忠清北道 清州市 ・忠清北道 清原郡〜100体以上の遺骨が発見。犠牲者は7000人にのぼる。 ・忠清南道 大田刑務所 ・全羅南道 咸平郡の村 ・慶尚北道 永川市や洛東江近辺の村々〜1950年7月から9月、数百名の殺害を確認。 ・慶尚南道 釜山刑務所 ・慶尚南道 馬山刑務所 ・慶尚南道 晋州刑務所〜馬山の廃坑に連行して殺害 ・済州道 済州刑務所 ・済州島 (済州島四・三事件も参照のこと) ![]() 以下はTBSの「報道特集」の放送内容から、 ・慶尚南道 山清郡(サンチョン郡)〜1951年2月ころ ・慶尚北道 慶山市(キョンサン市)〜廃坑で推定3500人を処刑 ・全羅南道 珍島の南にある無人島の通称カモメ島〜1950年7月ころ。推定500人の遺骨。 TBSのこの番組で、「真実和解委員会によると、遺骨の埋まっている場所は、わかっているだけで169か所。このうち調査中は11か所。」と伝えている。 ![]() ![]() 【参考ページ】 ![]() 【LINK】 地図 ![]() 現在の韓国の地名と場所がわかる地図。 保導連盟事件など ![]() ![]() ![]() その他の事件 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() (参考:朝鮮戦争は、1950年6月25日〜1953年7月27日です。 ![]() 参考文献 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 注:「ハンギョレ・サランバン」は、韓国の革新系新聞「ハンギョレ」の記事を日本語に訳して提供しているサイトです。 ![]() ![]() ![]() 更新 2017/8/16 |